第二十一話:同じ波
「今日は三人?」
図書館の少女は、エアリスたちを見てそう言った。
第三管理区域の裂け目を見学し、その日に古い年報を開いてから、十日ほどが過ぎていた。
エアリスは授業へ出て、図書館へ通い、時々ルセリアの魔導馬車で街を見た。利用登録を済ませてからは、急ぐ日に公共テレポート駅を使うこともあった。街には魔導具が自然に入り込んでいるのに、小さな食堂では今も炉に火が入り、文具店では店主が手でインク瓶を並べていた。
エアリスは、その混ざり方が好きだった。
少女は窓際の机に本を積んでいた。裂け目関連の資料が多い。エアリスたちが最近追っているものを、先に出してくれたらしい。
外では光神祭の準備が進んでいるはずだが、図書館では紙をめくる音の方が強い。
窓の外では白い飾り紐が増え、机の上では古い紙が開かれている。
「はい」
エアリスが答えると、少女はセリナとディートリヒを順に見た。
「Aクラスの顔が増えた。図書館としては歓迎だけど、私の席が足りない」
「席を取るつもりはないよ」
セリナが言った。
「資料を見たいだけ」
「それは席を取るって言うんだよ」
少女は軽く返し、隣の机から椅子を二つ引いた。
「まあ、どうぞ。第三管理区域の裂け目の資料でしょ?」
セリナが眉を上げる。
「もう分かるの?」
「最近、三人とも裂け目の資料棚に来るから」
「見られてた?」
「図書館に来る人の行き先は、だいたい見える」
セリナは自分の足を見た。
「それ、便利だね」
「便利というか、習慣。エアリスは特に分かりやすい。読む本の種類で」
「見せているつもりはありません」
エアリスが言うと、少女は笑った。
「そこは否定するんだ」
ディートリヒは椅子へ座り、すぐに本へ目を向けた。
「第三管理区域の裂け目の公開資料はありますか」
「あるよ。昨日も出した。今日は古い版も持ってきた」
少女は机に三冊並べた。
現行版。
五年前の版。
二十年前の抄本。
紙の色も違っていた。現行版は白く、文字が揃っている。五年前の版は少し黄色く、余白が狭い。二十年前の抄本は写しで、何度か人の手を渡った跡があった。
「古い版も読めるんですね」
エアリスが言う。
「公開資料ならね。具体座標と封鎖術式は削られてるけど、形式の変化くらいは見られる」
エアリスは現行版を開いた。
意志を帯びた波動反応。
微弱。経過観察。
五年前の版も、似ていた。
意志を帯びた反応、微弱。
二十年前の抄本では、項目の名が少し違っている。
いや、違う。
その項目自体が、そもそもなかった。
「二十年前には項目がない」
ディートリヒが言った。
「五年前にはある。現行版にもある。最近追加された項目ですね」
「近年の観測項目、ということですね」
エアリスは言った。
「そう」
少女が頷く。
「資料って、新しく増えた項目ほど目立つことがある」
「どうして増えたのでしょうか」
「さあ。誰かが必要だと思ったから、かな」
彼女は軽く言った。
セリナは本をのぞき込み、肩をすくめる。
「私は、こういうの苦手。短い記録を読むの、難しい」
「書いてあるものを燃やす方が得意ですか」
エアリスが聞く。
セリナは記録紙の端を指で弾いた。
「今日、ちょっと反論しづらい」
「燃やしていませんでした」
「うん。だから偉いってことにして」
「偉いです」
「素直に言われると、少し困る」
少女が二人を見て、口元を押さえた。
「Aクラスって、もっと堅いと思ってた」
「堅い者もいます」
ディートリヒが言った。
セリナがすぐに彼を見る。
「自覚あるんだ」
「あります」
返事が早かった。
セリナがペン先を机に置いた。笑いはそこで止まった。
エアリスは自分のノートを開いた。
公開資料。
学生用資料。
現場報告。
同じ波動反応。
項目ができた時期は五年前以前。
二十年前の抄本にはない。
少女が横からノートを見た。
「字、きれいだね」
「ありがとうございます」
「でも、問いが多い」
「答えが少ないので」
「それはそう」
彼女は古い抄本の端を指で押さえた。
「もっと調べるなら、管理科の公開年報かな。裂け目の管理制度が変わった年も載ってることがある」
「図書館にありますか」
「ある。重い」
「物理的に、ですか」
「もちろん」
少女は立ち上がった。
「持ってくる。半分友だち未満の働きとして」
セリナが首を傾げる。
「半分友だち未満?」
「名前を教えてないから」
「え、まだ?」
「タイミングがあるんだよ」
少女はそう言って、棚の奥へ消えた。
セリナはエアリスを見た。
「あなた、名前を知らない相手と普通に仲良くしてるの?」
「本を選んでくれます」
「理由として強いね」
「はい」
エアリスは胸元の小さな棺を押さえた。
ディートリヒは、五年前の資料を読みながら言った。
「管理科年報を見るなら、制度変更の年だけでなく、同時期の裂け目の異常記録も確認した方がいい」
「なぜですか?」
「項目が増えた理由が、事故なのか、観測方法の変更なのかで意味が変わります」
「はい」
セリナは封書を取り出していた。
机の上に置き、まだ開かない。
エアリスはそれを見たが、何も言わなかった。
やがて少女が戻ってくる。
本は本当に重かった。
管理科年報。
裂け目の管理制度改訂記録。
セラフィア外縁防衛史。
三冊だけで、机の上が狭くなる。
「まず、これ」
少女は年報の索引を開いた。
「五年前、管理下にある裂け目の記録に補助項目追加。理由は、観測反応の分類細分化」
ディートリヒが目を細めた。
「観測反応の分類を細かくした」
「その中に、意志を帯びた波動が入った」
セリナが続ける。
「それ、最近になって見えるようになったってこと?」
少女はうなずく。
「そうとも言えるし、最近になって記録する必要が出たとも言える」
「原因は?」
「そこまでは公開資料にない」
エアリスは昨日、教室で投影された現場報告書を思い出した。
「現場報告の投影でも、同じ反応がありました」
少女の指が止まる。
ディートリヒも顔を上げた。
「現場報告にも?」
「はい」
「それは公開用に加工されたものかもしれません」
ディートリヒは言う。
「けれど、見学後の確認で学生に見せる程度には、管理側も隠していない」
セリナは封書の端を指で押さえた。
「ガイア帝国側にも、似たやつがあるかもしれない」
エアリスは彼女を見た。
セリナは少し迷ってから、封書を開いた。
「家からの手紙。細かいことは言えないけど、帝国の裂け目の報告にも、意志を帯びたみたいな波動の記録があるって。父が気にしてるみたい」
「グランツベルク公爵家が?」
ディートリヒが聞く。
「うん。正式な調査じゃない。家の中で、いくつか気になる報告が回ってるだけ」
セリナは声を落とした。
「最近、魔界の裂け目が多い魔淵と呼ばれる外縁一帯も落ち着かないし。帝国の方は、いろいろあるから」
いろいろ。
セリナは封書の端を押さえ、それ以上は言わなかった。
エアリスは聞かない。
代わりに、ノートへ書いた。
ガイア帝国側にも、意志を帯びたような波動。
同じ形式か、要確認。
「家のことなら、無理に話さなくていいです」
エアリスが言うと、セリナは少し驚いた顔をした。
「……ありがとう」
「必要なら、聞きます」
「うん。その時はお願い」
少女は二人を見比べ、黙って次の紙片を差し出した。
それから、古い資料を閉じた。
「今日はここまでにした方がいいよ。ここ最近、裂け目関連の資料ばかり詰めてるでしょ」
「まだ読めます」
エアリスが言う。
「読めるのと、明日も使える形で残るのは別」
少女は断言した。
「問いだけ置いて、帰る」
エアリスは少し考え、紙片を閉じずに置いた。
「分かりました」
「素直」
少女は満足そうに、その紙片を預かった。
その夜、ゼニスクライムへ戻ったエアリスは、ルセリアの私邸で今日のことを報告した。
ルセリアは机に、教廷の報告控えを広げていた。
第三管理区域の裂け目の件は、すでに簡略報告が届いていたらしい。
「思ったより早いですね」
「管理下にある裂け目の異常は、聖都へすぐ上がるわ」
ルセリアは報告控えを見せた。
第四柱瞬き。
黒い変色線の拡大。
学生班撤退。
意志を帯びた波動反応。
そこにも、同じ言葉があった。
エアリスはしばらくその欄を見た。
ルセリアは眉を動かさず、頁の端を指で押さえた。
「この反応が書かれているのは、普通ですか?」
「最近増えた項目よ。少なくとも、古い裂け目の記録では見かけない」
ルセリアはペンを置いた。
「これがただの観測精度の向上ならいい。でも、同じ波動が複数の裂け目に出ているなら、記録の流れを見た方がいい」
「誰が見たか、ではなく、どこで見えているか、ですか?」
エアリスが尋ねる。
ルセリアは一瞬だけ考えた。
「その可能性もあるわ。ただ、急いで決めつけると見落とす。今は、記録のどこに同じ癖が出るのかを見る」
「はい」
黒曜石の棺が、机の端でわずかに光った。
ノクティラの声が低く響く。
「神喩も、裂け目も、同じ時期に妙な揺れを見せる」
アキが魔導書から顔だけ出した。
「偶然で片づけるには、気味が悪いね」
「そうだ。だが、まだ形が見えぬ」
ノクティラは不機嫌そうだった。
エアリスは報告控えの端を押さえた。
今日見た裂け目の黒い縁が、まだ目に残っている。
「同じ波動が、ガイア帝国側にもあるかもしれません」
ルセリアの目が変わった。
「誰から?」
「セリナさんです。家からの手紙に、似た報告があったそうです」
ルセリアの指が、封書の縁を押さえた。
「グランツベルク公爵家……」
その名を、彼女は静かに繰り返した。
ルセリアの指は、報告控えの端を押さえたまま動かなかった。




