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あの日、あなたの背中を見上げていた  作者: わた雲


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4/13

第4話 私、秘書になれます!

事務所に通い始めて、少し経った。

最初の頃は、何をするにも、

「これ、どこに置けばいいですか?」

「この書類はどう分けるんですか?」

「すみません、もう一回教えてください!」

と、いちいち聞いていた私だけど。

最近は、ちょっと違う。

「ももちゃん、これお願いできる?」

「はい!」

言われた仕事を受け取って、

「これはこっちですよね?」

「そうそう」

「じゃあ、やっておきます!」

……できる。

私、ちゃんとできるようになってる。

書類を種類ごとに分けて。

封筒をそろえて。

資料をコピーして。

必要なものをまとめて。

たまに間違えるけど。

たまにお茶を出す順番を間違えるけど。

たまにコピー機の前で、

「……あれ?」

と固まるけど。

それでも、最初の頃とは全然違う。

(私……成長してる!)

それが、なんだか嬉しかった。

何より、

「ありがとう、ももちゃん」

と言ってもらえるのが嬉しい。

ここに来ていいんだ。

私がいてもいいんだ。

そう思えるから。

そして――

「白石さん、これをお願いしてもいいかな」

「はい!」

桐生さんから仕事を頼まれたときなんて、嬉しさは倍増する。

「この資料を、種類ごとに分けてもらえるかな。分からなければ聞いてくれていいから」

「分かりました!」

任せてもらえた。

しかも、桐生さん直々に。

これはもう。

責任重大。

私は背筋を伸ばした。

「……任せてください!」

「うん。頼むよ」

その笑顔。

その一言。

たったそれだけなのに。

(……信頼されてる……!)

胸の奥が、じんわり熱くなる。

私はさっそく資料を机の上に広げた。

よし。

やるぞ。

――それから三十分後。

「できました!」

「お、早いね」

スタッフさんが覗き込む。

「ちゃんと分かれてる。ももちゃん、だいぶ慣れたね」

「本当ですか!?」

「うん。最初は書類の向きまで確認してたのに」

「そ、それは……!」

「成長したってことだよ」

「……えへへ」

思わず笑ってしまう。

すると、少し離れたところにいた桐生さんがこちらを見た。

「白石さん」

「はい!」

「助かったよ」

「……!」

まただ。

また「助かった」。

私、今。

桐生さんの役に立った。

(……私、必要とされてる!?)

心臓が、どくんと鳴った。

いやいや。

落ち着け。

これは仕事。

ただの仕事。

桐生さんは政治家。

私は高校生。

そして私はボランティア。

分かってる。

分かってるけど。

(でも、桐生さんの役に立てた……!)

嬉しい。

ものすごく嬉しい。

その日の帰り道。

私は一人で考えていた。

――そういえば。

事務所の人たちは、仕事をしているときに「秘書」という言葉を使うことがある。

ちょっと気になって、この前聞いてみた。

「秘書って、何をするんですか?」

すると、

「いろいろだよ。スケジュールの管理だったり、資料をまとめたり、来客の対応をしたり」

と教えてもらった。

スケジュール。

資料。

来客対応。

……。

あれ?

「私がやってることと、ちょっと似てない?」

その瞬間だった。

私の中で、何かがひらめいた。

もしかして。

私。

秘書になれるんじゃない?

その夜。

私はベッドの上で、真剣に考えていた。

秘書。

政治家を支える仕事。

仕事のできる大人の女性。

いつもきちんとしていて。

頭もよくて。

頼られていて。

そして――

政治家の、一番近くにいる。

(……いいじゃん)

ものすごくいい。

私、秘書向いてるかも。

いや。

向いてる。

たぶん。

いや、絶対。

私は勝手に、自分の秘書適性を採点してみた。

明るさ。

★★★★★

愛想。

★★★★★

元気。

★★★★★

書類整理。

★★★☆☆

お茶出し。

★★★★☆

責任感。

★★★★☆

そして――

桐生さんを支えたい気持ち。

★★★★★∞

……。

(完璧じゃん)

私は満足して、布団に倒れ込んだ。

そして翌日。

「桐生さん!」

「ん?」

私は勢いよく手を挙げた。

「私、もっと仕事できます!」

桐生さんが少し驚いた顔をする。

「そう?」

「はい!」

「それは頼もしいね」

「だから私――」

私は胸を張った。

「秘書になれます!」

一瞬。

事務所が静かになった。

「……秘書?」

スタッフさんが聞き返す。

「はい!」

私は大真面目だった。

だって、もう決めたのだ。

私、桐生さんを支える。

そのために、もっと仕事ができるようになる。

桐生さんは、少し困ったように笑った。

「白石さん」

「はい!」

「その前に、まず高校を卒業しようか」

「……」

正論。

ものすごく正論。

「……はい」

しゅん、と肩を落とす私。

するとスタッフさんが吹き出した。

「ははは。ももちゃん、気が早いよ」

「だって……!」

私は頬を膨らませる。

「私、本気なんですよ?」

「うん。分かってるよ」

そう言ったのは、桐生さんだった。

私は顔を上げた。

「……本気?」

「うん」

桐生さんは、穏やかにうなずく。

「白石さんは、頼まれたことをちゃんと覚えているし、分からないこともそのままにしない。そういうところは、仕事をするうえで大切なことだからね」

「……!」

褒められた。

ちゃんと褒められた。

しかも。

桐生さんに。

(どうしよう)

胸の中が、いっぱいになる。

「それに――」

桐生さんが、事務所を見渡した。

慌ただしく動くスタッフ。

電話の音。

積み上げられた資料。

少し疲れた空気。

その中で、桐生さんは私を見る。

「君が来てくれると、事務所が明るくなるな」

…………。

………………。

……………………。

私の脳が止まった。

「…………え?」

「ん?」

「い、いえ……」

今。

何て?

君が。

来てくれると。

事務所が。

明るくなる。

……。

……それって。

つまり。

私が来るの、嬉しいってこと?

いやいやいや。

待って。

落ち着こう。

これは事務所の話。

事務所が明るくなる。

雰囲気が明るくなる。

そういう意味。

分かってる。

分かってるけど。

(でも……)

私がいると。

明るくなる。

(それって……)

ちょっとだけ。

特別じゃない?

「白石さん?」

「は、はいっ!」

「どうしたの?」

「な、なんでもありません!」

顔が熱い。

絶対、今の私、変な顔してる。

桐生さんは不思議そうに私を見ていた。

私は必死に平静を装った。

「……ありがとうございます」

「うん」

にこっと笑う桐生さん。

私はその場で、心の中だけで叫んだ。

(それ、プロポーズじゃないよね!?)

――違う。

絶対に違う。

そんなことは分かっている。

分かっているけれど。

期待するくらい。

いいよね?

その日の帰り。

私は駅までの道を歩きながら、何度も思い出していた。

『君が来てくれると、事務所が明るくなるな』

……。

だめだ。

思い出すたびに、顔が熱くなる。

「……桐生さん」

小さく名前を呼んでみる。

誰もいないから、いい。

「私も……」

そこで一度、立ち止まる。

「桐生さんのそばにいると、嬉しいです」

言ってから、自分で恥ずかしくなった。

でも。

嘘じゃない。

最初は、ただ会いたかった。

駅前で見かけた、あの人に。

それが、事務所に通うようになって。

仕事を手伝うようになって。

少しずつ、桐生さんが何をしているのかも気になるようになった。

もっと知りたい。

もっと役に立ちたい。

そして――

できるなら、もっと近くにいたい。

そんな気持ちが、少しずつ大きくなっていた。

ただ。

私にはまだ分からなかった。

私が「近くにいたい」と思うその距離と。

桐生さんが「大切にしたい」と思っているその距離が。

同じものではないことを。

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