第5話 宿屋の騒ぎ
(バリウスside)
バリウスは、クーリアがいるであろう町へと馬車を走らせていた。
ギルロフとイフェリナと話した結果、彼はエスカー侯爵家との和解が困難であるということを、改めて思い知ることになった。
そこでバリウスは、クーリアを丸めこむことを考えていた。離婚の際に、便宜を図ってくれた彼女ならばやり込めると、彼はそう思い込んでいたのである。
「……なんだ?」
早くクーリアの元へと辿り着かなければならない。そう思っていたバリウスは、馬車の速度が落ちたことに苛立ちを覚えていた。
やがて馬車が止まると、バリウスはすぐに御者へと呼びかけることにした。その苛立ちをぶつけようと彼は思ったのだ。
「おい、何をやっている。馬車を止めるなど、どういうことだ? 僕は急いでいるんだ」
「も、申し訳ありません。しかし、人が……」
「人?」
文句を言っていたバリウスは、御者の言葉に道の前方を確認することになった。
馬車から下りた彼は、その方向に視線を向ける。するとそこには、一人の女性が立っていた。
目を細めたバリウスは、それが誰であるかを悟る。そこにいるのは、ミルティアであったのだ。
「ミルティア……」
「お知り合いですか?」
「あ、ああ……まあ、ここで人を轢く訳にもいかないか。少し待っていろ、僕が話をつけてくるとしよう」
御者に言葉をかけてから、バリウスはミルティアの方に向かっていった。
彼女が馬車の進路を妨害している。その事実に、バリウスはひどく苛立っていた。
ただ彼は歩みを進めていく最中に、ある疑問に思い至る。何故、ミルティアがそのような所にいるのか。
それに違和感を抱いた時には、既に彼は彼女の前まで辿り着いていた。故にバリウスは、とりあえずミルティアに話しかけることにする。
「ミルティア、何のつもりだ? 馬車の前に立つなんて、どうかしているぞ? そもそも、どうして君がここにいるんだ?」
「バリウス様を追いかけて来たのです。私達の結婚の話を、早く取りまとめなければなりませんから」
「その話は、後ですると言ったはずだろう。今僕は、それ所じゃないんだ。そこを退け。僕の邪魔をするな。今の僕には、ボルガン伯爵家の未来がかかっているんだ」
疑問を抱きつつも、バリウスはミルティアに対して強く出ていた。
ケーン伯爵家での一件から、彼はひどく焦っていた。とにかく、クーリアと接触しなければならない。彼のその気持ちは、ボルガン伯爵家の屋敷を出る時よりも強まっていた。
「……私のことよりも、あの女のことを優先するんですか?」
「ミルティア?」
「そんなことは、許しません……!」
「うっ……?」
一しきり言葉をかけてから、バリウスは気付いた。ミルティアの様子が、おかしいということに。
しかし気付いた時には、もう遅かった。彼は自らの腹部に熱を感じた。次の瞬間、体に痛みが走り、彼は自分が何をされたのかを悟る。
「うああああああっ!」
ミルティアの刃が、バリウスに突き刺さっていた。
彼はそれに、叫びをあげる。激しい痛みに、彼はその場に膝をつく。
「ミ、ミルティア……な、何を……くそっ、あうっ、自分が何をしているのか、わかっているのか? あぐうっ……」
「バリウス様が、悪いのではありませんか? あなたが話を聞いてくれないから、私はこうしてここまで来たのですよ?」
「お、おい、誰か、この女を……うぐっ」
バリウスは、周囲の者達に呼びかけた。彼は移動に際して、使用人を何人か連れて来ていた。その者達に、自分を助けるように懇願する。
しかし、周囲に動きがなかった。それが何故であるのか、バリウスはすぐに理解する。ミルティアが近づき、その身を抱き締めてきたからだ。
「バリウス様、私達はずっと一緒です。あなたと愛を誓い合ったのですから、もうあの女のことは忘れてしまいましょう」
「はあ、はあ……」
バリウスは、自身の命がミルティアに握られていることを察した。それによって、連れて来た使用人達が動けないことも。
下手に動けば、ミルティアを刺激して自身の命が危ない。そう考えてバリウスは、とりあえず今は彼女に従う方が良いと判断した。
「わ、わかった。ミルティア、僕は君に従おう。と、とにかく落ち着いてくれ。今、僕は傷を負っているんだ。わかるだろう? 痛いんだ……」
「傷? ああ、そうでしたね? しかしそれは、当然の報いというものでしょう? バリウス様が私の話を聞いてくれなかったのですから」
「そ、そうだな。わかっている。ぼ、僕のせいだ。だからとりあえず、ことを穏便に済ませよう。そうだ……とにかく、医師の元に行かないと」
バリウスは、とにかくミルティアを説得することにした。
彼は周囲を見渡して、馬車に視線を向ける。とりあえず、最寄りの町に行かなければならなかった。傷の治療のためには、それが必要だからだ。
「ミルティア、あそこに馬車がある。それで町へ向かおう。この傷を治療しなければならない」
「……」
「こ、このままでは僕も死んでしまうかもしれない。と、当然、僕と君の二人きりで向かうとしよう。御者以外の使用人は付けないと約束する」
「そうですか?」
「ああ、そうだとも。とにかく、町に行かせてくれ……」
バリウスは、ミルティアに懇願していた。
それは、必死なものであった。成功しなければ命はないと思いバリウスは、痛みをこらえて演技を貫いた。
「わかりました。それでは、とりあえず町に向かいましょうか」
「あ、ああ……」
結果として、バリウスの懇願はミルティアに届いた。
そのことにバリウスは、少しだけ安心する。
ただ、まだ何も終わりではなかった。彼はこれから、ミルティアから逃れなければならない。
それが困難であることを、バリウスはよく知っていた。彼は必死に思考を巡らせる。助かるために、どうするべきかを。
◇◇◇
(クーリア視点)
旅行は、三泊四日である。といっても、最初の一泊は移動して来ての一泊であるため、ほとんど何もなかった。
ラファント様も、概ね同じような日程であるそうだ。観光地として有名な所なので、そう変わるものでもないということらしい。
「クーリア嬢は、明日はどうされるおつもりなんですか?」
「アガーン神殿に行ってみようと思っています。ラファント様はどうされるおつもりなのですか?」
「そうですね……僕もそちらに行ってみましょうか。せっかくですから、ご一緒したいものです。よろしいでしょうか?」
「ええ、もちろんです」
私とラファント様は、泊っている宿屋に戻って来ていた。
そこは、この町で最も高級な宿屋だ。貴族であるならば、ほぼ確実に、ここに泊まることになるだろう。
もちろん、泊っているのは貴族ばかりという訳でもない。商人らしき人などもいる。ともあれ、裕福な者が泊る宿だとはいえるだろう。
「……何やら騒がしいですね?」
「ええ、何でしょうか?」
こういった宿屋では、騒ぎが起こることは少ない。警備などが雇われているし、安全は保障されている。
つまり、賊の類などではないだろう。柄の悪い客などがいるのかもしれない。こういう所に泊まる者なら、礼儀などは弁えておくべきなのだが。
「いいから、早く部屋を用意してくれ! こっちは、色々と立て込んでいるんだ!」
「この声は……」
騒ぎの声が聞こえてきて、私は少し驚くことになった。
その声には、聞き覚えがある。ただあまり、聞きたい声ではない。
これは、バリウス様の声だ。私の元夫が、ここに来ている。その事実に、私の体は少し強張っていた。
「クーリア嬢、どうかされましたか?」
「あの、いえ……」
「うん? あれは……」
ラファント様は、私の様子が変わっていることに気付いたようだった。
彼は、前方に視線を向ける。バリウス様の顔は、ラファント様も知っていたようだ。彼は目を見開いた後、私の方を見てくる。
「クーリア嬢、僕の後ろに……」
「ラファント様?」
「……あまり見つかりたくはないのでしょう? とりあえず、様子を伺いましょう」
ラファント様は、私を庇うように前に立ってくれていた。
それに私は、少し驚く。彼は私の気持ちを、汲んでくれたらしい。
その気遣いが、とても嬉しかった。少し申し訳ない気もするが、ここは彼の厚意に甘えることにしよう。
「ラファント様、ありがとうございます……それなら、少しだけお願いします」
「ええ……しかし、バリウス伯爵令息はどうしてここに」
「わかりません。私と関りがないと考えたい所ですが、あまりそうは思えませんね」
バリウス様が何故ここにいるのか、それはまったくわからない。
ただ私は以前、彼にこの辺りを旅行したいと言ったことがある。そのことからどうにも、私を追いかけてきたように思えてしまう。
もちろん、私の考え過ぎであって欲しい所だ。仮にバリウス様の目的が私であるならば、確実に厄介なことになるだろうから。
「とにかく、部屋を用意してくれ! くっ……あまり大声を出させるな」
「お客様、どうか落ち着いてください」
「僕は落ち着いている……はあっ、頼む。このままでは、僕の命が危ないんだ」
私はラファント様の後ろで、バリウス様の言葉を聞いていた。
その言葉に、私は違和感を覚える。彼の声は、震えているようだ。それも何かに、恐怖しているような気がする。
私はそっと、バリウス様の方を見てみる。すると彼の隣に、ミルティア嬢がいることがわかった。
「あれは、ミルティア嬢……」
「ミルティア嬢というと、確かバリウス伯爵令息の浮気相手でしたね?」
「ええ、二人でここに来たというならば、私が目的ということではないのかもしれません。単なる旅行かと……いえ、それにしては様子が変ですか?」
「そうですね……」
ミルティア嬢の姿を見て、私は一瞬安心していた。二人でここに来たというならば、単なる旅行である可能性が高くなるからだ。
しかし、私はすぐにバリウス様が言っていたことを思い出した。彼は明らかに、旅行に来たとは思えないことを言っている。
「……クーリア嬢、気を強く持ってください。バリウス伯爵令息の腹部を見てみれば、異常な事態が起こっていることはわかります」
「腹部、ですか? あれは……治療の後、でしょうか? ……え?」
ラファント様は何かを見つけたのか、私に声をかけてきた。
それで私は、わかった。バリウス様が、どうしてあんな様子であるのかということを。
彼は腹部に包帯を巻いている。何か怪我を負っているらしい。
加えて、ミルティア嬢の手元に何か光っているものが見える。それは恐らく、刃物の類であるのだろう。つまりバリウス様は、脅されているということなのか。
「あまり、穏やかではなさそうですね……ミルティア嬢が、どうしてあんなことをしているのかは、よくわかりませんが」
「……二人にも色々とあったということなのでしょう。話を聞いた限り、バリウス伯爵令息は紳士であるとは思えませんからね? ともあれ、ここは大人しくしているべきでしょう」
「そうですね……私達が出て行っても、できることなどはないのですから」
何かしら、痴情のもつれなどがあったということなのだろうか。バリウス様ならば、そういったことを起こしてもおかしくはないかもしれない。
しかし事情はどうあれ、私やラファント様が動く必要はないだろう。私などが動けば、状況がややこしくなるだけだ。
こういった宿屋は、問題が起こった時の対処も心得ていることだろう。バリウス様を助けるための手筈は、少しずつ整っていっているはずだ。
「とにかく、クーリア嬢は僕の後ろにいてください。あなたのことは、必ず守ってみせます」
「ラファント様……」
ラファント様は、私に対してとても頼もしい言葉をかけてくれた。
それで私は、かなり安心することができた。彼と一緒なら、何が起こっても大丈夫そうだ。根拠はないが、そう思える。
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