最終話 誓いの言葉
(バリウスside)
バリウスは焦っていた。
なんとか医者の元にこぎつけ、治療はしてもらえたものの、未だに彼の状況というものは改善しているとは言い難かった。
ミルティアは、彼の傷などお構いなしに、近くを観光したいと言い出したのである。それも、バリウスに刃を突きつけながら。
「頼む、空いている部屋を一つ貸してくれ。とにかく、今の僕には部屋が必要なんだ」
「今、係の者に問い合わせています。しかし、すぐに部屋を用意するのは難しいかと……」
「予約が必要だとでも、言うつもりか? 状況をわかってもらいたいものだが……」
受付と話しながら、バリウスは後ろにいるミルティアの方に視線を向けた。
彼女は刃物を未だに突き付けてきている。それは明らかな脅しであった。
だからこそこの受付までやって来られたと、バリウスも理解している。ミルティアを刺激しないように、宿屋の者達が取り計らったのだと。
そして、受付の時間稼ぎが何のためのものであるかも、彼はわかっていた。ミルティアを拘束するための手筈が、整っているのだろうと。
「バリウス様、まだ話がつかないのですか?」
「ミルティア、もう少し待ってくれ……僕が話をつけてみせる」
「そんなに待てると思っているんですか? 私は今まで、ずっと待っていたんですよ? そろそろ我慢の限界なんです」
「うっ……」
刃物を改めて突きつけられたバリウスは、もう時間がないということを悟った。
ミルティアを拘束する準備が整う前に、自身の命が危ないのではないか。バリウスの頭には、そんな思考が過ってきた。
助かるためには、宿屋の対応を待っていられない。バリウスはそう感じ始めていた。
「……うん?」
そこでバリウスは、なんとかミルティアから距離を取ろうと周囲を見渡した。
いい逃げ場はないか、そうやって視線を泳がせていた彼は、ある一点で目を止める。
そこには、一人の男性が立っていた。その男性の後ろで、こちらの様子を伺っている女性に、バリウスは気付いた。
「あれは……」
「バリウス様?」
「……」
それが、自身の妻であった女性――クーリアであると気付いたバリウスは、自然と笑みを浮かべていた。
バリウスは、自身が助かる道が開けたと感じていた。そこにいるクーリアは利用できると、そう考えたのである。
「……ミルティア、あちらを見てみてくれないか?」
「あら? どうかしましたか、バリウス様……」
「あそこにいるのが、誰かわかるだろう。あれは、僕達を邪魔する存在だ」
「……クーリア嬢?」
バリウスは、ミルティアにクーリアの居場所を伝えた。
それで彼女の狂気が、クーリアの方に向くと思っていたからである。
助かったと、バリウスはそう思った。これでミルティアから逃れられる。そう思い彼は、また笑みを浮かべていた。
「……バリウス様は、どこまでも彼女に夢中なのですね?」
「え?」
「許せません……」
「ミルティア? ま、待て……うっ!」
しかしバリウスは、自らの失策を思い知ることになった。
包帯によって塞がれていたはずの傷口に、再度刃を突きつけられて、彼はゆっくりと崩れ落ちていく。
薄れゆく意識の中で、バリウスは考えていた。一体どこから、自分は間違っていたのかということを。
◇◇◇
(クーリア視点)
バリウス様の体が、ゆっくりと倒れていく。
ミルティア嬢が、彼の体に持っていたナイフを突き刺したのだ。
彼女は倒れていくバリウス様の体を一瞥することもなく、そのナイフを引き抜いた。その視線がこちらに向いていることが、私にはわかった。
「ラファント様、ミルティア嬢が……」
「クーリア嬢、わかっています。僕の後ろにいてください」
「ラファント様……?」
私はラファント様に呼びかけた。ミルティア嬢が向かってくる以上、逃げなければならない。そう思ったからだ。
ただ、それは無理な話だったのかもしれない。ミルティア嬢は、なんとも素早かった。
だからこそラファント様は、私を守ることを選んだということだろうか。しかしそれも、危険であると言えた。刃物を持った狂人に、対応できるものなのだろうか。
「クーリア嬢、あなたには死んでもらいます。私とバリウス様のために……」
「……やめるんだ、ミルティア嬢」
「うっ……?」
ラファント様は、向かってきたミルティア嬢の手に対して手刀を振るった。
それはミルティア嬢に、実に容易に当たった。それは、当然のことだったのかもしれない。ミルティア嬢の目には、私しか映っていなかったのだから。
それをラファント様は、わかっていたということだろうか。確かにこれなら、むしろ彼女に背を向けて逃げる方が、危険だったかもしれない。
いやそれでも、一歩間違っていればラファント様がミルティア嬢に刺されていた所だ。どちらの判断が正しかったかはわからない。
「邪魔をするな! その女は……!」
「ミルティア嬢、もう一度見てみてください。あなたが愛しているはずのバリウス伯爵令息が、どうなっているのかを……」
「バリウス様?」
「あなたの行いによって、彼は深手を負っている。もう彼と話すことも、できなくなるかもしれないんですよ? あなたは、それをわかっているんですか?」
「な、何を……」
ラファント様は、ミルティア嬢の手首を持ち彼女の動きを止めた。
そして彼女に、呼びかけている。真摯な表情で、彼はミルティア嬢に説得しようと試みているようだ。
その説得は、彼女に届きかけていた。ミルティア嬢はゆっくりと、バリウス様の方を見ている。彼は宿屋の従業員達によって、応急処置を施されていた。
「……」
「あなたは一時の感情に身を任せて、そうしているのかもしれない。しかし、その行為の意味というものをもう一度考えてください。いなくなった者には、もう会えないのですよ?」
「あ、ああっ……ああっ!」
ミルティア嬢は、目を見開いていた。彼女はやっと、自分がしたことに気付いたということなのだろう。
彼女の慟哭が、辺りに響き渡る。ミルティア嬢はその場に膝をつき、崩れ落ちていく。それにラファント様は、寄り添っていた。
彼女にはもう、暴れる意思はないだろう。仮にあったとしても、既に無理な話だ。宿屋の守衛らしき者達が集まってきていた。
それを見て安心しながら、私はラファント様の方を見ていた。彼のその悲しそうな表情を見ながら、私は思っていた。ラファント様は本当に、優しい人なのだと。
◇◇◇
ミルティア嬢は連行され、バリウス様は最寄りの病院に連れて行かれた。
これで宿屋の一連の事件は、とりあえず落ち着いたといえる。
「ラファント様、ありがとうございました。お陰で助かりました」
「いえ、僕は……」
「ただ、危険すぎますよ、あのようなことは……どうかもう少し、ご自愛ください。あなたはレフォール公爵家の大切な跡取りなのですから」
「……家の者のようなことを仰るのですね?」
「ああ、すみません。つい……」
私はラファント様に、お礼を言おうと思っていた。
ただ同時に、小言めいたものを述べてしまった。それについては申し訳ないと思うが、仕方ない面もある。本当にラファント様の行いは、危険なことだったのだから。
「いえ、クーリア嬢が僕のことを心配してくれていることはわかっています。危険なことをした、ということはもちろんわかっていますから。しかし、僕は何度でもこうします。僕はクーリア嬢のことを守りたいと思っていますから」
「ラファント様、それは……」
「ともに旅をして、よくわかりました。あなたは立派な人だと……まだ出会ったばかりではありますが、僕はあなたとの縁を運命のように思っています」
ラファント様は、ゆっくりと私との距離を詰めてきた。
彼の目は、私をしっかりと見据えている。その目には、何か決意が宿っているような気がした。
「クーリア嬢、僕はあなたのことが好きです」
「ラファント様? それは……」
「どうか僕の妻になっていただけませんか?」
ラファント様の言葉に、私はそこまで驚かなかった。
彼がそういう想いを抱いてくれているのではないか、そんな気持ちは私の中にもあった。
何故なら私も、同じだからだ。彼に心惹かれていることを、否定することはできない。
しかし、私と彼の関係というものは、そう簡単なものではなかった。彼はレフォール公爵家の長男だ。その妻となる者として、私は適切ではない。
「ラファント様の想いは、嬉しく思います。ですが私は既に一度結婚して、離婚を経験しています。そんな私があなたの妻になることなんて……」
「父上などは、僕が説得しましょう。あなたのことを真摯に話せば、わかってくれると僕は思っています」
「でも、世間からの批判が……」
「そんなものは、どうでも良いことです。社交界からの風評など、些細なものだ。それよりも今僕は、あなたの気持ちが知りたいのです。嫌だというならば、そう言ってください」
ラファント様は、私の目を真っ直ぐに見つめてきていた。
それを見て私は、自分が卑怯であったことを悟る。立場を理由に、彼の想いを受け止めないというのは、ずるかった。
「……私も同じ気持ちです。ラファント様と夫婦になりたいと、そう思っています」
「そうですか……それならば、良かった」
「ラファント様?」
「少しだけ待っていてください。必ず、迎えに来ますから。あなたの憂いは、僕が断ち切ってみせます」
「ラファント様……」
ラファント様は、私に言葉をかけてから背を向けた。
彼はそのまま、歩いていく。まさかこれから、父親などを説得しに行くというのだろうか。
そんな彼に、私は手を伸ばそうとする。止めた方がいいと、そう思ったからだ。
ただ私は、その手を止める。少しだけ期待してもいいのではないかと、私の心に確かにあるラファント様への想いが、そうさせたのだ。
◇◇◇
結局、バリウス様はなんとか助かったそうだ。
ただ、彼の未来というものは明るいものではなかった。ボルガン伯爵家は、エスカー侯爵家によって無慈悲にも取り潰されてしまったから。
それによって社交界の情勢というものは、少しだけ変わったといえるのだろうか。ともあれ奇妙なことに、バリウス様と離婚した私には同情の言葉がかけられていた。
「……妙なものだな。何かしらの力が働いたようにしか思えない」
「そうですね、私もそう思います」
私は、お兄様の言葉にゆっくりと頷いた。
私に対する批判の言葉などがないのは、誰かが力を働かせているからのような気がする。
それはもしかしたら、ラファント様なのだろうか。あるいは、エスカー侯爵家などかもしれない。
「お義姉様、どうなのでしょうか?」
「あら? どうして私に聞くのかしら?」
「何かご存知かと思いまして……」
「そうね。でも、私としては特別な力なんて働いてはいないと思うわよ? ただ正当に、ボルガン伯爵家の行いが評価されているだけではないかしら?」
お義姉様に疑問を投げかけてみると、涼しい顔で返答が返ってきた。
やはり、何かあったのではなかろうか。ただいくら聞いても、教えてはもらえないような気がする。お義姉様は、そんな表情をしていた。
「……それよりも、クーリアにはもっと重要なことがあるでしょう? ほら、到着されたみたいよ?」
「あっ……」
お義姉様の言葉に、私は前方に視線を向ける。
そこには、馬車が停まっていた。私達はそれを待つために、ケーン伯爵家の屋敷の門の近くで待っていたのだ。
その馬車から、ゆっくりと一人の男性が下りてくる。それはラファント様だ。宿屋で別れてから、実に一か月ぶりの再会である。
「ラファント様……」
「クーリア嬢、お待たせしてしまい、申し訳ありません。あなたのことを迎えに来ました」
「……はい」
ラファント様は、言っていた通り父親を説得したらしい。
既にレフォール公爵家とケーン伯爵家の間で、話し合いは終えている。私と彼との結婚が、正式に認められたのだ。
一体、どのような手を使って説得したのだろうか。離婚の経験がある私が、次期公爵となる彼の妻になるなんて、難しいことであると思うのだが。
「……妹のことをどうかよろしく頼みます」
「クーリアのことを大切にしてあげてくださいね?」
「もちろんです」
ラファント様は、お兄様とお義姉様とそう言葉を交わしていた。
それから彼は、私に手を伸ばしてくる。その手を取るかどうかに関して、もう迷いはない。彼とともに、歩んでいくと私も決めていた。
「クーリア嬢、僕はあなたを必ず幸せにすると約束します」
「ラファント様、ありがとうございます」
ラファント様の誓いの言葉に、私は自然と笑顔を浮かべていた。
彼ならば、その誓いをきっと果たしてくれる。そう思いながら私は、ラファント様の手を取るのだった。
END
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