第2話 出会ったのは
ハイツベルン岬から見える景色は、絶景であると聞いていた。
実際に足を運んでみて、その風評が真実であるということは、よくわかった。そこから見えた空と海は澄んでいて、自然の雄大さというものが感じられる。
「ふう……」
しばらく岬を眺めていた私は、ゆっくりとため息をついた。
自然の雄大さというものは、私の荒れた心を癒してくれた。なんというか、これで私も少しは前に進んでいけそうだ。
しかし、これからは大変である。離婚した私は、最早婚約などでケーン伯爵家に貢献できないかもしれない。
それなら、別の道を考えるべきだろうか。貴族として嫁入りする訳ではなく、何か他に仕事を見つけて働くことを、私は選択するべきかもしれない。
「……失礼、少しよろしいでしょうか?」
「え? あ、はい。あなたは……」
ぼんやりと考え事をしていた私は、声をかけられて驚くことになった。
私は、声が聞こえてきた方向に視線を向ける。するとそこには、一人の男性がいた。
その顔を見て、私はまた驚くことになった。なぜならそこにいるのは、レフォール公爵家の長男であるラファント様であったからだ。
「ラファント様? どうして、あなたがここに……」
「そう言われると、どう答えていいかわかりませんね。僕がここにいるのは、ただの旅行でしかないのですから」
「あ、ああ、それもそうですよね……」
ラファント様は、私からの質問に苦笑いを浮かべていた。
確かに今のは、愚問であったといえる。私も旅行でここに来たのだから、彼も同じであるなど考えるまでもないことだ。
こんな所で同年代の貴族と会うと思っていなかった私は、動揺してしまった。私は少し、落ち着く必要があるようだ。
「申し訳ありませんでした。少し動揺してしまって……えっと、私はクーリアと申します」
「知っていますよ、クーリア嬢。舞踏会などで、何度か挨拶をさせてもらいましたからね」
「覚えていてくださったのですか? 光栄に思います、ラファント様」
「そうかしこまらないください。公爵家の令息だからといって、同じ貴族ではありませんか」
ラファント様と会うのは、随分と久し振りのことだった。言葉もそれ程、交わしたことはない。
しかしそれでも、彼は私のことを覚えてくれているようだった。そのことに私は、とりあえず安心する。流石に忘れられているとなると、悲しかった所だ。
だが、直後に私は思い出すことになった。私という存在が、社交界を賑わせているということを。
ラファント様が私のことを覚えているということは、まずいことだったのかもしれない。私は言うまでもなく、渦中の人物なのだから。
「ラファント様、あの……」
「ここからの眺めは、良いものですね。色々と日々の生活を忘れることができる」
「え? ああ、そうですね……」
「……旅は道連れとも言いますし、良かったら少しご一緒しませんか? 恐らく、道筋は同じでしょうからね。話し相手が欲しいと思っていた所なんです」
「あ、はい。それは、私で良いのなら……」
ラファント様の言葉に、私は理解することになった。彼が私の離婚に触れるつもりがないということを。
気遣ってくれている、ということなのだろう。そんな彼からの申し出に、私は思わず頷いてしまっていた。
それでよかったのだろうか。よくわからない。けれど今更断る訳にもいかないし、私はラファント様と行動をともにするのだった。
◇◇◇
今から数千年前に建てられたというバシャルの塔は、見事なものであった。
技術に関して言えば、今よりも発展していなかったはずなのに、どうやってその塔を建てたのか。
それは今でも議論されているそうだが、そうなるのに納得できる程、塔はそびえ立っていた。
「かつての人々は、一体何のためにこの塔を建てたのでしょうか……クーリア嬢は、どう思われますか?」
「そうですね……天に昇りたかったのではありませんか? あの広大な空に手が届くのではないかと、私も思うことはありますから」
「そうなのですか?」
「子供じみていますかね?」
「いえ、そのようなことはないと思いますよ。浪漫というものでしょうか……」
私はラファント様とともに、塔を見学していた。
ハイツベルン岬からバシャルの塔を見に行くというのは、観光としては王道なものである。私も元々、そうしようと思っていた。
結果として、二人で旅することになった訳だが、それは幸運なことだったといえる。
こうして話し相手がいると、楽しいものだ。もちろん、お付きの使用人などはいたものの、彼らとは立場の差故に隔たりが大きいため、こうはいかなかっただろう。
「……ラファント様、ありがとうございます」
「クーリア嬢? 急にどうされたのです?」
「いえ、こうして一緒に旅をしていただいて、本当に嬉しいんです。知っての通り、私も色々とありましたから」
「……」
私は、ラファント様にお礼を述べた。
彼は触れないようにしてくれているようだが、やはり離婚のことには触れて、そうしておくべきだと思った。本当に、ありがたいからこそ。
ただラファント様は、私のお礼にあまり良い顔はしなかった。離婚のことに触れさせてしまったことを、気に病んでいるということだろうか。
「クーリア嬢は、何か勘違いされているようですね?」
「え?」
「僕は別に、あなたのために誘った訳ではありませんよ。本当に話し相手が欲しかったんです。僕は自分のために、あなたを誘ったんです」
「それは……」
ラファント様から返ってきた意外な言葉に、私は少し驚くことになった。
彼は少し、自嘲気味に笑っている。そう笑うだけの理由が、何かあるということだろうか。
しかし状況から考えれば、ラファント様は傷心していた私を気遣ってくれたようにしか思えない。それは、私のためでしかないはずなのだが。
「……僕はクーリア嬢の事情を知っていますが、クーリア嬢は僕の事情を知りません。それはフェアではありませんでしたね。少し話しても構いませんか? あちらにベンチがあります」
「あ、はい……」
ラファント様の提案に、私はゆっくりと頷いた。
彼にも何かあったということだろうか。その表情は暗いものであった。
そういうことなら、話を聞いた方が良いかもしれない。何かを一人で抱え込んでいても、きっと良いことはないだろうし。
「僕が旅に出たのは、あることがあったからなんです」
「あること?」
「端的に言ってしまえば、ペットを亡くしたんです」
「ペット、ですか……」
ラファント様は、ゆっくりと語り始めた。
彼の表情は、明るいものではない。その理由は、明白だ。
ラファント様は、彼にとって大切なものを亡くしたということなのだろう。その表情や言葉から、それがよく伝わってきた。
「アークという名前の犬を飼っていたんです。僕がまだ、小さな頃からの付き合いで……長生きはしていたんです。覚悟もしていたつもりでした。ただ実際に亡くすと、やはり心に来るものがありました」
「……そうですよね。そう簡単に、割り切れることではないでしょう」
「ええ、だから旅に出ることにしたんです。そうすれば、少しは気も晴れるのではないかと思いまして、ね」
「なるほど、そうでしたか……」
私は、ラファント様の言葉にゆっくりと頷いた。
彼の事情は、理解できない訳ではない。ケーン伯爵家でも、猫を飼っていたことがある。
その猫が亡くなったのは、私がまだ子供の頃のことだった。その時はショックだったものだ。
とはいえ、それでも私はそこまで長い間、落ち込みはしなかったように思える。私はすぐに割り切れてしまう方なのだろうか。
「実際に、少しだけ心の傷は癒えたような気がします。クーリア嬢と会えたことも、僕にとっては幸いだったのでしょうね?」
「いえ、私は別に……」
「事情を聞いていただき、ありがとうございます、お陰で、また少しだけ前を向くことができそうです」
ラファント様の表情は、確かに先程までと比べて明るくなっていた。
結局は話を聞いただけに過ぎなかったが、それでもある程度は力になれたということだろうか。
「こうして僕達が巡り会ったのも、何かの縁ということなのかもしれませんね」
「縁ですか? そうですね……そうかもしれません」
「……もしもよろしかったら、クーリア嬢のことも聞かせていただけませんか? もちろん、話したいならということではありますが」
「それは……」
ラファント様の提案に、私は言葉を詰まらせた。
離婚のことを人に相談するというのは、少々気が引けた。色々と話していいのかわからない事情もあることだし。
とはいえ、ラファント様は信用できる人だ。少し話しただけではあるが、それはもうわかっている。
それなら、話してみてもいいのかもしれない。私もただ、聞いてもらうという意味で。
「そうですね。ラファント様、それなら少しだけ話してもいいですか? 愚痴のようなものに、なってしまうのかもしれませんが……」
「もちろん、構いませんよ。ああ、当然聞いたことは、他言するつもりはありません」
「ありがとうございます」
ラファント様は、私を優しく受け止めてくれるようだった。
それはなんとも、ありがたいことである。もうそれだけで、心が少し軽くなった。
なんというか、安心して話すことができそうだ。私の身に起こった様々なことを。
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