第1話 用済みと言われて
貴族に生まれたからには、政略結婚の道具となることは決まっていた。
私も例によって、ボルガン伯爵家のバリウス様と結婚することになった。
ただ、その縁談の裏にはある事情が隠されている。それは私達ケーン伯爵家が、端的に言ってしまえば、繋ぎとなる事情だ。
「……バリウス様、クーリア嬢と結婚したと聞いた時は、驚いてしまいましたよ。信じられませんでした。まさかバリウス様が、私を裏切るなんて」
「君を裏切るつもりなんて、僕はなかったさ。しかし、仕方なかったんだ。家を救うためには、ね……」
ボルガン伯爵家の屋敷の裏庭で、私の夫は女性と話していた。
華やかな衣装に身を包むその人は、貴族の令嬢に見える。見覚えがない訳ではない。彼女は確か、モールズ子爵家のミルティア嬢だ。
「クーリア嬢との結婚は、僕としても不服極まりないものだったよ。だが、彼女と結婚しなければ、ボルガン伯爵家は危なかった。君も知っているだろう? エスカー侯爵家のことを」
「ボルガン伯爵家は、エスカー侯爵家と敵対されていたのでしたね?」
「ああ、父上とエスカー侯爵は、兼ねてより折り合いが悪かったんだ。何度か小競り合いがあってね。しかし、相手は侯爵家だ。こちらが段々と不利になってきたのさ」
バリウス様は、ミルティア嬢に対して弁明しているようだった。
二人はなんとも、親し気な雰囲気だ。考えるまでもなく、親密な仲にあったのだろう。
それ自体は、別に構わない。過去に二人の間で何があろうとも、私には関係がない話だ。
問題となるのは、今である。仮にバリウス様がミルティア嬢と現在関係を持つというならば、それは浮気でしかない。
「そこで白羽の矢が立ったのは、ケーン伯爵家だ。エスカー侯爵家の長女があの家に嫁いでいるからな。つまりボルガン伯爵家は、間接的にエスカー侯爵家と繋がりを持ったのさ」
「それで、二家の対立は解決したのですか?」
「ああ、ケーン伯爵のお陰で、和解することはできたさ。まあ、これで僕が結婚した甲斐もあったというものだ。しかしこうなると、クーリア嬢は用済みだな。もう邪魔でしかない」
バリウス様は、薄ら笑いを浮かべていた。
それで彼の私に対する評価というか、考え方がわかった。バリウス様は、私を軽んじているようだ。
「できることなら、彼女とは別れたい所だ。はっきりと言って、彼女には魅力がないからな。容姿などはともかく、面白みがない性格だ。君とは比べるまでもないが、僕が一緒にいたいと思える女性ではない」
「それなら、離婚してください。もう事態は解決したのでしょう?」
「もちろん、僕もそのつもりであるとも。とはいえ、まだ時期尚早だ。離婚するにしても、色々と準備が必要だろう? ボルガン伯爵家の名に傷をつけたくはない」
「早くして欲しいものです」
物陰から二人の会話を聞いていた私は、ゆっくりとため息をつく。
あちらがそのつもりであるというならば、こちらも然るべき対応をしなければならない。
あまり気は進むものではないが、仕方ないだろう。この扱いでバリウス様の妻として振る舞うなんて無理な話だ。
あまつさえ、彼は恐らく私に非まで擦り付けようとしている。そういうことならば、迅速な対応が必要だ。早速、行動を開始するとしよう。
◇◇◇
「何のつもりだ? これは……」
「バリウス様と離婚したいと思っています」
「……」
バリウス様とミルティア嬢の話を聞いてから数日後、私は離婚届を彼に突き付けていた。
それにバリウス様は、表情を歪めている。彼としては、何もばれていないと思っていたのだろう。その表情からは、少し焦りが見える。
「馬鹿げたことを言い出すものだな? 離婚なんて、何を考えている?」
「先日、聞いてしまったんです。もう私なんて用済みなのでしょう?」
「それは……」
私の言葉に、バリウス様は目を見開いた。
流石に彼も、あの時の会話を聞かれていたとなると、動揺するものか。バリウス様ならば、開き直ることもありえたと思っていたけれど。
ともあれ、彼にはこの離婚届にサインしてもらわなければならない。この場でことを荒立てるのは、得策ではないだろう。
「こちらから出て行くので、どうかご安心ください。バリウス様には、この書類にサインしていただければいいのです」
「……やけに殊勝な態度だな? まさかとは思うが、僕を糾弾しようというのか?」
「まさか、そのようなことは思っていませんよ。ただ最早、あなたと夫婦でいる意味は薄いと思ったまでのことです。お互いに嫌な思いをすることもないでしょう?」
「それは……そうかもしれないが」
バリウス様は、私から目をそらしていた。
彼としても、色々と考えているのだろう。この場でサインすることが、どういうことなのかということを。
それなら私は、彼を安心させるべきなのだろう。何を懸念しているのかは、理解しているつもりだ。それを投げかけてみよう。
「ああ、ボルガン伯爵家の名に傷がつくことを、バリウス様は危惧されていましたね? 確かに早期の離婚はそのように取られることはあるかもしれません。しかし、こうして離婚届を突き出しているのは私の方です。非難されるのは、恐らく私の方でしょう」
「む? ああいや、それは……そうか。そうだな」
バリウス様は、また焦っていたようだった。
その表情を見て、私は改めて確信する。彼は何かしらの計画を練っていたのだ。それは恐らく、私に何かしらの罪を擦り付けた後、離婚する計画だっただろう。
あの時の表情から、それはわかっていた。ただ今は、わからない振りをしておく。あくまで、バリウス様には安心してもらわなければならない。
「ミルティア嬢との関係も、非難されることもないでしょう。結婚される前に関係を持っていたとしても、それはそう問題ではありません。もちろん、結婚してから肉体関係でもあったというならば、話は別ですが……」
「そ、そのようなことはないとも……」
私は、バリウス様とミルティア嬢の関係についても、深く知らない振りをしておく。
本当はもう調べているけれど、それでは彼を納得させられない。私はあくまで、あの場面を見ただけということに、しておかなければ。
「……私の結婚を維持しておくことは、バリウス様にとって得策でないのではありませんか? ミルティア嬢のことも、納得させられないでしょう?」
「……そうだな。その通りだ。よし、わかった。それならば、サインしようじゃないか」
ミルティア嬢のことを持ち出したからか、バリウス様は離婚届を受け取ってくれた。
彼女には直情な所があり、バリウス様は頭が上がらないのではないかと考えたが、それは間違っていなかったらしい。
ともあれ、これで離婚届は正式に受理される状態となった。これさえあれば、後はどうにでもなることだろう。
◇◇◇
私は、バリウス様と離婚した。その事実は、社交界に一気に広まることになった。
貴族の醜聞というものは、そういうものである。私とバリウス様に関しては、市井の民の方まで色々と噂が広まっているそうだ。
「随分と大胆なことをしたものだな、クーリア。俺としても、驚いている」
「あら? お兄様は何もお聞きしていなかったのですか?」
「父上から、事後に報告を受けた。迅速な対応が必要だった故、俺にさえも伝えていなかったそうだ。まったく、次期当主を何だと思っているのだか……」
「それは、私のせいではありませんよ?」
「もちろん、それはわかっている」
私は、ケーン伯爵家の屋敷に戻っていた。ボルガン伯爵家の屋敷には当然いられないので、出戻ってきた形だ。
お父様には、事前に手紙を出しておいた。それで許可ももらって、離婚したのである。流石に私も、ケーン伯爵家のことを無視することはできなかった。
「お兄様は、私の判断を早急なものだとか、愚かしいものだと思っていらっしゃいますか?」
「非難するつもりなどはない。そういったことに関するお前の目は、信頼できるものだからな。だからこそ、父上も判断を支持したのだろう。まあ、実際にバリウス伯爵令息と接していたのはお前である訳だしな……」
「家族から信頼されていることは、嬉しいものですね」
私の判断を、お父様は支持してくれた。離婚という大胆なことをしようというのに、そうすれば良いとすぐに許可してもらえたのだ。
それは私にとっては、嬉しい誤算といえた。もう少し時間がかかるものかと思っていたが、お陰でことはとても早く終わった。本当に、一瞬のことだったといえる。
「しかし、バリウス伯爵令息が浮気をしていたというならば、その証拠を突きつけ、彼を糾弾して離婚するのも選択肢の一つだったはずだろう? 実際にお前は、二人の関係を立証できる者を見つけていたと聞いているが……」
「それは行動を開始した後のことですから。私が話を聞いただけでは、誤魔化される可能性もあるかと思いましてね。それにことが大きくなれば、私は解放されなかったと思います。結局の所、サインしてもらう必要がありますからね」
お兄様の言う通り、バリウス様の浮気は充分に糾弾でき、また離婚の確固たる理由になるものではあった。
しかし、私とバリウス様の結婚には様々な事柄が絡んでいる。そのことから私は、とにかく早期に離婚する方が得策だと判断したのだ。
そうしていなければ、もしかしたら私は捕まっていたかもしれない。ボルガン伯爵家には、そうするだけの理由がある。
「……人質、ということでしょうね。ボルガン伯爵家ならば、そのようなことをすることは容易に想像できるわ」
「お義姉様……」
そこで、今まで黙っていたお義姉様――エスカー侯爵家から嫁いできたイフェリナ嬢が口を開いた。
その表情からは、不快感が読み取れる。やはり二家の対立というものは、根深いものであるようだった。
「イフェリナ、人質とは穏やかではないな? ボルガン伯爵家とて、そのような非道な真似をするものだろうか?」
「まあ、ギルロフ様はあの家のことを知られていませんからね。そう思うのも、無理はないことでしょう。しかし、ボルガン伯爵家ならばやりかねませんよ」
「ふむ……」
お義姉様の言葉に、お兄様は考えるような仕草を見せた。
お兄様は、優しくて頼りになる。人として尊敬できる人だ。
ただ腹芸というか、貴族の争いなどには疎いといえる。人の善性を信じる人なので、人質などという発想も、そう浮かんでこないものなのだろう。
「エスカー侯爵家に属していた人間として、クーリア嬢の判断を私は支持します」
「いや、俺もクーリアの判断が間違っているとは思っていない。とはいえ、この離婚は大きな出来事だ。エスカー侯爵家とて、穏やかではないだろう」
「もちろん、そうですとも。そのこともあるからこそ、ボルガン伯爵家は人質を取るということですよ。クーリア嬢は、私にとって可愛い妹ですから」
お義姉様は、私に対して微笑みかけてきた。
その笑みには、少し陰りがある。ただそれは、私に対するものではなく、ボルガン伯爵家に対するものだろう。
お義姉様は、私に良くしてくれている。義理の姉として、とても可愛がってもらっているのだ。そのこともあって、私には人質の価値が大いにあったといえる。
「……クーリア嬢が、こうして取り計らってくれたからには、エスカー侯爵家も存分に暴れられることでしょう。元より、ケーン伯爵家への義理でボルガン伯爵家とは和解したに過ぎませんので」
「あまり望ましいことではないが、仕方ないことではあるか。バリウス伯爵令息の行いは、ケーン伯爵家の顔に泥を塗るものだったといえる」
「彼の行いについても、エスカー侯爵家が批判します。付け入る隙ができたことは、不幸中の幸いですね。いいえ、そもそも二人の結婚が不幸でしかありませんでしたが……」
バリウス様は、あまり理解していなかったようだが、ケーン伯爵家の仲介というものは、大きなものだった。離婚によって、二家の溝はまた深まることになる。
そうなることがわかっていながら、離婚を選択したことは正しかったのだろうか。そう思わないこともない。
もっとも、遅かれ早かれこれは起こりうることだったとも考えられる。バリウス様も離婚を計画していた以上、そう言えるだろう。
「……お兄様、お義姉様、私は少しの間、休息を取ろうと思っています。色々とありましたから」
「……そうだな。クーリア、ゆっくりと休むといい」
「ええ……ああ、そうだわ。せっかくなら、どこかに出掛けてみたらいいのではないかしら? 旅というものはいいものよ? 特に悩んでいる時はね」
「そうですね……考えてみます」
色々と考えていたが、結局の所、これ以上私にできることはなかった。
後のことはお父様などに任せて、私はしばらく休むとしよう。この所、大変だった訳だし、それくらいは許されるはずだ。
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