一話 『激闘! 入学式!』
第一章、開幕。
東京に降り立って一年が過ぎた。
あれやこれやとカルチャーショックを乗り越えた今の私に敵は居まい。
窓を開け、春の心地良い陽射しを受け重たい瞼を擦る。
風が吹いている。これで目が覚めない訳がなかろう。
すっかり都会に染まってしまった私は、トウキョウ・シティボーイと言っても過言ではない。
あの頃の純真無垢な鶴神善幸はもういないのだ……東京色に染まってしまったのだ……ッ!
北の大地を天真爛漫の極みの如く駆け巡る少年は、我が物顔で都会を歩く残忍で冷酷な青年に成り下がってしまった。
純真無垢の権化であった赤ん坊の頃が全盛期だったに違いない。そうに決まっている。
布団を畳み、服を選び、着替えながら何を考えているのだろう、と、ふと、我に返り哀しくなってしまった。
春は人肌恋しい季節とはよく言ったものだ。ふざけやがって!
何が人肌恋しいだ! 元来、人は生暖かい春も、灼熱地獄のような夏も、薩摩芋が香ばしい秋も、凍えるような極寒の冬も一人で耐え抜いてきただろうが!
何故に朝から憂鬱な気分にならねばならぬ。いっそどこかへフライアウェイしてしまおうか。
窓からすぐフライアウェイすることは可能だが、どうしてそうなる。
健全な高校生がどうしてこうなった。ちゃんちゃら可笑しなお話だ。
紳士は優雅であるべきだ。優雅でない紳士など紳士に非ず。
相応しくない憂鬱な朝を振り払い、相応しい優雅な朝食を取るとしよう。
ここでメニューを紹介しよう。
スクランブルエッグにフレンチトースト、そして、コーヒーである。
これが紳士の食卓だ。
……というのは嘘でして。
現実はそう甘くないのだよ。実際、毎日そんなものばかり食べていては体がもたぬわ。
今日のメニューは、目玉焼きにトースト一枚である。
後、運命への抵抗で牛乳を一杯。
ああ、そうさ。無駄だと分かっていても飲み続けるのさ!
正直、背はこれ以上飛躍的に伸びそうでないことなど知っている。自分のことは自分が一番分かっているのだから。
――――だとしても! 運命に抗わずして諦めてたまるか。
運命に抵抗し、全世界の小さな巨人に勇気を与えるのが私の仕事ではない。
ふと食卓を見回したのだが、今日はやけに静かである。
数えてみるとしよう。
……私、一人。
どうやら疲れているようだ。読書ばかりしていたので目にダメージが来ているに違いない。
よし、もう一度数えてみよう。
……やはり疲れているようだ。何回数えても私しかいないではないか!
ここは母に聞いてみるのが先決か。
「お母さん、何故誰もいないのか私に教えてください」
すると母は笑顔になった。こういう場合はろくな事がない!
数秒で頭をフル回転させ状況を把握したので、急いで食卓を抜け出した。
「パンだけでも食べていきなさーい!
高校生なんだから自分で起きなさいね!
実は……面倒臭かっただけ~」
失態。
母が面倒臭がりなのを忘れていた。
最新型目覚まし時計が仕事をしなかったのだろう。
どこが最新かと聞かれると答えに困るからやめていただきたい。
……おいおい、何を悠長に耽っている!
と、こればかりは異様な危機感。
考えてもみたまえ。入学式当日に遅刻するなんて言語道断。目立ってしまうではないか。
結婚式場にちょっと待ったー! と主人公面して新婦を奪い去って逃避行する正義感の塊のような恥ずかしい主人公等にはなりたくはない。
体育館であり、結婚式場ではない。そして、私は恥ずかしい主人公でもない。
願う事はただ一つ。
鶴神善幸は静かに学校生活を過ごしたい。
食パンを咥え、鞄を抱え、靴を履き、ドアを開け、家を出る。
猛ダッシュ、猛烈に曲がり角で激突、淡い期待を抱き可愛い乙女とぶつかるのを妄想しながら急ぎ足で学校へと向かった。
よくある展開をまさか体験出来るとは思いもしなかったのだ。
これで曲がり角で可愛い乙女に激突さえすれば自慢話として後世へと語り続けていくだろう。
今、そこの曲がり角に可愛い乙女がいる……!
淡い期待を抱き曲がり角を曲がった。
意識が飛んだか?
何があったか覚えていないのだ。曲がり角を曲がった所までしか思い出せぬ。
すぐに異変に気が付いた。何メートルか飛ばされているだと……。
鮮明に映るそのシルエットはどう考えれば乙女なのか。
――――絶望。
尻餅をついた私の目の前にいるのは二メートルは優に超えているであろう漢である。
さっきまでの期待を返してくれ!
遅刻してもいいんじゃないか、と思えてくる。
差し伸べた手が大きい異常なまでに大きい。私が小さいのもあるのだが。
「すまねェ……」
その漢は一言、一言発した。
「立てるか…………」
軽々と持ち上げられてしまった。お姫様抱っこされている気分である。非常に心地良くない。
「急いでいるので、さらば!」
実際に急いでいる。それに謎の恐怖を感じたので逃げてしまった。
どうして逃げる必要があったのか。それは分からない。
名を何と言うのだろう。襟が私と同じ色だったのでもしかすると同級生である。
一年生は制服の襟が青なのだ。私の目が節穴でなければ、その線が濃厚だろう。しかし、規格外な人間がいるもんだ、と深く頷いた。
何とか最悪の事態は避けられたようで、終わった案件はさて置き、思ったよりも下駄箱周辺に生徒がいて驚いた。
トウキョウ・シティボーイは時間に余裕を持っているのかい!?
君達は大人だと言うのかい!?
卑屈になりながら靴をしまい、上靴を出し、履く。初めて履く時のフィットする感じが好きだったりするのだが賛同は得られないのだろうか?
マイノリティなシティ被れは身を狭め教室へと向かうとしよう。
廊下に貼ってあったクラス名簿を見た限りだと、私のクラスはF組である。
「ここがF組か」
ここが一年間お世話になる教室か。
札幌も都会だったが東京はその何倍も都会である。
クラスが多い。やたら生徒が多い。美人教師がいるかいないかで今後のモチベーションに関わるのだがどうだろうか……。
人間が学習する。鶴神善幸も例外なく学習するのだ。
淡い期待は無に等しい、と。した分に比例し虚しくなるだけ、だと。
期待しなければこちらへ返ってくるダメージも少ない! そうでなければ成立しないだろう?
自分の席に座り、時を待つ。
気配に敏感な私はこの異変を即座に感じ取った。
漂う狂気はどこから漏れているのだ。
探り探り扉の方へ視線を向けると、朝に激突した乙女……ではなく漢がそこに立っていた。
「貴様は!」
「……お前か」
「何何、どうしたのお二人さん」
と、顔も名前も一致しない騒がしいモブAが話に入ってきた。
「説明しよう!
朝遅く起きてしまったので、食パンを咥えながら曲がり角で可愛い乙女と激突するというラッキーイベントを期待していたところ、この巨人に衝突したのであ~る!
淡い期待を打ち砕かれて絶望しているのは内緒だぞ! 広めるなよ!」
唐突に漫画のナレーターのように説明したが、説明しろと言ったのはこのモブAである事を勘違いしないで頂きたい。私には他の仕方が分からないのだ。
「あー、広められますよ、多分。あの生徒は新聞部員でして……確実に記事にされますよ。晒し者デビューですな」
「ん、新聞? 校内新聞というやつか?」
自然に入り込まれたので、自然に答えた。そして、自然に会話を続ける。
「そうです。書くかどうかは部長が決めると思いますけど、下っ端ですからね。
神出鬼没の二年生――――『大河 内文太郎』(おおこうち ふみたろう)です、確か。
あ! 一年生の頃は神宮寺先輩と同じクラスだったそうで」
大河内文太郎という如何にも新聞を愛し、購読していそうな生徒が目を丸くしてこの男の事を凝視している。
今、私は何と言った?
この男?
自然に空間に入り込んできたので違和感なく会話をしていたが、確認した所、この男は吉川ではないか。もしかしてもしかしなくてもこれと同じクラスなのか!?
おいおいおいおいおい、待ってくれよ……珍妙な面子ばかりでは愉快なクラスの完成ではないか。
巨人に情報大好き妖怪とこれだけで十二分に愉快である。
お腹いっぱいで吐き気を催しても仕方が無い。
一年も続くのか。耐えられるだろうか。
巨人と妖怪。
考えるまでなく答はただ一つ。
何遍地球が廻っても輪廻が転生しても魔女が煮た鍋にぐつぐつされたとしても、無理なものは無理である!
天文学的統計よりも遥かに低い可能性であって、万に一つの肯定は有あり得ない。
誰がどうどの角度でこの状況をどの視点で俯瞰しても足掻ききれずに倒れてしまうであろう。
空前絶後の大維新が起こった所で、変わらないに決まっている。どこのパラレルワールドでも妖怪は腐っているだろうし、巨人は化物に違いない。
世界中の誰もが諦めるこの状況を乗り越える必要はあるのか……否、乗り越えるというのが驕っているのだ。
この身を運命に任せるのみ。
ここで、一反木綿のような一つの章を区切るラスボスに「いつからこのクラスと錯覚していた?」と言われればハッピーエンドなのだが、ノンフィクションはそう上手く事が進まない。
むしろ、退く一方である。
一歩進んで十歩下がるとは笑止千万。
涙が枯れる以前の問題ではないか。
麗しき乙女の楽園など最初から存在しなかったのか!
所詮、夢に現をぬかしていただけの間抜けでど阿呆な勘違い野郎だったというのか!
これが現実……なのか。虚構の世界の方が何千倍も楽しかろうに!
「現実から目を背けてはいけません」
背けたい原因は貴様にあるのだぞ!
「この健全たる男子、吉川に非はありません。貴方が勝手に臭いものに蓋をしようとしているだけです」
五月蝿い五月蝿い! 直ちに口を塞げ!
「それは無理です。僕は口を開いていないと存在が危ぶまれてしまいます」
「何で脳内と会話しているんだ貴様は」
貴方の考えている事なんてまるっとするっとお見通しですよ。
「おい貴様そこは私の領域だ! 侵入は許さんぞ!」
「そういうメタ発言は人を選びますよ」
「僕も五十話ぐらいまではやりたいんですよ」
「途中で変なバトル、ラブロマンスにテコ入れしないで終わらせたいので」
「情報を制すものはこの世を制す、とはよく言ったものです。つまり、全ては僕の掌の上で踊らされているだけ……」
「って、んなわけないでしょ~」
「あっはは、信じちゃいました~?」
不敵な笑みが最も似合う――――この男、厄介につき。
話題を逸らすとしよう。こればかりは干渉すべきではない。漫画でキャラが世界観を壊滅させるのはよくあることであろう?
それはそうと、あの巨人は名を何と申すのか。
ただでさえ人の名前と顔を覚えるのが苦手なこの私が教室にいる大量の生徒を何人覚えられるだろうか。
興味のない生徒を覚える気など到底ない!
と啖呵を切ったはいいが、既に一人覚えてしまった。
自己紹介はお互いに済ませてないので、名前は知らん。
忘れるにも大きすぎて忘れられぬわ。
質問をすることとされることがこの世で何番目かに嫌いな私が名前を聞く訳がない。まず、有り得ない。
閃いた。
情報通を最大限に利用させてもらおう。
どうせ、入学当日までに全ての情報を手に入れている。
八百万の神に誓ってもいい。地獄に落としてもらっても一向に構わんッッッッ!
実際に地獄に落とされてしまっては天国で作るハーレムランドの夢が終わってしまうのでそれだけは勘弁願いたい。
「おい、情報通。あの巨人の名前を教えてくれまいか」
「頼みかたってのがあるでしょうに。まあ、教えますけど。僕は争いが嫌いでしてね。常に傍観者でありたいのです」
本人の目の前で話をすると存在が危うくなってしまうだろうと懸念し、我々二人は教室の外に場所を移した。
生憎、先生はまだ来ない。
「場所を移した所で、本題に移ろう。あの巨人は何者なのだ。どう見ても化物だぞあれは」
「人をそう化物と決め付けてはいけませんよ貴方。ですが、あれは化物です」
「最早、人という枠では収まりきりませんよ彼は。同じ一年生なのは信じがたい事実ですが」
「地上最強の生物と謳われているそうですよ、この西東京界隈で」
「もったいぶるでない。名前を教えろ早く」
「おっと、そう怒らないで。カルシウムが足りないんじゃないですか?」
「彼の名前は『白鳥 勇次郎』百戦錬磨の喧嘩師だったとか」
「そんな白鳥勇次郎ですが、ある日を堺に趣味であった破壊行動をぱたりと止めたんです」
「だから、今は丸くなっているんじゃないかと推測しております。以上、白鳥勇次郎の情報でした」
「血液型から誕生日、何時に産まれたかおねしょをいつまでしていたなどの詳しい情報もありますけどそれは知らなくてもいいでしょう? あ! ちなみに貴方の情報も盛りだくさんですよ」
「今、それは関係ないことだろォォォッッ!」
おねしょ体験は情けなくて涙が出そうになってしまうので今後一切話題に出さないで頂きたい。
墓まで持っていっておねしょの記憶はボッシュートしなければならぬ!
「貴様、いたいけな少年の心を弄ぶでない!」
私は1/3の感情で憤怒した。ちょっと怒っている。泣いている。
「そうでしたね。いたいけな少年の心を弄びすぎました、すいません」
「繰り返すとなんだか恥ずかしいからやめてください」
「だって、いたいけな少年なんでしょう?」
「すいませんから!」
そろそろ殴ってもよろしいか? 異論も意見も全て認めない。
「冗談ですよ、冗談。そう怒りなさんなって。僕は争いが嫌いだって言ってるじゃないですか」
「で、何か聞きたいことあるでしょ?」
「貴方、そんな顔してますよ」
私ってそんなに分かりやすい男か?
否、紳士は腹の内を見せない。
つまり、この男はよく分からない。分かってもこの世の誰一人得をしない。
「……ああ。気になっている点が一つあってだな。白鳥はいつ破壊行動をやめたんだ? 情報通の貴様なら分かるだろう? 分からないとは言わせないぞこの情報通」
「貴方、ひどいことを仰る。情報通で馬鹿にするのやめてくださいよ。ん、なんでしたっけ。あ、破壊をやめたのは確か中学三年の九月頃ですよ」
「続けたまえ」
「廃校にしながら転校を繰り返したみたいですが、中学三年生の時に出会った少年のおかげで破壊衝動を抑えられたとか」
「ん、九月……ちょっと記憶の世界に潜らせてくれ」
「あ! 確かその中学で……」
……だから、黙れと言っておろう!




