十四話 『記憶の裏側』
十4
「待ちたまえ、黒髪の乙女。どこへ行くのだね」
「うふふふ、お花畑を駆け巡るのです」
「それは高尚なご趣味ですな。私も一緒によろしいですか?」
「うふふふ、一人より二人、賑やかな方が楽しいのです」
「駆け巡りましょう! この広大な世界を!」
「うふふふふ、お花畑はうれしいのですたのしいのです」
「あははは、これほど楽しいとは思いもしなかった。恐るべしお花畑」
お花畑などただただ悪臭を放つ害悪でしかないと信じてやまなかったこの私だが、麗しき黒髪の乙女と駆け巡るお花畑はまさに幻想の世界そのものだとは思いもしなかった。
これほど楽しいモノを悪臭の一言で片付けていた自分を恥じるべきである。諸賢、とんでもない阿呆と罵声を飛ばす事を特別に許可しよう。
「お間抜けさん、お間抜けさん、こっちの世界へ戻っておいで」
どこからともなく聞こえる幻聴。私がいる世界はお花畑と乙女の世界ではないのか。声の主は何を言っているのか。
「寝言ですか、さっきからにやにやと気持ちが悪い」
幻聴にしてははっきりと罵倒されているのは何故だ。何故なのだ。
どうせ分かっているだろう相手を確認しなければならない面倒さ、と、現実から逃れていたのに戻されてしまった虚無感がいっしょくたに混ざり合い面倒臭さが究極の域に達している。
毎度の紹介で最早読者諸賢も飽き飽きしているだろうが、お付き合い願いたい。
人の不幸で飯を三杯喰える男であり、100人に聞けば98人が妖怪と答えるだろう。残りの2人は質問を理解していないか、さっぱり興味がないかのどちらかである。
そんな他人を貶める為に生まれてきたような人間が何故私の楽しみを奪うのか。高尚な趣味であるこの幅広い妄想を何故、止めさせるのか。
既に聡明な読者諸賢なら理解しているだろうが、一応伝えなければならんのだ。とは言え、その理由は大方の予想通り、他人の楽しみを奪い、不幸を楽しむことが目的であるからだ。
折角のお花畑を満喫していたと言うのに、数秒で乙女は暗黒面に堕落し、現れたのは妖怪であったとはこの虚無感をどこにぶつければ良いのだろうか?
虚無感をぶつける前に気が付いたのだが、先程までグラウンドで倒れていたのではないか。
音速に追いつき、音速を超え、音速を捕まえ、音速に鉄拳制裁を喰らわせたところでそれ以降の記憶は見つからない。
かろうじて、音速を超えた代償かどうかは定かではないが、多分超えた代償でほぼ確定なのでこの議論はどうでも良しとして、地面に突っ伏したのは憶えている。
つまり、それ以降何がどうなってどうグラウンドに辿り着いたのかさっぱり分からないということになる。
テレポートのような空間移動術を会得した憶えはないし、そんな超次元的行動を取れる程未来人ではないのを当たり前のように理解しているし、となると、何が起こってこのグラウンドにいるのだろうか。
さっぱり分からぬ。
一人、胡坐を掻いて考える人よろしく悩んでいると、聞き覚えのある声が聴こえた。
「鶴神、エリオットが運んで来たんだから感謝しろよッ!」
鉄拳制裁をクリーンヒットさせたエリオット三年生が私を運んで来ただと!?
とうとう気が狂ったか、鬼監督こと、二十七歳(二十六歳?)独身で血液型はA型の特徴であるサングラスを欠かさないが何故欠かさないのかと問われると、その理由は海星大学附属高校七不思議となっていて最大級に解明されていない謎を持つ、武美洋一社会教諭。
「殴った相手を親切にグラウンドまで担いで運ぶ輩がいるとでも? 居るわけがなかろうに。くだらん戯言など聞きたくない――」
「――いや、僕が運んで来たんだよ、鶴神くん」
戯言は間髪入れずに音速で音速の足を持つ男、エリオットロビンソン三年生に修正されたのであった。
大罪を犯したとは言え、全速力で追いつき、全速力の人間に膝カックンを喰らわせ、倒れたところを即座に引きずり回し、抵抗したので鉄拳で成敗したこの私を長すぎることで有名な野球部グラウンドまでの距離を担いできてくれた、と言うのか。
優しすぎる。
どう考えても親切すぎる。
どんな人生を歩めば大海の如く広い心を持てるのだろうか。とても興味があり、ものすごく気になるが、理由を聞いてしまうと生い立ちから現在までざっと一時間以上は語られてしまいそうなので地雷を踏まないように細心の注意を払い、マシンガン口撃の被害に遭って疲れぬように心がけよう。
「頭が激烈に痛むけれども、起きた時に鶴神くんがなんとびっくり倒れていたからこれは激戦中だとしても宿命の好敵手が先に倒れられては困るから助けたんだよ。鶴神くんは小さいから担ぎやすかったよ!」
「身長の低さには触れるでない! これでも毎日牛乳を飲んだり、背を伸ばす為の努力を怠らずに頑張っているのだぞ! デリケートな部分に先の尖った革靴で入り込むのはやめなさいな!」
「牛乳を飲んでも骨が太くなるだけで、背は伸びないよ、そんなことも知らなかったのか鶴神くんは」
長年の努力をこの一瞬で泡にするかコンチキショウ。
科学的に証明でもされていないのならば、信じないぞ。非科学的なデマカセでは信じないぞ! さあ、俺に対して科学で論破してみろ!
「貴方、牛乳は骨が太くなるだけですよ。身長は遺伝ですから、意味のないただの健康的な栄養摂取ですよ」
情報通の吉川によって意図も容易く論破されてしまった。
「なんだ吉川、居たのか。貴様」
「僕はいるかいないかどうか分からない程に存在感薄いですかね?」
「貴様が存在感濃かったら手に負えん。実際、薄く見せかけているだけで濃いのだよ、貴様は。静かに黙って俯瞰しておればいいものを貴様すぐ表に出てくるではないか。少し辛抱出来んのか」
「貴方、ひどいことを仰る。僕のガラスのハートが粉々ですよ、どうしてくれるんですか」
「貴様に傷つく心があってたまるか! 何を白々しく落ち込んで見せているんだこのすっとこどっこい!」
「少しは歯に絹を着せてください」
「黙らないとぶち殺すぞ」
「おお、怖い怖い」
「このやりとりいつまでやればいいのだろうな?」
「僕には分かりません。多分、いつまでもやり続けると思いますよ、僕は貴方をダメにするよう精進しますから」
「無駄な行為にも程がある!」
「無駄と無意義を有意義に楽しんでいる僕にとっては褒め言葉ですよ」
「知らんわ!」
このままでは延々と次に進めないので、ここで切ろう。
ふむ、で、起こされた私は何をどうすればよいのだろうか。誰か教えてくれ。
一時間以内に二十往復はクリアしたのか。それすらも定かでない今、何をしていいかなど分かる訳があるまい。
混沌とした意識の中で何も思い出せなかったのは致し方ないとして、地獄の二十往復が間に合っていなかったのなら、さらに地獄を見ることになる。
それだけは避けたいのだが、意識をなくしたのは自業自得であるから今回ばかりは覚悟を決めるとしよう。
さあさあさあさあさあ、どんな現実でも大海の如く広すぎて手に余る寛大を極めてしまってどうすることも出来ないこの心で受け止めてやる!
「鶴神、エリオット、よくぞ間に合った! 俺はお前らを称える!
だから、その褒美に千本ノックしてやるからほら、守備につけッ!」
涙を流しながら言うことじゃねー!!
哀しさ故に思い出したが、勝負はまだ付いていなかった。まだまだ終わっておらぬぞ、エリオットロビンソンッッッ!!!
「バットを貸してもらおうか、鬼監督。この要求に対して、貴様には拒否する権限というものが存在しない、これだけは言っておこう」
「おお、鶴神! やる気じゃねぇかッッ!! どんと来い、俺が何でも引き受けてやるぞ」
泣いている事実はスルーしていこう。突っ込むと面倒なのが目に見えているからな。情熱のある男だとは思ってはいたが、涙を流す程の典型的熱血教師だったのは見抜けなかった。
「守備につけ、エリオットロビンソン。今から千本ノック~倒れた方が負け~開始するぞッ!!」
「ルールは簡単だァ、音速で千本ノックをするからそれをただひたすら取りこぼさないように気をつけるだけ。交互にやるぞこの野郎」
「行くぞ、エリオットロビンソンッッッ!!!」
「掛かってこい、鶴神善幸ッッッ!!!」
悪魔の千本ノックの火蓋が切って落とされた。
「オラオラオラオラオラオラァーッッ!!」
千本ノックをするのは初めてだが、負の感情に身を任せれば何とかなるだろう。
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァーッッ!!」
熾烈な戦いが繰り広げられている。打つ側と取る側どちらも熱気で可笑しい。
混沌の千本ノックは佳境を迎える!
「どうしたどうした! 疲れているんじゃないの!?」
「その台詞そっくりそのまま返してあげるよ、鶴神くん!」
体力は両雄限界に達しており、最早ここからは意地の張り合いである。気合と意地だけで立っていられるかどうか。それだけである。
バットを握り締める手に力を入れ、腰に力も入れる。足を踏ん張り、地面を馴らす。
腕を振り回し、体を捻り、両手を広げ、深呼吸をし、準備完了。
声を大にして叫ぼう。
「さあ、終わりを始めようじゃないか!」
「僕は勝つ! それにこれで終わりみたいなこと言ってるけどまだ僕の番来てないんだからね!」
――忘れていた。
何がどうなろうと知ったこっちゃない。どうにでもなれッ!
快音がグラウンドに響く、夕暮れ。
真剣勝負を真剣に意地の張り合いで戦い続ける男がそこに居たのであった。
熱気で地面が歪んで見える。世界が歪んで見える。
意識も朦朧として来た。本当にバットを握り締めているのかも分からない。
だがしかしッ!
負ける訳にはいかないッッ!!
何故なら、紳士たる者、勝負で負けてはいけないからである。
勝って陸上部の女子部員が持つ麗しき生脚を追い掛け回すのだ。その夢が叶うまで我は倒れんぞ。
変な妄想をしたから笑みを浮かべている、と勘違いされては今後の学生生活に影響が出る。それも悪影響だ。
勘違いするでないぞ、諸賢。
生脚を想像して笑みが零れたのではなく、この青春を謳歌している状況に自然と笑みが零れたのだ。
私は今、猛烈に青春を謳歌している!
体力、意識、気合、意地、根性、全てが限界に達しているが限界の限界を超えてみせようぞ!
もうすぐ日が沈む。異常なまでに綺麗な夕日が俺たち二人を包み込んでいる。




