十五話 『はじまりの日』
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熱い握手を交し、グラウンドのベンチで休んでいる我ら二人。
千本ノック対決を終えた後、三番勝負だったので、最後の千本ヒット対決を繰り広げた。
ちなみに一番目は最初のグラウンドまで走る、である。
戦いの火蓋は思っていたより前に切られていたことはあまり知られていない。
当初は気が付かなかったが、急に火花を散らしている二人がグラウンドに帰ってきたから他の部員は驚いてたかもしれない。
私が他の部員の立場なら『なんであいつら火花散らしてんの』と悩むだろう。悩んだ末に『どうでもいいか、罰喰らったみたいだけれども、俺には関係ねーし』と、暖かい目で見守ることを選ぶだろうな。
そんな当事者間だけでの熱すぎる対決を終えて、放心状態で命からがらだがベンチに何とか座れているのでまだ生きてはいる。
冷たい飲み物が喉を通る、これだけのことが非常に嬉しいとは思わなかった。二人とも冷たいスポーツドリンクに手を伸ばすのを止めない。
体が欲しているので、このままでは何本開けるか分からぬ。お腹がたぷんたぷんになってしまうのではなかろうか、と懸念しているがどうなるかは分からない。
喉が鳴る。
ベンチ内で喉を鳴らす男、二人。黙々と喉を鳴らし続けている。会話もせずに喉を鳴らし続けている。本能の赴くままに飲み物を欲し、喉を鳴らし続けている。
すっかり日が暮れて、グラウンドにはライトが点灯されている。
対決が予想以上に長引いた結果ではあるが、青春を謳歌したので後悔などしておらん。むしろ、感謝しているぐらいだ。
青春の残り香を嗅いでいると、ただひたすら栄養を摂取していた我々だが、ついに目が合った。
手にしているスポーツドリンクが入ったボトルを置き、我々は空いているボトルの多さを理解するのに数秒掛かった。
そして、理解し目を合わせ、大爆笑。
「おいおい、このままではお腹が破裂してしまうぞ、エリオット三年生」
「一理ある」
「このままでは家に帰るとお腹ぴーぴーで狭いトイレに引き篭もらなければならなくなるな」
「おいおい、それだけは勘弁だよ。鶴神くん」
「ならば答えは簡単ですな」
「そうですな」
我々は目を合わしてその答えを確認した。ニュータイプよろしく謎のテレパシーは使えないが、その答えは合っているだろう。
「お腹にやさしく」
声を揃えて導き出した答えを発した。
お腹にはやさしく生きなければならない。いかなる状況、いかなる場合でもお腹にはやさしくしなければならないのである。
お腹を壊してしまうと存分に戦えぬ。お腹を空かしても存分に戦えぬ。
如何にお腹というものが大事か分かる。だから、今、スポーツドリンクのボトルを開けすぎている我々はお腹の為を思って本能に打ち勝たなければならなかったのであった。
消費カロリーが可笑しかったのもあるが、本能に負けてしまったのは由々しき問題である。
本能に勝てずして何に勝てるか。いいや、勝てない。何にも勝てない。本能というのは魔物である。その魔物を抑えるのが理性である。
人は理性の箍を外してしまうと本能が暴れ廻る。本能に乗っ取られ化身となり、意識がないままに活動をする。その間の記憶は、当然の如くない。
本能に打ち負けた人間は先程のように延々と喉を潤し続けたりするのである。
今回は理性が帰って来てお腹を壊さずに済んだが、帰って来なければ確実にお腹を壊していたに違いない。ありがとう、理性。
鶴神善幸とエリオットロビンソンは、本能の暴走を阻止してくれた理性にこの言葉を贈ろう。
「理性に感謝。お腹を守っていただいてありがとうございました」
我々は合掌をし、数秒間瞑想した。
何らかに守られていることを忘れてはならない。驕ってはならない。初心を忘れてもならない。紳士たる者、いつ何時も謙虚であれ。
さてと、休憩を終えようか。
自主的にサボタージュを決め込んだと勘違いをされては困る。私が狡賢い人間だと思うか? 諸賢、目を見て言ってご覧なさい。
狡賢いと答えた輩は覚悟をしろよ。命の保証は一切しないからなこの野郎。責任も問わない、命の保証もしない、何もしないけれども、制裁は加えるがよろしいな?
貴様ら憶えていろよ、何があっても異論は認めんぞ。
忠告はしたからな。誰がそんな約束していないなどと言い出しても俺は責任を取らんぞ!
地獄を味わいたい物好きだけが狡賢いと発言をするがよいッ! その勇気は買うが、だからと言って手加減をしたりはしないがな!
そろそろ、どこからともなく多方面からいい加減にしろ、と怒られそうなので遊びは終わりにしようか。
前世からの因縁を感じると言えば大袈裟な上に言いすぎであるし、そもそも初めての邂逅から一年経っていないのだから何が前世からの因縁だ、と言われてしまうと返す言葉も見つからないが、道理とか前提とかは吹き飛ばして今だけを切り取ってしまえば、前世からの因縁が生まれてしまうのである。
目の前に悪が存在するという事実が必要なだけであって、正義の定義なんぞどうでもよいのだ。
この誰も得をしないが確実に名誉とプライドのみが失われて行く不名誉な戦いに決着をつけて野球部での新生活に光を与えようではないか!
いざ参らんッッッ!!!
凍えるような殺気を察知した頃には時既に遅し。
守りの体勢に入る間もなく、それはやってきた。
「ええい、いい加減にしろ! もういいわ!」
「ごふっ!」
「え、僕も!?」
殺気で足が竦み油断してしまった我々に避ける時間などなかったのである。
激しい痛みが頭部を襲い、脳に伝達したのか、意識が遠のいて行く。
朦朧とした世界に鬼が仁王立ちで豪快に佇んでいるのはまさに地獄絵図であったのは言うまでもない。
一日に二度も意識を失うのは初めてである。
それでは、皆の衆、意識が戻るまでしばしごきげんよう!
嗚呼、地面に突っ伏すのはこれで二度目か。悔しいが避けられない現実に直面している。
現実に直面した瞬間、朦朧とした世界は完全に光を閉じた。
綺麗なお花畑があるぞー。いいにおいがするなー。お、蝶々がひらひらと飛んでいるよー。
待ちたまえそこの白い蝶々よ。こら、逃げるんじゃない。どこまでも飛ぶつもりなのかね君は?
大体空を飛べない人間に対して、少し空を飛べるからと言って自慢の度が過ぎるぞ、蝶々よ。
精々頑張って低空飛行が限界の癖になんたる自惚れ! 飛べない私が言ったところで説得力は皆無だがそれぐらい重々承知だ。皆までそう捲くし立てるな。
悔しさ余って憎さ百倍、どんな卑怯な手を尽くしてでも捕まえる。これは決定事項である!
白々しく余裕綽々と飛ぶ憎たらしき醜い蝶よ、そこで優雅に飛んで待っておれ! 人間様を侮るとどうなるかこの身を以って証明しようぞ。
空に手を伸ばし栄光を掴みとって見せてやろう、鶴神善幸の名に掛けてッッ!!
蝶々を追っているとあらまびっくり、ここでお花畑は終わりである。
目の前には流れる川。広くとてつもなく途方も暮れるほどに広く、どこまでも続いている長い長い川が存在するのみである。
底なし沼になっているのではなかろうか。
人間が通る事は可能なのであろうか。
そんな悩みを他所に蝶々はひらひらと川を飛び越えて、どこか遠くへと去ってしまった。おいおい、勝ち逃げするつもりか、ふざけるのも大概にしろよ、この蝶々野郎!
ひらひらと飄々と飛び越える蝶々に出来て、豪快に生きる人間様が飛べない訳がなかろうに!
人間と蝶々の違いをとくとご覧じろ!
と、啖呵を切ったが、これより先は進めない。
何度試しても川には近づけない。どうやろうと何遍やろうと川に近づく事は出来ない。優雅に飛べない人間は通る価値すらないと申すか。
なんたる侮辱。最大の屈辱。最悪の雪辱。
勢いをつけて飛び越えてやろうと試したがどうやっても飛び越えるのは不可能であった。
不可能を可能に変える男が存在するようだが、少なからずこの私は不可能を可能に変えることの出来る男ではなかったというだけである。
無力な自分に呆れ、途方に暮れていると、川の向こうに佇む影を発見した。
何故、川の向こうに立っているのか。この空間をどう越えたのか。時空でも飛び越えたというのか。
そのような疑問は次第にどうでもよくなっていた。理由は簡単すぎるぐらいに非常に簡単。向こうで佇む影が少しずつゆっくりと薄くなり、姿が見えてしまったからである。
憶えのある。そう――あれはおじいちゃんだ。
おじいちゃんが向こう側にいるのを理解する為に少し時間がかかる。
蝶々がおじいちゃんに進化したとでも言うのか。いくら何でもそれは難解すぎるから却下させてもらおう。
では、蝶々は消え、残ったのがおじいちゃんという問題をどう解決すればいいのか、となるがこればかりは答えるのが難しい。
辺りを見渡すと雲一つない満天の星空である。東京に移り住んでからここまでの澄んだ星空を観たことはない。北海道にいた頃はよく観られたのだが、東京では全く観られなくてとてもとても残念である。
星空がどうとかは関係ない話なので一旦銀河の果てまで放り投げるとしよう。綺麗な星空だが、それは今この話に影響を与えることはないし、この先も何も変わらない。
だから、星空はより広い銀河の果てにでも投げてしまえ。
どうでもいいが呆れるほどに綺麗な星空を見上げていると、おじいちゃんがいる理由が薄っすらと分かってきた。
そうと決まれば川を飛び越えるなどという愚鈍な行為は止そう。
何が白い蝶々だ。何が蝶々が優雅にひらひらと飛べるのなら人間であるこの私はそれよりも遥かに優雅な飛行術を披露出来るだ。危うく命を文字通り川に投げ捨てるところであったぞ。
どうしてくれよう、憎さ余って悔しさ百倍の白い蝶々よ。まさか、黄泉からの遣いであったのではないか。ひらひらと舞う蝶々ならば何一つ違和感もなく黄泉へと手招き出来るとでも考えていたのではなかろうな!!
笑止千万。
黄泉への案内役と分かればここにいる必要はなくなった。全力で引きかえさせてもらおうか。
澄んで美しいこの川は、齢十何年の私が飛び越えるにはまだまだ早い川であった。
見上げれば視界に広がる満天の星空もまだまだ眺め続けるのには早かった。時間に余裕があるが寿命に余裕のない者だけが向こう側で草原に腰を下ろし見上げることを許されている星空であった。
命が惜しい私はお花畑を蹴り散らし、この地を去る為に来た道を引き返した。偶像のお花畑など捥ぎ取っても影響は皆無であるし、蹴り散らしても誰が怒る訳でもなかろう。
とてつもなく命が惜しい私は全力で引き返す為にクラウチングスタートの体勢から猛スピードで陸上部員顔負けのロケットスタートで息を切らしながらまだ見ぬ青春を手にしようと踏ん張る青年の如く、地獄の花園と化したお花畑を全速力で駆け抜けた。
花園にはふさわしくない最大瞬間風速が私を襲った。
「これはこれで嬉しいけれども、僕はまだ死にたくない!」と捨て去り音速で消えてしまった。
驚くほどの速さでエリオットロビンソンが駆け抜けて行った。
嬉しそうな表情をしていたが、異常なまでに速かったので本当に嬉しそうなのかは誰にも分からない。
満面の笑みを浮かべられる状況――もしや、二度目の女子部員か!?
ふざけるのは大概にしてもらわなければ仏の顔も三度までだぞ、コノヤロウ。
感情を顔に出さないのが私ではあるが、こればかりは堪忍ならん。悔しさの余り涙が流れて来そうな勢いである。
虚しさを心に閉まって爽快に軽快なダッシュでこの世界を去るとしよーう!
意気込んだ直後、何やら物騒な気配を感じ取った。感じ取ったのはいいが、時既に遅し。逃れられる展開は用意されていない様子、つまり、諦めよう!
瞬きをする暇もなく何が起こったかも分からずに大勢の何かに踏まれてしまったようである。なるほどダメージなんてないじゃねーの、どうやらあれはエリオットロビンソンを追い掛け回していた女子部員のようであーる! 女子部員に追い掛け回されるなど何たる漫画的展開! 羨ましいこと山の如し! 俺はおじいちゃんだというのに天と地を通り過ぎて銀河と路上の石ぐらいのこの差は何なのか!
こう理解すれば全てが合点が付く。どうやら何が起こっているのか誰がそんなことをしようと言うのか何故無駄に暇を潰そうとするのか、この世は私を陥れようと廻っている。どうしてこうもネガティブにさせようとするのか。ポジティブな熱血主人公は認めないと言うのか。
そのせいで捻くれてしまったのだが、責任を問いただすにも相手は存在していないのである。嗚呼、無情。この切なさと淋しさをどこに投げつければよいのだろう。
やめだ、やめだ、考えれば考えるほどに哀しみの底なし沼に嵌っていくではないか!
高校デビューで果たす目標は――脱・ネガティブ、ようこそ、ポジティブである!
走れ、鶴神善幸、青春を手にするその日まで!
高ぶる気持ちを抑える必要など微塵もないのだ!
走って、走って、躓いて、泥臭くなってもいいじゃないかコノヤロウ!
何が悪いと言うのか、何が迷惑だと言うのか、何がくだらないと言うのか、そんな輩はこの私が鉄拳制裁を加えるから諸君は豪華客船をたったの三人で貸し切ったぐらい大船に乗った勢いでどんと構えていればそれで良いッ!
意気込みだけで生きてきたようなこの人生を意気込みだけで乗り越えてやろうではないか、証明してみせようぞ、負の力に勝るという現実を!
「うおっ!? どうなってんの!」
危険を察知したので急いでいる足を止め、一時休憩を取ることにした。
いや、取らざるを得なかったと言った方が正しい。この状況を見て果敢に突っ込む人間が存在してしまってはそれはそれで由々しき問題である。
見れば分かる。足を止めた理由はすぐに理解出来よう。止めるしか手段はなかったと言った方が正しいだろうな。
一度視線を逸らしてもう一度確かめる必要はどこを探しても見つからないであろう。嗚呼、嘆いても響かないのか。無情をここに極めたり。
「――って、お花畑どこ行ったんだ!? というか、道がねー!」
「おいおいおいおいおいおい、どうなってんの!? 驚愕を通り過ぎて愕然だよもう。唖然以上愕然未満だよ! 自分の発言を前言で撤回しちゃうぐらいに動揺してるよ! これどう帰ればいいの!?」
こんなことで嘆いている場合ではなかったようだ。今の展開を見なくても分る通り、動揺している。
支離滅裂一歩手前である。いやはや仕方がなかろう。今の状況で冷静を装えという方が可笑しいのだから。だって、意気揚々と走っていたら目の前の空間が崩れて無くなるなんて誰が予想するのかね。
百人に百人が予想しないと答えるに決まっている。でなければ、気が狂う程に冷静なのか、何も考えなくたって生きていける程に能天気かのどちらかである。
この世が平和ならば何も考えなくたって生きていける能天気ばかりでいいんじゃなかろうか!?
実際、不安で溢れ返ること必至だが、バカは何も考えないのだから争いは絶える、権力闘争は起こらない、損得勘定が芽生えない、でいいこと尽くめであるぞ!
楽観的に物事を考えたところで、何一つ解決しないじゃないか、おおん!?
ならば、ネガティブを極めてしまえよ、ホトトギス。
悠然と暗黒たる地面へと歩を進める勇敢な主人公こと、鶴神善幸、つまり、簡潔に述べると、根底が捻くれすぎてしまい世界を幾らひっくり返しても真っ直ぐな性格にはなることがないであろう――その主人公とは、諸賢、もう言わなくても分かるだろう! 誰が呼んだか『大船を沈めた気分で付いて来い』、吉川でもエイジさんでも白鳥勇次郎でもなく、私である。
静観。
俯瞰。
達観。
静寂。
不動。
動かざること山の如し。
いやいやいやいやいや、どうしろと!
三途の川まで徒歩一分足らず、コンビニエンスストアよりも近い三途の川支店にふらっと寄ってしまえば終わるのだが、そのまま人生も終わってしまうのでどうすることも出来ん!!
一歩進めば地獄、引き返しても地獄。
地獄と地獄の境目に挟まれてしまったこの私に救済の手は差し伸べられないようで今にも涙を流してしまいたいぐらいである。
正直に言えば、少量の涙が零れてしまっている。
逃げたくても逃げられないこの状況をどう現実逃避すればいいのか、驚愕の事実ではあるが、ここは現実ではないから何を逃避すればいいのかさっぱり分からんぞ!
二進も三進も行かない前に進む事すら許されない極限地獄をどう抜け出せばいいのか誰か教えて欲しい。教えたまえ、いいや、教えてくださいませお願い致します。
声は当然届かない。
何故なら空間にはこの私ただ一人だからである。
助けを求めようが手を差し伸べてくれるはずがなかろうに! 最初から無駄な行動であったとは虚しさの余り、涙を流してしまうぞこのすっとこどっこい。
鉄拳制裁を加える相手がいる訳でもない。
ましてや、罵声を浴びせても心に響かない強靭な精神を持ち合わせた相手がいる訳でもない。
お花畑を颯爽と駆け巡るうら若き乙女に思いを馳せても何一つ響かないことがただただつらかった。
孤独の虚しさを耐えるのはそれよりもつらいものである。
この場に他人の不幸で三杯の飯を齢十五年喰い続けてきた男でもいれば『腑抜けすぎですよ、貴方。まさか大脳新皮質にうじ虫でも湧いたんじゃないでしょうね?』
と、モーニングセットよりも軽く大人が子供に腕相撲で勝つよりも意図も容易く残酷な台詞を吐いて完膚なきまでに馬鹿にした挙句嘲笑に嘲笑を重ね、叩き落してくれるであろう。
それにしてもこの状況で吉川を思い出して頼ろうとするなど末期である。救いようのない阿呆であっても呆れられるような阿呆ではなかったはずだ!
思いを馳せれば馳せるほどそこには何も存在していなく孤独を深めるばかりである。
そろそろ黄泉の空間に飽きてきた頃に見た先程からお花畑に佇んでいる乙女は美しいの文字など見受けられず、とても不気味な顔をしていた。不摂生をしているらしく月の裏側から来た人間のような顔をしている。
他人の不幸を乞い願うような不吉な笑みを浮かべていて妖怪ぬらりひょんと言うべきであろう。まるでもう吉川である。吉川と瓜二つである。むしろ、吉川そのものである。吉川本人である!
私の頭の中に導き出された結論を飲み込むには多大な精神の力を必要とした。想像を絶する苦さに堪えるために私は升一杯の角砂糖を欲した。そこにうら若き黒髪の艶かしい脚を持ち合わせた才色兼備で豪華絢爛な乙女は存在しない。
選ばれし者だけが足を踏み入れることを許されるこの完全プライベート空間、黄泉の国にまで干渉してくるとは自由も個人情報保護も罷り通らないのか。
吉川め、考えてみればお花畑といい女子部員の艶かしいおみ足、美しきうら若き乙女といいひょっとして私は吉川の掌の上で踊らされていただけではないのか?
あの腐れ妖怪め、他人の不幸をおかずに三杯の飯を喰えるという男だ。思えば中学時代に出会ってからのこの一年弱、奴は散々私をおかずとして美味い飯をむさぼり喰って来たに違いない。万死に値する男だ。珈琲挽きにかけて粉々にしてやる!
孤独な空間で胡坐を掻いて虚しさに身を任せ虚構の花を黙々と摘み続けるという行為がかえって私の孤独地獄を深め、私はお花をぽんぽんぽんぽん摘みながら悪鬼の形相となった。
妄想にまで現れ純情な青年の幻想を打ち砕いて楽しむのが奴の学生としての本分であることを忘れてはならぬ。まんまと引っかかり罠に嵌り策に陥り偶像に惑わされしまいには有頂天から地獄に落とされるのがオチである。人恋しに任せて刹那的に偶像の乙女を欲しがり幻想を抱くなど言語道断!
結局私は吉川の掌の上で踊らされどこまでも一緒に黒い大海で互いの足を無意義に足を引っ張り合う運命なのか……。
そう思うとなぜか不思議にほっとしてしまう私がいた。栄光の架け橋をほくそ笑みながら両手を広げ声を高らかに叫びながら渡るのは似合わない。私は惨めでネガティブなままでいい……
「わけがあるまい!! いかなる手を使ってでも栄光を手にし、青春を謳歌したい!!」
乙女の皮を着た吉川が段々と近づいてきて私の目の前にやって来た。
「というわけで、おしまい」
そう言うと、吉川は私の額をつんと押し最後まで憎たらしい笑みを浮かべ消え去った。突然額を押された私は体勢を崩しゆっくりゆっくりと闇の広がる地獄へと落ちていく。
命だけは惜しい。
満干全席、豪華客船、億万長者、人生の成功者、それを全て叶えろとなど贅沢は一切言わない。だからせめて、最後に乙女の手を握りたかった。
「乙女じゃなくてすいませんね」
目を醒ますと乙女ではなく吉川がそこに立っていたので、もう一度寝ることにした。
「起きてください」
繰り返す、もう一度眠ることにした。
「あ! あんなところで乙女が屈んでいる! あれじゃあ、スカートの中身が丸見えですなー!」
直ちに起き上がり視線を向けたが、乙女はそこに立っていなかった。どうやら、騙されたらしい。乙女のスカートを覗き込む変態というレッテルを貼られては困るのだが、条件反射で起きてしまったものは仕方あるまい。
諸賢、そんな眼差しを人に向けるんじゃない。直ちに尊敬の眼差しへと変更したまえ!
地獄から舞い戻って来たというのになんたる仕打ちであろうか! このままでは溢れんばかりの血の涙を流してしまうぞ! それでもよいのか、諸賢。主人公が泣き喚くところ見てそれを嘲笑ってそこで満足なのか!?
ひどい人間ではないか、諸賢、あの頃の純粋さを取り戻しておくれよ。
「まだ何も始まってないけれどね」
鬼監督が悩み悶え苦しむ私に日本刀で潔く手際よく躊躇いもなく軽々と苦労もせずに止めを刺した。
え、なんですって!?
あれだけの死闘を繰り広げてそれはただの茶番劇ですよ、と一蹴されてしまったのである。おいおい、これ以上に残酷なことはあるか。
思考が停止すると起こる生理現象らしく原因は解明されていないものがあるという――そう、開いた口が塞がらないとはこのことか。
鶴神善幸、エリオットロビンソン、共に思考停止。




