十二話 『世界の夜明け』
12
かの坂本竜馬は言いました。
『日本の夜明けぜよ』
乱世は終わり、日本は夜を明けました。
それから何百年が経って、西暦二○××年。
鎖国もとっくの前に終わり、異国人の侵略もとっくの前に終わり、現在は平和である。
戦争は復讐しか産まないと分かったのか、それとも何もすることがないくらいに暇なのか。
どうでもいい前置きはどこかへ投げ捨てて、どうでもよくないお話に戻ろう。
土下座大戦から数分。
歴史的大敗を味わったことにより、何もかもがどうでもよくなっている私は今、放心状態にある。
敗北を知り少年は漢へと成長するそうだが、だからといって心の隙間を埋められるかと言われれば、地球をひっくり返したところで埋められないだろう。
今後二時間は右から左に話が抜けるので、どんな仰天発言をしても覚えてはいないだろうから何を話してくれても構わんのだぞ? 寛容な私が広い心で受け止める、と言っているのだから構わんのだぞ、もう一度言う、一向に構わんッッ!!
万が一罵詈雑言を浴びせたとしても今ならば何一つ耳に入らぬ上に、三時間後には全てを忘れているだろうが、どんな場合でも罵詈雑言を浴びせたと同時に、それよりも早く喰い込み、憤怒の感情を拳に乗せて全力で鉄拳制裁を喰らわすので心の準備だけはしておけよ、と忠告するこの寛大さに皆の衆は思う存分惚れるが良い。
さあさあさあさあさあ! 何人たりとも許してしまう聖母マリアよろしく偉大なる鶴神善幸の寛大すぎる心に酔い痴れ、平伏せ。
もう一度、言おう。酔い痴れろ。
何度でも何千回でも言おう、惚れろ酔い痴れろ平伏しやがれ。
むしろ、こちらから願い申し上げよう。酔い痴れてくださいませ。
寛大な心を持ち合わせているこの私に、惚れ、酔い痴れ、平伏して戴きたい所存であります。
寛大でなくとも褒め称えて戴けると調子に乗り、大船をひっくり返す勢いで漕ぎ始めますので、是非とも褒め称えては戴けないでしょうか?
ここまで謙って頼んでいるのだから褒め称え、酔い痴れ、平伏し、目に焼きつけ、記憶の中心に納めておく事が当然ではなかろうか。
行為を強要していると捉えられては困るぞ、諸賢。これは選択の余地を与えているだけであって、強制でも何でもないのだからな。
しかし、強制も強要もしないが、素直になった方が身の為だと言う事は聡明な諸賢であれば分からない訳ではあるまい。
これは強制ではない。
お願いである。
私を褒めることによって、私の奈落の底に落ちきった心は光の届く蒼い雲一つない空に舞い戻る上に、世界は救われるのだから一石百鳥ぐらいにはなると思うのだが、どうだろうか?
愛と平和で満ち溢れるこの世界に乾杯をする為だと思えば、安いモノではないか?
安いも何も一銭も要求していないのに、何故褒め称えようとしないのだ。貴様ら、理解に苦しむぞ。
誰もお金が欲しいなどと戯言を抜かしちゃいない。欲を言うまでもなく、お金はあるだけ欲しいが、今はどうでもよいのだよ。そう、コンビニエンスストアで財布の中身にこの小銭は使い道がないから寄付してしまおう、というボランティア感覚で褒め称えれば済むだけのものをッ!
――そうだ、この際、開き直ろう。
元より、謝る気など毛頭なかったし。
謝る対象すら見つけようとも思っていなかったし。
ただただ、遅刻したという事実を何百のパターンで揉み消そうとしていただけだし。
練りに練って何時間もかけた計画がまさかの破綻で放心しているだけだし!
今こそ使うべきである無の境地を使うとしよう、そうしよう。
全てを空にし、全てを投げ捨て、全てから逃げる――それが無の境地である。
考える時間を投げ捨てろッッ!!
無駄な所作を省けッッ!!
必要のない感情を切り離せッッ!!
どの道も必ず無に通ずるッッ!!
この余分な力が抜け、必要のない感情を投げ、意味の無い行為を止めた感覚――これぞ、選ばれし者だけが足を踏み入れることを許された、人間が辿り着く最終目的地である、無の世界。
空間のない真っ黒な世界に胡坐をかいて手を組み考え事をするかのようなポーズで宙に浮いている私がぽつんと一人いるだけである。
他に誰一人存在しない、いや存在してはいけない空間なのである。邪念を捨て他人を遮るのが無の境地、無の世界なのだから当然至極。
理不尽も不条理も絶望も幸福も恐怖も憤怒も悲恋も愛も優越も劣等も平等も不平等も不利も有利も勝利も努力も友情も何も味わう必要のない、何も考える必要のない、いわば現実逃避専門の空間である。
そう、遅刻をした現実から逃れるために無に浸っているのだ。
誰にも邪魔されない空間ならば、何を憂い何を心配する必要ないのだからな。これほど使い勝手のいいものはなかろう?
手に入れるのには特別な訓練が必要になるのだが、その訓練さえ耐え切れば使い勝手のいい空間を手にすることが可能なのでそう考えれば安いモノである。
訓練の内容は想像に絶すること必至であるがため、教えることは出来ないのが惜しいな、こればかりは仕方あるまい。
順調に現実から逃避していると、気配を感じ取る能力が長けた今、目を閉じていても目の前に誰かが立っているのが容易く感じ取れる。
このどす黒い気配はもう言うまでもなく確実にアレである。人の不幸でなんたらかんたらの変人――
「――ちょっと、そこ省かないでくださいよ」
そう割り込んでくると、この空間に人の不幸で以下省略の男が現れた。
いやいやいやいやいやいや、どうして何がどうして何がどうなってどうが何になって、吉川はこの空間に――
「――貴方、動揺しすぎで支離滅裂一歩手前ですよ。それにどうせ貴方の事だから何故僕がいるのか、と思っているのでしょう?」
「そして、貴方はこういうはず」
「遮るな、この野郎」
私の空間内で心を読むな、このすっとこどっこい!
「今時、すっとこどっこいとは随分と古いお人ですね」
吉川、貴様ァ~~~その含み笑いをやめろッッ!!
それ以前にこの空間から出て行きやがれッ!
「言われなくても出て行くつもりでしたが、言われてしまったので長居しようと思います」
長居するんじゃねぇ!
吉川はそう言うと、椅子を召喚し深く座った。
こちらをじいっと見つめ続けている。何がしたいのか分からないが、良からぬことには違いない。
何せこいつは人の不幸にしか興味を示さないような最底辺を低空飛行しながらのらりくらりと暗躍するような男だからである。
「最底辺を低空飛行とは恐ろしくひどいことを仰る」
「うるさい! 事実を述べただけだろうが!」
「その事実をわざわざ述べる必要がどこにあるのです!」
「ここにある!」
「愛も慈悲もないのですね、僕は貴方をそんな捻くれモノに育てた覚えがありませんよ?」
「一つ一つ返してやることに感謝をしろよ、この最底辺」
「アメと鞭という言葉がありますが、先程から鞭しか喰らっていないのは何故でしょう?」
「五月蝿い、少し口を閉じろこの減らず口が」
「そこまで言うのならば、仕方ありませんね。お口にチャックをしておきましょう」
「もう突っ込まないぞ、突っ込まないからな。一つ、貴様に掛けてやる愛も慈悲もこの世の中には存在しない。一つ、貴様などに育ててもらった覚えはない!」
「突っ込んでるじゃないですか、素直になればいいのに」
「五月蝿いったら五月蝿いッ! 口を閉じなければぶち殺すぞ」
「ひいい、怖い怖い。それはそうと、さっきから監督が貴方に向かって何か言ってますよ。貴方がここにいることによって無視をし続けるからそろそろ堪忍袋の緒が切れそうですけれども」
少しの間、天を仰ごう。
そして、現実を直視しよう。
この殴られかけている現実を……ッ!
何故早く言わないのか、と数時間問いただそうとしたところで吉川は消えてしまった。
「それでは、伝える事は伝えたので――サヨウナラ、地獄には付いていきませんからね」だ!
地獄旅行にご案内されるのが前提じゃないか、どうなっている。
しかし、それはすぐに理解出来た。
どうしてすぐに理解できたかというと、それは実に簡単。
目を開けた途端、ハリセンを持って今にも頭部を叩こうとしているサングラスを掛けた成人男性が鬼の形相でハリセンを持った手を振りかざしているからである。
危機管理能力に長けているこの私でも流石にこれは避けられぬぞ。
どうしろと!?
覚悟を決めろ、鶴神善幸!
いざ、痛覚を切り離せ!
……って出来るかそんな人間離れした技ッッ!!
つまり、こうなる。
「鶴神テメェ、起きろ!」
ハリセンによる快音はグラウンド全体に拡がったと言えば大袈裟になるが、それぐらいに痛かった。
今日は頭部に刺激を受ける日だな、と余裕を見せてみたが、余りにも痛いので涙のダムが決壊しそうになったのでそろそろ終わろうと思う。
うら若き乙女が涙を流すのならば、画になるだろうがこの私が痛みに耐え切れず涙を流すところを見て誰が得をするのだろうか?
する訳がなかろうに。むしろ、誰かが得をしてしまっては困る。世の中には物好きが五万と存在するようだが、これは物好きのレベルを遥かに超えているからだ。
そういうことだ、諸賢。
理解していただけると幸いであるぞ。
いいや、理解しろ!
それでは、読者諸賢、ごきげん麗しゅう!
雨でも降っているようだな、そう、心の雨が。
臭い台詞で誤魔化そうとした私はとてつもなく阿呆であった。
裏側で流れている風に書き記したが、涙は痛みに耐え切れず完全に表に出ている。
収集が付かなくなり延々と地獄への旅行に辿り着かないので、ここら辺で終わるとしよう。




