六話 『お久しぶり』
六。
クラスメイトの前で首根っこを掴まれ晒されたり、過去に戻って思い出したものの無駄な殴り合いだっただけなど、トイレ戦争を経て、激動の一週間に終わりを告げた。
端折るだけ端折るのだが、特に面白い出来事があった訳ではないのだ。
生を受けてから今まで、欠かさずに牛乳を朝昼晩と飲んできたこの私は、身体測定という一大イベントに心を躍らせ参戦し、夢見る乙女の如く、二十センチぐらいは伸びているに違いない、とまで信じていたのに、夢物語は結局、夢物語であり現実は無情、二十センチどころか、一ミリたりとも伸びていなかったのは赤い涙を流しかけた程の衝撃の事実であった。
どうせ迷信だろうと小馬鹿にして貶していた悪魔は存在するのだと知った瞬間である。
纏めると訳の分からないこと極まりない。
鶴神善幸のざっとざざっと、一週間でした。
信じられない事が起こっているのだが、怪訝な表情をせずに全てを聞いて頂きたい。
何がどうとかそんなレベルではなく、もう、それはまさに青天の霹靂とでも言ったところだ。
焦らしている訳ではないぞ、頭の中で伝えるモノを整理しているだけだ。
一度しか言わないから聞き逃したやつは全員、タンスの角に小指を全速力でぶつけるように!
――モテ期って知っているか?
――そうそう、人間なら誰しも生きている内に三回は必ずやってくるとかいうやつだよ。
――私だって、純粋無垢な時代がありましたよ、ええ。赤ん坊の時ですけれども。
――思えばあの頃が全盛期だったのかもしれぬ……って惜しませるなよ、おい!
――ところで、モテ期って信じる?
――そうそう、人間なら以下略。
――二度目のモテ期と言ってもいいのかな、これ。
――入学から一週間、私は今、モテ期に突入している。
――え、うら若き乙女とは一度も言ってないぞ?
「鶴神くん! 僕たちと熱いサッカーをしてみないか?」
「いいや、鶴神くん! 僕たちと理詰めの毎日を囲碁で送らないか?」
「いーや、そんな体を動かさないつまらない文系野郎と青春を過ごすぐらいなら体育会系ナンバーワンのバスケ部でダムダムしようじゃないか!」
「君の素質を僕は見抜いているよ? 剣道部でその剣術を活かさないか?」
「いやいや、野鳥の会研究部に入ろうではないか! 一日中鳥を数えるだけの簡単なお仕事だよ!」
「将棋こそ至高。囲碁部になんかたぶらかされるんじゃないよ、鶴神くん!」
「いいや、新聞部に入ろう、ね、ね! 前会った時から鶴神くんはいい文章を書きそうだなって思っていたんだよ!」
残念なことに現状はものすごくむさ苦しい。色んな部活から勧誘の嵐である。
野鳥の会研究部に少し心が傾いたことは永遠に伏せておくとしよう。
謳い文句が狡賢いのは困ったものだ。
「野球部に入ると決めているから、貴様らむさ苦しい連中はどこかへ行ってくれないか!」
「何故、可憐な女性しかいないと謂われる茶道部から勧誘されないのだ! 甚だ遺憾である!」
「茶道部、女性限定だからッッッ!!!」
全主将から総ツッコミを貰うとは想像もしていなかった。
一人だけ混じり、その輪の中で思う存分お茶菓子を食べながら可憐な話術でちやほやされようとしたのにこんなにも早い段階で計画が破綻するなんて有り得ない話である。
おいおい、神も仏もありゃしないな!
「そうとわかりゃあんたらの顔なんて見たくもない! 帰れ、帰れ、帰れ! 主将連合ども!」
「惜しい人を亡くしたな……」
主将連合が声を揃えて捨て台詞を吐いて去っていった。
「死んでないから!」
このまま、私は突っ込みキャラとして生きていくのだろうか?
不毛な脳内を遺憾なく発揮したところで、何も生まれないのは虚しくなる。
この活力を何かに活かせればいいのだが、世間が追いついていないから到底無理であろう。
文明はまだ発展していないのか! なーにをやっているのかね!
と、玄関までの暇つぶしをしているところに声を掛けられた。勿論、声の主は吉川である。
「貴方、またくだらないことでも考えていたのでしょう? よくも四六時中くだらないことを考えられますね、僕には理解出来ません」
「そういう貴様だって、四六時中人を戒めようと考えに考え抜いているのではないか?」
「褒めても何も出ませんよ?」
「勘違い甚だしいなこの野郎め、笑うな気味が悪い!」
「おふざけはこの辺にして、野球部を見学に行きましょうか」
「諸悪の根源は貴様だろうが!」
「すいませんでした~」
負の塊のような男は謝る素振りだけ見せて、口を閉じた。
「おーい、おーい」
遠くから巨体がやってくるのがはっきりと解る。
未だ、慣れない。
そう、二メートルは超えているであろう彼が――白鳥勇次郎である。
殴り合いの一件から戦友みたいなノリで付き合っているのだ。この学校で出来たお友達第一号がこの漢とは、涙が溢れそうな気分に陥ってしまう。
「どうかしたのか、白鳥勇次郎よ」
「余所余所しいぞ、鶴神善幸よ」
「あら、白鳥さんじゃないですか」
「いたのか、吉川」
「いつの間にか仲良くなっていたのか、貴様ら」
「白鳥さんまで、ひどいことを仰る」
「さあ、久しぶりに先輩方を拝むとするか」
「ん、お前ら会ったことあるのか?」
「説明するの面倒なので、鶴神さんお任せします」
面倒な事が嫌いなのを知っていて押し付けてくるから厄介である。
食いついて来たからには仕方がないから、流れをざっくりとかいつまんで話すとしよう。
「中学の頃、野球部を見学に言ったら変な外国人に流暢な日本語で絡まれた上に、グラウンドまで全力で競争させられたり、サングラスを掛けた怖い監督に勝負を挑まれたり、その勝負にまさか勝ってしまったりしたのだよ! そんで、最後に胴上げされたのさ!」
「屈託のない笑顔で説明してくれて、ありがとう。大体の流れは把握した」
「え、これで解るとかもしかして頭がキレるのか!?」
「そう、こう見えて頭がキレるのだよ、侮ることなかれ」
ざっくりとした流れでこの理解力、天晴れ。
それと同時に申し訳ない気持ちがここぞと言わんばかりに込み上げてきて押しつぶされそうである。
さて、そうこうしている内に玄関に着いたぞ、諸君。
自分の名前が貼ってある下駄箱から靴を取り出し、上靴をしまい履き替える。
運動靴の感覚を確かめ、地面を何度か蹴り、馴らす。
空は快晴。これぞ、野球日和。神も新たな船出を祝福してくれているのだろう。
手首の骨をごりごり鳴らし、そこから全身の骨を鳴らし始める。
一連の動作を終えたところで、正門を出てグラウンドを目指す。
動作を流している間は空気を読んで、話しかけてこない二人が私にはよくわからない。
そうか、最低限の礼儀は弁えているのか。
足を伸ばし、手を上に挙げ、地面を蹴り上げ、ストレッチを終え、準備完了。
さあ、走る!
「今からグラウンドまで競争な! 最下位は死刑で! それか打ち首で!」
抜け駆けする為に早口で説明しておいた。
全速力で一位を掴み取る為の手段だ、許せ。
「この野郎!」
「意気地なし!」
負け犬の遠吠えが正門前に木霊した。
後ろを振り返る程の心の広さを持つ私は、景色を眺めながら走っていた。
二百メートルは進んだだろう、という地点で見覚えのある外国人を見つけたのだが関わると厄介なので無視してグラウンドを目指そう。
颯爽と通り過ぎれば、爽やか過ぎて気づかれないだろう、と思っていた私はとんでもない阿呆であった。
「おーっと、鶴神くん! 止まりたまえ、止まりたまえ。ハイ、ストップー!
いや~ひどいよ、久しぶりの出番だと言うのにそれを颯爽と通り過ぎてなかったことにしようとしていたでしょ、今。
仮にも、ね! 僕は君の二個上の先輩なんだからさ! 素通りはいけないと思うんだよね。偶然居合わせた訳じゃないから一万歩譲って許すとしても、だよ!
ん、あー、そうか。言ってなかったね、それは変な顔するわけだ。
そう! 僕は入部希望者と個人的に競争することにしているんだ。それに付いて来られない希望者は門前払いしちゃうわけさ~。
だって、考えてご覧。僕たちの高校野球での最終地点はどこか?
そう! よくわかりました。拍手をして差し上げます。最終地点は言わなくても分からないといけないよね、うん!
野球部総動員で目指すのは、甲子園で真紅の優勝旗を颯爽と現れ、華麗に奪い去ることでしょう?
それなのに、たった一キロの競争にも付いて来られないような輩が聖地である甲子園で通用するとでも思うかい?
僕は思わないね、鶴神くんだって思わないでしょ? まあ、君は僕に負けている訳だけれども。落ち込むことないよ、鶴神くん。
ん、それは何故かという顔をしているね、親切で寛大で爽やかで良心の塊のようなこの僕がその問題を解決してあげよう、と言うのだから感謝すべきだよね、うん。
敬意を払って、エリオット様と呼ぶが良い! ちょっと、殴るのは止してよ~。僕は痛いのと辛いのが嫌いなんだ。つらいじゃなくて、からい、ね。そこを履き違えないでくれよ?
あー、そんな怖い顔しないで。一つリストに追加することにしよう、怖い顔も無理だ。
で、今何の話をしていたんだっけ?
中学時代に戦った漢との再会し、決着をつけるために再戦するも、無意味な殴り合いだったお話をしているんだっけ?
それとも、次の日にトイレを巡る大戦争をしたお話だっけ?
いいや、身体測定で伸びることなく悲しみの淵に堕ちたお話だっけ?
ごめん、ごめん! だから殴ろうとするのは止してくれって。鶴神くんの人をすぐ殴ろうとする癖、良くないよ!
なんで知ってるか? って? それはどうでもいいことじゃないかなー。まあ、聞かれたところで教えないけどね~!
仏の顔もストックがなくなりそうだから、そろそろやめるとするよ、うん。
そんなこんなで僕は入部希望者を待っているのさ!
このグラウンドを使うのは野球部だけで、サッカー部は別のグラウンドを用意されているからね、なんだかこの学校は文武両道だけど、しっかりと平等に力を入れているみたいだし。
理事長すごいよねー! 僕なんて他の場所に野球場作られたら行くの面倒臭くて行かないよ、絶対に。
なんでって遠いもん。サッカー部は足腰を鍛えるのに最適だからいいけどさー、無駄に足腰を鍛えるモンじゃないからねぇ。僕は勝手にそう思っているのさ。
なら、何で競争なんかしているのか? それはただ僕が楽しんでいるだけさ。だって、僕は走りなら誰にも負けない自信があるからね、この学校限定ではあるけれど。全国でも速い自信はあるよ、うん!
多分、脚のスペシャリストのサッカー部や陸上部の男子にも負けないんじゃないかな~。やったことないからわかんないけどね!
で、鶴神くん、吉川くんと一緒に君の背後を狙っているのは、もしかして、入部希望者? 嗚呼、君と吉川くんは半年以上前に一度競争しているから、特例として免除してあげるよ。
まあ、これは僕の気分に左右されるんだけども。 二メートルは超えているんじゃないの、その人!?
僕よりも背の高い人をバスケ部以外で見たのは初めてだよ……というか、その子本当に一年生!? あれ、その大きい人が君が無駄に殴りあった戦友で、無駄にトイレでの大戦争を起こした一人かい?
いやーおかしいよねー、これは吉川くんから聞いた話なんだけどさー、あ! 言わない約束だったけど、言っちゃった! こう見えて僕は口が緩いから仕方がないってことで許してちょ! で、彼、名前はなんていうの?」
取り合えず、手を前に出して制止する動作をしなければならんな。ということで、手を前に出してもう黙っていてくださいのポーズを取った。
これをしなければ何時間でも延々と飽きもせず、話し続けてしまうのだから困ったものである。
これは一大事である! 途轍もなく異常なまでにやってられない程に面倒な先輩に捕まってしまった!
捕まった以上、この人を納得させなければ話が終了しないのだ。
面倒な事は嫌いだと何度言えば済むのだろうか。知っているのにわざとやっている節があるぞ、これ。
私の周りはどうしてこんな人ばっかりなのか。泣いてはいないが、涙が枯れそうである。
「お願いします、ちょっど黙っていてくださいよ?」
面倒なので、先に釘を刺しておかねばならんのだ。
そう言うと、口を閉じて頷いてくれる素直な人ではある。
しかし、一度開くと異常なまでに喋くり倒す面倒な人でもある。
どうにかして、口を失くさせようと会う度に考えているのだが、現代の科学では実現出来そうにないのが悔やまれる。
現代科学は何をしているのか! と嘆きたくなるが、いくらなんでも科学者が可哀想なので心の中に留めておいた。
「彼の名前は白鳥勇次郎。
で、野球経験者でして一応四番を打っていた過去があるそうです」
「一応とはひどいな、鶴神」
「ちょっと黙れ」
喰い付くんじゃないよ、この野郎。
「身長は二メートルちょいだそうですよ、詳しくは本人と競争でもしながら話し合ってくださいな。以上です」
「ん、競争? 何の話だ、鶴神」
「いいから黙ってあの人と一緒に走って来い。私と吉川は先に見学してくるから」
「嗚呼、了解した」
「物分りが良くて助かるよ」
よし、これで静かに見学出来るだろう。
「もう喋っていいですよ、エリオット先輩」
「あ、いいの! じゃあ、僕はそこの白鳥くんと競争してくるから、先に見学でも何でもしてきてちょうだい!」
これで解放されたに違いない。そうでなければ法廷で会うことになる。
「さあ、吉川、私たちは見学に行こうか」
「そうですね、行きましょう」
「やけに素直だな、貴様は天邪鬼ではなかったか」
「いいや、僕にだって出来るだけ相手をしたくない人もいるのです、これは先輩には内緒ですよ?」
「心配するな、私ほど口の堅い人間は存在しない」
「そこだけは僕も賛同します」
「貴様はいつも一言余計なのだよ」
「僕は一言余計に喋らないと死んでしまうのです」
「分かったから、黙れ」
「素直じゃないんだからっ!」
鳥肌が立ったが、寒気によるものなので勘違いしないで頂こう。
グラウンドまでゆっくり歩くとするか。
先程の聞き疲れで走る気力は残っていないのでな。
疲れに反し、空はどこまでも蒼い。
癒しはこの空だけである。
なんとまあ、虚しいのでしょう。
隣に居るのが、他人の不幸で三杯の飯が喰える男でなければよかったのに。
可憐な麗しい乙女と談笑しながら部活見学に行ければどれほど嬉しいか、そんなマネージャー候補は何故居ないのか、と考えるだけ無駄なようだ。
聡明な読者諸君なら最早言うまでもないだろうが、如何に新規層を取り込むかが最優先事項なので、仕方なく言うとしよう。
何故ならば、隣に居るのは先程も述べたように他人の不幸で三杯の飯が喰えるという性根の腐った情報通だからである!
これが運命だというのなら受け入れざるを得ないが、運命でないならやり直す機会を与えてくれたまえ!
現実を逃避する為に天を仰いでみたが、当然の如く返事はない。どうやら、受け入れるしかないようだ。随分と世知辛い世の中になってしまったようだ、と寛大に盛大に奇天烈に哀しもうではないか、諸君!




