五話 『俺とお前と勇次郎』
五話(ry
激動の月曜日を終え、通常運転の火曜日を過ごしている。
海星大学附属高校には、学食があり食堂がある。
母が弁当を用意してくれるので、利用することはないだろうが相当美味だとの噂だ。
しかし、食堂のおばちゃんはお残しは許さないとの噂も。
やむを得ずも許さず、残したその瞬間に包丁やら何やら刃物類が飛んでくるとの風の噂を先程、乙女たちが話していたのをしっかりと聞き逃さず覚えている。
「あなた、顔がにやけていますよ。どうせ、くだらない妄想でもしてたんでしょう?」
という妄想をしていたところ、吉川の声によって現実に引き戻されてしまった。
「貴様に同意するのは心底悔しくて涙すら浮かんで来たが、確かに一理ある」
と、机の中で拳を握り締めた。
「そうそう、貴方を探していたんですよ。どうせ、誰もいない教室内で一人寂しくお弁当を食べていると思ったので、人格者であり心優しき僕が一緒に食べてあげようと思いましてね」
「誤解を招くからそういうのはやめたまえ。一人ぼっちキャラを植えつけるでない!」
「事実を述べたまでです。とは言え、入学してすぐに友達百人出来るほど現実は甘くないですから、仕方がないと思いますよ?」
「黙らないと捻り潰すぞこんちきしょう」
「おお、怖い、怖い」
「まあいい、偶然にも隣は空いている。座ればよかろう」
「素直じゃないんですからっ!」
何だか負けた気分になったのだが、これは正常なのだろうか。
好き好んでこのような男と一緒に飯を喰っている訳ではないからな! 可能ならば、麗しき乙女に囲まれて優雅な昼食を取りたいものだ。
むさ苦しい昼下がりなど有り得ないだろう?
諸君、そうは思わんかね。
「鶴神、隣空いてるだろ? 空いてなくても座るけど、空いてるから座るぞ!」
……吉川の次は白鳥と来たか。
「許可を得なくても座る癖に面倒な男だな、貴様は」
白鳥の登場に吉川が気付く。こんな巨人のような男に気が付かない奴もそれはそれで可笑しいのだが。
「あら、白鳥くんではないですか」
「お! 誰だお前」
個性的にも程がある吉川を知らないとは余程他人に興味がないように思える。
「知らないのか、白鳥」
この私が他人に他人の事を言及するのは滅多にお目にかかれないぞ。
「嗚呼、知らんよ。俺は弱いやつには興味ないからな」
忘れていたが、白鳥勇次郎には『弱い奴』と『強い奴』の二つしか概念がないのであった。だから、誰がどう見ても弱い吉川の事は知らなかったのだろう。
「弱いとは失敬な。僕は争いが嫌いなだけですよ。自己紹介が遅れましたね、吉川です。
貴方の事なら何でも知っていますよ、白鳥くん。
そうですね、これなんていかがでしょう。小学五年生までおねしょをしていたとか」
「そうだよ白鳥くん、おねしょなんて情けないぞ」
「鶴神さん、自分のことを棚に上げるのはよろしくないですよ。おねしょ仲間同士仲良くしてくださいな」
吉川については後で殴らせてもらおう。
「吉川とやら、その情報は広めるンじゃねぇぞ……命が惜しければの話だが」
「僕の周りは怖い人ばかりですなあ。大丈夫ですよ、安心してください。僕の口は堅いので」
「口から生まれてきた奴が何を言うか」
突っ込みキャラとして生まれてきた訳でもないこの私がすかさず突っ込みを入れてしまう程に、嘘っぽい事を言う男であるが、これは本当だろう。どうやら、人の心を持ち合わせたまま、人の心を掌握するらしい。
「鶴神さん、あなたひどいことを仰る。それと、ツッコミを入れるときは顔を少しは作った方がいいですよ」
「ふん、余計なお世話だ。この野郎」
「あらあら、拗ねちゃって」
「なあ、白鳥よ、殴ってもいいかな?」
「いいと思うぜ、俺は。変な事をバラされたくなければの話だがな」
「困った畜生がいたものだ……」
どんな報復が来るか考えるとどうせ、ものすごい陰湿なモノに違いないだろうと思ったが、それはそれで
個人情報を網羅する吉川には誰一人勝てないようだ。
傍から見れば妖怪、無表情、巨人と恐ろしい食卓だが、箱を開けてみると、どうでもいい他愛ないよくわからない会話を楽しんでいるだけである。
「ん!」
「どうかしましたか、鶴神さん」
「ん!」
「どうかしましたか、白鳥くん」
もしかしてもしかすると、もしかするのかこれは。
「いや、何でもない!」
「何でもねぇよ!」
何故、中腰なのか。それを問いただそうではないか。
「白鳥勇次郎、貴様、何故中腰なのだ?」
「鶴神善幸、そういうお前こそ、何故中腰なンだ?」
もしかする。
そう確信した瞬間ではあるが、そうと決まれば急がねばならん!
「吉川、ちょっと用事を思い出したから席を離れる!」
「俺も用事を思い出したから席を離れるわ!」
そう言い残して、何とか最悪の事態を巻き起こさない程度に猛スピードで走り抜ける。
「お二人さん、トイレなら素直にトイレ、と言えばいいのに」
走り抜ける意識の中、吉川がぽつりと呟いたのを耳にした。
この男には、何もかもお見通しのようだ。
我らのゴールは同じだろう――そう、目指すはトイレ!
誰にも便意を催していると悟られずに歩く方法を考え抜いた末に辿り着いたのが競歩である。
これならば、廊下を走るな、と諭されないで済む上に周りの生徒に危害も加えない。
高校生男子が便意を抑え、競歩でトイレに向かっている姿は滑稽に違いない。
だからといって、走れば力んでしまい二次災害が起こりかねん。
入学して数日で変な称号を得るのは頂けぬ!
食堂を曲がってすぐのところにあるトイレを目指して、競歩で進む男、二人。
「あっれ~~~、白鳥くんもしかしてトイレ?」
「もしかして、鶴神もトイレ?」
「いやいやいや、俺なんて家でしかトイレしない派だからね?」
「そんなこといったら俺も家でしかトイレしねェけど!」
「紳士はトイレなどしないのだよ、寝言は寝ていいたまえ」
「俺も用事があるからってだけだから、ね!」
「何、トイレで待ち合わせでもしているのかい!? そんな奇天烈な事が有り得るのかね!」
「嗚呼! 有り得るンだよ! 俺が有り得ると言ったら有り得るンだよ! 俺が基準なんだからな!」
「基準とか定めとかルールとか制約とか条例とかマニフェストとか、そういうものは破る為にあるのだよ!」
「俺も聞こう。鶴神こそトイレに何しに行くつもりだ? というか、すぐそこトイレだけど、用事ってトイレであるのか?」
「用事なんてどこでもあるからね。トイレでも屋上でも食堂でも体育館でも外でも正門前でも廊下でも、どこでも用事なんてあるから!」
「俺だって、トイレに用事あるからな! どこでも用事あれば俺は駆けつけるンだからな!」
「嗚呼、私も同じだよ。偶然、偶然、偶然、偶然に白鳥と同じ時間に同じタイミングでトイレに用事があるだけに過ぎないのだから」
トイレに向かう間、牽制しあう我ら。
悟られたくない一心で牽制しあっているのだが、あまりにも下手糞である。
我ながら悲しくなってくるものがあるな。
「これ、確実に影であの人たちトイレついて熱く語ってるよ、トイレブラザーズだよ、とか言われちゃうよ。
うら若き乙女にそんなことを言われなければならんとなると、もうトイレに行くって素直に言っちゃうわ!」
「嗚呼、俺もトイレに行きたいって両手広げて拡声器持って全校生徒の前で演説しちゃうわ!」
「あ、トイレ見えてきたぞ」
「ゴールが近いな!」
「急がせて貰うッッッ!!!」
ここまで来れば問題ない、フルスロットルで駆け抜けろ!
「……テメェ、行かせるかってンだァ!」
「おっさきに~!」
白鳥勇次郎に対し、勝利の合図をして目的地のトイレへと足を踏み入れた。
ここが楽園……っ!
個室を探せ、空いている個室だ……っ!
最後の最後に勝利をもぎ取るのはこの私しか有り得ないのだよ!
空いてない、空いてない、空いてない、空いてない、空いている……っ!
残りの3つは使用中、後は清掃中で空いている個室はたった1つ……っ!
不覚……っ! 一生の不覚……っ! なんたる失態……っ!
昼休みを考慮しなかった怠慢……っ!
空いている個室に手を掛けようとしたその時。
「待て待て待て待て待てぇッッい!!!」
「白鳥、貴様ァ!」
この漢を倒さなければ、勝利を掴めないと言うのか!
ならば、遠慮なく倒させて貰おう!
「白鳥勇次郎、便意に勝るものはなし。つまり、私はお前の屍を越えて行く!」
「屍を越えるのはこの俺だッッッ!!!」
今世紀最大、どうでもいい戦争が幕を開けた。
「無の境地」
「一発で仕留める」
――最初はグー! ジャンケンポン!」
「私はグー、貴様はチョキ。これがどういう意味かわかるか」
「嗚呼、俺の負けだ。さっさとトイレへ行け!」
「貴様という漢を忘れはしないぞ」
「俺もお前のことは忘れないさ」
念願のトイレ……っ!
待ちに待った五分間、秒にすると三百秒……っ!
今、ドアノブに手を掛ける……っ!
「うおらっ!」
掛けようとしたその時、手を弾かれた。
「白鳥、貴様ァ!!!」
「まんまと引っかかったな、鶴神!
ジャーマンスープレックスの恨みじゃ!」
「覚えていたのか、このすっとこどっこい!」
扉の向こう側で白鳥がほくそ笑んでいるのを容易に想像出来る。
ここで引き下がっては漢が廃る!
最終手段だ!
「オラ、開けろ白鳥!」
「お前、やめろよ、この野郎!」
開けないのなら仕方がない。悪いのは開けない方であって、壊す私ではないからな!
「おい、もしかしてもしかすると俺の悪寒が当たると、もしかするけどもしかするだろ、おい! それだけはやめ――」
「――鶴神ナックルッッッ!!!」
そこには学生服の下を下ろしていない白鳥勇次郎が今にも便座を上げて座りそうな体勢で存在していた。
「壊すのは違反だろ~」
「ルールは破る為にあるんですよ。白鳥さん」
「ちょっと!」
「静かにしてよ!」
「集中出来ないじゃん!」
これぞ、個室三連星。
他人に迷惑を掛けてしまった。素直に謝ろう。
「すいませんでした!」
二人、声を揃えて謝罪。
したが、よくよく考えれば清掃中で空いている個室は一つのみ。つまり、この三人が早く出れば問題が解決するではないか!
「よくよく考えれば貴様らが長いこと用を足しているから! 一つしか空いていないんじゃないか!!」
「その通りじゃねぇか!」
賛同してくれる仲間がいるようだ。
「すいませんでした!」
「でもまだかかります!」
「こっちも結構辛いんです!」
お互い同じ境遇であった。
白鳥と目を合わせ、待つのは諦める事に。
期待出来ないモノに期待するほど腐っちゃいないつもりだ。
となれば、どうするか。
善は急げだ、いや、この状況だと便は急げか。そんなことはどうでもいい、提案をしてみよう。
「この世で最も公平な勝負と言われる、じゃんけんぽんで勝敗を付けようじゃないか」
「後だしとかなしだからな! わかったか!」
「真剣勝負に水を差すような行為を好き好んですると思うか。否、する訳がなかろうに!」
「いざ、参らん!」
このじゃんけんが全てを決める。
人の生死を掛けた壮大な勝負なのである!
――最初はグー!
――じゃんけん!
――ぽん!
「私はチョキ、貴様はグー。悔しいが私の負けだ。早くトイレ行け」
「扉を誰かさんが壊したから直す。それまで待て」
「了解した。それでは私は扉の向こうで待つとしよう」
「おう、待ってろ――って、おい!」
「どちらかが引かねばこの戦いは終わらぬぞ。だから、貴様が引け」
「何故そうなる」
「漏れそうだから」
「俺はまだ漏れそうではない、そうか、なら仕方がない」
「感謝する。この恩はトイレを流した時に一緒に忘れるよ」
「忘れないでくれ」
「いいや、忘れるね」
「この分からず屋!」
白鳥勇次郎、貴様には捨て台詞がお似合いだ。
何故なら便意は確かに催しているが、全く以って漏れそうではないからである。
高笑いしたくなる気持ちを抑え、便座を上げズボンを下ろし便器に座る。
扉の鍵を閉め、これにて完全勝利。
拳を天に突き上げた。
「あれ、白鳥何してんの、そこ清掃中じゃねぇぞ」
「あ、空いてるわ、ここ」
外から白鳥と誰かの声が聞えた。
何!? 清掃中じゃないの!?
え、空いてるの、そこ。
嘘はいけないよ、嘘は。
ちょっと待てよ、空いているのか、そこ。
扉を壊して、じゃんけんに負けてまで、わざと漏れそうとか言ったりしたのに、全ては無駄だったのか。
込み上げる虚無感に耐え切れなくなった私は、天に向かって声を漏らした。
「恥ずかしいッッ!! ぬか喜びじゃねぇかッッッ!!!」




