『忘れられた加護』
「この無礼……一生かけて償います……。」
「いや、本当にそこまでしなくていいから!」
「いえ!」
ジュリアンは涙を拭いながら、もう一度深々と頭を下げた。
「今日のことは生涯忘れません!」
「僕もたぶん忘れないけど……。」
「ロウ様!」
「様!?」
さっきまで散々「落ちこぼれ」「無能」と呼んでいた男とは思えない変わりようだった。
その後もジュリアンは何度も頭を下げ、最後には従者たちに両脇を支えられるようにして酒場の表へと戻っていった。
どうやら足に力が入らないらしい。
「…………。」
ロウは、その後ろ姿を見送った。
「やりすぎたかなぁ……。」
「今さらだな。」
隣にいたザルヒが呆れたように息を吐く。
「あいつ、完全に心折れてたぞ。」
「でも、傷は一つも残してないですよ?」
「そういう問題じゃない。」
「そうなの?」
「そうだ。」
ロウはよく分からないまま首を傾げた。
その時だった。
「……ロウ。」
「はい?」
ナルドの声。
先ほどまでジュリアンを見て腹を抱えて笑っていたナルドが、珍しく真顔でロウを見ていた。
「お前。」
「はい。」
「今の、どこで覚えた?」
「今の?」
「最後に飛ばしたやつだ。」
「ああ。」
ロウは自分の口元へ指を当てる。
「骨ですか?」
「そうだ。」
「ええと……。」
聞かれて。
ロウは記憶を辿った。
あれを使ったのはいつだっただろう。
空の大陸では、あまりにも多くの魔物と戦った。
戦い方も。
生き残る方法も。
必要に迫られるたび、次々と身につけていった。
だから。
どこで覚えたのかと聞かれても、すぐには出てこない。
「うーん……。」
「…………。」
「ゴッドフロッグがたくさんいたところだったような……。」
「ゴッドフロッグ?」
「はい。」
「池があったんですよ。ものすごく大きな。」
ナルドの眉が動いた。
「池?」
「はい。でも名前が……。」
ロウは腕を組んだ。
「なんだっけなぁ。」
「周りに変な青い草がいっぱい生えてて、夜になると水が光って……。」
「…………。」
ナルドが少し考える。
そして。
「《天蝕の大池》か?」
「あっ!」
ロウが手を叩いた。
「それです!」
「…………。」
「天蝕の大池!」
「お前、あそこに行ったのか?」
「行きましたよ。」
「一人で?」
「はい。」
ナルドは何も言わずロウを見た。
「それで?」
「その時、たまたまだと思うんですけど、ゴッドフロッグが大量発生してたみたいで。」
「大量発生?」
「はい。」
「どれくらいだ。」
「うーん……。」
ロウは記憶を辿った。
「千三百体くらいだったかなぁ。」
「…………。」
ナルドの動きが止まった。
「何体?」
「千三百くらいです。」
「それを?」
「倒しました。」
「お前が?」
「はい。」
「全部?」
「はい。」
「…………。」
数秒。
ナルドは黙っていた。
そして。
「ぶぅわははははははははー!!」
「えぇ!?」
突然、腹を抱えて笑い始めた。
「なんですか!?」
「千三百!」
「千三百体!」
「ぶぅわはははははー!」
「そんな笑うところあります!?」
「あるわ!」
ナルドは目元を拭いながらロウを見る。
「お前なぁ!」
「ゴッドフロッグがどんな魔物か分かってんのか?」
「カエルですよね?」
「ぶぅわははははははははー!!」
「なんで!?」
「見た目の話じゃねぇ!」
ナルドは笑いすぎて息を整えると、呆れたように頭を掻いた。
「いいか、ロウ。」
「はい。」
「あいつはな。」
ニヤリと笑う。
「一体でレベル1050を超える個体だぞ。」
「…………。」
ロウの表情が止まった。
「え?」
「しかも《天蝕の大池》に棲んでる奴らは、ゴッドフロッグの中でも上位個体だ。」
「…………。」
「それを。」
ナルドが指を一本立てる。
「千三百体?」
「…………。」
「ぶぅわははははははははー!!」
「そんなに強かったんですか!?」
「そんなに強ぇよ!」
「でも、あの時すごくいっぱいいたんですよ。」
「数の話をしてんじゃねぇ!」
「えぇ……。」
ザルヒは二人の会話を黙って聞いていた。
レベル1050。
一体で。
それを千三百体。
先ほどまで自慢げに「レベル65」と語っていたジュリアンの姿が頭をよぎる。
「…………。」
ザルヒは何も言わないことにした。
「それで?」
ナルドが話を戻す。
「そこで、さっきのを覚えたのか?」
「ああ、そうです。」
ロウはようやく思い出したように頷いた。
「最初は普通に倒してたんですけど。」
その言葉と共に。
ロウの意識が、また空にいた過去へと戻っていく。
◇◇◇
――空の大陸。
《天蝕の大池》。
巨大な池の周囲を。
無数の影が埋め尽くしていた。
『ゲロォォォォォォッ!!』
『ゲロッ! ゲロォォッ!!』
『ゲロロロロロロッ!!』
「多いなぁ……。」
まだ幼さの残るロウが。
泥だらけになりながら立っていた。
前にも。
後ろにも。
右にも。
左にも。
ゴッドフロッグ。
人間の何倍もの大きさを持つ巨大な蛙が、池の周囲を埋め尽くしている。
すでに。
足元には何百体もの死骸が転がっていた。
「あと何体いるんだろ……。」
その瞬間。
『ゲロォォォ!!』
一体のゴッドフロッグが飛びかかってくる。
「よっと。」
ドンッ!!
ロウの拳が頭部へ入る。
巨大な身体が地面へ叩きつけられ、そのまま動かなくなった。
続けて。
もう一体。
さらに一体。
次から次へと襲いかかってくる。
「八百九十七……。」
ドンッ!
「八百九十八……。」
バゴンッ!
「八百九十九……。」
ズドォン!!
「九百……。」
ゴッドフロッグが倒れる。
その時だった。
────────────────
【第一スキル『成長』】
【発動しました】
────────────────
「ん?」
ロウの前に。
新たな文字が浮かび上がる。
────────────────
【特殊成長を確認】
【戦闘適応能力が一定値を超えました】
────────────────
「特殊成長……?」
さらに。
文字が続く。
────────────────
【加護技】
【『ゴッドタン』】
【会得しました】
────────────────
「ゴッド……タン?」
ロウは首を傾げた。
その間にも。
『ゲロォォォォッ!!』
ゴッドフロッグが飛び込んでくる。
「わっ!」
ロウは咄嗟に地面へ落ちていた小石を拾った。
だが。
両手は泥と魔物の血で滑る。
「…………。」
ロウは何となく。
小石を口へ入れた。
そして。
「ぷっ。」
次の瞬間。
――ドンッ!!!!
『ゲ――』
ゴッドフロッグの頭部が。
消えた。
「…………。」
ロウが固まる。
「え?」
少し離れたところにいた別のゴッドフロッグまで。
身体の半分を吹き飛ばされ、そのまま倒れた。
「…………。」
ロウは。
自分の口を見る。
「これ?」
地面から。
もう一つ小石を拾う。
口へ入れる。
「ぷっ。」
ズドォォォォォン!!!!
三体。
まとめて吹き飛んだ。
「…………。」
ロウの目が輝く。
「楽だ。」
そこからだった。
「ぷっ。」
ドンッ!!
「ぷっ。」
ズドン!!
「ぷっ。」
バゴォォォン!!
『ゲロォォォォォ!?』
ゴッドフロッグたちが。
次々と倒れていく。
拳で殴る必要もない。
近づく必要すらない。
小石。
木の実の種。
魔物の骨。
口に入る大きさなら。
何でもよかった。
「これ便利だなぁ。」
そして。
それから数時間。
ロウは。
ゴッドフロッグを倒し続けた。
◇◇◇
「――って感じだったと思います。」
「…………。」
現在。
ナルドは。
何とも言えない顔でロウを見ていた。
「それで千三百体まで?」
「はい。」
「途中から全部それで?」
「全部じゃないですよ。」
「…………。」
「最初の九百体くらいは、ちゃんと殴ってました。」
「そこじゃねぇよ!」
「えぇ!?」
「ぶぅわははははははははー!!」
ナルドの笑い声が空き地へ響く。
「じゃあ何か!」
「さっきジュリアンをズタズタにしたのは、スキルでも魔法でもなく!」
「昔覚えたその《ゴッドタン》ってやつか!」
「そうみたいです。」
「そうみたいって!」
「だって。」
ロウは少し困ったように笑った。
「それ以来、一度も使ってなかったので。」
「…………。」
ナルドが止まる。
「一度も?」
「はい…」
「忘れてたのか?」
「ほとんど。」
「…………。」
ナルドが額を押さえた。
「ぶぅわはは……。」
今度は。
笑うというより、呆れていた。
「お前は本当に……。」
ナルドが何かを言いかける。
その横で。
ザルヒは、先ほどジュリアンが立っていた場所を見つめていた。
そこには。
ナルドが食べていた骨付き肉の骨が。
地面へ深々と突き刺さっている。
「…………。」
あれほどの惨状を見せた攻撃。
ジュリアンが死を覚悟するほどの一撃。
それは。
特別な必殺技として磨き上げたものではなかった。
空の大陸で。
生き残るために戦い続けたロウが。
九百を超える怪物を倒した末に得た技。
そして。
会得してから一度も使われることなく。
本人にすら忘れられていた――。
忘れられた加護だった。
「――ロウ坊ちゃま!!」
「…………!」
突然。
聞き覚えのある声が飛んできた。
ロウが振り返る。
酒場の脇から。
一人の男がこちらへ走ってきていた。
年齢は五十代ほど。
白髪の混じった髪を綺麗に後ろへ撫でつけ、黒を基調とした執事服を身につけている。
「あれ?」
「アルフレッド?」
男の名は。
アルフレッド・バーンズ。
ジグルザルソン公爵家に長年仕える執事長だった。
「ロウ坊ちゃま!」
「久しぶり!」
「いや、今はそれどころでは――」
そこまで言って。
アルフレッドが咳払いする。
「……失礼いたしました。」
五年前の癖が出たことに気づいたらしい。
「ロウ様。」
「別に坊ちゃまでいいのに。」
「なりません。」
「そう?」
「はい。」
きっぱりと言ったあと。
アルフレッドは珍しく息を切らしながら、ロウへ詰め寄った。
「至急、お屋敷へお戻りください。」
「屋敷に?」
「はい。」
「何かあったの?」
「…………。」
アルフレッドは一度呼吸を整える。
そして。
「先ほど。」
「…………?」
「お屋敷へ、一人の女性がお見えになりました。」
「女性?」
「はい。」
アルフレッドの表情には。
未だに信じられないものを見たような色が残っていた。
「その方は。」
一拍。
「空の大陸から生還したと仰っています。」
「…………!」
ロウの目が見開かれる。
「そして。」
アルフレッドは続けた。
「ロウ様に会わせてほしい、と。至急お戻り下さい!」




