「混沌超過」
「骸の主を倒したのは、ロウだ。」
「…………。」
酒場の空気が完全に止まった。
ジュリアンも動かない。
ロウは少し困ったように頬を掻き、ナルドだけが何事もなかったように次の肉へ手を伸ばしていた。
「…………は?」
しばらくして、ジュリアンの口から小さな声が漏れた。
だが。
次の瞬間。
「は……はは。」
ジュリアンは笑い出した。
「何を言い出すかと思えば。」
そして、その笑い声は次第に大きくなっていく。
「ははははは! 骸の主を!? こいつが!?」
「ジュリアン。」
「信じられるわけがないだろう!」
ジュリアンはロウとザルヒを交互に指差した。
「お前ら、気でも触れたのか!?」
「…………。」
ザルヒの眉が僅かに動く。
「なら。」
「?」
「戦ってみろ。」
「…………。」
ジュリアンの笑いが止まった。
「何?」
「そこまで信じられないなら、自分で確かめればいい。」
ザルヒはロウを見る。
「ロウと戦ってみろ。」
「…………。」
「ぷっ。」
その瞬間。
ナルドが吹き出した。
「やめとけ、やめとけ。」
骨付き肉を片手に、楽しそうに笑う。
「どぅわははははー!」
「…………。」
ロウがナルドを見る。
「ナルドさん。」
「なんだ?」
「なんか地上に来てから、ちょっとキャラ変わってません?」
「飯が美味いからな。」
「関係あります?」
「ある。」
「そうなんだ……。」
「ふざけるな!」
ジュリアンがテーブルを叩いた。
「やるに決まっているだろう!」
「え?」
「一瞬で片を付けてやる!」
ジュリアンは酒場の奥を指差した。
「この店の裏には広い空き地がある。そこでやるぞ!」
「今すぐにだ!」
「…………。」
ロウはザルヒを見る。
ザルヒは無言で頷いた。
「いいんですか?」
「一度痛い目を見た方がいい。」
「おい、ロウ。」
ナルドが声をかける。
「はい?」
「一万分の一の力でな。」
「…………。」
ロウが目をぱちぱちさせる。
「いや、それもうほとんど何もしてないのと同じですよ?」
「だから言ってんだ。」
「どぅわははははー!」
「?」
ジュリアンだけが、意味が分からないという顔をしていた。
◇◇◇
酒場の裏。
そこには荷馬車が何台も停められるほどの、広い空き地があった。
向かい合うロウとジュリアン。
少し離れた場所では、ナルドとザルヒがその様子を見ている。
「ロウ。」
「うん?」
ジュリアンが余裕の笑みを浮かべた。
「始める前に教えておいてやる。」
「何を?」
「僕のレベルだ。」
ジュリアンは胸を張った。
「――65。」
「…………。」
「どうだ?」
「うん。」
「驚いたか?」
「…………。」
ロウが困る。
どう答えるのが正解なのか分からない。
「その顔。」
ジュリアンは勝手に納得した。
「声も出ないようだな。」
「いや……。」
「僕は同世代では王国でも指折りの実力者だ。」
ジュリアンは右手を前へ出す。
「落ちこぼれのお前には、一生見ることのない領域だろう。」
「…………。」
後ろで。
「ぷっ。」
ナルドが吹き出した。
「…………。」
「何だ?」
「いや。」
ナルドは顔を背ける。
「続けろ。」
「どぅわっ……。」
「笑ってるだろ!」
「笑ってねぇ。」
「笑ってる!」
「早くやれ。」
「くっ……!」
ジュリアンはロウへ向き直った。
「いいだろう。」
その背中から。
何かが飛び出した。
ギチ……。
ギチギチ……。
白い。
二本の巨大な牙。
「落ちぶれの無能なお前に、特別に教えてやる。」
ジュリアンの口元が吊り上がる。
「僕の第一スキルは――上級スキル【毒牙】!」
次の瞬間。
ジュリアンが消えた。
「死んでも恨むなよ!」
ロウの目前へ現れる。
「まあ!」
「五年前にお前は死んでいたはずなんだがなぁ!!」
二本の毒牙が。
ロウの首元へ突き刺さった。
ガンッ!!
「――!」
そのままジュリアンは止まらない。
「第二スキル!」
両手を地面へ向ける。
「【風柱】!!」
ゴォォォォォォッ!!
細長く圧縮された風の柱が地面から噴き上がり、ロウの身体を呑み込んだ。
土煙が舞う。
だが。
「まだだ!」
ジュリアンが地面を蹴る。
「最後のスキル――」
右腕が大きく膨れ上がった。
「【鈍打】ァァァ!!」
ドゴォォォォン!!!!
拳がロウの胸へ直撃する。
地面が大きく抉れ、土煙が一気に空き地を覆った。
「はぁ……。」
「はぁ……。」
ジュリアンが荒い息を吐く。
「…………。」
少し離れた場所では。
ナルドが口元を押さえていた。
「ぷっ。」
「…………。」
「何じゃ、そのスキル。」
ニヤッ。
「どぅわははははー!」
「ナルド殿。」
ザルヒが小声で言った。
「彼は本気です。」
「あ?」
「あれで、自分が王国でも相当強いと思っています。」
「…………。」
「そして今も。」
ザルヒは土煙を見る。
「何一つ疑うことなく、ロウを倒したと思っているかと。」
「…………。」
ナルドがジュリアンを見る。
そして。
「どぅわはははははー!!」
腹を抱えた。
「おい、ロウ!」
土煙の向こうへ叫ぶ。
「死んでもいいが、二回までだ!」
「ブホッ……!」
「…………は?」
ザルヒがナルドを見る。
土煙の中から。
「はぁい。」
ロウの声が返ってきた。
「…………は?」
今度は。
ジュリアンが固まった。
だが。
すぐに笑う。
「……ふ。」
「最後の声か。」
肩で息をしながら、ジュリアンは土煙の中に立つ人影を見る。
動かない。
「立ったまま逝くとはな。」
ジュリアンは得意げに髪をかき上げた。
「最後だけは褒めて――」
「ックション!」
「…………。」
土煙の中から。
大きなくしゃみが聞こえた。
「…………。」
ジュリアンの手が止まる。
「なに?」
風が吹く。
土煙が少しずつ晴れていく。
そこには。
「うぅ……。」
鼻を擦っているロウがいた。
「埃すごいな……。」
「…………。」
無傷。
服すら。
ほとんど乱れていない。
「…………な。」
ジュリアンの口が開く。
「なに……?」
「ん?」
「なんで……。」
ロウが首を傾げる。
「死んだのに……。」
「死んでないよ?」
「くしゃみ……。」
「埃が入ったから。」
「…………。」
ジュリアンの顔から。
血の気が引いていく。
「まだやる?」
「…………。」
「まだやるなら。」
ロウは困ったように笑った。
「いいよ。」
「…………。」
「嘘だ。」
ジュリアンの身体が震える。
「そんなわけ……。」
「ジュリアン?」
「幻想だ!」
ジュリアンが叫ぶ。
「そうだ!」
「何かの幻覚を見せているんだ!」
「…………。」
「だったら!」
地面を蹴る。
「もう一度殺せばいい!!」
「死ねぇぇぇぇぇぇぇ!!」
ジュリアンが。
真正面からロウへ突撃する。
「…………。」
ロウは動かなかった。
ただ。
口を僅かに動かした。
「プッッ」
何かが。
飛んだ。
ジュリアンには。
何も見えなかった。
ザルヒにも。
見えなかった。
ただ一人。
ナルドだけが。
それを目で追っていた。
「…………。」
ナルドが。
手元を見る。
さっきまで持っていた骨付き肉。
「おい!!」
ロウを見る。
「食わないとか言っておいて、ちゃっかり食ってんじゃねえか!」
「…………。」
ロウが目を逸らした。
その時。
「…………え?」
ジュリアンが止まった。
身体に。
一本の線が走っている。
肩から。
胸。
腹へ。
斜めに。
赤い線が。
ゆっくりと。
広がった。
「…………。」
ジュリアンが。
自分の身体を見る。
「な……。」
次の瞬間。
ブシュゥゥゥゥゥッ!!!!
大量の血が噴き出した。
「…………っ!」
身体が。
裂けていく。
まるで。
巨大な龍の爪で引き裂かれたように。
上半身と下半身が。
今にも二つへ分かれそうになっていた。
「な……。」
ジュリアンの膝が崩れる。
「なにが……。」
地面へ倒れる。
「おき……た……。」
痛い。
熱い。
いや。
もう。
痛みすら遠くなっていく。
「死ぬ……?」
地面へ。
自分の血が広がっていく。
「温かい……。」
指先から。
力が抜けていく。
視界が暗くなる。
「ぼくは……。」
声が出ない。
「ジュリ……。」
息が。
「ヴ……ディス……。」
できない。
嫌だ。
死にたくない。
まだ。
僕は――。
その時。
遠のく意識の中で。
声が聞こえた。
『――混沌超過』
「…………。」
漆黒の闇が。
ジュリアンを包み込んだ。
光が消える。
音も消える。
何も見えない。
何も聞こえない。
ただ。
闇だけが。
どこまでも広がっていく。
――死んだ。
そう思った。
自分は。
確かに死んだ。
なのに。
「……ごめん。」
「…………?」
声がした。
「ちょっとやりすぎたかも。」
「…………。」
ゆっくり。
目を開く。
「…………え?」
青空。
空き地。
酒場。
そして。
目の前には。
ロウが立っていた。
「立てる?」
ロウが。
こちらへ手を差し出している。
「…………。」
ジュリアンは。
自分の身体を見る。
ある。
腕も。
足も。
胴体も。
傷一つ。
ない。
「…………。」
なのに。
覚えている。
身体が裂けた感覚を。
血が流れ出す感覚を。
身体から熱が失われていく感覚を。
死ぬ瞬間を。
全部。
「…………っ。」
ジュリアンの目から。
涙が溢れた。
「ジュリアン?」
「…………。」
震える手で。
ロウの手を掴む。
「……参りました。」
「…………。」
ジュリアンは。
初めて。
ロウへ頭を下げた。
「この無礼……。」
声が震える。
「一生かけて……償います……。」
「…………。」
ロウは困った。
「いや。」
「そこまでしなくても……。」
「一生かけて償います!!…涙」
「えぇ!?」
少し離れた場所で。
ナルドが腹を抱えた。
「どぅわはははははー!!」
「完全に心折れてんじゃねぇか!」
「ロウ!」
「はい?」
「一万分の一の力でなって言っただろうが!」
「ちゃんと一万分の一くらいでしたよ!」
「どこがだ!」
「どぅわはははははー!!」
ザルヒだけが。
「…………。」
笑っていなかった。
ロウを見る。
そして。
今しがたジュリアンに何が起きたのか。
理解できないまま。
小さく呟いた。
「……何だったんだ。」
「あれ……。もしかして……」




