『久しぶりの王都を散策』
第五十三話 五年ぶりの王都
――それから数日。
ロウは一人、王都の大通りを歩いていた。
地上へ帰ってきてからというもの、あまりにも多くのことが一度に起きた。
家族との再会。
幼馴染たちとの再会。
王城で聞いた、五年前には知ることのできなかった話。
そして、つい昨日の食堂で起きた一件。
「…………。」
ロウは軽く首を振った。
食堂のことは、しばらく考えないことにしよう。
「それにしても……変わったなぁ。」
改めて周囲を見渡す。
ここは五年前にも何度となく歩いた道だ。
大通りには馬車が行き交い、その両脇には商店や露店が立ち並んでいる。
景色そのものは、記憶の中にある王都と大きく変わってはいない。
けれど、よく見れば少しずつ違っていた。
昔は小さな店だった場所が大きくなっていたり、見覚えのない建物が増えていたり。
逆に、子供の頃によく立ち寄っていた店がなくなっている場所もある。
たった五年。
それでも。
ロウが知らない時間は、この街にも確かに流れていた。
「あら……?」
不意に声をかけられ、ロウが振り向く。
道端の露店で果物を並べていた老婆が、こちらをじっと見つめていた。
「もしかして……ロウ坊ちゃんかい?」
「…………!」
その顔を見た瞬間、ロウの記憶が蘇る。
「おばさん!」
「やっぱり!」
老婆は目を大きく見開き、店先から身を乗り出した。
「まあまあ……本当に帰ってきたのかい! 噂にはなってたけど、あたしゃ信じられなくてねぇ!」
「あはは……僕もまだ、帰ってきたって実感があんまりなくて。」
「大きくなったねぇ。昔はあんなに小さかったのに。」
「五年経ちましたから。」
「そうかい……五年かい。」
老婆は懐かしそうにロウの顔を見つめ、何度も嬉しそうに頷いた。
そこからだった。
大通りを歩いていると、少しずつロウへ声をかける者が増えていった。
「おい……ロウか?」
「あっ!」
昔、父に連れられて何度か入った道具屋の主人。
「ロウ坊ちゃん!? 本当に!?」
子供の頃によくパンを買った店の女性。
「お前さん……生きてたのか。」
幼い頃、ゴードたちと遊んでいた広場を掃除していた老人。
最初は誰もが信じられないような顔をした。
けれど、ロウだと分かると、驚いて、笑って、中には目に涙を浮かべる者までいた。
ロウもそのたびに足を止めた。
少しだけ昔の話をして。
今のことを聞かれて。
また歩き出す。
そうしているうちに、自然と笑顔になっていた。
「……やっぱり、帰ってきたんだな。」
空の大陸にいた五年間。
何度も夢に見た王都は、いつも五年前のままだった。
同じ道。
同じ店。
同じ人たち。
けれど現実は違う。
街も、人も、少しずつ変わっている。
それでも。
自分を覚えてくれている人たちがいる。
それだけで、胸の奥が温かくなった。
そのまま大通りを歩いていた時だった。
「……ん?」
何気なく横を向いたロウの足が止まる。
通り沿いに建つ、一軒の酒場。
昼時ということもあって、中は多くの客で賑わっていた。
その店内の奥。
一人だけ。
妙に見覚えのある大男が座っている。
「…………。」
ロウは目を細めた。
見間違えるはずがない。
「ナルドさん?」
酒場へ入り、その男へ近づく。
「ナルドさん!」
「ん?」
呼ばれた男が顔を上げる。
やはり。
ナルドだった。
「おお、ロウか。」
「何してるんですか?」
「見れば分かるだろ。」
ナルドはそう言うと、手に持っていた骨付き肉へ豪快にかぶりついた。
「飯だ。」
「いや、それは分かりますけど……。」
ロウの視線が、ナルドの前へ向く。
「…………。」
思わず絶句した。
空になった皿が、尋常ではない数積み上がっていた。
肉料理。
魚料理。
パン。
煮込み料理。
果物。
すでにどれだけ食べたのか分からない。
それなのに。
今も店員が、新しい料理を次々と運んできている。
「ナルドさん。」
「なんだ?」
「何人分食べたんですか?」
「知らん。」
「知らないんですか!?」
「いちいち数えるか。」
ナルドは当然のように答え、次の皿へ手を伸ばす。
「しかし、地上の飯というのは美味いな。」
「そんなにですか?」
「ああ。」
ナルドは口いっぱいに肉を頬張りながら、満足そうに頷いた。
「美味すぎる。」
そして。
「もう空には戻れんな。」
「ちょっと待ってください!」
ロウが思わず身を乗り出した。
「ナルドさん、空の管理者ですよね!?」
「どぅわははははー!」
「笑い事じゃないですよ!」
「冗談だ。」
「……本当に?」
「たぶんな。」
「たぶん!?」
ナルドはまったく気にする様子もなく、今度は大きな魚へ手を伸ばした。
「まあいいじゃないか。いくら食っても、王が全部保証してくれるってんだからな。」
「…………。」
ロウは山積みになった皿を見る。
次に、料理を運び続けている店員を見る。
最後に、幸せそうに食べ続ける師匠を見た。
「すっかり地上を満喫してるんですね……。」
「悪いか?」
「悪くはないですけど。」
「なら、お前も食え。」
「僕は大丈夫です。」
「そうか。なら俺が食う。」
「僕の分って最初からないですよね?」
「どぅわははははー!」
ロウは呆れながらも、どこか嬉しかった。
空の大陸で出会った時。
ナルドは巨大な黒金竜だった。
初めて人の姿を見た時でさえ、どこか近寄り難い雰囲気があった。
それが今では。
昼間から王都の酒場で、大量の料理を前に笑っている。
「…………。」
ロウも小さく笑った。
ナルドも。
地上へ来てよかったのかもしれない。
そう思った――その時だった。
「――貴様!」
突然、酒場の中に大きな声が響いた。
「?」
ロウが振り返る。
入口に、一人の少年が立っていた。
年齢はロウと同じくらい。
仕立ての良い服を身につけ、髪も綺麗に整えられている。
その後ろには、数人の従者まで控えていた。
どう見ても、平民ではない。
少年はロウを見るなり、険しい表情でこちらへ歩いてくる。
「貴様……ロウだな?」
「…………。」
ロウは相手の顔を見る。
どこかで見たことがある。
あるのだが。
「……誰だっけ。」
「なっ!?」
少年の顔が一瞬で真っ赤になった。
「き、貴様! この僕を忘れたというのか!?」
「ごめん。」
「謝ればいいという問題ではない!」
ロウはもう一度、記憶を探る。
しかし。
出てこない。
「…………誰?」
「ロウ!!」
酒場中に怒声が響いた。
「僕だ! ジュリアン・ヴァルディスだ!」
「ヴァルディス……。」
その家名を聞いて、ようやく記憶が繋がった。
「あ。」
ヴァルディス公爵家。
ジグルザルソン家と同じく、王国でも有数の力を持つ公爵家。
そして、その五男。
「ジュリアン。」
「ようやく思い出したか!」
「久しぶり。」
「久しぶり、ではない!」
「?」
何が気に入らないのか。
ジュリアンはさらに顔を赤くし、ロウへ指を突きつけた。
「貴様! なぜ地上にいる!」
その言葉に。
ロウの表情が僅かに止まった。
「なんでって……帰ってきたからだけど。」
「帰ってきただと?」
ジュリアンが鼻で笑う。
「そんなことがあるものか!」
その声に、周囲の客たちも何事かと二人へ視線を向け始める。
「五年前、貴様は授与の儀で一つしかスキルを得られなかった! そして、その日のうちに空へ送られたはずだ!」
「うん。」
「ならば、なぜここにいる!」
「だから帰って――」
「空へ送られた者が帰ってこられるわけがないだろう!」
「…………。」
ロウは困った。
帰ってきたのだから。
帰ってきたとしか言いようがない。
だが、ジュリアンは何かに気づいたように目を見開いた。
「まさか……。」
「?」
「貴様、逃げたな?」
「……何から?」
「空送りからに決まっている!」
「え?」
「そうか。そういうことだったのか!」
一人で納得し始めたジュリアンは、勝ち誇ったように笑った。
「五年前、空へ送られる直前に逃亡した。そして、どこかに身を隠しながら五年間逃げ回っていたのだろう!」
「いや、ちゃんと空にいたけど。」
「嘘をつけ!」
「本当だよ。」
「なら証明してみろ!」
「証明……?」
ロウは首を傾げた。
どうやって。
空の大陸に五年間いたことを証明すればいいのだろう。
その時。
「ふっ。」
小さな笑い声が聞こえた。
ロウが横を見る。
ナルドだった。
食事の手を止め、ジュリアンを見ながら口元を緩めている。
ジュリアンも、その笑い声に気づいた。
「……貴様。」
「ん?」
「何を笑っている。」
「いや、別に。」
ナルドはそう答えながらも、明らかに笑っていた。
それが余計に癇に障ったのだろう。
「何がおかしい!」
「…………。」
「この平民のおっさんが!」
「…………。」
ロウの顔が引きつった。
ナルドは一瞬だけ目を丸くし。
次の瞬間。
「どぅわははははー!」
腹を抱えて笑い始めた。
「な、何がおかしい!」
「いや、すまんすまん。」
ナルドは肩を震わせながら笑い続ける。
「平民のおっさん……か。」
「どぅわははははー!」
「貴様ぁ!」
「ナルドさん……。」
ロウは思わず頭を抱えた。
まずい。
怒るかと思ったら。
思った以上に喜んでいる。
その時だった。
「――ジュリアン。」
酒場の入口から、別の声が飛んだ。
「あぁ?」
ジュリアンが苛立った様子で振り返る。
「誰だ? 僕を呼び捨てにするのは――」
そこまで言って。
表情が変わった。
「あ!」
そこに立っていた人物を見て、ジュリアンの顔が明るくなる。
「ザルヒじゃないか!」
「…………。」
「ちょうどいいところに来た!」
ザルヒは答えない。
何やら険しい表情で、こちらを見ている。
だが。
ジュリアンは気づかない。
「ザルヒ! お前も見てくれ!」
そう言って。
ロウを指差した。
「こいつだ!」
「五年前に空送りになった落ちこぼれが、なぜか地上にいるんだ!」
「きっと空へ送られる前に逃げ出して、五年間どこかに隠れて――」
「おい、ジュリアン。」
「ん?」
ザルヒの声が低かった。
「なんだよ。」
「お前。」
ザルヒは一度ロウを見る。
そして。
呆れたように息を吐いた。
「何も分かってないぞ。」
「…………は?」
ジュリアンの笑顔が消える。
「何がだ?」
「そのままの意味だ。」
ザルヒは店内へ入ると、ロウの隣までやってきた。
「お前は今、ロウが五年間どこかに隠れていたと言ったな。」
「ああ。」
「空送りから逃げたとも。」
「当然だろう。」
ジュリアンは鼻を鳴らした。
「空へ送られた人間が、地上へ戻ってこられるわけがない。だから、こいつがここにいる理由なんて一つしか――」
「帰ってきたんだよ。」
「…………。」
「は?」
ザルヒは淡々と言った。
「ロウは本当に空の大陸へ送られた。」
そして。
「そこから帰ってきた。」
「…………。」
ジュリアンは数秒固まったあと、乾いた笑いを漏らした。
「はは……何を言ってるんだ、ザルヒ。」
「お前までこいつの嘘に付き合うのか?」
「嘘じゃない。」
「あり得ない!」
「俺もそう思ってた。」
「なら!」
「少し前まではな。」
「…………?」
ジュリアンの眉が寄る。
ザルヒは少しだけロウへ視線を向けた。
「だが、今は違う。」
「どういう意味だ。」
「その前に一つ聞く。」
「なんだ?」
ザルヒはロウを指した。
「お前、こいつのことを何て言った?」
「?」
「落ちこぼれだろ。」
「…………。」
「五年間逃げ回ってた役立たず。」
ザルヒは深く息を吐いた。
「お前、本当に何も知らないんだな。」
「だから何がだ!」
「お前が知っているロウは、五年前のロウだ。」
「…………。」
「それが何だというんだ。」
「五年経って少し強くなったから、落ちこぼれじゃないとでも言いたいのか?」
「少し?」
ザルヒの動きが止まった。
その言葉を聞いたナルドも。
「ぶっ……。」
堪えきれず吹き出した。
「どぅわははははー!」
「また笑ったな!」
「いやぁ、すまん。」
ナルドは口元を拭いながら楽しそうに笑う。
「お前さん、本当に面白いな。」
「誰がお前さんだ!」
「どぅわははははー!」
「この平民が!」
その瞬間。
ザルヒの表情が止まった。
「……ジュリアン。」
「なんだ!」
「お前、今この人のこと何て言った?」
「?」
ジュリアンはナルドを見る。
「平民のおっさんだが?」
「…………。」
ザルヒが。
ゆっくりと片手で顔を覆った。
「……終わった。」
「何が!?」
「いや、もういい。」
「何がもういいんだ!」
ザルヒは今度はナルドを見る。
「すみません。」
「ん?」
「こいつ、本当に何も知らないんです。」
「見れば分かる。」
ナルドは楽しそうに笑った。
「別に気にしちゃいねぇよ。」
「どぅわははははー!」
「ほら!」
ジュリアンが勝ち誇る。
「本人も気にしていないではないか!」
「そういう問題じゃない!」
「なら何なんだ!」
「だからお前は何も分かってないって言ってるんだ!」
「さっきからそればかりじゃないか!」
とうとう苛立ちを隠さなくなったジュリアンは、ロウを指差した。
「だったら教えろ!」
「この落ちこぼれの何がそんなに違うんだ!」
その言葉で。
店内が少しだけ静かになった。
ザルヒも、今度は笑わなかった。
「分かった。」
「何だ。」
「教えてやるよ。」
ザルヒはジュリアンを真っ直ぐ見る。
「先日。」
「王都に何が現れたか知ってるか?」
「……先日?」
ジュリアンが眉を寄せる。
「骸の主だろう。」
「ああ。」
「王都中で騒ぎになっていた。僕も聞いた。」
「なら。」
ザルヒの声が少し低くなる。
「誰が倒したかは?」
「…………。」
ジュリアンは首を傾げた。
「知らん。」
「王国騎士団か?」
「違う。」
「王直属の騎士か?」
「違う。」
「なら誰だ。」
「…………。」
ザルヒは。
ゆっくりとロウを見る。
「こいつだよ。」
「…………。」
「は?」
「骸の主を倒したのは。」
一拍。
「ロウだ。」
「…………。」
酒場の空気が。
完全に止まった。
ジュリアンも動かない。
ロウは少し困ったように頬を掻く。
ナルドだけが。
何事もないように次の肉へ手を伸ばしていた。
「…………。」
「…………。」
そして。
「……は?」
ジュリアンの口から。
ようやく。
小さな声が漏れた。




