『三日後の真実』
――三日後。
ジグルザルソン公爵邸。
夜。
夕食を終えたロウは、父に呼ばれ、屋敷の奥にある一室へ向かっていた。
五年前までは。
父の書斎として使われていた部屋。
扉の前で立ち止まる。
「…………。」
ロウは小さく息を吐いた。
三日前。
この家へ帰ってきた夜。
父――ロドリゴ・ジグルザルソンは言った。
話さなければならないことがある、と。
五年前。
ロウが空の大陸へ送られた日のこと。
あの日。
家族に何が起きていたのか。
そして。
なぜ兄――マル・ジグルザルソンだけが、授与の儀に姿を見せなかったのか。
コンコン。
「ロウです。」
「入れ。」
父の声。
扉を開ける。
「…………。」
中には。
三人がいた。
父。
ロドリゴ・ジグルザルソン。
母。
そして。
兄――マル・ジグルザルソン。
全員がすでに席についていた。
「座れ、ロウ。」
「はい。」
ロウは父の向かいへ腰を下ろす。
机の上には。
一冊の古びた書類。
そして。
王家の紋章が刻まれた封書が置かれていた。
「それは……?」
「五年前のものだ。」
「五年前?」
「ああ。」
ロドリゴは封書へ手を置いた。
「お前が授与の儀を受ける前日、王家からジグルザルソン家へ届けられたものだ。」
「…………。」
ロウの視線が封書へ落ちる。
「僕が授与の儀を受ける……前日?」
「ああ。」
「どうして……?」
ロウの眉が寄る。
「だって、僕がスキルを一つしか持ってないって分かったのは、授与の儀の時ですよね?」
「…………。」
ロドリゴは答えなかった。
その沈黙に。
ロウは何かを感じ取る。
「父さん?」
「ロウ。」
ロドリゴは息を吐いた。
「まず、お前に謝らなければならない。」
「……?」
「五年前。」
「私は――お前が空へ送られることを、授与の儀の前から知っていた。」
「…………。」
ロウの表情が止まった。
「……え?」
「正確には、前日の夜だ。」
「…………。」
「この封書が届いた時に知った。」
ロウは。
すぐには言葉を返せなかった。
「……待って。」
封書を見る。
「それ、おかしくない?」
「ああ。」
「だって。」
「授与の儀でスキルを確認する前に……。」
一拍。
「なんで僕が空送りになるって分かってたの?」
「…………。」
ロドリゴは。
しばらく息子を見つめたあと。
静かに告げた。
「授与の儀で、初めて判明するわけではないからだ。」
「…………え?」
「空送りの対象となる子供は、その前にすでに判別されている。」
ロウの瞳が揺れた。
「……どういうこと?」
「文字通りだ。」
「じゃあ……。」
ロウの声が僅かに低くなる。
「あの授与の儀は?」
「…………。」
父は答えない。
だが。
その表情だけで。
ロウには分かってしまった。
「まさか。」
「そうだ。」
ロドリゴの拳がゆっくりと握られる。
「あの儀式そのものに、空送りの対象者を選別する意味はない。」
「…………。」
「対象者はすでに決まっている。」
「そして対象となった子供の家族にだけ、前日の夜、王家から通達が届く。」
「じゃあ……。」
ロウは呟いた。
「あの日。」
「僕がみんなの前でスキルを授かったのは……。」
「世に知らせるためだ。」
「…………。」
「その者が一つしかスキルを持たないこと。」
「そして。」
「空送りの対象となったことを。」
「公の場で示すための儀式だ。」
ロウは何も言わなかった。
十歳のあの日。
大勢の人間が見ていた。
自分のスキルが一つしか現れなかった瞬間を。
周囲から向けられた視線。
ざわめき。
そして。
告げられた空送り。
「……じゃあ。」
ロウは小さく笑った。
「全部、決まってたんだ。」
「…………。」
「僕があそこに立つ前から。」
「ああ。」
「僕が何を言っても。」
「父さんたちが何を言っても。」
「最初から……。」
ロウは。
そこで言葉を止めた。
「茶番だったんだ。」
誰も否定しなかった。
「…………。」
静寂が落ちる。
やがて。
ロドリゴが口を開いた。
「前日の夜。」
「この命令書が届いてから、私はすぐに王家へ掛け合った。」
ロウが顔を上げる。
「父さんが?」
「ああ。」
「対象から外すよう求めた。」
「ジグルザルソン家の名も使った。」
「公爵家当主として持つ権限も、人脈も、使えるものは使った。」
「…………。」
「だが。」
ロドリゴの目が伏せられる。
「覆らなかった。」
「……どうして?」
「王命だったからだ。」
「それだけじゃない。」
そこで。
初めてマルが口を開いた。
「空送りに関する決定は、現在の王一人の意思で覆せるものではない。」
「兄さん?」
「五百年前から続いている制度だからだ。」
ロウは黙って兄を見る。
「詳しい成り立ちは、陛下から聞いたんだろう?」
「……うん。」
「なら、そこは省く。」
マルは淡々と続けた。
「重要なのは、父上が前日に王家へ掛け合っても、どうにもならなかったということだ。」
「…………。」
「だから別の手段も探した。」
ロウの目が僅かに動く。
「別の手段?」
「ああ。」
「空送りそのものを止められないなら、制度の例外がないか。」
「過去に対象から外された者はいないか。」
「王家以外に、この決定へ干渉できる者はいないか。」
「記録を調べた。」
「人にも会った。」
「…………。」
マルの話し方は。
どこまでも淡々としていた。
まるで。
五年前の出来事を。
ただ事実として並べているだけのように。
「でも。」
ロウは気づく。
「それって……。」
マルを見る。
「兄さんも?」
「…………。」
「あの日。」
「授与の儀にいなかったのって……。」
「そうだ。」
短い答えだった。
「前日の夜に命令書が届いたあと、俺は王都を出た。」
「…………。」
「過去の記録に、一つだけ確認したいものがあった。」
「確認したいもの?」
「ああ。」
「もし記録に残っていた話が事実なら、お前を空へ送らずに済む可能性があった。」
「…………!」
「だから確かめに行った。」
「どこへ?」
マルは少しだけ黙った。
「王都から離れた場所だ。」
「…………。」
「だが。」
一拍。
「間に合わなかった。」
「…………。」
「俺が戻った時には。」
マルの声が。
ほんの僅かに低くなる。
「お前は、もう空へ送られた後だった。」
ロウは。
何も言えなかった。
五年前。
ずっと疑問だった。
父もいた。
母もいた。
なのに。
兄だけがいなかった。
子供だった自分は。
その理由を一つしか思いつけなかった。
――兄は、自分に興味がないんだ。
そう思った。
だから。
空へ送られたあとも。
何度か思い出した。
死にそうになった時も。
毒に苦しんだ時も。
どうして兄は。
あの日。
来てくれなかったんだろう、と。
「……兄さん。」
「なんだ。」
「僕。」
ロウは少しだけ笑った。
「兄さんは僕に興味ないんだと思ってた。」
「…………。」
マルの表情が止まる。
「授与の儀にも来なかったから。」
「僕がスキルを何個もらうのかも。」
「どんなスキルをもらうのかも。」
「別に興味ないんだって。」
「…………。」
マルは。
何も言わなかった。
ただ。
握られた拳だけが。
僅かに震えていた。
その時だった。
「ロウ。」
母が静かに口を開いた。
「……母さん?」
「それだけは違いますよ。」
「…………。」
「マルは。」
母は。
隣に座る長男を見た。
「ずっと、あなたを心配していました。」
「母上。」
「いいでしょう。」
母は静かに首を振った。
「もう五年も経ったのですから。」
「…………。」
「あの夜。」
母はロウを見る。
「王家から命令書が届いてから、一番取り乱したのはマルでした。」
「…………え?」
ロウが兄を見る。
マルは何も言わない。
「自分が必ず何とかすると。」
「何度もそう言って。」
「家に残っていた記録を片っ端から調べて。」
「夜が明ける前に屋敷を飛び出していきました。」
「…………。」
「授与の儀が始まる時間になっても戻らなかった。」
「あなたが空へ送られたあとも。」
「…………。」
母の声が少し震える。
「戻ってきませんでした。」
「……え?」
「マルが帰ってきたのは、翌日の朝です。」
「…………。」
ロウは。
兄を見る。
「兄さん……。」
「やめろ、母上。」
マルはそれだけ言った。
「結果として、何もできなかった。」
「それが全てだ。」
「…………。」
「お前を空へ送らせない方法は見つからなかった。」
「間に合いもしなかった。」
「だから。」
一拍。
「俺が何をしていたかなど、どうでもいい。」
「…………。」
ロウは。
兄の顔を見つめた。
五年間。
ずっと胸の奥に残っていた。
――兄は来てくれなかった。
その記憶が。
音を立てて。
形を変えていく。
「……そっか。」
ロウは。
小さく呟いた。
「そうだったんだ。」
マルは答えなかった。
ただ。
僅かに視線を逸らした。
その横顔を。
ロウはしばらく見つめていた。
やがて。
机の上の古びた書類へ視線を戻す。
「父さん。」
「なんだ。」
「一つだけ聞いてもいい?」
「ああ。」
「王様から。」
ロウは言った。
「一つしかスキルを持たない子供を空へ送る理由は聞きました。」
「ゼロスと同じ条件を持つ者を、地上へ残さないため。」
「…………。」
「でも。」
ロウの目が細くなる。
「だったら、どうして空なんですか?」
部屋の空気が。
変わった。
「…………。」
「危険だと思うなら。」
「監視することだってできる。」
「閉じ込めることだってできる。」
「もっと酷い方法だってある。」
「なのに。」
「わざわざ空の大陸へ送る。」
「…………。」
「空には魔物がいる。」
「毒もある。」
「地上よりずっと危険だけど。」
「絶対に死ぬわけじゃない。」
ロウは。
自分自身を指した。
「僕みたいに。」
「生き残る人間もいる。」
「…………。」
「それどころか。」
ロウの声が低くなる。
「空は、生き残れば強くなる場所だ。」
ロドリゴの目が僅かに動いた。
「それって。」
一拍。
「危険な人間を排除する方法としては、おかしくないですか?」
「…………。」
誰も答えない。
ロウは。
父を見る。
「父さん。」
「どうして空なんですか?」
「…………。」
長い沈黙。
そして。
ロドリゴは静かに息を吐いた。
「分からない。」
「…………え?」
「正確には。」
ロドリゴは言い直す。
「我々も、明確な答えを持っていない。」
「…………。」
「何も知らないわけではない。」
「五百年前から残されている記録もある。」
「ジグルザルソン家だからこそ伝えられてきた話もある。」
「だが。」
ロドリゴは古びた書類へ目を落とした。
「どれも断片的だ。」
「…………。」
「事実なのか。」
「当時の者たちの推測なのか。」
「意図的に残された偽りなのか。」
「それすら判断できないものもある。」
「だから。」
ロドリゴは。
ロウを真っ直ぐ見た。
「今ここで、それをお前に話すつもりはない。」
「…………。」
「なぜ?」
「混乱させるだけだからだ。」
即答だった。
「お前は空から帰ってきた。」
「我々が五百年間、書物の上でしか知らなかった場所から。」
「ならば。」
「不確かな記録をお前へ教え、それを事実だと思わせるべきではない。」
「…………。」
「私が話せるのは。」
一拍。
「確実に分かっていることだけだ。」
ロウは。
しばらく父を見つめた。
やがて。
「……分かりました。」
小さく頷く。
そして。
もう一度。
机の上を見る。
王家から届いた封書。
五百年前から残る記録。
あの日。
自分が何も知らずに立っていた授与の儀。
その前日の夜には。
すでに。
すべてが決まっていた。
父は王家へ向かい。
兄は屋敷を飛び出し。
母は。
帰ってこない二人を待ちながら。
十歳の息子の傍にいた。
そして翌日。
何も知らない自分だけが。
あの場所へ立った。
「…………。」
ロウは。
静かに拳を握った。
五年前の真実は。
自分が思っていたものとは。
五年前の真実は。
自分が思っていたものとは。
まるで違っていた……。
「…………。」
しばらく。
誰も何も言わなかった。
重く沈んでいた空気が。
ようやく少しだけ落ち着き始めた。
その時だった。
「ところで、ロウよ。」
「……はい?」
ロドリゴが。
まるで今思い出したかのように口を開いた。
「二日前。」
「友人たちと食堂へ行ったそうだな?」
「…………。」
ロウの身体が。
ピクリと止まった。
「は、はい……。」
「そうか。」
「…………。」
嫌な予感がした。
ものすごく。
「その食堂から連絡があった。」
「…………!」
ロウの背筋が伸びる。
ロドリゴは。
先ほどまでとまったく変わらない落ち着いた声で続けた。
「食堂を壊滅させたとの報告を受けてな。」
「…………。」
「私がすべて対応しておいた。」
「…………。」
ロウは。
ゆっくりと頭を下げた。
「……申し訳ありません。」
母が僅かに首を傾げる。
マルも。
初めて怪訝そうな顔をした。
「壊滅?」
「食堂を?」
「…………。」
ロウは。
顔を上げられなかった。
あの日。
食堂で起きたこと。
それは――。




