『変わる歴史』
「……ジグルザルソン?」
エレノアの表情が変わった。
「お兄ちゃん、その名前……私、知ってる。」
「ロウを?」
「違う。その家名を知ってるの。」
エレノアは少し考えるように視線を落とした。
「マル・ジグルザルソン。王直属特務騎士団《天秤》の団長。私たちが王国側の動きを調べる中で、何度も名前が出てきた人物よ。」
「マル……?」
「知らない?」
「いや。ロウから兄貴がいるって話は聞いたことがある。ただ、名前までは聞いてなかったな。」
「なら、その人がおそらくロウのお兄さんよ。ジグルザルソン公爵家の長男だから。」
「なるほどな。」
ジェフは腕を組んだ。
「ロウの兄貴が王直属の騎士団長か。」
「しかも、かなり厄介な人。」
「強いのか?」
「強い。それだけじゃない。王からの信頼も厚いし、判断も早い。私たち反空送り勢力からすれば、できれば正面からぶつかりたくない相手の一人。」
「へぇ。」
ジェフの口元が上がった。
「ロウの兄貴なら、一度会ってみてぇな。」
「……その言い方、喧嘩しに行く人みたいだからやめて。」
「しねぇよ。」
そう答えながら。
ジェフはふと、あることを思い出した。
「そういや。」
「なに?」
「昨日、ここへ戻ってくる途中で見えただろ。」
「何が?」
「あれだよ。」
ジェフが夜空を指差す。
「空から地上まで伸びてた、馬鹿みてぇにでかい光。」
「ああ……。」
エレノアも思い出した。
子供たちを連れ、旧邸宅へ向かっていた道中。
遥か遠く。
王都がある方角だった。
雲を貫き。
空と大地を一本に繋ぐような巨大な光の柱。
「見たけど……すぐ消えたし、今はそれどころじゃなかったから。」
「まあ、そうだろうな。」
「お兄ちゃんは気になったの?」
「気になったっつーか。」
ジェフは頭を掻く。
「あれ見た瞬間、分かった。」
「何が?」
「また誰か降りてきた。」
「…………え?」
エレノアの表情が止まった。
「ちょっと待って。空から?」
「ああ。」
「なんでそんな大事なこと今まで黙ってたの!?」
「それどころじゃなかっただろ。お前ら殺し合ってたし。」
「それは……そうだけど!」
「それにな。」
ジェフの表情が少しだけ変わった。
「あの光だけなら、俺も誰が降りてきたかまでは分からなかった。」
「じゃあ、どうして分かったの?」
「魔気だ。」
「魔気……?」
「ああ。」
ジェフは鼻を鳴らした。
「隠す気があるのかねぇのか知らんが、遠く離れてても分かるくらいダダ漏れだった。」
「そんなに……?」
「普通なら分からん。」
ジェフは苦笑した。
「だが、俺はあいつと何度か一緒に戦ったことがある。」
「……知り合いなの?」
「ああ。」
ジェフの脳裏に。
空の大陸での光景が蘇る。
巨大な魔獣の群れ。
崩れ落ちる大地。
その中心で。
まるで散歩でもしているかのように立っていた男。
「ナルド。」
「ナルド……?」
「空で何度か共闘した仲間だ。」
ジェフは少し嫌そうに鼻を鳴らす。
「あの野郎の魔気は忘れようがねぇ。近くにいるだけで背中がムズムズするっつーか……妙にまとわりつくんだよ。」
「それ、仲間に対する説明?」
「仲間だから分かるんだよ。」
ジェフは夜空を見上げた。
「ナルド特有の、あの嫌な魔気だった。」
「じゃあ……。」
エレノアが息を呑む。
「そのナルドって人も、地上に?」
「たぶんな。」
「…………。」
エレノアは黙り込んだ。
兄が十三年ぶりに帰還した。
それだけでも。
世界を揺るがすほどの出来事だと思っていた。
だが。
違う。
兄だけではない。
「……お兄ちゃん。」
「ん?」
「空から帰ってきた人って、いったい何人いるの?」
「俺が把握してる限りなら。」
ジェフは指を折る。
「俺を含めて――四人。」
「四人……。」
「ああ。」
たった四人。
だが。
今まで。
その数はずっと――ゼロだった。
五百年もの間。
空へ送られた者は戻らない。
それが。
地上の常識だった。
「ゼロだったものが、四人になった。」
ジェフが呟く。
「しかも、ほとんど同じ時期にな。」
「…………。」
「偶然じゃねぇ。」
ジェフには分かっていた。
何かが変わった。
いや。
変えた者がいる。
「もう動き出してるんだ。」
「何が?」
「全部だよ。」
ジェフは空を見上げた。
「地上じゃ、空送りされた奴は死ぬと思われてた。」
「空じゃ、地上へ戻るなんて無理だと思われてた。」
「どっちも、それが当たり前だった。」
「…………。」
「でも。」
ジェフは笑った。
「もう違う。」
空から。
人が帰ってきた。
一人ではない。
そして。
これから先も。
増えるかもしれない。
「地上と空。」
「五百年も別々だった二つの世界の考え方そのものが、変わり始めてる。」
エレノアは黙って兄の横顔を見ていた。
「歴史が動くぞ、エレノア。」
「……歴史。」
「ああ。」
ジェフは。
あの少年を思い浮かべる。
常識外れの速度で強くなり。
空の大陸そのものへ影響を与え。
ついには。
閉ざされていた地上への道まで揺るがした少年。
「全部…」
ジェフは静かに笑った。
「ロウが変えたんだ。」




