『反逆者エレノア』
「本当に……ジェフリー坊ちゃんなのですか……?」
老ドワーフの震える声に、ジェフはしばらく何も言えなかった。
白くなった髭。
深く刻まれた皺。
少し丸くなった背中。
十三年前の姿とは、あまりにも違う。
それでも。
声を聞けば分かる。
鍛冶場で何度も怒鳴られた。
石炭を運ぶのが遅いと尻を叩かれた。
父ゴルドラックが不在の時には、代わりに鍛冶の基礎を教えてくれたこともある。
「……まさか。」
ジェフの口元がゆっくりと緩んだ。
「バルド爺か?」
「…………っ。」
老ドワーフ――バルドの瞳が大きく見開かれる。
「覚えて……おられたのですか……。」
「当たり前だろ。ガキの頃、親父の次くらいに怒鳴られたんだから忘れるわけねぇよ。髭が真っ白になって、一瞬分からなかったけどな」
「ジェフリー坊ちゃん……。」
バルドは震える足で近づいてくる。
そして。
ジェフの腕に触れた。
確かめるように。
何度も。
「……生きている。」
「ああ。」
「本当に……生きておられる……。」
「見りゃ分かるだろ。」
「十三年……。」
バルドの目から涙が溢れた。
「十三年ですぞ……。」
「…………。」
「皆、もう……二度と帰ってこられないものだと……。」
ジェフは少しだけ目を伏せた。
「まあ……普通はそう思うよな。」
「坊ちゃん……。」
「でも、帰ってきた。」
ジェフは笑った。
「遅くなったけどな。」
「…………っ。」
バルドは何度も頷いた。
その様子を見ていた若い店員たちは、完全に言葉を失っていた。
空送りから生還した者。
しかも。
それがアルマン家の長男。
目の前にいる男が、十三年前に消えたはずのジェフリー・フォン・アルマン本人なのだと。
ようやく理解し始めていた。
「……場所を変えよう。」
バルドは涙を拭いながら言った。
「ここでは落ち着いて話もできません。奥へ来てくだされ。十三年分……話さねばならぬことが、あまりにも多い。」
「そうだな。」
ジェフは頷いた。
「俺も聞きたいことが山ほどある。」
◇◇◇
商会の奥。
客の入らない小さな応接室。
ジェフは椅子へ腰を下ろしていた。
向かいにはバルド。
机の上には熱い茶が置かれている。
「しかし……。」
バルドは何度見ても信じられないといった様子でジェフを眺めていた。
「本当に大きくなられましたな。最後に見た時は、まだこんなに小さかったというのに。」
手で十歳当時の高さを示す。
「そりゃ十三年経ってるからな。いつまでも十歳のままだったら、それはそれで怖ぇだろ。」
「はは……それもそうですな。」
ほんの少し。
昔の空気が戻る。
ジェフは茶を一口飲むと、すぐに本題へ入った。
「で。」
「はい。」
「親父のこと、詳しく聞かせてくれ。」
「ゴルドラック様ですな。」
「ああ。さっき若い奴から、今はヴァルガルズ闘皇国にいるって聞いた。店もとんでもなくデカくなってるし、会長なんて呼ばれてるし……俺がいねぇ間に何があった?」
バルドは少しだけ笑った。
「何があった、と聞かれますと……ゴルドラック様が、ただ止まらなかった。それだけなのかもしれません。」
「止まらなかった?」
「坊ちゃんが空へ送られた後も、ゴルドラック様は槌を振るい続けました。以前にも増して。朝から晩まで。それこそ、身体を壊すのではないかと思うほどに。」
「……親父が。」
「はい。ですが、三年ほど経った頃から、この国そのものが大きく変わり始めました。大開発が始まり、武具需要が急増し、他国との取引も一気に増えた。その流れに乗った、という言い方では足りませんな。」
バルドは少し誇らしげに続ける。
「ゴルドラック様は、自ら流れを作った側です。」
「へぇ。」
「職人を増やし、弟子を育て、工房を拡張し、鉱石の仕入れ経路を広げた。さらに国外へ販売所まで持つようになった。今ではアルマン鍛造商会は、アイゼン・ヴァルトを代表する商会の一つです。」
「……マジかよ。」
「マジです。」
「ガハハハ! 親父らしくねぇようで、妙に親父らしいな!」
ジェフは笑った。
「昔から鍛冶だけじゃなく、商売も妙に上手かったからな。客が何欲しがってるか、俺より先に全部分かってやがった。」
「その才が、十三年で大きく花開いたのでしょう。」
「なるほどな……。」
ジェフは満足そうに頷いた。
「じゃあ、親父は元気なんだな。」
「はい。少なくとも私が最後に会った時は。」
「いつだ?」
「半年ほど前です。」
「十分だ。」
ジェフは安堵したように背もたれへ身体を預けた。
「生きてて、元気で、それならまずはいい。」
そして。
少し間を置く。
「じゃあ……母ちゃんは?」
「…………。」
バルドの表情が少し曇った。
ジェフはそれを見逃さない。
「知らないのか?」
「申し訳ありません。奥様については、私も現在の居場所までは把握しておりません。」
「親父と一緒じゃないのか?」
「少なくとも、ずっとヴァルガルズにおられるわけではないようです。数年前まではこちらにもいらっしゃいましたが、その後は各地を行き来されていると聞いております。ゴルドラック様なら、詳しい居場所をご存じかと。」
「そうか。」
ジェフは少しだけ残念そうにした。
けれど。
「まあ、親父に会えば分かるならいい。」
そして。
何気なく。
「じゃあエレノアは?」
「…………。」
空気が変わった。
ジェフの眉が動く。
「ん?」
バルドが黙っている。
「どうした?」
「…………。」
「バルド爺。」
「はい。」
「エレノアはどこにいる。」
バルドは、すぐに答えなかった。
その沈黙が。
ジェフには妙に引っかかった。
「……おい。」
声が少し低くなる。
「まさか、死んだとか言わねぇよな。」
「違います。」
バルドはすぐに否定した。
「なら何だ。」
「生きております。」
「だったらいいじゃねぇか。何でそんな顔してんだよ。」
「坊ちゃん。」
バルドはジェフを真っ直ぐ見た。
「エレノア様が今、何をされているか……本当にご存じないのですね。」
「知るわけねぇだろ。十三年空にいたんだぞ。」
「…………。」
バルドは大きく息を吐いた。
「では……どこから話すべきか。」
「何だよ、その言い方。」
ジェフは腕を組んだ。
「俺が知ってるエレノアは、泣き虫で、俺の後ろばっかついてきて、ちょっと転んだだけで大騒ぎするガキだぞ。今じゃ二十一だろ? 結婚でもしたか?」
「しておりません。」
「じゃあ鍛冶師か? 親父の血引いてるし、案外そっち行ったか?」
「違います。」
「じゃあ何してんだ。」
バルドは答えない。
ジェフの笑みが消えていく。
「……バルド爺。」
「はい。」
「いいから言え。」
短い言葉だった。
だが。
バルドはそれで覚悟を決めたようだった。
「エレノア様は……坊ちゃんが空へ送られた日から、国を許しておりませんでした。」
「…………。」
「当時はまだ八歳です。それでも、なぜ兄が連れて行かれるのか、なぜ誰も止めないのか、何度も大人たちへ食ってかかっておられました。」
「エレノアが……?」
「成長されてからも、その考えは変わらなかった。むしろ強くなっていきました。」
バルドの声が重くなる。
「空送りの歴史を調べ、同じように家族を失った者たちと接触し、各国で制度に反対する者たちと繋がりを持つようになった。」
「…………。」
「最初は、ただの抗議活動だったと聞いております。」
「最初は?」
「はい。」
嫌な言葉だった。
「なら今は?」
バルドはゆっくりと答えた。
「武装しております。」
「…………は?」
「空送り対象となった子供を強制的に連行する部隊へ介入し、子供たちを逃がす。捕らえられた反対派を奪還する。時には国の騎士団と剣を交えることもある。」
「ちょ、ちょっと待て。」
ジェフが手を上げた。
「それ……エレノアが?」
「はい。」
「あの?」
「はい。」
「俺の妹の?」
「はい。」
「…………。」
ジェフはしばらく固まっていた。
「……ガハ。」
一度、笑いが漏れる。
「ガハハハハハ!!」
突然。
腹を抱えて笑い始めた。
「嘘だろ! あのエレノアが!? ガハハハ! 国の騎士相手に剣振り回してんのか!? あいつ、ガキの頃は虫一匹で泣いてたぞ!」
「坊ちゃん。」
「いや、だってよ! 想像できねぇだろ! 十三年ってすげぇな! 俺がいねぇ間に妹がとんでもねぇことになって――」
「ジェフリー坊ちゃん。」
バルドの声が。
強くなった。
ジェフの笑いが止まる。
「……なんだ。」
「笑い事ではありません。」
「…………。」
バルドは目を伏せる。
「エレノア様は今、三国すべてから追われております。」
「…………。」
「空送り制度の完全撤廃を掲げる者たち、その武装勢力を率いる存在として。」
ジェフの表情が消えた。
「率いる……?」
「はい。」
「下っ端とかじゃなく?」
「違います。」
「じゃあ……。」
バルドは静かに告げる。
「団長です。」
「…………。」
「三国にまたがって存在する反空送り組織。その中核を担う武装騎士団を率いる一人。」
そして。
さらに。
「エレノア・フォン・アルマンは現在――」
一拍。
「三国から、反逆者として指名手配されています。」
「…………。」
ジェフは何も言わなかった。
先ほどまで笑っていた男とは思えないほど。
静かだった。
「……反逆者。」
「はい。」
「エレノアが。」
「はい。」
ジェフは椅子の背へ深く身体を預けた。
天井を見る。
「…………。」
八歳だった。
自分の後ろをついてきた。
泣き虫だった。
その妹が。
十三年間。
兄を奪った制度と戦っていた。
「……そうか。」
ようやく。
ジェフが口を開く。
「俺がいなくなった後。」
「…………。」
「あいつ、ずっと戦ってたのか。」
バルドは何も答えない。
ジェフの手が。
静かに握られる。
「……馬鹿だな。」
怒っているのか。
嬉しいのか。
悲しいのか。
本人にもまだ分からなかった。
「俺一人のために……十三年も。」
「坊ちゃん。」
バルドが顔を上げる。
「それについてですが。」
「ん?」
「一つ、訂正しなければなりません。」
ジェフが眉を寄せる。
「訂正?」
「エレノア様は。」
バルドはゆっくりと首を横へ振った。
「もう、坊ちゃん一人のためだけに戦っているのではありません。」
「…………。」
「現在のエレノア様は、これから空へ送られる子供たち全員を救うために戦っております。」
ジェフの目が細くなる。
そして。
バルドは続けた。
「ですが……。」
「なんだ。」
「問題は、それだけではないのです。」
「…………?」
バルドの表情が。
さらに険しくなった。
「つい先日。」
「エレノア様の率いる騎士団について、新たな情報が入りました。」
「情報?」
「はい。」
バルドは、声を潜める。
「次に狙っているのは――」
一拍。
「アイゼン・ヴァルト王国の空送り部隊だと。」
「…………。」
ジェフの眉が動く。
「いつだ。」
「……予定では。」
バルドは答えた。
「今日です。」
「…………。」
次の瞬間。
ジェフリー・フォン・アルマンの姿が。
椅子から消えた。




