『鉄を打たなくなった父』
――《アルマン鍛造商会》。
巨大な看板を見上げたまま、ジェフはしばらく動かなかった。
十三年前。
ここには、もっと小さな鍛冶場があった。
朝から晩まで鉄を打つ音が響き、炉の熱で冬でも汗をかくような場所だった。
その中心には、いつも父がいた。
ゴルドラック・フォン・アルマン。
アイゼン・ヴァルト王国でも三本の指に入ると言われた鍛冶師。
そしてジェフにとっては――ただの、うるさい親父だった。
「……まあ、考えてても仕方ねぇか。店が残ってるってことは、親父のことも何か分かるだろ。もしかしたら奥で今も鉄叩いてるかもしれねぇしな」
ジェフは大きく息を吐き、扉へ手をかけた。
十三年ぶりに。
アルマン家の鍛冶場へ足を踏み入れた。
◇◇◇
「いらっしゃいませ!」
扉を開けた瞬間。
威勢のいい声が飛んできた。
「武具をお探しでしょうか? 当商会では剣、槍、斧、盾、防具まで一通り取り扱っております。既製品だけでなく、素材を持ち込んでいただければ職人による特注も――」
「いや、悪い。武器を買いに来たんじゃねぇんだ」
ジェフは店内を見回しながら答えた。
「人を探してる。ここにいると思って来たんだが……ゴルドラック・フォン・アルマンはいるか?」
「…………」
若い店員が、一瞬固まった。
「ゴルドラック……?」
「ああ。ゴルドラック・フォン・アルマン。ここの主人だろ?」
「…………ああ!」
店員は納得したように頷いた。
「ゴルドラック会長のことでしたか」
「…………」
ジェフの動きが止まった。
「……今、なんつった?」
「はい?」
「いや、その前だ。親父……じゃなくて、ゴルドラックの名前の後に何か付けただろ」
「会長、と申しましたが」
「…………会長?」
「はい。当商会の会長です」
「…………」
数秒。
ジェフは真顔で店員を見つめた。
そして。
「ガハハハハハハハハ!!」
突然、大声で笑い始めた。
周囲にいた客たちが一斉に振り返る。
「か、会長!? あの親父が!? ガハハハハ! 嘘だろ!? 鉄叩くことしか頭になかったあの親父が会長!? 十三年見ねぇ間に何があったんだよ!」
「し、失礼ですが……」
店員は明らかに困惑している。
ジェフは目尻を拭いながら笑った。
「悪い悪い。こっちの話だ。まさかあの男がそんな大層な肩書きになってるとは思わなくてな。それで、ゴルドラックはどこだ? 奥の工房か? 呼んでもらえるなら助かるんだが」
「いえ……」
店員は首を横へ振った。
「ゴルドラック会長は、現在こちらにはおりません」
ジェフの笑いが止まった。
「……いない?」
「はい。会長がアイゼン・ヴァルトの工房へ顔を出すことはありますが、今では滅多にありません。この本店についても工房長や各部門の責任者へほぼ任せております」
「ちょっと待て。親父が……鍛冶場に立ってねぇのか?」
「現在は、ほとんど」
「…………」
父親が会長になっていたことより。
そちらの方が衝撃だった。
「いやいや、あの親父だぞ? 飯食ってる時でも新しい武器のこと考えて、母ちゃんに『食事中くらい仕事の話やめなさい』って怒鳴られてた男だぞ? 熱出して寝込んだ次の日には勝手に鍛冶場行って、俺と母ちゃんで引きずって帰ったことまであるんだぞ?」
「そ、そう言われましても……」
「その親父が鉄を打ってねぇ?」
ジェフは腕を組む。
「十三年って怖ぇな……」
店員は苦笑した。
「もちろん、鍛冶そのものを辞めたわけではありません。重要な依頼品については、現在でも会長自ら槌を振るうことがあると聞いております。ただ、アルマン鍛造商会は十三年前とは規模が違いますので」
「……そんなにデカくなったのか?」
「はい」
店員は少し誇らしげに胸を張った。
「現在ではアイゼン・ヴァルト国内に複数の工房と販売所を構え、国外にも取引先があります。特に高位冒険者や騎士、傭兵向けの武具については、アルマンの名を知らない者の方が少ないでしょう」
「…………」
ジェフは改めて店内を見回した。
壁一面に並ぶ武器。
次々と入ってくる客。
奥では何十人もの職人が働いている。
「……マジかよ」
十三年前。
父と数人の職人で回していた鍛冶場。
それが今では。
巨大な商会になっていた。
「親父……やりやがったな」
ジェフの口元が、自然と緩んだ。
嬉しかった。
自分がいない十三年間。
父親もまた、自分の人生を生きていた。
「それで?」
ジェフは店員へ向き直った。
「今ここにいないなら、親父はどこにいる?」
「現在の主な拠点は、ヴァルガルズ闘皇国です」
「ヴァルガルズ……闘皇国?」
「ご存じありませんか?」
「名前くらいは聞いたことあるような気もするが……十三年前の知識だからな。今どうなってんのかは知らねぇ」
「なるほど……」
店員は少し考えてから説明した。
「ヴァルガルズ闘皇国は、武を何より重んじる国です。戦士、傭兵、冒険者、剣闘士など、強さを求める者たちが各国から集まります。大規模な闘技大会も頻繁に開催されますし、魔獣討伐も盛んです。当然、優れた武具への需要も非常に高い」
「なるほどな。ドワーフの武器を欲しがる奴が山ほどいるってわけか」
「その通りです。アルマン鍛造商会にとっても最大級の市場です。数年前から会長自身があちらへ拠点を移し、現地工房や販売網の指揮を執っております」
「…………」
ジェフは顎髭を撫でた。
「ヴァルガルズ闘皇国、か」
ここへ来れば。
すぐ父親に会えると思っていた。
十三年ぶりに顔を見て。
最初に何を言われるのか。
怒鳴られるか。
殴られるか。
それとも。
何も言わずに抱き締められるのか。
少しくらいは考えていた。
だが。
どうやら。
もう少し先になりそうだった。
「まあ、生きてるって分かっただけでも十分か」
「え?」
「いや、こっちの話だ」
ジェフは笑った。
「元気なんだろ? ゴルドラックは」
「はい。少なくとも、先月こちらへ届いた報告ではお元気だと聞いております。ヴァルガルズでもかなり精力的に活動されているようです」
「そうか」
短い返事だった。
けれど。
その声には安堵があった。
「……よかった」
ジェフが小さく呟く。
十三年間。
一度も確認できなかった。
父親が生きているのか。
母親が生きているのか。
妹が生きているのか。
それすら分からなかった。
ようやく。
一人目だった。
「親父は……生きてんだな」
店員は不思議そうにジェフを見る。
先ほどから。
目の前の男はゴルドラックを当然のように「親父」と呼んでいる。
ついに我慢できなくなったのか。
「あの……先ほどから気になっていたのですが、一つ伺ってもよろしいでしょうか?」
「ん?」
「ゴルドラック会長とは……どのようなご関係なのでしょう?」
「どんなって」
ジェフは目を瞬かせる。
「さっきから親父って言ってんだろ?」
「ですから、それが……」
「親子だよ」
「…………」
店員が固まった。
「……はい?」
「親子。俺が息子で、ゴルドラックが親父。それだけだ」
「ゴルドラック会長の……ご子息?」
「ああ」
「ですが……」
店員はジェフの顔をまじまじと見た。
「会長にご子息がいらっしゃったという話は……」
「まあ、知らなくても無理ねぇか。俺がいなくなったのは十三年前だからな」
「十三年前……?」
「ああ」
ジェフは笑った。
そして。
十三年間。
地上では一度も名乗ることのできなかった名前を口にする。
「ジェフリー」
「…………」
「ジェフリー・フォン・アルマン」
その瞬間だった。
店員の表情が変わった。
「…………え?」
「十歳まで、ここで親父と鉄を叩いてた。まあ、叩いてたっつっても、ほとんど石炭運ばされたり掃除させられたりしてただけだけどな」
ジェフは懐かしそうに奥の工房を見る。
「十三年前、空の大陸へ送られた――ゴルドラック・フォン・アルマンの息子だ」
「…………」
店員の顔から。
ゆっくりと血の気が引いていった。
「……空の、大陸……?」
「ああ」
「十三年前……?」
「だからそう言ってんだろ」
「…………」
店員は何も言えない。
当然だった。
空へ送られた者は。
帰ってこない。
それが地上では常識なのだから。
「そんな……」
店員が掠れた声を漏らした。
「ジェフリー様は……十三年前に……」
「ああ。送られた」
「では……どうして……」
「帰ってきた」
ジェフは簡単に答えた。
「それだけだ」
「…………」
「まあ、その話すると長くなるからな。親父に会った時にでもまとめて――」
その時だった。
――ガシャンッ!!
店の奥から。
何かが床へ落ちる音が響いた。
「ん?」
ジェフが振り返る。
工房へ続く通路。
そこに。
一人の老いたドワーフが立っていた。
手元には。
落としたらしい工具箱。
槌。
鋏。
いくつもの道具が床へ散らばっている。
「…………」
老ドワーフは。
それを拾おうともしなかった。
ただ。
ジェフだけを見ていた。
「どうした?」
ジェフが尋ねる。
返事はない。
「……爺さん?」
老ドワーフの手が。
震えていた。
目が。
大きく見開かれている。
「…………まさか」
掠れた声が漏れた。
「ん?」
老ドワーフは。
一歩。
ジェフへ近づいた。
「そんな……はずが……」
もう一歩。
そして。
ジェフの顔を。
確かめるように見つめる。
「…………」
ジェフも。
その老ドワーフを見返した。
白くなった髭。
深く刻まれた皺。
十三年前とは。
あまりにも姿が変わっている。
けれど――
「……あれ?」
何かが。
記憶の奥に引っかかった。
老ドワーフの唇が震える。
「ジェフリー……?」
「…………」
「本当に……」
声が。
震えた。
「本当に……ジェフリー坊ちゃんなのですか……?」
ジェフの目が。
ゆっくりと見開かれていく。
「…………お前」
十三年前。
父ゴルドラックの鍛冶場で。
何度も聞いた声。
「……まさか」
ジェフは。
ようやく気付いた。
この国へ帰ってから初めて――
十三年前のジェフリー・フォン・アルマンを知る者が、目の前に現れた。




