『十三年後の故郷』
ロウと別れてから、数時間後。
ジェフは一人、街道を歩いていた。
「さて……ロウは王都へ向かったし、俺もそろそろ行くとするか。せっかく十三年ぶりに地上へ戻ってきたんだ。いつまでも人の国をうろついてるわけにもいかねぇからな」
目指す場所は、最初から決まっていた。
――アイゼン・ヴァルト王国。
ジェフリー・フォン・アルマンが生まれ育った、ドワーフたちの国。
十歳で空の大陸へ送られるまで、当たり前のように暮らしていた故郷だった。
「十三年……か」
口にしてみると、思っていたより重い。
「親父も母ちゃんも、さすがに歳食っただろうな。親父なんてまだ鉄叩いてんのか? あの鍛冶馬鹿なら、ジジイになっても炉の前に立ってそうだけどな」
ジェフは小さく笑った。
「エレノアも……今じゃ、もう立派な大人か」
最後に見た妹の姿を思い出す。
何をするにもジェフの後ろをついてきた。
鍛冶場へ行けば自分も行くと言って聞かず、父親に追い返されれば泣きながらジェフへしがみついてきた。
転べば泣く。
喧嘩をすれば泣く。
ジェフが少し遠くへ遊びに行くだけでも、自分も連れていけと騒いだ。
「ガハハハ! あの泣き虫が大人ねぇ。まったく想像できねぇな。どうせ今でも母ちゃんに怒られてんじゃねぇのか?」
豪快な笑い声が街道へ響く。
だが。
しばらくすると、その笑い声も自然と消えた。
「…………」
十三年。
あまりにも長い。
空の大陸では、生きることに必死だった。
今日を生き延びる。
明日も生きる。
魔獣を倒す。
仲間を守る。
少しでも強くなる。
そんな日々を繰り返しているうちに、十三年が過ぎていた。
その間も。
地上の時間は止まっていなかった。
「……まあ、考えてても仕方ねぇか」
ジェフは頭を掻いた。
「会えば分かる。十三年分の話なんざ、そっからすりゃいい」
そして再び歩き始めた。
故郷へ。
十三年間、一度も帰ることのできなかった場所へ。
◇◇◇
数時間後。
「…………」
巨大な城門の前で。
ジェフは立ち尽くしていた。
「…………」
目の前を見る。
そして。
城門の横へ視線を向ける。
そこには巨大な国章が掲げられていた。
二本の槌。
背後にそびえる鉄山。
間違いない。
アイゼン・ヴァルト王国の国章だ。
その下にも、はっきりと国名が刻まれている。
――アイゼン・ヴァルト王国。
「…………」
ジェフはもう一度、目の前を見た。
高くそびえる巨大な城壁。
何重にも重なった防壁。
その上には、見たこともない大型魔導砲が並んでいる。
城門からは大量の荷馬車が絶え間なく出入りし、その中には巨大な鉱石を積んだ輸送車まで混じっていた。
さらに城壁の向こう。
無数の煙突が空へ伸びている。
白煙を吐き続ける巨大炉。
山肌へ食い込むように建てられた工房群。
鉄と石で造られた建物が、山そのものを覆い尽くすほど広がっていた。
「…………」
もう一度、国名を見る。
アイゼン・ヴァルト王国。
都市を見る。
知らない。
国名を見る。
間違いない。
「…………どこだ、ここ」
思わず口から漏れた。
「いやいやいや、待て待て。国章も同じ、名前も同じ。ってことは、ここで合ってんだよな? でも俺の知ってるアイゼン・ヴァルトは、こんな馬鹿でけぇ国じゃなかったぞ。なんだよあの城壁。あんなもんなかっただろ」
ジェフは目を凝らす。
「というか……あそこ山だったよな?」
十三年前。
確かに山だった。
子供の頃、エレノアを連れて遊びに行き、父親に死ぬほど怒られた覚えがある。
その山が。
半分ほど街になっている。
「…………山どこ行った?」
当然、山が消えたわけではない。
街が山肌にまで拡張されているのだ。
「十三年って……そんな変わるもんなのか?」
ジェフは呆然としながら城門を潜った。
◇◇◇
そして。
中へ入った瞬間。
「……おいおい」
さらに言葉を失った。
大通りには巨大な商会が立ち並び。
武具店。
鉱石商。
工房。
魔導具店。
宿屋。
酒場。
十三年前には存在しなかった建物が、見渡す限り続いている。
何より驚いたのは人だった。
「人間……獣人……エルフまでいやがる」
かつてのアイゼン・ヴァルトでは、住民のほとんどがドワーフだった。
他種族が訪れることはあっても珍しく、子供たちが集まって見物するほどだった。
それが今では。
「おい! その鋼剣、ヴァルガルズへ二十本だ!」
「こっちの鉱石は第三工房へ運べ!」
「南部からの商隊が到着したぞ!」
「ミスリルの買い付けなら鉱石取引所へ行ってくれ!」
様々な種族が当たり前のように行き交っている。
ジェフは大通りの真ん中で立ち止まった。
「……俺の知ってる国じゃねぇな、これ」
笑ってはいた。
けれど。
その声には、少しだけ寂しさが混じっていた。
ジェフは歩き始める。
「まあ、建物が変わったくらいで全部忘れるわけねぇだろ。確かこっち行けば、昔住んでた辺りに出るはずだ」
右へ曲がる。
「この先に酒場があって、その隣が肉屋で……」
角を曲がった。
「…………」
巨大な武具商会が建っていた。
「違うな」
戻る。
「じゃあ、一本向こうだったか?」
別の道へ入る。
「この辺に広場が――」
魔導具専門店が並んでいた。
「…………違う」
また戻る。
「いや、待て。じゃああっちか?」
十分後。
「…………」
二十分後。
「…………」
三十分後。
ジェフは腕を組んで立っていた。
「分からん」
完全に迷子だった。
「ガハハハハ! 生まれた国で迷子になる奴なんているか!? 俺くらいだろ!」
自分で笑う。
だが。
歩き続けるうちに。
ジェフの笑顔は、少しずつ消えていった。
「…………」
知らない建物。
知らない道。
知らない店。
そして。
知らない人。
すれ違う顔を、一人ずつ見る。
当然だった。
十三年も経っている。
それでも、どこかで期待していた。
『ジェフ?』
誰か一人くらい。
そう呼んでくれるのではないかと。
けれど。
誰もジェフを見ない。
誰も立ち止まらない。
誰も。
ジェフリー・フォン・アルマンという男を知らなかった。
「…………」
ジェフは露店の前で足を止めた。
「なあ、ちょっと聞いていいか?」
「ん? なんだ?」
「この辺りって、昔は住宅街じゃなかったか? 十三年くらい前なんだが」
「十三年前?」
主人は考え込んだ。
「悪いな。俺がここへ来たのは九年前なんだ。その頃にはもう商業区だったぞ」
「……そうか」
「昔住んでたのか?」
「ああ。まあな」
「だったら年寄りに聞いた方がいいかもしれんぞ。十年くらい前から、この国は一気に変わったからな」
「十年前?」
「ああ。大開発だよ」
主人は街を指差した。
「鉱山を拡張して、巨大炉を造って、街道も整備して、他国との武具交易も一気に増えた。仕事を求めて他国から移住してくる奴も増えたし、昔の住宅区もほとんど建て替えられたって聞いてる」
「……なるほどな」
「今じゃ大陸でも有数の鍛冶国家だ。十三年前を知ってるなら、驚いたろ?」
「驚いたなんてもんじゃねぇよ。国を間違えたと思った」
「ハハハ! そりゃそうだろうな!」
「ありがとな」
ジェフは手を上げ、その場を離れた。
再び一人になる。
「十年前から……か」
自分が空へ送られたのが十三年前。
それから三年後。
故郷は大きく変わり始めた。
「…………」
ジェフは行き交う人々を眺めた。
「そりゃ……そうなるよな」
誰に言うでもなく呟く。
「俺がいなくなったからって、こっちの時間が止まるわけじゃねぇ。十三年ありゃ、国だって変わる。人も変わる。いなくなる奴もいりゃ、新しく来る奴もいる」
空へ送られた時。
ジェフは十歳だった。
知り合いだって多くはない。
父親の鍛冶場と。
家と。
家族。
それが、ジェフの世界のほとんどだった。
「……母ちゃんもエレノアも、どこにいるか分かんねぇしな」
名前を出した瞬間。
少しだけ胸が痛んだ。
だが。
「…………あ」
ジェフの足が止まった。
「そうだ」
顔を上げる。
「何で最初に思い出さなかったんだよ」
家がなくなっていても。
街が変わっていても。
あそこなら。
父親なら。
そう簡単にはなくならないはずだ。
「親父の店」
ジェフはニヤリと笑った。
「ゴルドラック・フォン・アルマン」
アイゼン・ヴァルトでも、三本の指に入ると言われた鍛冶師。
腕だけではなかった。
鉱石の仕入れから武具の販売、弟子の育成、他国との取引まで一人でこなしていた。
ジェフが十歳だった当時から、すでに国でも名の知れた男だった。
「親父のことだ。十三年くらいで店畳むようなタマじゃねぇ。むしろ、あの鍛冶馬鹿なら今でも鉄叩いてるだろ」
ようやく。
ジェフの足取りが軽くなった。
◇◇◇
記憶を頼りに。
ジェフは歩き続けた。
「確か、この辺だったよな」
曲がる。
「…………違う」
戻る。
「じゃあこっちか」
進む。
行き止まり。
「誰だよ、こんなところに建物建てた奴!」
もちろん十三年前にはなかった。
また戻る。
「くそっ。親父の店まで動いてたら、さすがに分からねぇぞ」
それでも探した。
幼い頃の記憶を。
一つずつ辿りながら。
父親と歩いた道。
鉱石を運ばされた道。
エレノアに追いかけ回された道。
母親に買い物を頼まれた道。
ほとんどが変わっていた。
それでも。
ジェフは歩いた。
そして。
何度目かの角を曲がろうとした。
その時だった。
――カァン。
「…………」
足が止まった。
鉄を打つ音。
珍しいものではない。
ここは鍛冶の国。
街中の至るところから聞こえている。
だが。
ジェフは動かなかった。
――カァン。
――カァン。
「…………」
ゆっくりと。
音のする方向へ顔を向ける。
「……まさかな」
一歩。
また一歩。
音を辿る。
やがて大通りへ出た。
そして。
「…………」
ジェフは立ち尽くした。
そこにあったのは。
巨大な建物だった。
三階建ての店舗。
その奥には、いくつもの巨大な工房が連なっている。
煙突からは白煙が立ち昇り。
何十人もの鍛冶師たちが働いている。
店の前には、武具を求める戦士や冒険者が列を作っていた。
荷馬車が次々と鉱石を運び込み。
別の荷馬車には完成した武具が積み込まれていく。
「…………」
知らない。
こんな巨大な店ではなかった。
ジェフが知っているのは。
もっと小さな鍛冶場。
父親が怒鳴りながら鉄を打ち。
自分がその横で石炭を運んでいた。
そんな場所だった。
けれど。
一つだけ。
変わっていないものがあった。
入口の上。
巨大な看板に刻まれた名前。
――《アルマン鍛造商会》。
「…………」
ジェフは。
しばらく動けなかった。
十三年間。
空の大陸で。
何度も思い出した名前だった。
「……あった」
一歩。
前へ出る。
「ガハハ……」
いつもの豪快な笑いにはならなかった。
「まだ……あったじゃねぇか」
知らない国になったと思った。
自分の知っているものなど、何一つ残っていないのかと思った。
だが。
残っていた。
十三年前。
自分が確かにここで生きていたという証が。
ジェフは、巨大になった商会を見上げる。
「……親父」
その顔に。
ゆっくりと笑みが戻った。
「ずいぶんデカくしやがったな」
そして。
ジェフリー・フォン・アルマンは。
十三年ぶりに――
自分の過去を見つけた。




