『空より来た旧友』
王都北門。
そこへ近づくほど、空気は明らかに変わっていった。
街には避難を促す鐘が鳴り響き、武装した騎士たちが次々と北門へ集結している。
「急げ!! 住民を北区画から退避させろ!!」
「魔導師隊は結界の維持を最優先!! 絶対に解除するな!!」
「弓兵は城壁上へ! 対象が姿を現しても、命令があるまで攻撃するな!!」
怒号が飛び交う。
王の姿を確認した騎士たちが、一斉に道を開けた。
「陛下!!」
「現在も魔力反応は増大しております! 発生源は北門上空! ですが、対象の姿を正確に確認できておりません!」
「被害は?」
「まだありません! ですが、これほどの魔力です! いつ何が起きてもおかしくありません!」
「分かった。全員、警戒を維持せよ。余の命令なく攻撃してはならぬ」
「はっ!!」
王の後ろには、ロウ。
そしてザルヒ。
さらに王直属の近衛騎士たちが続いていた。
ロウは歩きながら、空を見上げる。
「……。」
やはり感じる。
地上の魔物とは違う。
もっと濃い。
もっと重い。
肌へまとわりつくような、懐かしい魔力。
「間違いない……。」
ザルヒが横を見る。
「何がだ?」
「この感じ。」
ロウは空から目を逸らさない。
「空の大陸です。向こうでは、これくらい濃い魔気が漂っている場所も珍しくありませんでした」
「これが……珍しくない?」
ザルヒの顔が引きつった。
「お前、本当に五年間どこで暮らしてたんだよ……。」
「空ですけど。」
「そういう意味じゃねぇよ!!」
その時。
城壁の上から声が飛んだ。
「来ます!!」
「北方上空!!」
「何かが急速に接近しています!!」
全員が空を見る。
遠く。
雲の隙間に。
黒い点があった。
それが。
見る見るうちに大きくなっていく。
「総員、構えろ!!」
ザッ!!
数百人の騎士が一斉に武器を構えた。
魔術師たちの周囲には巨大な魔法陣が展開される。
弓兵たちが弦を引く。
「待て!」
王の声が響いた。
「まだ撃つな! 相手の正体を確認するまで、決して手を出すな!」
「しかし陛下! あの魔力量は危険です! 万が一、王都上空へ侵入されれば、我々では防ぎ切れない可能性があります!」
「だからこそだ。正体も分からぬ相手へ先制攻撃を仕掛け、その一撃で敵対されたなら取り返しがつかぬ。構えは解くな。だが、余が命じるまで撃つことは許さん!」
「はっ!!」
黒い影が迫る。
そして。
ズンッ!!
北門の外。
地面が大きく揺れた。
土煙が舞い上がる。
「ぐっ……!」
「何だ、この魔力……!!」
「立っているだけで……身体が……!」
騎士たちの額から汗が流れる。
何人かは武器を握る手を震わせていた。
やがて。
土煙の向こうから、一つの影が現れる。
ゆっくりと。
こちらへ歩いてくる。
王が目を細める。
「……人型?」
ザルヒが剣へ手をかけた。
「ロウ……。」
「ああ。」
だが。
ロウの声だけは、妙に落ち着いていた。
そして。
その人物の姿が、はっきりと見えた瞬間。
ロウの目が大きく見開かれた。
「…………え?」
忘れるはずがない。
あの姿。
あの魔力。
何度も死にかけ。
何度も叩きのめされ。
それでも生きる術を教えてくれた存在。
「……ナルドさん?」
その名を聞いた瞬間。
周囲の騎士たちがロウを見る。
「知っているのか!?」
「ロウ! あれは何者だ!」
だが、ロウには聞こえていなかった。
五年前。
十歳で空の大陸へ送られた自分を。
生き残らせてくれた人。
師匠。
そして。
ナルドもロウを見つけた。
「……。」
ほんの一瞬。
その目が柔らかくなる。
「久しぶりだな、ロウ。」
「……っ。」
ロウの口元が自然と緩んだ。
「本当に……ナルドさんだ。」
「ああ。見れば分かるだろう。」
「いや、だって……。」
ロウは思わず笑った。
「なんで地上にいるんですか!?」
「俺にもよく分からん。」
「分からないんですか!?」
「だから調べに来た。」
ナルドはそう言って、ロウを頭の先から足元まで眺めた。
そして。
少しだけ笑った。
「しかし……強くなったな、ロウ。」
「え?」
「最後に見た時とは別人だ。魔力の密度も、身体も、それに纏っているものも違う。俺の知らんところで随分無茶をしたらしいな。」
「ナルドさんにだけは言われたくないですよ。最初に僕へ毒を食べさせたの誰だと思ってるんですか。」
「食わなければ死んでいただろう。」
「食べても死にかけましたけどね!」
「生きている。なら問題ない。」
「そういうところ全然変わってない……。」
ロウが苦笑する。
だが。
その光景を見ている王国側は。
「…………。」
「…………。」
「…………。」
誰一人として笑えなかった。
ザルヒが恐る恐るロウへ近づく。
「お、おい……ロウ。」
「はい?」
「お前……本当にこいつと知り合いなのか?」
「知り合いというか。」
ロウは少し考える。
「僕の師匠です。」
「師匠!?」
周囲から声が上がった。
「この魔力を持つ者が!?」
「ロウの師匠!?」
「そりゃそうか……いや、そうなのか!?」
ザルヒは頭を抱えた。
「もう何が普通なのか分からなくなってきた……。」
ナルドが眉を寄せる。
「さっきから何を騒いでいる。」
王が一歩前へ出た。
「余はアストラ・エクリプス王国国王である。ナルドと申したな。敵意がないのであれば、まず一つ聞かせてもらいたい。」
「王?」
ナルドは王を眺める。
「地上の王か。」
騎士たちの表情が強張る。
だが王は構わず続けた。
「先ほどから王都で、極めて強大な魔力反応が観測されている。それがお前の出現と同時に始まった。そしてその魔力は、つい先ほど討伐されたある魔獣と、ほぼ同一の反応を示している。」
「魔獣?」
「ああ。」
王の表情が険しくなる。
「骸の主だ。」
「……骸?」
ナルドは首を傾げた。
「知らんな。」
「知らない……?」
「そんな名前の魔獣に心当たりはない。」
王と重臣たちが顔を見合わせる。
「では、なぜ同じ魔力反応が……。」
ナルドも少し考える。
「魔力反応とやらが何を見ているのか知らんが、俺自身の魔力ではないぞ。」
「なに?」
「さっきから俺とは別に妙なものが反応している。地上へ来てから急に騒がしくなった。」
ナルドは自分の身体を軽く見回す。
そして。
「ああ。」
何かを思い出したように呟いた。
「もしかして、これか?」
懐へ手を入れる。
次の瞬間。
ブゥゥゥン――。
「っ!?」
空気が震えた。
城壁に設置されていた魔力観測器が、一斉に激しく明滅する。
「反応増大!!」
「これです!!」
「骸の主と同一反応!!」
「間違いありません!!」
ナルドは眉を上げた。
「これが?」
その掌にあったのは。
小さな黒い物体だった。
石とも。
魔石とも違う。
黒い表面には細かな紋様が刻まれ、その中心で紫黒の光が脈打っている。
まるで。
小さな生き物が呼吸しているように。
「それは……。」
王が息を呑む。
「何なのだ?」
「眷属だ。」
「眷属……?」
「ああ。俺のものではない。」
ナルドは黒い物体を指先で転がした。
「ずいぶん昔に貰ったものだ。」
王の眉が動く。
「いつだ?」
「いつ……。」
ナルドは空を見上げる。
「正確には覚えていないな。俺にとっては昔の話だ。」
少し考え。
「五百年ほど前だったか。」
「…………。」
王の表情が止まった。
「五百……年?」
「ああ。」
ザルヒが口を半開きにする。
「お前……何歳なんだよ……。」
「さあな。」
「さあな!?」
ロウはもう驚かなかった。
空の大陸では、年齢の常識などとうに壊れている。
だが。
王だけは違った。
「五百年前……。」
先ほどまでロウへ語っていた歴史。
その年代と。
あまりにも一致している。
王は一歩前へ出た。
「ナルド。」
「その眷属を、お前へ渡した者は誰だ。」
「ん?」
「名を教えてくれ。」
ナルドは王の異様な表情を見て、わずかに眉を上げる。
「なぜそんなことを気にする。」
「頼む。」
王の声が変わった。
「答えてくれ。」
ロウも王を見る。
先ほどまでとは明らかに様子が違う。
「王様……?」
ナルドは少しだけ考えた。
「別に隠すようなことでもない。」
掌の眷属を見つめる。
「古い友人だ。」
「腐れ縁みたいなものだな。妙な奴で、何を考えているのか分からんことも多かったが、俺とは不思議と気が合った。」
ナルドは懐かしむように、ほんの少し笑った。
「名前は――」
王の喉が鳴る。
ロウもナルドを見つめる。
そして。
ナルドは何の躊躇もなく、その名を口にした。
「ゼロス。」
一拍。
「ゼロス・アポカリュプシスだ。」
「――――っ。」
王の顔から。
血の気が消えた。




