『魔王のはじまり』
ロウの目が、わずかに見開かれた。
「僕と……同じだったんですか?」
「ああ」
王は静かに頷く。
「その者も、お前と同じように、一つしかスキルを授からなかった。授与の儀の日、人々は口々に『落ちぶれ』『出来損ない』と罵り、将来を悲観した。誰一人として、その少年が世界の歴史を塗り替える存在になるなどとは思いもしなかった」
王はゆっくりと玉座へ身を預けた。
「当時、一つしかスキルを持たぬ者を空の大陸へ送る制度は存在しなかった。ただ運が悪かった者として地上で生きていくしかなかったのだ」
「その人は、どうやって強くなったんですか?」
「詳しいことは分からぬ」
王は首を横へ振る。
「残されている記録の多くは失われ、あるいは意図的に処分された。ただ、一つだけ共通して記されていることがある」
「共通していること……?」
「戦えば戦うほど強くなった、ということだ」
ロウは黙って耳を傾ける。
「格上へ挑み、生き延びるたびに力を増した。傷つけば傷つくほど以前より頑強となり、敗れれば敗れるほど次はその相手を上回る。誰も、その成長を止めることができなかった」
王の声が少しずつ重くなる。
「最初は一つの村を救った英雄だった。」
「次は町を守る冒険者となった。」
「やがて国中にその名が知れ渡り、人々は英雄として称え始めた。」
ロウは思わず尋ねる。
「それなら……なぜ世界を支配するようになったんです?」
王は静かに目を閉じる。
「力とは恐ろしいものだ。」
「人は強すぎる力を持てば、それを恐れる者が現れる。」
「そして、恐れた者は必ず排除しようとする。」
「少年も例外ではなかった。」
王は再びロウを見据えた。
「王侯貴族は彼を危険視した。」
「騎士団は監視を始めた。」
「各国は密かに暗殺者を送り込み、魔術師たちは呪いを放ち、ありとあらゆる方法で少年を消そうとした。」
「…………」
「だが、その全てが裏目に出た。」
王は低く告げる。
「少年は襲われるたびに生き延び、そのたびに以前より強くなっていった。」
「討伐隊を送れば、その討伐隊を返り討ちにした。」
「軍を差し向ければ、その軍勢を壊滅させた。」
「国が連合を組めば、その連合軍すら踏み潰した。」
謁見の間の空気が重く沈む。
「気が付けば、誰も彼を止められなくなっていた。」
王は遠い過去を見つめるように語る。
「最初に一国が膝をついた。」
「続いて二国。」
「さらに三国。」
「抵抗を続けた国は滅び、従った国だけが生き残る。」
「その勢いは止まらず、わずか十年で世界の大半がその少年の支配下に置かれた。」
ロウは思わず息を呑む。
「……十年で。」
「ああ。」
王は重く頷いた。
「十歳で出来損ないと呼ばれた少年は、二十歳を迎える頃には世界の大半を支配していた。」
一拍。
「その頃には、もはや誰も彼を本名で呼ぶ者はいなかった。」
王は静かに告げる。
「人々は畏れを込めて、こう呼んだ。」
「――魔王、と。」
その二文字が響いた瞬間、謁見の間の空気が凍りついた。
王はなおも続ける。
「魔王は世界の大半を支配した後も侵攻を止めなかった。逆らう国を滅ぼし、反旗を翻す者を容赦なく処刑し、その恐怖は世界中へ広がっていった。」
「誰もが魔王を恐れた。」
「王は王を疑い、民は隣人を疑い、誰もが魔王の怒りに触れぬよう息を潜めて生きる時代となった。」
「世界そのものが、一人の男への恐怖によって支配されていたのだ。」
ロウは、ゆっくりと息を呑んだ。
「……その支配は、ずっと続いたんですか?」
王は静かに首を横へ振る。
「いや」
その一言に、謁見の間の空気がさらに張り詰める。
「世界中の誰もが、この恐怖は永遠に続くものだと思っていた」
王は遠い過去を見つめるように目を細めた。
「だが――ある日、それは突然終わった」
ロウの喉が小さく鳴る。
「終わった……?」
「ああ」
王はゆっくりと頷いた。
「魔王は、ある日を境に忽然と姿を消したのだ」
その声は、不気味なほど静かだった。
「遺体は見つからなかった。」
「戦った形跡も残されていない。」
「暗殺されたという記録もなければ、病に倒れたという記録もない。」
「城も、軍勢も、財宝も、そのまま残されていた。」
一拍。
「ただ――魔王だけが、この世界から消えた。」
王は静かにロウを見据える。
「そして、その日を境に――」
歴史は、大きく動き始めることになる…。




