『骸の主』
黒い泥と濁った水が空高く吹き上がる。
ゆっくりと。
まるで大地そのものが起き上がるように、一つの巨体が姿を現した。
全身は泥と腐敗した苔に覆われ、長い年月を物語っている。
皮膚はほとんど失われ、剥き出しになった巨大な肋骨と腕の骨が、不気味な音を立てながら軋んでいた。
首から上は、巨大な骸骨。
何本もの折れた角が頭部から伸び、その眼窩の奥では紫色の光が妖しく燃え続けている。
胸の中心には、人間ほどもある禍々しい漆黒の魔核。
鼓動するたびに、湿原全体へ濃密な魔気が放たれた。
ドクン――。
ドクン――。
その一歩だけで。
ズシンッ!!
地面が沈む。
水面は大きく波打ち、周囲の木々が悲鳴を上げるように軋んだ。
まさに。
この湿原を何千年も支配してきた”王”。
――《骸の主》。
「う……。」
護衛の一人が膝をつく。
「立って……いられない……。」
「これが……。」
「骸の主……。」
別の護衛も剣を握る手を震わせた。
「初めて見た……。」
「こんな魔物……存在するのか……。」
ザルヒでさえ息を呑む。
「父上が……。」
「決して近付くなと言っていた理由が……。」
「やっと分かった……。」
骸の主はゆっくりとロウたちを見下ろした。
そして。
骨だけになった顎を、ギギギ……と軋ませながら開く。
ゴォォォォォォォォォォッ!!!!
湿原中の空気が震えるほどの咆哮が響き渡った。
その咆哮だけで、近くにいた魔獣たちは泡を吹き、その場へ倒れていく。
これが主なの?主の手下とかじゃなくて…??ん?
キョトンとするロウ。
「この《骸の湿原》を何千年も支配してきた!」
「最強の主だ!!」
護衛も青ざめながら叫ぶ。
「この一体がいるから!!」
「誰もこの湿原を統治できなかったのです!!」
「王国も!!」
「騎士団も!!」
「ギルドも!!」
「誰も討伐できなかった……!!」
ロウは少し考える。
「へぇ。」
「そんなに強いんだ。」
その瞬間。
ロウの頭の中へ、いつもの無機質な声が響いた。
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【骸の主】
【Lv585】
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「……え?」
ロウは思わず目を丸くした。
「ぬ、主?」
「本当に?」
「え……。」
ザルヒたちはロウを見る。
「どうした!?」
ロウは困ったように頭を掻く。
「えっと……。」
「五百八十五。」
「え?」
「僕が空へ送られた一日目くらいのレベルと同じなんだけど……。」
「それが。」
「主なの?」
「…………。」
誰も意味が分からなかった。
「何を言っている……。」
ザルヒが呟いた、その時だった。
ドォォォォォォォン!!!!
湿原が爆発した。
黒い泥が空高く舞い上がる。
水面を突き破り、巨大な骸骨のような魔獣が姿を現した。
紫色の眼光。
腐敗した巨体。
何十メートルもある腕が、大地を揺らす。
「骸の主だぁぁぁ!!」
護衛たちが悲鳴を上げる。
「逃げろぉぉぉ!!」
ザルヒも身体が動かない。
「くそっ……!!」
その時だった。
一番後ろにいたロウが、静かに前へ出た。
「ロウ!?」
「何してる!!」
「戻れ!!」
誰の声にも反応しない。
ロウは骸の主だけを見つめていた。
骸の主は咆哮を上げる。
ゴォォォォォォォッ!!!!
巨大な拳が、ロウ目掛けて振り下ろされた。
「危ない!!」
護衛が叫ぶ。
だが。
ロウは動かない。
避けない。
構えない。
そのまま。
ドゴォォォォォォン!!!!
拳を真正面から受け止めた。
轟音。
土煙が舞う。
誰もが息を呑む。
「終わった……。」
そう思った。
煙が晴れる。
ロウはそこに立っていた。
服に付いた土を軽く払う。
パンッ。
それだけだった。
「……やっぱりか。」
小さく呟く。
「空の大陸より。」
「ずっと軽い。」
ザルヒたちは言葉を失う。
ロウは腰に差した新しい剣へ視線を落とした。
「そういえば。」
「ジェフさんにもらった武器。」
「まだ使ってなかったな。」
「どうやって使うんだろ。」
その瞬間。
頭の中へ、無機質な声が響く。
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【カオス装備を確認】
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【適性一致】
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【術式解放】
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【『混沌黒炎』】
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【発動します】
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「お。」
ロウは少し嬉しそうに笑う。
「それ、いいね。」
剣を静かに前へ向ける。
ボッ。
黒い炎が灯る。
次の瞬間。
ゴォォォォォォォォォッ!!!!
黒紫色の炎が一瞬で骸の主を包み込んだ。
咆哮を上げる暇もない。
抵抗する間もない。
炎が消えた時。
そこには何も残っていなかった。
灰すら。
一片も。
「終わった。」
ロウは剣を鞘へ納める。
カチン。
静寂。
誰も動けない。
ロウだけが首を傾げる。
「もしかして。」
「この骸の主って。」
「子どもだった?」
「まだ子どもだったなら。」
「悪いことしたな。」
「…………。」
ザルヒも。
護衛たちも。
数秒間、完全に固まった。
そして。
「んなわけあるかぁぁぁぁ!!!!」
全員が一斉に叫んだ。
「骸の主だぞ!!」
「何千年もこの湿原を支配してきた上級魔獣だ!!」
「だから誰も討伐できなかったんだ!!」
「王国も!!」
「騎士団も!!」
「ギルドも!!」
「誰一人、勝てなかった魔獣だぞ!!」
ロウは目をぱちぱちさせる。
「え?」
「そうだったの?」
その一言に。
誰も返す言葉を失っていた。




