『生き抜いた2人』
炎の森を、ロウとジェフは並んで歩いていた。
赤く染まった木々の隙間から差し込む光が、地面を揺らめく炎のように照らしている。
先ほどまで一人だった道を、今は二人で歩いている。
それだけのことが、ロウにはまだ不思議だった。
「ジェフさん。」
「何だ?」
「聞いてもいいですか?」
「腹が減ったなら、もう少し我慢しろ。」
「違います。」
「毒が食いてぇなら、その辺の草でも齧っとけ。」
「僕を何だと思ってるんですか?」
「毒を食って回復する変な人間。」
「否定できない……。」
ジェフが豪快に笑う。
「がははは!」
ロウも小さく笑った。
それから、少しだけ表情を曇らせる。
「聞きたいのは、空の大陸へ送られた人たちのことです。」
「……ああ。」
ジェフの笑い声が止まった。
ロウは前を向いたまま続ける。
「地上では、初期スキルが一つしかなかった人が、全体の一割くらいいるって聞きました。」
「そうらしいな。」
「その一割が、全員ここへ送られる。」
「ああ。」
「その中で……。」
ロウは一度、言葉を止めた。
「どれくらいの人が、生き残れるんですか?」
ジェフはすぐには答えなかった。
大きな戦斧を肩へ担いだまま、黙って歩き続ける。
「知らねぇ。」
「え?」
「正確な数なんざ、誰にも分からねぇよ。」
「そうなんですか?」
「この大陸は広すぎる。」
「生き残った奴がどこにいるのかも、死んだ奴がどこで倒れたのかも分からねぇ。」
ジェフは赤い木々の向こうへ目を向けた。
「ただな。」
「かなり前に会った女が言ってた。」
「女の人?」
「ああ。」
「妙な喋り方をする、変な女だった。」
ロウの眉がわずかに動く。
「妙な喋り方……。」
「そいつの話じゃ、空へ送られた奴の中で生き残れるのは、更に一割程度らしい。」
「更に……一割。」
ロウは足元へ視線を落とした。
「百人送られても、十人。」
「千人なら百人だな。」
「じゃあ僕は……。」
ロウは自分の手を見る。
幾つもの傷跡。
五年間、生きるために使い続けた手。
「運が良かったんですね。」
「違ぇ。」
ジェフが即座に否定した。
「え?」
「運が良かった奴は、最初の一日くらいなら生き残れる。」
「運が良けりゃ、危険な魔獣に会わずに済む日もある。」
「食える物を偶然見つけることだってある。」
ジェフは歩みを止めず、低い声で続けた。
「だがな。」
「運だけで五年は生きられねぇ。」
「……。」
「五年間、一人で飯を探して。」
「魔獣と戦って。」
「何度も死にかけて。」
「それでも今、ここを歩いてる。」
ジェフが横目でロウを見る。
「お前は、生き残ったんじゃねぇ。」
「生き抜いたんだ。」
ロウは何も言えなかった。
「胸張れ。」
「お前は、その一割の中に自分の力で残ったんだ。」
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
ナルドは、生きろと言った。
ミマリは、強くなれると言った。
けれど。
五年間を生き抜いた自分を、真正面から認めてくれたのは初めてだった。
「……ありがとうございます。」
ロウは少し照れながら笑った。
「礼を言われることじゃねぇ。」
「俺も、その一割ってだけだ。」
ジェフは自分の胸を親指で示す。
「つまり、俺も運が良い!」
「がはははは!!」
「今の話、台無しですよ!」
「難しい話は性に合わねぇ!」
ロウは呆れながらも、思わず笑った。
しばらく歩いたあと。
ふと、気になっていたことを思い出す。
「そういえば、ジェフさん。」
「今度は何だ?」
「何歳なんですか?」
「俺か?」
ジェフは待ってましたと言わんばかりに胸を張った。
「二十三歳だ!」
「…………。」
ロウは足を止めた。
「何だ、その顔は。」
「いや……。」
ジェフの顔を見る。
濃い髭。
深く刻まれた皺。
岩のように太い腕。
もう一度、顔を見る。
「どう見ても四十代です。」
ゴンッ!
「いてっ!」
拳骨がロウの頭へ落ちた。
「誰が四十代だ!!」
「痛いですよ!」
「俺は二十三だ!」
「絶対に嘘です!」
「本当だ!」
「四十三の間違いじゃないですか?」
ゴンッ!
「いてぇっ!!」
「次は五十三って言ってみろ!」
「それはさすがに言いません!」
「さすがにって何だ!!」
ロウは頭を押さえながら笑う。
「あははは!」
「笑うな!」
「だって、二十三は無理がありますって!」
「ドワーフは人間と見た目の育ち方が違うんだよ!」
「じゃあ、本当に二十三?」
「最初からそう言ってるだろうが!」
「……若いんですね。」
「何で少し残念そうなんだ!?」
「いえ。おじさんだと思ってたので。」
「まだ言うかぁ!!」
二人の笑い声が、炎の森へ響いた。
ジェフは不機嫌そうに鼻を鳴らしながらも、口元は笑っている。
「まったく。」
「人間の十五歳は、みんなこんなに失礼なのか?」
「五年間、誰とも話してないので分かりません。」
「便利な言い訳だな!」
「本当のことです。」
「余計に質が悪ぃ!」
再び歩き始める。
ロウは赤い森の先を見ながら尋ねた。
「この大陸って、どれくらい広いんですか?」
「知らん。」
「また知らないんですか?」
「仕方ねぇだろ。」
「端まで行った奴がいねぇんだから。」
「端まで?」
「ああ。」
ジェフは周囲を見渡した。
「山を越えても森。」
「森を抜けても荒野。」
「荒野を越えた先に、また別の山がある。」
「俺が昔会った奴の中には、何百年も歩き続けてる奴がいた。」
「何百年……。」
「そいつでも、端は見たことがねぇって言ってた。」
ロウは思わず空を見上げた。
果ての見えない空。
どこまでも続く森。
自分が五年間歩いた範囲など、この大陸のほんの一部なのかもしれない。
「そんなに広いんだ……。」
「地上より広いらしいぞ。」
「地上より?」
「ああ。」
「どれくらいかは知らん。」
「知らないこと多いですね。」
「拳骨が欲しいか?」
「いりません。」
ロウは即答した。
「でも。」
「それだけ広いなら、他にも生きてる人はいるんですよね?」
「いるだろうな。」
「人間だけじゃなくて?」
「もちろんだ。」
ジェフは指を折りながら数え始める。
「エルフ。」
「獣人。」
「魔族。」
「竜人。」
「俺みてぇなドワーフ。」
「他にも、聞いたことのねぇ種族が山ほどいる。」
「そんなに……。」
「ただし。」
ジェフの声が少し低くなる。
「会えるかどうかは、別の話だ。」
「え?」
「この大陸じゃ、十年歩いても誰とも会わねぇことがある。」
「近くにいたとしても、互いに魔獣だと思って逃げることもある。」
「生き残ることを優先して、他人を助けねぇ奴だって多い。」
「……。」
「だから。」
ジェフは前を向いたまま言う。
「誰かと出会えたら、それだけで奇跡だ。」
ロウは、隣を歩くジェフを見る。
「じゃあ。」
「ジェフさんと会えたのも、奇跡ですか?」
「おう。」
「俺にとっては災難だけどな。」
「何でですか!」
「会った瞬間に殴りかかってくる奴だったからだ!」
「それは……ごめんなさい。」
「がははは!」
ジェフは豪快に笑った。
「まあ。」
「悪くねぇ奇跡だ。」
ロウも静かに笑う。
「はい。」
そのときだった。
ジェフの足が、突然止まった。
「……。」
あまりに急だったため、ロウは一歩先へ出てから振り返る。
「ジェフさん?」
返事はない。
ジェフの大きな手が、肩に担いだ戦斧の柄を強く握る。
ギリッ。
金属が軋むほどの力。
先ほどまで笑っていた顔から、完全に表情が消えていた。
「どうしたんですか?」
「黙れ。」
低い声。
ロウも反射的に口を閉じる。
炎の森は静かだった。
風もない。
魔獣の声もしない。
あれほど周囲に潜んでいた気配が、すべて消えている。
(何だ……?)
(急に、静かになった。)
ジェフの額から、一筋の汗が流れ落ちた。
それを見た瞬間。
ロウの胸の奥に、嫌な感覚が広がる。
ジェフが恐れている。
自分を殴り飛ばした、この大男が。
「……そんなはずは。」
ジェフが小さく呟いた。
「何が――」
言い終わる前だった。
ロウの胸元。
内ポケットにしまっていた黄金色の異核が、震えた。
ドクン。
「……え?」
まるで、生きている心臓のように。
もう一度。
ドクン。
ドクン。
「何だ、これ……。」
ロウが胸元へ手を伸ばす。
「触るな!!お前何を連れてきた‼︎」
ジェフの怒声が響いた。
ロウの手が止まる。
その瞬間。
炎の森の遥か上空から。
世界そのものが軋むような音が鳴り響いた。
バキッ――。
二人は、同時に空を見上げる。
青空に。
一本の黒い亀裂が、走っていた。




