弟子と任務①
※※2章以降、程度に関わらず毎話性描写を含みます。
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冷たく暗い洞窟の奥には、人ひとりがようやく収まるほどの空間があった。その周囲を、無数の鍾乳石が檻のように取り囲んでいる。鍾乳石は鉱石めいて硬く、鋭い切っ先を四方八方から内側へ向けていた。その狭間で、鎖に繋がれた少年が呻き、苦しげにもがいている。だが痛みから逃れようと大きく身をよじれば、今度は鋭い鍾乳石が容赦なく肉を裂いた。少年は体内で荒れ狂う悪念に全身を蝕まれ、ただ耐えることしかできない。
――ドクン、と。心臓が大きく脈打った瞬間、少年の意識が途切れる。しかし次の瞬間には、冷水が顔へ浴びせかけられていた。少年は荒く息を呑み、無理やり目を開く。
目の前には、己の師が立っていた。感情の欠片もないその瞳は、自分を取り囲み容赦なく突き刺してくる鍾乳石と何ら変わらなく見えた。
「起きなさい」
そう告げて師が背を向けると、手首を捉えていた鎖が外れる。少年は金の瞳に憎悪を募らせながら、喉奥から無理やり返事を絞り出す。
「はい、師匠……」
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爽やかな日差しが心地よい朝、佐藤は腕を広げて後ろの月澄に上衣を着せてもらう。日常風景だ。スカスカの衣装棚を閉じている月澄の背中を見ながら、佐藤は意を決して切り出す。
「月澄、明日から朝の手伝いは不要だからね」
「なぜですか? 」
「理由を言ってもどうせ聞かないだろう。これは命令だよ」
「それでも聞かせてください」
弟子はなおも引き下がる気配を見せない。佐藤はやっぱりか、と小さくため息を吐いた。
「お前たちが独り立ちした後、私は一人で過ごしていかねばならない。そのための練習だよ。それに、お前たちもこれから忙しくなる。師の世話より、自分の人生を優先しなさい」
「俺は雲香宮を出ていくつもりはありません。任務なら、ここに居ても果たせます」
「この地は中心から離れすぎている。お前には才能があるんだから、皇帝のおわす地の近くで、もっと多くの人々のために力を振るうべき……」
「師匠、俺はずっとここにいます」
「だから、月澄……」
「師匠は俺と居たくないんですか? 」
「そりゃ、皆がいつまでも居てくれれば嬉しいよ……」
月澄が佐藤の目の前まで来て顔を覗き込む。あからさまな不機嫌顔だった。最近の月澄はこうして露骨に不機嫌な顔をすることが増えた。
「でもね、私の夢はお前たちが独立し、各地で功績をのこすことなんだ」
(そして番付帳が雲香宮で埋まるところを見せてほしい)
佐藤は下心を隠した。
「ああ、言ってましたね。えーと確か、『君たち三人が真っ当に生きる手助けを』……」
「あーあーあーあー! うるさい! 」
佐藤が月澄の口を手で覆うと、彼は目を細めて無邪気に笑う。体が成長しても、このいたずらっ子の笑顔は昔と変わらないので佐藤はつい甘くなってしまう。
しかし、あの時に口にした言葉は、今では完全に黒歴史だった。佐藤は己の若さゆえの青臭い責任感を思い出し、じわりと顔が熱くなる。
「俺、その言葉体に彫ろうかな」
「破門する」
「嘘です。許してください師匠」
月澄は冗談めかして笑ったが、その金の瞳だけは妙に真剣だった。彼は佐藤の手首を掴み、口元からそっと手を外させる。長い指が佐藤の手首をすっぽり囲っていた。
「とにかく、明日から来ても部屋に入れないからね 」
そう告げてすぐに階下へ向かったため、月澄がどんな顔をしていたのか、佐藤には分からなかった。
そうして数日が過ぎ、佐藤は日課の野菜の水やりを終えた後、雲香宮に届いた手紙を眺めていた。以前は白宵師兄からの便りしかなかった。しかし、弟子三人が有名になって以来、他門派から是非うちに来てほしいと熱心なラブレターが引っ切り無しに送られてくるようになったのだ。
(ふん、数年前は皆の事を災厄だなんだ罵っていたくせに……)
そう愚痴りながら手紙を弟子別に仕分ける。一番多いのは清揺宛てで、彼女の動物使役の術は貴重なのでどこの門派も欲しがっていた。粗方処理が終わった後、自室に戻ろうと廊下を歩いていると窓の外から清揺に声を掛けられる。
「師匠~、最新の番付帳が届きましたよ。一緒に見ませんか? 」
「見よう! 」
「お茶は淹れています」
いつの間にか佐藤の横に居た微明と共に客間へ向かい、三人で番付帳を眺める。修仙界の流行や人物評をまとめた娯楽混じりの本だ。しかし、最後まで読んでも、誰の名前も載っていなかった。
「おかしいな、この『玉のように美しい』『野菜を育てるのが上手い人』『踊りが上手』では清揺が一位なんだけれど……」
「清揺はそのお言葉だけで嬉しいです」
「やっぱりこの審査員たちは見る目がないよ。待っててね、師がここに乗り込んで皆を一位にして見せるから」
「はい、師匠、待っています。師匠のお名前も載せましょう」
「いいね! 全部の格付けを私たちの名前にしよう」
キャッキャと喜ぶ二人の傍で、微明は「駄目だろ……」という視線を向けた。
佐藤はその場で二人に届いた手紙を渡し、月澄にも渡してほしいと頼んだところ、断られる。
「師匠、月澄に直接届けてあげてください。あの男、師匠と離れ離れになるのが嫌で、部屋で毎日泣いているんですよ」
「ええ……嘘だ……」
「本当です」
「うるさくて私、何回か扉壊しちゃいました」
「……」
正直、悪い気がしなかったので月澄の部屋へ向かう。
ここに残るなんて生意気を言っていたが、彼も結局は佐藤の意志を汲み、別れの準備をしているのだろう。身体はすっかり大人びたというのに、佐藤にとっては未だ手のかかる可愛い弟子だった。
それに最近の月澄は、日中ほとんど雲香宮に居ない。二人の夜にの時間は必ず佐藤の前へ顔を出すが、昼間は山へ籠ってばかりだ。そのせいで、以前より言葉を交わす時間も減っていた。
月澄の部屋の前に着き、扉を叩く。清揺の言う通り、扉は端が少し歪んでいた。
「月澄? 居るか? 手紙を届けに来た。……ここに置いておくから、返事はちゃんと書くんだよ」
反応がない。だが佐藤は、この状況に妙な覚えがあった。そしてようやく気づく。
(月澄、思春期だ……。そうだよな、朝の着替えも月澄の善意だったのに、俺が身勝手な理由で断ったから……でもごめん月澄、親離れの時期だ……)
そっとしておくのが吉だろう。しみじみ頷き、そっとしておこうと背を向けた瞬間。部屋の中からバタバタと音がして、扉が内側から開けられる。籠った熱気が佐藤の所まで伝わってきた。
「……師匠」
月澄は息を切らしながら言う。彼は上半身裸で、汗をびっしょり掻いている。額へ張り付いた髪の隙間から金の瞳が覗いて、呼吸は妙に熱っぽく、首筋まで赤かった。
「ありがとうございます……」
低い声が掠れている。佐藤はその様子にぎょっとした。
「いいけど、暑い? 大丈夫? まさか風邪? 」
「いえ。最近こうなんです。……気にしないでください」
月澄が怠そうに壁に寄りかかり、茶色と黒の髪の三つ編みを指先で弄る。走火入魔の前兆かと疑ったが、落ち着いているので様子見することにした。
「本当に平気?苦しかったらちゃんと言うんだよ」
「……」
月澄は答えずに、触っていた毛先を弾いて部屋に戻る。
(思春期って難しいな……)
佐藤は深刻な顔で頷き、その場を後にした。それを遠くから見ていた二人は、顔を見合わせて同時に溜息をついた。
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とある日、中央修仙司から初の任務依頼の文が届いた。
内容はここから北東にある落霞鎮で幽鬼騒ぎがあるので詳細を調査してほしいとのことだった。もしこの任務が上手くいけば弟子の立場も盤石となる。佐藤は内心張り切っていた。
四人は馬を借りて任務地へ向かった。卸剣して空中移動しても良かったが、霊気を無駄に消費したくない。道中、三人の弟子たちの霊脈を定期的に確認した。相変わらず月澄の霊気は佐藤に入ろうと大暴れしていたが、それ以外は問題なく、皆きちんと悪念を抑えていた。これなら人と関わっても支障がない。
青都近くの小さな鎮――落霞鎮は、弟子たちにとって初めて訪れる大都市圏でもあった。帰りは観光しよう、と道中ずっと盛り上がっていたほどだ。
落霞鎮に着いた一行は二手に分かれた。微明と月澄は周りの家に聞き込み、佐藤と清揺はその土地を治める沈家に話を聞くことにした。
白壁に大きく囲まれたそこは明らかに他の家と一線を画していた。見張りに中央修仙司からの遣いだと伝えると、すぐに中に通された。長い回廊は風流な庭に面しており、二人はその豪華さに圧倒された。蓮池が輝き、木は色とりどりの花を咲かせ、桃源郷を切り取ったような庭園に清揺はうっとりと見惚れていた。
「師匠、北にしか生えない珍しい実をつける木があります」
「綺麗だね」
「はい、どんな味がするんでしょう」
「……あとで聞いてみようか」
家主が待つ部屋へ通された二人は、出迎えた人物を見てわずかに困惑した。そこにいたのは年配の当主ではなく、弟子たちと同年代ほどの若い男が二人、腰かけていた。
一人は蒼と白を基調とした衣を纏った、柔らかな雰囲気の青年だ。自然と口角の上がった唇はわずかに青く、白い肌も相まってどこか病弱そうな印象を与える。だが、その瞳は光を映してきらきらと輝いていた。
そしてもう一人は彼と正反対だった。後ろで高く結ばれた髪に、硬い表情。一見しただけで、怒っているようにも見える。黒と紫の衣は体の線に沿うように仕立てられており、座っているだけでも鍛えられた体格が分かった。文人と武人、また若き名家の当主と護衛のような、そんな対照的な二人だ。
家主と聞いて年配者を想像していた佐藤は、戸惑いを押し隠しながら机へ向かい、静かに挨拶した。
「初めまして。中央修仙司の命を受け参りました。雲香宮所属、林 香寧と申します」
「弟子の清揺と申します」
「幽鬼騒ぎについて、詳しくお聞かせ願えますでしょうか」
文人の方の彼が優しく微笑んだあとに口を開く。
「そう畏まらないでください。幽鬼騒ぎの件も大事ですが、ここに客人が来るのは久方ぶりでしてね。まずは雑談でもいたしましょう。ささ、どうぞお茶を。青都で流行っている青都茶です。その名の通り、青い茶でして! 珍しいでしょう。どうぞどうぞお飲みください! 」
「……」
儚い雰囲気を纏う彼が急に捲し立てるので少々圧倒されつつも、湯呑に口をつける。色は確かに奇抜だが、深みのあるお茶でとても美味しかった。
「……美味しい」
「そうでしょうそうでしょう。お菓子と合わせると更に味が引き立つんですよ。それに霊力が巡るなんて言われていましてね、道士先生にはお似合いのお茶だと思い取り寄せたんです。もしよろしければ商会に伝手がありますのでお土産に」
「公子」
更にしゃべり続ける彼を、横の男性が低い声で制する。それを聞いた彼は口を手に当てて少し黙る。バランスが取れた二人だった。
「ああ、すみません。私ってつい一人で喋りすぎてしまうんですよね」
「いえ。もしよろしければ土産として持ち帰りたいです」
「ああ、ありがとうございます! 早速耀蘭に伝えておきます。本当は耀蘭もここに同席する予定だったのですが、急な用事が入ってしまいましてね。かなわなかったのです。折角、林 香寧先生と久方ぶりに再会できるというのに、少々残念です」
佐藤はそこで疑問を抱いた。彼らのことを知らないからだ。もしかしたら転生前の林 香寧の知り合いか……? と冷や汗をかいていると、清揺が助け舟を出す。
「申し訳ありません。師匠は数年前に記憶を失っておりまして……。一体、師とはどこでお知り合いになりましたでしょうか」
「それはお気の毒なことです。私達が会ったのは短い時間でしたので覚えていられないのも無理はありません」
そこで二人は座したまま、手を前で合わせて恭しく礼を取る。
「お久しぶりです。以前、丹新山の山中にて、林 香寧先生より命格について有難い教えを賜りました、沈 瑾と申します」
「同じく、玄 桂衝と申します」
命格と聞いた佐藤と清揺は同時に声を上げる。以前山で出会った三人組の子供の────寿命が決められていた子だ!
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「あれから五年以上が経ちまして、定めを超えた今もこの通り息災にしております。林 香寧先生のおっしゃる通り毎日を疎かにせずに過ごした結果でしょう。その節はありがとうございました」
以前に会った時は佐藤の背丈の半分ぐらいしかなかった子が、今ではこうして一人の公子として座っている。光陰矢の如しとはよく言ったもので、子供の成長は驚くほど早い。
「沈公子。まずはお祝い申し上げます。しかし私は当然のことをお伝えしたまでです。実行し、その身を変えたのは沈公子ご自身です。どうか誇ってください」
「ありがとうございます。恐縮です。そして、私のことはどうぞ瑾とお呼びください」
にっこりと笑った姿は、確かにあの時の面影があった。彼の黒の瞳は光をよく反射して生きる活力に満ちている。
「本来であれば父上が先生方をお迎えする予定だったのですが、私が無理を申しましてこうしてご挨拶させていただきました。若輩者ゆえ、礼を欠いておりましたらご容赦ください」
「失礼だなんてとんでもない。こうして元気な姿を見られただけで何よりの喜びですよ」
清揺も微笑み、うんうんと頷く。
「……あの」
佐藤が少し言い出しにくそうにするので、沈 瑾が大きい瞳を更に開く。
「その、私相手にそこまで丁重になさらなくても結構です。一道士の身なので、とても恐れ多いです」
それを聞いて、沈 瑾は花が開いたような笑顔になる。
「先生! ありがとうございます! ほら、阿桂! やっぱり先生は良いお人だと言っただろう! 私の見込み通りだ! 」
玄 桂衝は揺さぶられながら首を縦に振った。前も思ったのだが、この動じなさは微明に少し似通ったところがある。
「では遠慮なく。先生方もどうぞ肩の力を抜いてください。実は幽鬼の件についても、私が中央修仙司に雲香宮の方へ依頼してくださいと頼んだのですよ! いやーやはり私は見る目がありますね先生方と初めて会った時───」
沈 瑾の話は尽きる気配がないので、要点だけ述べる。
まず、幽鬼はここ最近に落霞鎮に出没したとのこと。襲われたりなどはしないが、夜道に現れては通りがかりの人を驚かし、こけて怪我をさせるので、かなり迷惑しているとのこと。神出鬼没で、どう対処していいか分からないこと、近いうちに祭りがあるのでそれまでに解決したい、とのことだった。
更に沈 瑾は、宿泊先は手配してあるので、そこに寝泊まりして好きなだけ落霞鎮を調べてよいとのことだった。金欠ぎみの佐藤には、宿代が浮いたのは有難かった。
話がひと段落した後に、清揺が沈家の立派な庭を見たいと申し出ると、沈 瑾は快く応じてくれた。沈 瑾はその部屋で少し休むとのことで、佐藤と清揺は使用人の案内で庭へ向かう。荘厳な庭園を心ゆくまで眺める。微かに霊気が漂う、よく手入れされた庭だった。
「清廉な霊気だね。幽鬼がどれくらいの強さか分からないけど、この庭に現れるってことはなさそうだ」
「そうですね。やはり出るとしたら道端でしょうか。あの二人がきちんと聞き込みできていればいいのですが」
「既に終わった」
そう話していると微明が突然背後に現れる。
「微明、ここは人様の家の庭だよ。ちゃんと門から入ってきたよね? 」
「……」
佐藤がそう言うと、微明が突然目の前から消えた。ひとまず宿で合流して作戦会議をすることにした。
宿は沈家の家から少し歩いた先にあった。到着して店主に事の経緯を伝えると、今は丁度部屋を準備中とのことで、先に広間で夕飯を食べることを勧められた。四人はお互いに情報交換をしながら少し早い夕飯を食べる。食事も沈 瑾の奢りだったので、微明と月澄は肉を五度もおかわりした。
「周りの民家に話を聞きましたが、そもそも幽鬼かどうか分からないそうです」
「どういう意味? 」
「夜道に白い影は確かに居るみたいなんですが、はっきりと姿を見たものはいないんです」
「瑾公子は幽鬼って言っていたわ。おでこから角が二本生えて、青白い肌にぽっこり出たお腹。足がなかったって。幽妖魔図鑑で見た姿とそっくりだから間違いないって」
「うん。彼の証言は間違いなかったね」
「俺らが聞き込みした奴らが、単純に幽鬼の姿を知らないから、『姿を見ていない』って曖昧なこと言ったとか? どうだっけ微明」
「……白い影としか」
あーだこーだ喋るが結論は出なかった。とりあえず、今夜は弟子たちだけで夜の見回りをしながら調査、佐藤は宿に残って明日また報告ということになった。
全員が満腹になったころに部屋の準備が整ったようなので二階へ上がる。しかし三部屋しか用意されていなかった。
「すみませんねえ道士様方。あと一部屋は前の客が吐いて汚しちまって。道士様は修行中だから汚すわけにはいかないでしょう」
「お気遣いありがとうございます。じゃあ、私と清揺が一部屋ずつ、微明と月澄が同じ部屋だね」
「嫌です」「無理です」
「うん。我慢しなさい。遊びじゃなくて任務に来てるんだから多少の理不尽は飲み込むんだ。訓練の一環だよ」
「……」
しぶしぶと頷いた男二人が青白い顔をして同じ部屋へ向かう。そんなに嫌か……さすが思春期……と佐藤は逆に感心した。
夜。佐藤は部屋で分身を作っていた。今回の任務は弟子が主導する約束だが、佐藤は親馬鹿だ。直接手を貸さず、後ろからこっそり見るだけならいいだろうと思い、黙って皆に付いていくことにした。そしてその目くらましの一つで、分身を部屋に置いておくことにした。初めて分身を作った時から随分と上手くなった。今では本体の林 香寧の姿とほぼ見分けがつかないほどだ。それに、まだ誰にも見せたことはないが、簡単な会話と歩行までできるようになっていた。
「よし、頼むよ! 」
弟子たちが夜の闇に溶ける気配がした。佐藤もしばらくして、分身に留守を任せ窓から外へ出る。姿を隠して落霞鎮の屋根上を飛び回った。弟子たちはそれぞれの配置について周囲をくまなく眺めており、その真剣な顔を佐藤は写真を撮ってアルバムに収めたかった。
(運動会とか参観日ってこんな感じか……皆、かっこいいぞ……)
夜明けが近くなった時、沈 瑾の家の周りを歩いている際に笑い声がした。佐藤は気になりそっと塀を覗き込む。そこには、玄 桂衝が沈 瑾をおぶさって早朝の庭を満喫している微笑ましい様子があった。
(そういえば山で会った時もおぶっていたな。彼らは本当に仲がいい……しかし、不可抗力とはいえ覗きをしてすまない)
佐藤は心の中で謝って戻ろうとした。しかし、ふと沈 瑾の体の様子が気になった。袖と裾が長い服を着ており、体のラインが分からず四肢が隠れているが、なんとなく違和感がある。佐藤はしばらく考えたが、その糸を手繰り寄せることができなかった。少しすると、二人は部屋に戻ったので佐藤も宿へ帰ろうとした。
すると、分身の近くに誰かが来る気配がした。意識を分身に寄せて確認すると、先に帰路に着いた弟子たち三人だった。佐藤は路地裏に身を隠し、分身へ意識を集中しながら身代わりを置いていて良かった……と心底安堵した。弟子は師匠が熟睡していると思って起こさずに部屋へ戻った気配がした。しかし、月澄だけは佐藤のそばにいるようだ。
(もしかして朝の準備を手伝おうとしてくれている? 任務中で思春期なのに気が利くなコイツ……)
佐藤は意識を分身へ完全に移動させた。分身を動かして、月澄の様子を直接見ようと思ったからだ。分身の五感が佐藤と同期する。すると耳元で声がした。
「ししょうっ……」
動揺して意識が本体に戻る。呼ばれたと同時に、熱い息が耳にかかったからだ。それに月澄の声は今まで聞いたことのない情感が伴っており、佐藤は本能で見てはいけないと思った。だが次の瞬間、佐藤の脳裏に走火入魔の文字がよぎった。佐藤は慌てて再度意識を飛ばす。
月澄は相変わらず佐藤の近くに居た。目を閉じた状態なので詳しくは分からないが、月澄の体が佐藤に覆いかぶさり、佐藤の耳元に口を寄せ、荒い息を吐いている。
「はぁ、はぁっ……、師匠、たすけてください……」
そう言って月澄は鼻を啜る。
(助ける助ける!! )
佐藤はそう思い、今起きましたよ~のわざとらしい演技を分身にさせ、目を開ける。やはり月澄が目の前に居て、こちらを見下ろしていた。顔が真っ赤で泣いているような表情をしている。
「げっちょう」
「はい……師匠、起こしてごめんなさい……でも今日は我慢できなくて……」
いいんだよ! と思ったけど、分身は簡単な会話しか出来ない。簡単な会話とは、①弟子の名前を呼ぶ、②「はい」「いいえ」で答える。以上だ。
「あの、俺……結構前から夢を見ていて……それを見ると、体が燃えるみたいに熱くなるんです……師匠、これって走火入魔ですか……? 」
少し考えたが、様子が違うので、異なる症状だろうと佐藤は判断した。
「……いいえ」
「そうなんですか……原因はなんですか……? 」
「……」
答えられない。だって弟子の名前とはいといいえしか喋られないから。
佐藤はこのまま、分身の意識を途切れさせて本体が直接月澄の元へ帰った方がいいかもしれない、と迷った。
「師匠、起こしたから怒っているんですか? ……ごめんなさい、でも俺、走っても川に入っても苦しいんです……師匠の側じゃないと落ち着かなくて……ぐっ」
月澄が呻き、佐藤の顔に三つ編みが滑り落ちてくる。
「師匠、あの、頭を撫でてください……」
「……はい」
「っ……」
思わずそう答えてしまったが、月澄は喜ぶような反応をした。しかし、分身は簡単な歩行(三歩だけ歩く)はできても手を動かせなかった。
「……師匠?」
返事はしたがなかなか動こうとしない佐藤にしびれを切らし、月澄が懇願するような声で囁く。
佐藤はもう限界だった。今すぐ帰るから待ってて!と心の中で念を送り、意識を返そうとすると、途切れ行く分身の耳に月澄の声が届いた。
「ごめんなさい……」
佐藤は慌てて宿の部屋に戻ったが、月澄はもう居なかった。すぐに微明と月澄の泊っている部屋を訪ねたが、微明しかおらず、月澄から『心配しないで』と言付けがあったと聞かされた。どうやらあの後すぐにどこかへ行ったらしい。
朝食の時間になっても戻らず、朝の定例会議の直前にようやく顔を見せたので、佐藤は廊下に連れ出して彼と話す。
「月澄、せめてどこに行くかぐらい教えなさい。私じゃなくても、微明か清揺に……」
「はい、師匠。まだ半端物の身でありながら任務中に身勝手な行動をしてしまい申し訳ありませんでした。罰なら受けます」
「……分かっているならいい」
月澄の顔色はかなり悪い。それに、やけに聞き分けのいい態度であるため、様子がおかしいのは明らかだった。
「……なあ、月澄、朝の件だけど」
「師匠、ごめんなさい。聞きたくないです」
月澄が顔をそらして、他の弟子の元へ戻る。佐藤も仕方なく続き広間へ向かう。
話し合いの結果、ここ数日は二手に分かれ、日中は調査や聞き込み、夜は弟子だけで周囲の見回りということで話が着いた。佐藤は月澄と何度か話をしようとしたが、その度に拒否されてしまったので、二人の間には気まずい空気が流れた。他二人もそんな雰囲気を感じ取っているが、任務中であるため弁えて誰も口にしなかった。
夜、佐藤は布団に潜って考える。彼が佐藤に怒っているのは仕方がない。いくら分身であったため、月澄が苦しい時に助けてやれなかったんだから。師として失格だった。そしてこう嘆いた。
(辛い! 自分のせいなのにめっちゃ辛い!! 月澄に避けられるの辛すぎる!!! 今すぐ許して欲しい!!!! なんでもするから!!!!!! )
佐藤はここ数年、彼らと一緒に過ごした間、喧嘩はしたがすぐに仲直りしてきた。それに、弟子同士で無視をすることはあったが、佐藤と弟子の間でそんなことをされたことも、したこともなかったのだ。なので初めての険悪な関係に、佐藤は一層傷を負っていた。しかも相手は月澄、佐藤が鬱陶しがっても常に付き纏ってきては悪戯をする可愛い悪ガキ。余計にダメージが大きかった。
(どうしよう!任務が終わったらそのまま月澄が雲香宮を出ちゃって、一生このまま喋ることもなかったら……!!! )
そこまで考えて、佐藤はその恐ろしい妄想を払うために突然立ち上がる。
(すぐ仲直りしよう!!! )
師匠の面子よりも、任務解決よりも、佐藤は自分の感情を優先した。宿の窓から身を躍らせ、姿を消す。月澄の気配を探り、見張りの配置を辿った。遠くに屋根に居る背中が見えたので近づこうとした瞬間、視界の端に白い影が掠めた。
───幽鬼だ!!
「月澄! 幽鬼が出た!!」
「!? ししょ……」
佐藤が声をかけると、月澄は一瞬戸惑った様子を見せ、直ぐに目を細めて切り替える。
幽鬼は夜道を滑るように駆け、屋根伝いに追っても距離が縮まらない。身法が得意な微明だったら捕まえられたかもしれない。幽鬼が灯りの少ない路地へ飛び込んだため、佐藤たちも屋根から地へ降りた。明かりの呪符を取り出そうとして袖を探っていると、 幽鬼が突然正面の暗闇から飛び出してこちらへ向かってくる。大きく開かれた口は佐藤の顔面を食い千切らんとしていた。
「師匠! 」
月澄の声が聞こえ、体をものすごい力で引っ張られる。佐藤は屋根に着地して幽鬼の姿を目で追ったが、またとんでもない速さで逃げ、とっくに見えなくなってしまっていた。もう追いかけても無駄だろう。
佐藤は息を整えながら、最後にはっきりと見た幽鬼を思い返す。信じられなかった。幽鬼には足がない。だから、「幽」鬼なのだ。しかし、先ほど見た幽鬼には、人間の足が生えていた!
「月澄、今の見た? 」
「はい」
振り向くと、思った以上に近くに月澄の顔があったので佐藤は息を呑んだ。腰に回された腕が外されると、そこで初めて、月澄が佐藤を抱えて幽鬼から救ってくれたのだと悟った。
「ありがとう、助かったよ」
「弟子として当然です。もう夜が明けるので、戻ってアイツらに報告しましょう」
今なら彼と話せる気がした佐藤はこの機会を逃したくなかった。
「月澄待ってくれ、戻る前に少しだけ話を……」
「嫌です」
そうぴしゃりと言われてしまったので佐藤は言葉を失った。しょうがないと諦めて佐藤も帰ろうとすると、月澄がハッとするような顔をしてこちらを見る。
「……師匠、泣いているんですか? 」
自慢ではないが、佐藤は涙を流したのは数えるほどしかなかった。辛くても、嬉しくても、感動しても、泣くことを我慢ができた。それは虐待で得た佐藤の特技だ。
「いいや、泣いていない」
「でも、匂いがします」
そういえば、初めて会った時もそんなことを言っていた。
あの頃の佐藤は、この世界に転生したばかりで、右も左も分からず林 香寧の部屋で途方に暮れていた。そんな佐藤に、月澄は扉越しに「涙の匂いがする」と声をかけたのだ。だが、あの時も今と同じく、佐藤は泣いてなどいなかった。
朝日が遠くから顔を出し、月澄の顔を照らす。金の瞳がきらりと光った。
そこで佐藤はようやく気付いた。あの日も、今も。胸の奥ではずっと、何かが悲鳴を上げ続けていたのだと。
涙は流れない。声も出ない。けれど誰にも聞こえない場所で自分はずっと泣いていた。ただ隠すことだけが上手くなってしまい、佐藤自身でさえ気づけなかった。
だが、それに気づいた者が一人だけいた。目の前の、己の弟子。
世界でただ一人、月澄だけが、佐藤が泣いていることに気づいたのだ。




