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弟子と任務②

※※2章以降、程度に関わらず毎話性描写を含みます。

 


 一際強い朝陽が、眠っていた落霞鎮らくかちんを照らす。二人は民家の屋根に立っているので、このままだと目覚めた人々に怪しまれそうだ。


「うん、月澄げっちょうの言う通り泣いているのかも」


 佐藤は彼の方を見ずに、民家の屋根を歩き宿の方角へ歩き出す。


「なぜですか? 」


 後ろから月澄げっちょうが追いかけてくる気配がするので、顔だけ向けて告げる。


月澄げっちょうが、私と喋ってくれないから! 」

「……! 」


 それだけ言い捨てて走る速さを上げようとしたが、それより先に何かに縛り付けられた。月澄げっちょうの腕が佐藤の体を後ろから抱き留めている。耳元ですぐ声がした。


「師匠……」


 熱い吐息が耳に当たり、以前この弟子に押し倒された朝を思い出して佐藤は身構える。


「分かりました。……喋りましょう」

「ちょ、ちょっと待って、喋りたいけど、ここ、人様の屋根の上だから」

「気にしません」

「気にする! 見た人ビックリするから! 」

「させておきましょう」


 背中に当たる体温につられて、佐藤もどんどん熱くなる。さっきまで佐藤を避けて拒否していた月澄げっちょうが、今ではピッタリくっついて離れない。しかも、佐藤の後頭部に月澄が頬を擦り付けているような気がする


(距離感どうなってんだ、思春期だとしても行動が読めなさすぎる!)


月澄げっちょう、分かった! また後で喋ろう。とりあえず幽鬼の件が優先だろう? 二人にも早く報告しなければ」

「……」


 佐藤が月澄げっちょうの腕を掴んで外すと、呆気なく拘束が解かれた。振り返って顔を見ると、不満そうな表情をしていた。しかし、そこに先ほどの鋭い拒絶はない。口元は拗ねたように結ばれているのに、金の瞳の奥には、今にも悪戯を仕掛けてきそうな光が揺れている。


「ほら、機嫌直して。行こう」

「一つ聞いていいですか」


(早く戻りたいんだけど! でもここで断ってしまったら、また避けられるかも……)


 内心で不安に思った佐藤が、引き攣った顔で答える。


「……一つだけね」


 月澄げっちょうが俯いて言う。


「師匠、寂しかったですか? 」

「え?」


「……俺は寂しかったです」


 佐藤は思った。


(そっちから避けといて……? )


 若干理不尽だと思いつつ、悲しそうな弟子に手を伸ばして頭を撫でる。昔から悪戯されて振り回されても、やっぱり最後には甘やかしてしまう。


「寂しかったよ! 育てた弟子に避けられて、悲しくない師匠はいないよ」


 月澄げっちょうは何かを言いかけたが、それを制するように佐藤は手を叩いて切り替える。


「よし! もう行こう! まずは任務を片付けて、後でゆっくり話そう! 」

「……はい。二人でゆっくり話しましょう」


 宿では微明びめい清揺せいようが待っていた。連れ立って姿を見せた佐藤と月澄げっちょうを見て、二人は驚いた顔をした。


「二人とも、仲直りしたのですか? 」

「……心配かけたね」


 察しが良い二人へも軽く頭を撫でて、佐藤の部屋で先ほど見た幽鬼のことを伝える。


「確かに幽鬼だったが、人の足が生えていて、ものすごい速さで走っていた。……残念ながら逃げられてしまった」

「……逃がした? 」


 微明びめいがボソ、と呟いて、月澄げっちょうの方に瞳だけ向ける。月澄げっちょうは何も反応しなかった。


「図鑑に記されている幽鬼には足がないはずです。見間違いではないでしょうか」

「いや、ちゃんと見たよ。ね、月澄げっちょう

「ああ」

「……おかしいですね」


 清揺せいようが首を傾げながら言う。すると、どこからともなく二羽の小鳥が飛んできて、清揺せいようの肩へ止まる。寄り添うように嘴を動かし、互いの羽を繕い始めた。


「まあ、足が生えているのはおかしいよね」

「はい。それと、私が動物たちに探らせた限り、この辺りに現れる幽鬼の気配は一つしかありません。きん公子の語ったものも、落霞鎮らくかちんで町人たちが怯える白影も、恐らく根は同じでしょう。……しかし」

「なぜ皆、『人の足が生えている』という一番目立つことに言及しなかったのかが不思議……ってこと? 」


 佐藤は思わず口に出してしまって、慌てて己の手で塞ぐ。聞かれない限り直接の手助けはしないつもりだったのだ。しかし弟子たちは特に気にしていなかった。皆同じことを考えていたようだ。


「その沈公子って奴に話を聞きに行こうぜ」


 月澄げっちょうの一言に全員が頷いた。

 沈家の周囲は妙に賑わっていた。見ると門が開け放たれ、前庭には大勢の人々が集まっている。子供から老人まで、男女問わず様々だ。その視線の先では、縁側に座したしん きんが琴を奏でていた。すぐ後ろにはげん 桂衝けいしょうと、もう一人、丸眼鏡を掛けた男が控えている。

佐藤たちが到着した直後、ひときわ大きな拍手が沸き起こった。観客の一人が身を乗り出して声を張る。


「瑾公子! 次は俺の故郷の曲を弾いてくれ!『鍬牛苗豊』だ 」

「任せて。でもすぐに曲調が思い出せないな…… 」

「耕せ耕せ鍬を持て~、だ」

「ああ! 」


 伸びやかな歌声が始まり、その後を追うように琴の艶やかな音色が重なる。

 農作業をする人々を称え、豊作を願う素朴な小調しょうちょう───けれど、その響きには不思議な力があった。鍬を振るう音、水車の軋み、土を踏みしめる足音までが旋律に溶け込み、聴く者の胸へ染み渡っていく。まるで「今日も生きて働こう」と、人々の内側へそっと火を灯していくような、癒しの力が込められているようだ。音は庭を越え、落霞鎮らくかちんの空へ柔らかく広がっていく。太陽の光が暖かく降り注ぐ中、皆はうっとりと耳を傾け、抱えられた赤子は子守歌にして眠っていた。

 民謡なのに、そのあまりの完成度に佐藤たちも思わず聞き惚れる。きっと、並大抵の実力ではないだろう。皇帝に召し抱えられてもおかしくない。

 『天が私を欲しがっているため長生きができない』以前聞いたその言葉を、佐藤はようやく実感を伴って理解した。

 げん 桂衝けいしょうが佐藤たちに気付き、きん公子に声をかける。少しして演奏会はお開きになり、人々の波に逆らってきん公子がいる方へ近づく。人々の囁き声が聞こえた。


「本当にきん公子は落霞鎮らくかちんに居るには勿体ないお方だ」

「本来なら中心地で一番の琴弾きとして名を馳せていてもおかしくない。……体さえ丈夫ならなあ」


「皆様、大変お待たせして申し訳ありません! ……ですが、私の琴の音もなかなかでしたでしょう? 」


 『なかなか』では収まらない。

 琴の傍らにいた丸眼鏡の若者が身を乗り出す。


「あ! もしかしていつかの道士先生ですね。なんとも、縁とは本当に数奇なものです」


 立ち上がって庭へ降り、礼をしながら人懐っこい笑顔で話し続ける。


「私は青都で商いをしておりますきん 耀蘭ようらんと申します。金は財の金、耀は輝き、蘭は高貴な花の意味です。いやはや、名ばかり立派で中身は毎日銭勘定に追われる俗人ですが、商人は縁起の良さだけで半分生きておりますので!ぜひ、お名前だけでも覚えて帰ってください」

耀蘭ようらん、先生方へ手土産として青都茶を用意してくれるかい」

「もちろんですとも! 青都茶は我ら天宝商会てんぽうしょうかい自慢の逸品。皆様に飲んでいただけるなら、倉を空にする価値があります」

「牛車が潰れるほど積まないでくれよ。いずれ仙人様になる方々だ、空へ昇る時に荷が重くては困ってしまう」

「安心してください、潰れる前にもう一台呼びますので! 」


 次々と繰り広げられる会話に四人は圧倒される。きん 耀蘭ようらんも彼らと同じように若いが、既に商人としての貫禄があった。

 ひとしきり笑い声が落ち着いた後、げん 桂衝けいしょうが低い声で静かに言う。


「幽鬼の件でしょうか」

「……はい」


 ようやく喋れた……と佐藤は内心でげんなりした。

 縁側へ腰かける三人へ向かい、佐藤たちは昨夜に幽鬼を見た件を説明した。しかし、人間の足が生えていた部分は省略し、きん公子が見た幽鬼の特徴についてもう一度説明を求めた。きん公子は琴が置かれた台に手を付きながら答える。


「はい。いくらでもお話ししましょう。全身青白い肌に、おでこから角が二本生え、幼子のように丸く膨らんだお腹。下半身は朧気で、道端に佇んでおりました。自慢ではありますが、私は一度見た者は決して忘れません。それに、耀蘭ようらんから仕入れた幽妖魔図鑑で見た挿絵と全く同じ特徴をしておりました」

「動かずにその場に立っていた、ということですか? 」

「はい、指先一つ動かなかったです。私の方は驚いて腰を抜かしゴロゴロとみっともなく坂を転がり落ちましたがね。ねえ阿桂けい!」

「……」

「大丈夫。阿瑾きんが坂を転がっていても、皆、『なんとみやびな……』と感動するさ」

「では次はせめて、袖くらいは美しく翻してみせますよ」


 やはりおかしい。清揺せいようの言う通り、この辺りに出没する幽鬼の特徴と異なる。しかし、これほど穏やかで陽気な若者が、嘘を吐いているようには見えない。だからこそ、余計に不気味だった。

 清揺せいようが唐突に口を開く。


きん公子は本当に風流なお方ですね」

「そんなそんな、少し琴が弾けて、歌を嗜み、詩が詠め、絵が描けるだけです! 」

「琴の音があまりにも滑らかでしたので、思わず想像してしまいました。きん公子が舞えば、さぞ人の目を奪うのだろうと」

「……そうでしょうか」

「ええ。ぜひ、一度拝見してみたいです」


 突然、音を失ったように静まり返る。

 光を差していた太陽が雲に隠れ、辺りが薄暗くなる。先ほどまで愉快そうに喋っていた若者から表情が消え、ピクリとも動かなくなる。佐藤たちは不穏な気配を感じた。まるで、秘蔵の玉器へ素手で触れてしまったような気まずさだった。

 その静寂を破ったのは、げん 桂衝けいしょうだった。


「公子は具合が悪い。またの機会にぜひ」


 冷ややかな声に、佐藤たちは半ば追い出されるように沈家から出た。



━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━



 佐藤たちは落霞鎮らくかちんの外れにある空地で、それぞれ思い思いに座ったり立ったりしながら話をしていた。

 その際、佐藤はいつかの早朝に沈家の庭園でげん 桂衝けいしょうしん きんを背に乗せて庭を散歩していたことを共有した。話しながら、その後すぐに月澄げっちょうと分身で軽く揉めたことを思い出し、少し顔が熱くなる。


「師匠、その時にきん公子の足を見ましたか? 」

「それが、遠目だった上に、裾の長い衣を何枚も重ねていたから分からなかった」


 草を食んでいた月澄げっちょうが口を開く。


しん きんは常に台へ手を付き、まともに自力では座れていなかった。琴を弾く時も、後ろの堅物がずっと腰を抱えていた。少なくとも、まともに動く足はないはずだ」

「じゃあ、きん公子は幽鬼に『足』を奪われて歩けなくなった、ってことになるよね? きん公子、体も弱いのに可哀そう……」

「そもそも足をあげたのか盗られたのか知らないが」

「足って返してあげることができるんですか? 師匠」


 佐藤が答えようとすると、微明びめいが先に口を開く。


「しかし、それが何だ? 」


 木に体を預けて問いかける。


「今回の任務は、落霞鎮らくかちんの幽鬼騒ぎを鎮めることだ。しん きんの足を取り戻すことではない。今夜にでも幽鬼を捕らえ、中央修仙司ちゅうおうしゅうせんしへ報告すれば任務は終わる」

「でも、きん公子は困っているかもしれないじゃない」

しん きん清揺せいようにそう言ったのか? 」


 清揺せいようは黙った。


微明びめい兄様、今日はやけに冷たいな」

「お前」


 茶化すように話しかけてきた月澄げっちょう微明びめいが鋭い目で睨みつける。


「幽鬼を逃がしたらしいな。わざとだろう」

「俺を買ってくれて嬉しいぜ」

「師匠と居たいからか? 」


 突然、矛先を向けられて佐藤はギクリとした。月澄げっちょうは咥えていた草を吐き捨てる。


「関係ない。それ以上何か言うようならお前の足も俺が無くしてやろか? 」

「ちょっと……」


 佐藤がそろそろ仲裁に入ろうとすると、小鳥が鳴きながら飛んできて清揺せいようの肩に止まる。


「ふんふん、分かったわ……二人とも落ち着いて。とりあえず微明びめいの言う通りにきん公子のことは一旦置いておいて、今夜は幽鬼を捕まえることに専念しましょう。時間になるまで自由時間ってことで。いいですか? 師匠」

「皆が問題ないなら」

「問題ないわよね。ご指導ありがとうございます師匠。私はご飯を食べた後、動物たちを労いますので、何かあればいつでも呼んでください。……あんたたちも、夜までその空気引きずらないようにしてよね」


 清揺せいようは小鳥と共に落霞鎮らくかちんへ戻る。微明びめいが音もなく佐藤に近づいて告げる。


「師匠、俺も腹ごしらえをして、夜まで林に隠れています。ですが、いつでも呼びつけてください」


 佐藤が返事をする前に微明びめいはその場からあっという間に去った。残ったのは月澄げっちょうと佐藤だ。月澄げっちょうは三つ編みを軽く指先で弄った後、切り株に座る佐藤に近づく。


「師匠、俺も飯を食ってきます。任務はちゃんと行います」

「うん」

「それと、微明びめいの言ったことは気にしないでください」

「うん。気にしてないよ」

「……」


 月澄げっちょうがしゃがんで、佐藤と目線を合わせる。


「それと、朝の件ですが、雲香宮うんこうきゅうに帰ってから話したいです。聞いてくれますか? 」

「うん、私からも話したい事があるよ」


(分身のね……)


「では、風呂に入りながら話しましょう」 


 それはちょっと、と断ろうとすると、月澄げっちょう微明びめいのようにさっさと姿を消す。弟子たちの独り立ちが近づいているのを実感して、佐藤は誰も居ない空き地で感慨にふける。すると、そこへ背の高い青年が近づいてきた。


「先生」

「……げん 桂衝けいしょう殿? 」

 

 夜。弟子たちは手慣れた様子で配置に着く。最近は寝ていないので少し疲れが見え始めてきたが、「今夜で終わる」という予感があった。

 最初に幽鬼を見つけたのは清揺せいようだった。すぐに地面に降りて追いかけながら、術で他の弟子にも居場所を伝える。前を走る幽鬼へ、死角から闇に紛れるカラスを向かわせたが上手く避けられてしまった。話には聞いていたが、人のほっそりとして白い足が太ももの下から付いていた。風流人によく似合う足だろう。人体の一部を得ただけでこんなに力が強化されるのであれば、人が襲われるのも無理はない。

 清揺せいようは幽鬼を追いかけるどころか、どんどん距離を離されてしまう。大通りで出店をやっている人たちに当たらないように気を付けながら走っていると、みるみる後ろ姿が遠ざかっていってしまう。清揺せいようは男どもを内心で罵る。


(早く来て! )


 するとその声が聞こえたようなタイミングで微明びめいが屋根を渡って現れる。清揺せいようはホッとして、微明びめいに「あっち!」と叫ぶ。彼は微かに頷き、その身のこなしですぐに距離を詰める。手が届きそうな距離まで詰め、生け捕りにするために紐を構える。しかし目の前を走っている幽鬼が突然、顔だけ振り向いて微明びめいの目の前まで首を伸ばす。大きく空いた口で、鼻先に噛み付かれそうになった瞬間。


「阿微! 受け身! 」


 月澄げっちょうの声がして、横から大きな力で突き飛ばされる。微明びめいは言われた通り、飛ばされながら受け身を取る。空中で一回転しながら着地し、幽鬼を捕まえた月澄げっちょうを見る。


「お礼をもらってやってもいいぜ」

「……助かった」

「はぁ……はぁ……」


 少し遅れて清揺せいようも合流した。録魔符ろくまふで幽鬼の記録を取り、中央修仙司ちゅうおうしゅうせんしへ送る。これで大体は任務が完了だ。後は始末だけ。三人は幽鬼を連れ、昼に話し合った空地へ向かう。


「皆、ご苦労様」


 佐藤が三人を労う。その横には剣を構えたげん 桂衝けいしょうが居る。


「ではげん 桂衝けいしょう殿、いつでもどうぞ」

「道士殿に感謝する」


 一呼吸し、げん 桂衝けいしょうは横たわる幽鬼へ刀を振るう。まず、幽鬼の下半身に繋がっていた人の足を、一太刀で切り落とす。げん 桂衝けいしょうは離れた足をちらりと見て、すぐさま幽鬼の首を落とす。剣捌きはとても速く、正確だった。悪念を撒き散らしながら消えていく幽鬼の残骸にもう用はないと言わんばかりに背を向け、刀を微明びめいへ返す。


かく修士。貴殿の佩刀はいとうをお返しします」

 

 微明びめいは何も言わずに受け取る。幽鬼に繋がっていた足も同時に消え、空き地には七人が残った。悪念の影響を受けないように、少し遠くに待機していたしん きんきん 耀蘭ようらんへ一行が近づく。服を着込んだしん きんが目を輝かせながらげん 桂衝けいしょうに声をかける。


阿桂けい、終わったの? 」

「うん」


 げん 桂衝けいしょうしん きんを背負う。逞しい体に腕をきつく巻き付けながら、しん きんが申し訳なさそうに口を開いた。


「この度は私の愚行のせいで皆様の手を煩わせてしまい申し訳ありませんでした。お詫びは次の機会に是非。ま、私がその時までに生きていればですが……」

阿瑾きん! 」

「ははっ、自虐がくせになっちゃった。怒らないでよ旦那様……」


 しん きんげん 桂衝けいしょうの背に隠れて楽しそうにクスクスと笑う。まるで幼子のような無邪気さだった。

 清揺せいようが申し訳なさそうに口を開く。


「あの、幽鬼に渡してしまった足は返す方法がありません。きん公子のお力になれず申し訳ございませんでした」


 しん きんは軽く咳をして、明るく返す。


「いいんです。命格を伸ばしてやる、などという甘言にまんまと乗せられた私への罰なのでしょう」


 更に咳き込んで、頭をげん 桂衝けいしょうの肩へ預けると、しん きんは笑って続けた。黒の目には、まだ眩い光が灯っている。


「ですが、まだ指は残っていますから琴は弾けますし、親友と語らう口もあります。歩けぬなら、こうして夫が背負ってくれる。死へ向かう身には、過ぎたほどの幸せですよ」

阿瑾きん、もう戻るぞ」

「はいはい、分かりましたよ旦那様。――それでは皆様、また縁が巡れば」


 二人の背が遠くなったタイミングで、残った耀蘭ようらんが佐藤たちに礼をする。


「皆さま。この度は私の大切な友の願いを聞き届けてくださり、心より感謝いたします。……ですが、これ以上お互いに踏み込むのは野暮というものでしょう。縁あらば、またいずれお会いできますとも。僅かばかりの礼ではございますが、このまま青都の宿へお泊まりください。土産もご用意しておりますので、どうぞ明日、ゆるりとご出立を。皆様の帰路の平穏と、末永いご繁栄を祈ります」


 師匠と弟子も深く礼をした。耀蘭ようらんは顔を上げて弟子の顔をそれぞれ見つめる。


「しかし、修士方は実に見事ですね。才も胆力も備わっている。それに、三という数も良い。昔より、『三つ揃えば欠けを補う』と言いますから」

 

 耀蘭ようらんは何かに怯えるように、眼鏡の奥の目を細めた。


「……一つ欠けた時は恐ろしいでしょうね」


 弟子たちがお互いにそっと目を合わせる。耀蘭ようらんを見送り、一行は用意してもらった宿へ向かう。

 幽鬼はしん きんを甘言で欺き、足を奪った。だが、一つを得た幽鬼は、更なる欲を覚え、ついにしん きんそのものを求めるようになった。しかし、幽鬼は弟子に掴まり、しん きんの伴侶によって討たれた。これでもう、夜道で走り去る白影に怯える者も減っていくはずだ。あとは平穏が続いていくだろう。

 こうして落霞鎮らくかちんの幽鬼騒ぎは幕を閉じた。佐藤はただ、あの絢爛な庭園に、琴の調べと澄んだ歌声がいつまでも響くように願った。




━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━




 行きの道中では、「帰りは観光しよう」と弟子たちと話していた。だが、清揺せいようをはじめ、皆どこか早く雲香宮うんこうきゅうへ帰りたがっている様子だった。無理もない。それどころではないのだろう。

 しかし佐藤は、せっかくの機会だからと半ば強引に三人を連れて青都を見て回った。気晴らしも兼ねていたが、同時に弟子たちの悪念が暴走しないか確かめる意図もあった。

 最初こそ気落ちしていた三人だったが、賑やかな大通りに立ち並ぶ露店、美味しい料理、華やかな舞踊を目にするうち、次第に目を輝かせ始めた。そうして帰路につく頃には、空はすっかり夕暮れに染まりかけていた。

 預けていた馬を引き取りに行くと、一頭が体調を崩しているらしく、四人は三頭の馬で帰ることになった。

 月澄げっちょうあぶみに足を掛けながら言う。


「師匠、俺の前に乗ってください」

「ううん。月澄げっちょうは馬の扱いが荒いから、微明びめいと一緒に乗せてもらう」

「……師匠、俺より、アイツと乗った方が楽しいんですよ」

「そうそう。さすが微明びめい兄様。俺の良さをよくご存じだ」

「じゃあ、微明びめい月澄げっちょうが一緒に乗ろうか」

「「……」」


 帰り道、微明びめい月澄げっちょうはぎゃあぎゃあと騒いでいたが、それとは対照的に、清揺せいようは静かなままだった。何かを考え込むように俯いており、雲香宮うんこうきゅうへ辿り着いた時、彼女は佐藤にだけそっと呟いた。


「師匠、私、きん公子とげん公子は、生まれ変わっても来世で結ばれてほしいと思いました」

「……そうだね。今世の縁だけでは短すぎる」


 清揺せいようはきっと、己の前世の魂である妖魔王の恋人についても考えていたのだろう。それ以上は言わず、佐藤に礼をして部屋へ帰った。

 今夜は清揺と過ごす予定だった。どう声をかけてあげようかと佐藤が自室で悩んでいると、部屋の扉が叩かれる。月澄げっちょうだった。


「師匠、清揺せいようが今晩は俺に順番を譲るそうです」

「あ、そうなの? 」

「はい。考えがまとまらないので時間が欲しいと」

「そっか……」


 彼女は思いつめる所があるので心配だったが、一人の時間も大事だ。


「先に風呂に入ってますね」


 そう言われてパタンと扉を閉じられる。


(そうだった……)


 佐藤も風呂の準備を済ませ、自室を出た。水を飲もうと居間を通ると、大きな窓の向こうに、木へ登って座り込んでいる微明びめいの姿が見える。少し離れたあの木は、微明びめいのお気に入りの場所の一つだった。

考え事をしたい時や、他の弟子に邪魔されず本を読みたい時、いつの間にかあそこへ行くようになったのだ。窓からよく見える場所なので、雲香宮うんこうきゅう微明びめいの姿が見当たらない時、佐藤はよくこの窓から木を眺めていた。そして彼を見つける度、密かに安堵していた。 

 佐藤が手を振ると、気付いた微明びめいは軽く片手を上げ、また木へ背を預ける。簡素な返事が彼らしい。これ以上邪魔をしないよう、佐藤は小浴場へ向かった。

 扉を開けると、湯気に混じって蘭の香りが漂う。いつものように湯衣を着て浴場へ入ったが、先に来ているはずの月澄げっちょうの姿が見当たらない。


月澄げっちょう? 」


呼んでも返事はない。仕方なく白濁した湯へ身を沈めた、その瞬間だった。ざばり、と大きな水音を立てて、月澄げっちょうが湯の中から飛び出してくる。


「うわっ!?」


 佐藤は驚きのあまり腰を抜かしかけた。湯が白く濁っていて、潜っていた月澄げっちょうに全く気付かなかったのだ。


「師匠」

「げっ、月澄げっちょう……!」


 月澄げっちょうは濡れた髪をかき上げる。揺れた三つ編みから飛んだ雫が、佐藤の頬へぱたりとかかった。鍛えられた裸体を晒し、こちらを見下ろしニヤリと不敵に笑っている。


「そんなに驚きましたか? 昔もしたでしょう」

「……昔すぎて忘れていた」

「では、また忘れた頃にやりましょう」


 月澄げっちょうが佐藤の近くに腰かけて、縁に腕をかける。あと少しで届きそうな距離感だ。月湯の温度とは別の熱を感じた。花の香が鼻孔を抜ける。今夜は少し雲が多い夜だった。


月澄げっちょう

「はい」

「その、落霞鎮らくかちんでのことなんだけど……」

「師匠、また潜っていいですか? 」

「なんで? 」

「恥ずかしいから……」

 

 そう言う月澄げっちょうは目を閉じて上を向いていた。耳が真っ赤になっていて、湯の熱さのせいだけではないことが分かった。


「どうして? 恥ずかしくないよ。あの時はごめんね。 あれ、私の分身だったから上手く答えられなかっただけで」


 月澄げっちょうが「分身?」と言いながら佐藤の方を向く。目が合うと瞳の中の黒い瞳孔が、ぎゅん、と膨らんだ。頷いて話を続ける。


「うん。皆のことが気になってこっそり付いていっていたんだ。それで、それがバレないように偽装工作として分身を部屋に置いていて」


 また、佐藤は夜明けにしん家を覗いていたこと、そのせいで部屋に戻るのが遅れ、月澄げっちょうの相手を上手くしてやれなかったことを話した。月澄げっちょうはぽかんとした顔をしながらも、しぶしぶと納得したようだ。


「……じゃあ、俺のこと無視した訳じゃないんですか? 」

「しないよ! するわけない! 」

「本当ですか? じゃあ、次に俺のこと無視したら……本当に怒ります」


 金の瞳がギラリと光る。捕食者じみた荒々しさに、佐藤は黙って頷く。月澄げっちょうは約束したら満足したのか、すぐに光は消えた。


「でも俺、あの時すごく傷ついて……本当に無視してなかったか、証明してください」

「ええ~、分身を作ればいい? 」

「……撫でてください」


 月澄げっちょうが正面に来て身を乗り出す。佐藤はもちろん手を伸ばして頭に添える。びしょ濡れの髪を梳くようにしてやると、満更でもなさそうな顔をする。


「証明できた? 」

「まだです」

「はいはい。あとは何をすればいいんでしょうか」

「……」


 月澄げっちょうが目を伏せしばらく躊躇った後、顔を傾けてそっと佐藤に近づく。そのまま、顔を佐藤の肩口へ埋めて、小さな声で呟く。


「しばらく、このままで……」


 佐藤は、月澄げっちょうが小さいころに戻ったかのような錯覚に陥った。


「うん、いいよ」


 月澄げっちょうのプライドを傷つけないように、佐藤も恐る恐る手を伸ばす。拒否されなかったので、背中を抱きしめるようにする。背丈がまだ半分で歯が抜けていた時、よくこうやって甘やかしていた。


「膝にも……乗る? 」


 月澄げっちょうが頭だけ預けた体制が辛そうだったので提案してみたところ、横になり、昔みたいに体を丸めて全体重を佐藤に預ける。月澄げっちょうは佐藤よりやや上背があるが、浮力のおかげで耐えられる重さだった。

 こうして直接的に甘えてくれるのは何年ぶりだろう。そして、もうきっとこれが最後だろう。そう思った佐藤は彼を受け止めた。自室と木の上で悩む二人についても考える。きっと今回の件でそれぞれ思うことがあるんだろう。

 月澄げっちょうが佐藤の胸に顔を預け、動いて揺れた水面が落ち着いたころ、口を開く。


「あの時に俺が話したことって聞こえていたんですか」

「悪夢を見ると、走火入魔そうかにゅうまみたいな状態になること? 」

「はい……」


 目を閉じて、寝ているかのようなまどろんだ口調で月澄げっちょうが話す。佐藤は頭を撫でてやった。もし佐藤の腕の中で眠ってしまっても問題ないように、彼を抱えるように腕を回した。月澄げっちょうは湯の中で佐藤の脚の間へ半ば入り込むように寄りかかっている。


「俺、いろいろ試したんですけど全然効果なくて」

「うん」

清揺せいよう微明びめいに相談したのに、あいつら師匠に早く言えとしか」

「言いそうだな……」


 拗ねるような口調も相まって佐藤は笑ってしまった。


「でも俺、師匠に言いたくなかったんです。なんだか恥ずかしくて……。あの時勇気を出して言ったのに、分身だったって……」

「ごめんね」


 佐藤が笑うと息が擽ったいのか、月澄げっちょうが少し身じろぎする。それに合わせて佐藤も足を伸ばすと、湯衣越しに熱を帯びた感触が触れた。佐藤は息を呑む。月澄げっちょうは風呂ではいつも何も身に着けない。つまり今触れたものが何なのか、理解してしまった。

 

「……恥ずかしいって……月澄げっちょうはいつも私の前で恥ずかしいことばっかりしてるくせに……どうして言いたくなかったの? 」


 佐藤は若干パニックになりながら答えた。


「俺にも恥はあります……」


 月澄げっちょうが照れたように言った後、苦しそうに呻く。


「今も苦しいの……? 」

「っ……、はい……師匠、頭撫でてください……」

「撫でたら解決する?」

「う、分かりません、でも、楽になります……」


 そう答える月澄げっちょうの息が荒くなる。佐藤は確信を持つことが出来ず、緊張で心臓がドクドクと早鐘を打つ。月澄げっちょうはその鼓動に頭を摺り寄せる。


「師匠、心臓の音が、すごい……」


 月澄げっちょうは熱に浮かされたような声で続けた。佐藤は、自分の勘違いではないのか確かめるように、伸ばした足を少し内側へ曲げた。月澄げっちょうの息は相変わらず荒い。


月澄げっちょう、熱くて苦しいって言うのは……」


 言いながら更に足を曲げる。少し触れた時、腕の中の月澄げっちょうがビクン、と大きく跳ねて、顔をしかめる。


「うっ」

月澄げっちょう、どこが一番熱くて苦しい……?」


 佐藤がそう聞くと、月澄げっちょうは鼻を啜る。


「……言いたくありません」

「大丈夫、師に聞かせて」


 月澄げっちょうの頭を撫でながら、佐藤自身も、知らず呼吸が浅くなる。


(やばい、やばいやばいやばい……俺、俺、やっちまった……)


 佐藤は焦りから、湯に入っているのに全身が冷えていくのを感じる。


「師匠……」

「うん、月澄げっちょう、恥ずかしくないよ」


(やっちまった!! やっちまった!!!ごめん月澄げっちょう清揺せいよう微明びめい! )


 謝罪も込め、安心させるように何度も何度も頭を撫でて手を動かすと、月澄げっちょうが佐藤を見上げ、悲しそうに小さい声で呟く。


「師匠、俺、陽物が痛くて……師匠との悪念の修行が足りないんですか……」

 

(そういう知識を教えてない……弟子に保健体育の授業をしていない!!!!!!!)




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