弟子と保健体育
香寧は自分の腕の中で大人しくしている月澄を優しく見つめ、胸の内で叫ぶ。
(月澄! 安心しろ! それは病でも走火入魔でもない! 男になら誰でもある生理現象だ! 解決方法は修行じゃない! 修行不足でもないし、悪念の暴走でもない! ……いや、暴走はしてるかもしれないけど! 抜けばいいんだ! 手で、こうやって……)
そこまで考えて香寧は顔を熱くする。言えない。そんなこと口が裂けても言えない。というかこんな距離で、湯の中で、抱き合ったまま説明できる話ではない。もしこれが綺麗なお姉さんと男なら問題ない構図だが、生憎二人は同性の師匠と弟子。問題しかない。
「ええと、月澄……」
香寧は考えを巡らせながら、どう声をかけていいか迷いあぐねていた。
(直接言う? セクハラ? でも親子みたいなもんだし? でも師匠だよ? 師匠ってそこまで教えなければならないのか? あ、でも修行みたいなものか? じゃあ俺がお手本として目の前で実践しないといけないのか!?)
「師匠? 」
青くなったり赤くなったりしている香寧に月澄が不思議そうに声をかける。
「あ、ああ、大丈夫だよ、ちょっと、上せたのかも……」
月澄も同じく、己の熱と湯、師匠の体温で上せて気を失ってしまいそうだった。うつらうつらとする意識の中で、目の前の首筋に雫がつうっと伝う。
……喉が渇いた。熱に溶けた瞳でそれを捉えた月澄は、本能のままに行動した。
「いっ! 」
突然、首筋の薄い皮膚に鋭い痛みが走り、香寧は思わず月澄を引き離そうとした。しかし、獲物に食らいついた獣のように、月澄は誰にも奪われまいとするかのように噛みついたまま離れない。
(噛まれている! なんで!? )
「いたっ、げっちょう、いたいっ」
満足するまで噛みついていた月澄は、唇を離す間際、名残惜しそうに吸い上げた。ちゅば、と粘ついた水音が浴場に響く。その湿った音に香寧の背筋がぞくりと震えた。
(なんで噛むんだ!? 苦しいからって俺を噛むことないだろ!)
派手な水音を立てながら、月澄が香寧の胸から身を起こし、真正面から師匠の顔をじっと見る。背後を風呂の縁に塞がれ、目の前には月澄がいる。その逃げ場のない状況に、香寧は恐怖を感じた。月澄の金の瞳は見開かれ、息は荒く、理性を失っているようにしか見えない。
乾いていたのは喉ではなかった。飢えているのは、もっと別のところだ。
その圧に香寧はたじろぎ、目を逸らす。
「月澄、痛いだろ、急に人を嚙むな……」
過去に彼が走火入魔に陥った際、香寧は腕と顎を噛まれたことがあった。しかし、あの時の彼は幼く、前歯が一本無かったので大事には至らなかった。だが今の月澄は、体は倍以上に成長し、力も強く、歯も綺麗に揃っている。
香寧の首には月澄の噛んだ後が赤く残ってヒリヒリと腫れていた。香寧は思わずその傷口に手をやると、鋭い痛みが走った。
「っ……、え、あっ! 」
痛みに思わず肩を震わせると、それを見た月澄が香寧の首を抑えるように掴んで、そのまま乱暴に顔を押し付けてきた。頭突きと錯覚するほどの衝撃に、香寧は風呂の縁に後頭部が激突した。痛みに悶絶しながら、香寧は何をされているのか理解できなかった。自分に覆いかぶさる月澄の胸を押すがビクともせず、抵抗すればするほど逆に抑え込まれ、肩に月澄の指が食い込む。
(痛い! 首も肩も頭も痛い! 力強い! 口痛い! 噛まれて痛い! )
襲い掛かる様々な痛みに、香寧は脳内で悲鳴を上げた。
月澄は香寧の唇を食み何度も噛んでは舐める。香寧が何か言おうとするたび、その言葉と呼吸を奪うように歯先で唇を甘噛みした。金の瞳は焦点が定まらず、獣のようにぎらついている。
「はっ、はぁっ」
「げっちょ……んんっ……」
互いの鼻が当たり、上手く噛めないのが不満だったのか、月澄は顔の角度を傾けて再び香寧へ迫った。すると口の形がぴたりと収まり、開いた香寧の口内へ長くて熱い舌が侵入する。
(どうしよう、痛い、やめて、月澄……! )
ぶつけた頭がずきずきと痛む。走火入魔の際に、彼の霊気は香寧の体内へ無理やり流れ込んできたが、今感じているのはそれとはまるで違う生々しい肉の熱だった。柔い舌同士を強引に擦り合わせる感触に、一瞬頭の奥が痺れるような感覚が走り意識が眩む。硬くなった下半身まで遠慮なく押し付けられれば、理性の薄れた獣のような動きにそのまま呑み込まれてしまいそうになる。
月澄は唇を貪るのを止めると再び首筋へ噛みついた。首だけでは飽き足らないように湯衣を剥ぎ取ろうと帯へ手を掛けられ、そこでようやく香寧の頭の中に警鐘が鳴り響く。
ふと、いつかの清揺の言葉を思い出す。
───次にしたら股間を蹴り上げる───
「っ!」
香寧が月澄の猛った部分を握りしめた瞬間、彼の全身が大きく震えた。月澄は弾かれたように体を起こした。
「師匠……」
「月澄!?」
掠れた声を最後に、月澄は張り詰めていた糸が切れたように脱力し、そのまま大きな水飛沫を上げて湯へ沈んだ。
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広間に敷いた布団に、真っ赤な顔で寝ている月澄を香寧は団扇で仰いでいた。
(はあ、早急に保健体育の指導をしなければ……)
その傍らには微明と清揺が付き添っていた。項垂れる師匠の、白い首と唇についた切り傷に気付いて以降は、寝ている同門をゴミでも見るかのような目つきで見下ろしていた。
(そういえば原作の月澄って恋人がいるよな? もし恋人にもあんな扱いしたんじゃ振られてしまう、いや、恋人には優しくするか……、さっきは理性なさそうだったもんな……はぁ、口痛い……)
香寧が何度目かの溜息を吐いた後、清揺が声をかける。
「師匠、後は私達でこのクズ……いえ、月澄に付き添いますので、師匠もお部屋で休まれた方がよろしいかと」
微明も同意する。
「はい、カスの後始末はお任せください」
「ちょ、ちょっと、そんな酷いこと言わないでよ」
「でも師匠、とても痛そうです……」
弟子二人が香寧の傷を見る。それを団扇で慌てて隠しながら香寧は弁明した。
「ゴホン。これは、月澄が、気を失って、倒れて、私が支えきれず、ぶつけて、出来た傷です。見た目より痛くないから、心配しないで」
理由を聞いてもいないのに事前に決めていた言い訳をなぞるような口ぶりに、弟子二人は「そんなわけないだろう……」と同時に思ったが、ここは師匠の顔を立てる。
香寧が自室に戻った後、寝ている月澄を二発の拳が襲った。
翌朝、部屋で着替えをしていると落ち込んだ月澄が訪れる。香寧は慌てて、首の傷を術で雑に隠した。
「師匠、すみません、俺、昨日、気絶して怪我させたみたいで……」
朝の光の中、申し訳なさそうに謝る月澄を見て、香寧は昨日の欲に満ちた顔を思い出す。噛まれた箇所がピリピリと疼きだしたので、それに気づかないふりをする。
「ううん。遠出で疲れていたんだろう。……もう体は大丈夫? 」
「はい。いつもより目覚めが良かったです」
香寧は「だろうな……」と思い、気絶後の脱衣所での出来事を思い出し顔を赤くする。墓場まで持っていかなければ。
「痛くないですか? 」
不安そうに覗き込む月澄はいつも通りだ。開いた口から赤い舌が見えて、昨日、香寧の口内を荒らしたぬるりとした感触が呼び覚まされる。
香寧は忘れるように目を閉じて、一番気になることを質問する。
「うん、大丈夫だよ。ええと、昨日のこと、どこまで覚えてる……? 」
「え?」
「いや、昨日、話してて、途中から様子がおかしかったから、心配で……」
香寧は聞けなかった。「私を散々噛んで舐めて痛めつけたことを覚えているのか!?」と。
月澄が三つ編みを指先で擦って答える。
「アイツらにも同じこと聞かれたんですが、実は、昨日のことは記憶が曖昧でよく覚えていません。師匠が俺に胸を貸してくれたところまでは覚えているんですが……」
「!! そうか! いてっ」
大声を出すために口を開くと傷が開き、血が滲んだ。月澄が机の上にある軟膏を清潔な布巾につけ、香寧の口元に当てる。
「ん……」
月澄は優しい手つきで軟膏を塗る。真剣な表情は、昨日とは本当に別人のようだ。拭いた後も傷を確認するかのように、その場から動かない。
香寧は原作を思い出し安心した。いずれできる恋人相手にはきちんと優しくするだろう。
しかし、なぜか少しだけ面白くなかったので、香寧は月澄に意地悪を言う。
「月澄、いつか出来る大事な人には優しくするんだよ」
「……? していますが」
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傷も治る頃、雲香宮へ白宵が訪ねてきた。弟子の成人の儀と任務完了の祝いに、客間に入りきらないぐらいお土産を携えていた。それを横目で見て、香寧はいつ質に入れようかとワクワクしていた。
弟子のお祝いの話もそこそこに、香寧は白宵へ質問する。
「白宵師兄、弟子への性教育はどう行えばいいでしょうか」
「……」
会う頻度は少ないが、白宵とは数年来の知り合いだ。麗しい顔が目を伏せた時、香寧には白宵が何を考えているのか理解した。
「あ、『また変なことを言っている』とお思いですね。ですが、白宵師兄にしか頼れないんです。あなたのただ一人の哀れな弟弟子は数年前に記憶を失い、幸運にも白宵師兄に助けられました。こんな相談も白宵師兄にしかできません!!」
「……」
原作では、香寧の転生先の林 香寧と白宵は結託し、弟子三人を悪役の三邪王として育て上げた。しかし、香寧はその結末は回避したい。転生したての頃は白宵を警戒していたのだが、彼はそんないかにも黒幕然とした素振りは一切見せなかった。なので安心した香寧は、「困った時」「悩んだ時」「詰んだ時」白宵に頼っていた。
(実は白宵が案内役だったりして……なーんて)
まだ黙ったままの白宵に、香寧は畳みかける。
「師兄、この香寧は困っております。聡明で見識ある師兄でしたらすぐに解決できる悩みかと」
「忘川観を訪ねなさい」
これ以上のおべっかは不要、と言わんばかりに白宵は手を上げて香寧を制す。
以前、月澄の走火入魔を治した後に、香寧が修行をしに行った場所だ。ここより北、寒霊山の中にあり、お世話になった寒松老人がいる。雲香宮の何十倍も広く、その分門弟も数百人規模だ。
「寒松老人に教わるんですか?」
「いえ、養生と陰陽学に精通している葉 婉春女医がおります。彼女を頼るとよいでしょう。話は私の方で通しておきます」
「ありがとうございます! あの、私達もそこで性教育を習ったんですか? 」
白宵は意図的に口角を上げた。意味は「聞くな」。
「わかりました。いつも白宵師兄にはお世話になっております。すぐに出発します」
「香寧」
突然、声のトーンが下がったので香寧はビクッとする。
「……はい、なんでしょう」
「月澄の悪夢の内容は聞きましたか? 」
白宵の青い瞳は、香寧の内心を探るような暗い輝きを湛える。
「いいえ。聞いておりません」
白宵はその答えに満足したのか、春の日差しのような笑みを浮かべた。
「今後も聞かない方がいいでしょう」
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香寧は早速弟子たちを連れて寒霊山へ向かった。今回の遠征は、成人した弟子たちに必要なことを学ばせるため、と伝えた。まあ、嘘は言っていない。
忘川観の扁額には金文字が刻まれていた。相変わらず立派で、雲香宮にもコレ欲しい~と香寧は呑気に考えていた。
門番に雲香宮の者だと伝えると、そのまま葉 婉春女医がおわす医館に案内される。門から医館までは距離があったのでしばらく歩いた。道中では様々な忘川観の弟子とすれ違う。
丹新山と寒霊山は三時間ほどで行き来できる距離にある。四人が丹新山近くの里の妖魔を討伐していることは周知済みのようだった。憧れの目を向ける者、奇異の視線を寄越す者、興味本位で覗き込む者、見惚れる者、また――過去を知っており恐怖心を抱いて見る者───様々だった。
「師匠、俺ら、すごい見られてませんか」
五感が敏感な月澄が、三つ編みを指に巻き付けながら不愉快そうに言う。
「うん。私の弟子たちは優秀だからね。そりゃ見るだろう! 」
香寧だけは本気でそう思っていた。
医館に近づくにつれ、青く苦い香りが鼻をついた。木造の建物の軒には乾かされた草葉がいくつも吊るされている。中に入ると年季の入った机や長椅子があり、壁一面には薬名の書かれた引き出しがあった。
衝立の向こうから書簡を持った女性がやって来る。葉 婉春女医だ。ハキハキとしてよく通る声が医館に響いた。
「雲香宮の方々ですね。白宵真人からお話は承っております。三人へ陰陽学を教える……で間違っていませんか? 」
「は、はい。ご指導のほどよろしくお願いいたします」
「先に彼らの悪念の確認だけさせてくださいね。林 香寧宮主、少々お待ちください」
そう言って葉 婉春は三人それぞれの霊脈を測る。まとめた黒髪で揺れる玉簪が、彼女の動きに合わせて小さく鳴った。清潔感ある薄青色の服を身に着け、テキパキとした動きで順番に弟子の脈拍や瞳孔を観察する姿は、日頃から多くの患者を診ていることが窺えた。
葉 婉春が月澄の腕を取った瞬間、香寧は彼の逆流する霊気の注意をしようとしたが、彼女は気にした様子もなく霊脈を測り続けていた。
(あれ……? )
葉 婉春は綺麗な眉をしかめながらも、何事もなく測り終わり、香寧へ向き直る。
「本当に面白い弟子たちですね。さぞかしご指導が大変だったでしょう」
「はは……」
「教え甲斐もあります。では、弟子たちはこちらへどうぞ。その間、林 香寧宮主は観内をご覧ください。小杏、小桃、案内して差し上げなさい」
「はい。婉師匠」
衝立から女の子二人がパタパタと駆けてきて、香寧の前で礼をする。清揺と同い年くらいだろうか。香寧は少し屈み、笑顔で挨拶する。二つのお団子がお揃いでとても可愛らしい二人だった。
「庭をご案内いたします。綺麗な花が咲いております」
「いえ、修練場へ向かいましょう。林宮主はどこがご希望でしょうか」
「二人のおすすめでお願いします」
「はい!」
小杏と小桃に挟まれた師匠が楽しそうに外に出る。
「……」
月澄がつまらなそうにその光景を眺めていたが、微明に突かれて渋々と扉の向こうへ消える。
授業を行う部屋は男女で分かれていた。
微明と月澄は長机に並んで座り、葉 婉春女医の講義を聞く。
男女の体の違い、成熟後の体の変化、子を為す仕組み。
年頃の少年なら、照れ隠しに隣をからかいたくなる内容だったが、葉 婉春の語り口は終始真面目で、軽口を挟める空気ではなかった。
双修の説明に入った時、月澄はふと、師匠の“いつかの道侶候補”を思い出す。無意識に指先で三つ編みを弄った。
葉 婉春の声が響く。
「年頃ですから、想い人の一人や二人、できても不思議ではありません」
その言葉を聞いた瞬間、月澄と微明は反射的に互いを見た。――余計なことを言うなよ。そんな牽制だった。
もちろん、葉 婉春が見逃すはずもない。声を一段階張り上げる。
「また、当たり前ですが、好きだからと言って相手に無理強いはいけません! 」
その時、微明が意味ありげに月澄を見た。月澄はその視線に疑問を持つ。
「……ん? 」
「どうしました月澄。心当たりがあるのですか? 」
「い、いえ、ありません」
「……」
微明は意味深に目を伏せた。葉 婉春はその様子を見て確信する。
「……いるのですね。思いを寄せる人が」
二人はまた目線を合わせる。───絶対に何も言うな!!と必死に訴えかける。
葉 婉春は玉簪の涼やかな音を立てながら近づく。微明は何も言わない。
「そして、無理強いをしてしまったのですね?」
「っ! 」
微明が怯えるように反応する。そんな彼を見て、月澄は驚愕した。
月澄は、微明が何かしでかしたのだと思った。
一方の微明は、風呂場での月澄の惨劇を思い出して顔をしかめている。
「おい、お前……何か言えよ」
焦った月澄が微明の肩を揺さぶる。しかし微明は鬱陶しそうにその手を払い落とした。その仕草はまるで、過去の出来事を思い出すから触らないでほしい、というような意味合いさえ勘ぐってしまうほどに。
葉 婉春は声を潜めた。
「……お相手は、殿方ですか? 」
「「 !! 」」
その言葉に、二人の肩が同時に跳ねた。「違う」と即座に否定できないほど大げさな反応に、葉 婉春は「やはり」とでも言いたげに息を吐き、それから楽しげに笑う。
「では、後ほど林宮主と柳 清揺も交えて、お話したいことがあります」
実のところ彼女は――色恋沙汰が三度の飯より好きなのだった!
その頃、香寧は小杏と小桃に案内され、忘川観の観内を見て回っていた。以前訪れた時は修行に追われていたため、こうしてゆっくり歩くのは初めてだった。
雲香宮にも簡単な修練場や道場はあるが、基本的には丹新山の旅館としての役割が強い。香寧は忘川観の広さと施設の充実ぶりに感心していた。
(皆も、こういう場所で学べばもっと才能が伸びるかもしれない……)
そして何より、人の多さである。既に百人近い門弟たちとすれ違っている。年齢も性別も様々で、香寧はふと前世の学校を思い出した。
練剣場の前を通りかかった時、不意に少し上擦った声で呼び止められる。
振り向くと、そこには二人の若者が立っていた。月澄や微明と同じくらいの年頃だろうか。
一人は金髪で、短く跳ねた毛先と勝気な目元が印象的な美少年だった。そばかすすら自信に変えてしまいそうな華やかさがある。
もう一人はひょろりと背が高くやや猫背気味で、長い前髪で目元を隠していた。
金髪の少年が背筋を伸ばし、淀みない所作で礼をする。
「渡雲香君。お会いできて光栄です。忘川観にて温 如晟師の指導を受けております、景 煌瑛と申します」
続いて、前髪が長い少年も静かに頭を下げた。
「……裴 凛雪師のもとで学んでおります。謝 廉と申します」
金髪の子の方が景 煌瑛、前髪長い子が謝 廉。香寧は脳内でそっと名前を反芻した。
「景師兄、林宮主に何か御用でしょうか? 」
小杏が可愛らしい声で尋ねる。
すると、景 煌瑛はふっと口角を上げた。隠す気もない自信がその笑みに滲む。一歩前へ出る。
「単刀直入に申し上げます。私と謝で、渡雲香君のご高弟二人と、一度剣を交えさせていただけないでしょうか」
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香寧は弟子三人がいる医館へ戻った。授業は既に終わっていたようで、三人は退屈そうに薬草棚を眺めている。
だが、月澄だけが何やら口元をもごもごさせていたので、香寧は眉をひそめた。
「……月澄、その辺のものを勝手に食べてないよね」
「んっ……違います。何も食べておりません。ほら! 」
「ちょ、見せなくていいよ!」
「月澄、雲香宮の外なんだから、師匠に迷惑かけないの」
明らかに何かを飲み込んだ後、月澄は口を開けて潔白を主張する。覗いた歯列と赤い舌に、香寧は過剰に反応してしまった。
そこへ外の騒ぎを聞きつけた葉 婉春女医が衝立の向こうから現れ、香寧だけを医館の奥へ招き入れる。
「林宮主、どの子も聞き分けが良く、滞りなく終わりました。医学書を数冊お渡ししますので、補足などをしてあげてください」
「葉女医、本当にありがとうございます」
「それと、柳 清揺ですが、まだ月経は来ておりませんので、準備だけはしておいてあげてください。あの年頃の娘は、自分から言い出しにくいものです」
「……!」
(そうだ!清揺は女の子なんだからそういうことがある! 俺の馬鹿野郎! ここに来て本当に良かった……! )
香寧が目に見えて青ざめたので、葉 婉春がすぐに言葉を添える。
「渡雲香君は白宵真人と並び立つほどのお方。俗世に疎いのも仕方ありません。必要なことは医学書にも書いてありますので、後ほどご確認ください」
「本当に、何とお礼申し上げたらいいか……」
深々と頭を下げる香寧に、葉 婉春はくすりと笑った。
「……それと、もしご都合がよければ、本日は師弟で医館にお泊まりください。催しを企画しております」
「はい……?」
詳しい話は後ほど、ということになり、香寧は弟子たちの元へ戻る。
するとそこでは、先ほどの二人組が弟子たちと話し込んでいた。
「だから、師匠が許せばって……あ、師匠」
「どうしたの?」
「こいつらが試合しろってうるさくて」
月澄が顎で景 煌瑛と謝 廉を示す。かなりしつこく誘われたのか、微明も露骨にうんざりした顔をしていた。
「渡雲香君には既にお話ししております。互いの剣技を学ぶ良い機会かと」
「うん、聞いてたよ。ちょうど二人にも話そうと思ってたんだ。どうかな?」
「「……師匠は?」」
二人同時の問いに、香寧は少し考えるふりをする。
「うーん、無理強いはしないけど……二人のかっこいいところは見たいかも」
その一言で、月澄と微明は即座に承諾した。景 煌瑛は満足げに笑い、練剣場へ案内しようとして――ふと清揺へ振り返る。
「お二人に囲まれているとは思えぬほど、可憐な花のようなお方ですね。後ほど、ぜひお名前をお聞かせください」
「俺らに勝てたらな!」
月澄が景 煌瑛の首根っこを掴み、清揺から引き離すように後ろへ引っ張った。それに不機嫌になった景 煌瑛が言い返す。
「乱暴にするな! 折角整えた髪がお前のせいで崩れる! 」
「これからもっと崩してやるよ 」
二人はそのまま子供のように言い争いながら、練剣場へ向かって歩いていった。その後ろを、微明と謝 廉が「やれやれ」とでも言いたげな顔でついていく。その光景に香寧は清揺と顔を見合わせ、小さく笑った。
試合は、何十人もの門弟が見守る中で何度か行われた。景 煌瑛と謝 廉も善戦したが、最終的には月澄と微明が勝利する。
香寧は愛弟子たちが活躍するたびに拍手を送り、一人で大いに盛り上がっていた。だが周囲の忘川観門弟たちの視線に気付くと、慌てて澄ました顔に戻る。そんなことを何度か繰り返した。
勝負がついた後も、袖で口元を隠しながら、香寧の頬は緩みっぱなしだった。
(すごい! さすがだ! かっこいい!)
月澄が微明の肩に腕を乗せて息をつく。人差し指で三つ編みを回しながら、褒めてほしそうに目を細めて師匠を見るので、労いの意味を込めて小さく頷く。
景 煌瑛がなおも再戦を挑もうとした、その時だった。
「何をしている! 私的な試合は禁止だぞ!」
空気を裂くような叱責が響き渡る。さっきまでの賑やかさが嘘のように消え、練剣場が静まり返った。
声の主は入口から真っ直ぐ中央へ歩み寄ってくる。それを見た謝 廉が姿勢を正し、小さく呟いた。
「……師匠」
「廉! 煌瑛に付き合うなと何度言えば分かる!」
謝 廉の師――裴 凛雪だった。
切れ長の吊り目に、整いすぎた美貌。艶やかな黒髪と、雪を思わせる真白の衣。張り詰めた空気を纏う姿は、近づき難いほど冷ややかだ。香寧は感動した。
(名は体を表す……!)
「林宮主。私の弟子が失礼した」
裴 凛雪が香寧へ歩み寄る。香寧も慌てて礼を返した。
「いえ、こちらも忘川観の規則を知らず、勝手をいたしまして申し訳ありません」
双方の弟子たちも礼を返し合い、場にわずかな気まずさが流れる。そこへ、先ほどとは打って変わった穏やかな声が響いた。
「裴師、林宮主を困らせているのですか? 」
ゆったりとした足取りで現れた男性は、景 煌瑛の頭を撫でながら微笑む。
「私などが渡雲香君へ無礼を働けるものか。それより、お前の弟子の指導はどうなっている」
「煌瑛がまた何かしたのか? 」
煌瑛の師、温 如晟だ。背が高く体格にも恵まれているが、口元には穏やかな笑みが浮かび、垂れ気味の目元は人懐っこい。威圧感よりも、どこか陽だまりのような空気を纏っている。香寧へ向き直ると、深く礼をする。
「林宮主。お噂はかねがね伺っております。どうやら弟子同士で打ち合いがあったようですね。……どちらが勝ちましたか? 」
「この無様な姿を見て分からんのか。忘川観の未熟な弟子が負けたに決まっているだろう! 」
「おや……それはさぞ見応えがあったでしょう。私も拝見したかった。もう一度やらせてみませんか? 」
「貴様、客人に迷惑をかけるな! 」
師匠同士が言い争いを始めたため、香寧が慌てて仲裁する。
「お二人とも、私は気にしておりません。弟子たちも手応えのある試合ができたと喜んでおりました。また機会があれば、ぜひうちの弟子たちと再戦してやってください」
「林宮主はなんとお優しい……。では、お言葉に甘えまして。またぜひ手合わせを願いましょう。今度は雲香宮へもお伺いしたいものです」
「是非お待ちしております」
「……行くぞ」
裴 凛雪の一言で、その場は解散した。
夜。
医館の一室へ通された四人は、葉 婉春女医を待っていた。室内はこぢんまりとしており、木椅子が幾つか置かれているだけの簡素な造りだ。皆そこに腰かけていた。
隅には別室へ続く小扉があり、その脇の壁には、厚布が一枚垂らされていた。
「皆さん、お待たせしました。」
婉春女医が盆を片手に、通路へ続く扉を開けて入ってきた。彼女は湯呑を皆へ渡し、それぞれ茶に口を付ける。
「それでは、二人はこちらへ」
それを見届けた葉 婉春は、月澄と微明を小扉へ入るよう案内する。
二人は促されるまま小扉の向こうへ入り、直後、葉 婉春女医が静かに鍵を掛ける。
嫌な予感に香寧が眉をひそめた、その時だった。
葉 婉春女医が壁の厚布をさらりと払う。その奥には、四角く鉄格子が嵌め込まれていた。
「……え?」
格子の向こう側――隣室が、こちらから丸見えになっていたのだ。
奥には帳の垂れた大きな寝台が一つ。その前で、月澄と微明が困惑した様子で立ち尽くしている。
何が始まるのか。
四人が呆然とする中、葉 婉春女医は鉄格子越しの二人へ、涼しい顔で告げた。
「少々お待ちください。まもなく自白剤が効きますので」
「「「「え? 」」」」
声が一斉に重なる。香寧が慌てて立ち上がり葉 婉春を問い詰める。
「ちょ、ちょっと待ってください。うちの子たちに何をさせるつもりでしょうか!? 」
香寧は原作の展開を思い起こす。こんなヤバイ人いたっけ!?
「林宮主、止めないでください。一人は過ちを犯しています」
「え!? 」
香寧は思わず二人を見る。月澄と微明は互いに顔を見合わせて驚愕していた。
「授業でとても大事なことを教えました。『想い人には無理強いをしない』……と」
香寧は感心した。まさにそれが皆に((特に月澄に! 月澄に!!) )教えたかったことだからだ。さすがだ。
「しかし、林宮主が見逃しても私は見逃しません」
葉 婉春の言葉に弟子全員がギクリとした後、二人が月澄を見る。香寧が状況を読めないまま恐る恐る質問する。
「ええと、つまり……? 」
「なんとこの二人、門弟同士、しかも同性同士で契りを交わした末――月澄が微明へ無体を働いたのです! 」
「……………………え?」
「「「「えーー!?!?」」」」
四人の声が再び重なると、葉 婉春が満足そうに微笑む。
「ですがご安心ください。私はこう呼ばれています。───通称『紅縁妙君』、何百人もの修士たちの歪な関係を正し、成就へ導いてきました」
(紅縁妙君!! 思い出した!! 主人公とヒロインに媚薬を飲ませ、○○しないと出られない部屋に閉じ込めた……ご都合スケベお助けキャラ!!!!こんなところにいたのか! )
香寧は忘川観の最終日に、男に乗られていた夢を思い出す。まさかアレも紅縁妙君の仕業か?
「今ここで、師と同門弟子の前で想いと罪を告白し、互いを受け入れましょう。───そして初夜をやり直すのです!」
「初夜!? 」
「ま、待ってください……一体どういうっ……ふふふっ……」
清揺は吹き出すのを堪えるように口元を押さえて肩を震わせる。月澄と微明が同時に鉄格子に掴まってこちらへ訴える。
「待ってください! 俺と微明はそんなんじゃありません! 」
「そうです! 天地がひっくり返ってもコイツとっ……うっ」
「おい! 吐くな! 」
「触るな! 」
葉 婉春女医が首を振って静かに言う。
「自白剤が効けば真実は明らかになる……」
月澄が壁を蹴りつける。
「出せ! ふざけんなぶっ壊すぞ! 大体俺は……! 」
そこで月澄と香寧の視線がぶつかる。月澄はピタリと動きを止め、さっきまでの剣幕が嘘のように、悲しげな声を漏らす。
「俺は……っ」
月澄は言葉を呑み込み、苦しそうに目を伏せた。
(……もういるのか!? 相手は例の未来の恋人か!? うんうん、皆の前で言いたくないよな!)
───でも、どうして教えてくれなかったんだ、という言葉は無理やり飲み込んだ。
「月澄、微明。師がそこから出してあげるからな」
「師匠……」
香寧が鉄格子に駆け寄って安心させるように声をかける。そろそろ葉 婉春に茶番を止めてもらおうと香寧が向き直したところ、微明が悲鳴を上げる。
「あああ! ばか、今はだめだ……!! 」
微明が頭を抱え、壁にもたれて苦しげに唸る。その黒髪が、みるみる灰色へ変わっていくのを見て、香寧の背筋に嫌な予感が走った。微明へ駆け寄ろうと扉に手を掛けたが鍵がかかっていた。
「葉 婉春女医! 速く鍵を開けてください! 」
神経質なほどきっちり結ばれていた髪が乱れ、苦痛に耐えるように震えていた体が――ふっと静止した。
次に微明が顔を上げた時、垂れた髪の間から見える目の下には朱の線が二本入っていた。微明の弟――血鬼の二筋だ。
(入れ替わった……どうして今なんだ……! )
二筋が周りを忌々しげに睨みつけ、さっきまでの微明の声より少し上ずって叫ぶ。
「兄様にさわるな!!! 」
先ほどまでの茶番めいた空気は、一瞬で吹き飛んだ。
やっとしたか、キス




