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香寧と断髪

※※※残虐な描写がありますので注意。


 香寧こうねいは修行を終えたばかりで、今まで以上に五感が冴えわたっていた。これまで、佐藤は転生したりん 香寧こうねいの体を扱うことに対して薄い膜がかかっていたようなもたつきがあったのだが、現在、佐藤の神経とりん 香寧こうねいの体は隙間なく同調し、心身一如の状態であった。

 なので、香寧こうねいの手の中にいる少年は間違いなく微明びめいであること、彼の剣捌きでは香寧こうねいの影にすら傷一つ付けられないことを理解した。刀を振り下ろそうとした少年の手首を捉え、即座に経脈を突いて四肢の動きを鈍らせる。力が抜けてぐったりとした少年を抱えると、恨めしそうに香寧こうねいの顔を睨みつけていた。


「偉大なる渡雲香君とうんこうくん、人間以外に慈悲の心を持たないんですか? 」

「口だけは動くようにしたけど、それも塞いだ方がよかったかな」

「いいのですか? 舌を噛み切ると兄様も死ぬ」


 少年はこれ見よがしに灰色の髪の間から真っ赤な舌を見せつける。普段の微明びめいの表情はほぼ動かないと言っていい。しかし今は、いつも鋭く吊り上がった眉は歪められ、常に真一文字の唇は大きく開き嘲るような笑みを浮かべていた。確かに微明びめいなのだが、しかし決定的に違う。香寧こうねいは動揺を隠して答える。


「君が噛み切るより私の制止の方が早いよ。兄というのは微明びめいのことだよね? どういうことか説明してくれるかな」

「……」

 

 少年はフンっと鼻を鳴らして完全に力を抜く。香寧こうねいは彼を腕に抱え直して木の幹に腰かける。小刀は危ないので没収した。


渡雲香君とうんこうくん、あなたの尊くて清い体は僕には毒だ。離してほしい」


 確かに、触れている場所から悪念が焼け落ちるようだった。


「……ということは、微明びめいは普段、私の傍で苦しんでいるのか? 」

「兄様は人間だから平気だ」

「ええと、今の君は弟ってことでいいのかな? 私に説明できるかな? 難しかったら無理しなくていいのだけど」


 香寧こうねいが普段弟子に話すような口調で諭すと、少年はますます顔に憎悪を募らせていた。香寧こうねいはとりあえず彼の要望通りに、小さい体を隣の木にそっと寄りかからせた。


「どうせ兄様に聞くつもりだろう。兄様は格別に口下手だから、僕から話してあげます」


 少年は頭を幹に預け息を吐いた。真っ白な肌が月明りで更に白くなっていく。


「僕と兄様は一つの体を共有しています。細かく言うと、兄様が僕の体にいるんですけど……」

微明びめいの体に複数の霊脈があったのはそれが理由なのか? 」

「はい。あの時は僕も気づかれると思ったんですが……渡雲香君とうんこうくんはさすが寛大な心の持ち主ですね」

「嫌味を言うのをやめなさい」

「本心なのですが」

「しかし、どうして一つの体に二つの魂がある? 母親が血鬼なのと関係があるのか? なぜ今は君が出てきたんだ? 」


 どんどん身を乗り出す香寧こうねいに、血鬼は「渡雲香君とうんこうくん、僕の昔話を聞いてください」と前置きを言って話し出す。

 

「元々僕たちは母様のお腹の中で双子でした。しかし僕は血鬼で兄様は人間だった。僕は早く外に出たかったのに、兄様がいつまで経っても大きくならない。なのでお腹が空いた僕は仕方なく兄様を食べました」

「仕方なく食べた……? 」


 香寧こうねいは文字通りに解釈して鳥肌が止まらなかった。少年は淡々と話を続けた。


「ええ。渡雲香君とうんこうくんもご存じの通り、血鬼は人間の生き血が好物ですから。でも僕もまだ幼かったので、兄様の霊根を上手く消化できなかった。それで、一つの体に二つの霊根がくっついてしまったんです。僕は当時、それが苦しくて苦しくて……だから母様も食べました」


 その言葉を聞いて喉が引き攣る。仕方なかったから、苦しかったから、身内を食べる? 人間とは根本から異なる思考に理解が及ばず、香寧こうねいは身震いした。


「それを……ふふ、父様に見られてしまって。僕は本当は父様も食べたかったんです。でも怒った父様に斬られて、こんなことを言われました。『お前はこの先まともに生きられない。だから今ここで俺が殺してやる』って。僕は生まれたばかりだったのに、仕方なく逃げ出したんです。とても悲しかった」

 

 聞けば聞くほど現実味がなく、香寧こうねいは無意識に全身へ力を込める。目の前の血鬼は、まるで経典でも読み上げるように、何の感情もなく喋っていた。


「しばらくは森に隠れて過ごしました。でも父様につけられた傷がなかなか癒えなくて、動物の死体を漁って血を飲み、生きながらえていたんです。……でもある日、毒蛇に噛まれました。弱い毒でしたが、瀕死の僕には致命傷でした」


 血鬼はそこで一度息を吐く。


「毒は霊脈を辿って霊根を蝕もうとした。その時です。ずっと僕にくっついていた兄様の霊魂が、急に表へ出てきたんです」


 血鬼は突然苦しそうに顔を歪めた。ちょうど月が雲に隠れ、息遣いも荒くなる。香寧こうねいは気休めに上衣を肩へ掛けたが、不潔なものを見るような視線を返されただけだった。


「僕は思いました。兄様は、僕に食べられた仕返しに、ずっと霊魂の中で死んだふりをしていたんだと。そして最後に体を取り返そうとした。……許せないですよね。でも僕は許しました。だって、もう互いに死ぬはずだったんですから」

「でも生きている」

「はい、白宵しらよいが僕たちを見つけて看病しました」


 そこで、血鬼が目を見開き感情を露わにした。


「次に目覚めた時、僕の体は兄様のものになっていた! しかも兄様は名前も身分も着る服も、住む所も兄弟弟子も与えられた! それどころか、兄様は僕を無視して楽しそうに毎日を過ごしている! いつもいつも体を返してと懇願してるのに、弟の僕を見向きもしない! 兄様は僕を恨んでいるから、哀れな僕を見て笑っているんだ! もう十分仕返ししたくせに! 」


 今まで溜まっていた鬱憤をぶちまけるように叫び出す。喋り方はまったく異なるが、声は紛れもなく微明びめいのものだった。香寧こうねいには、可愛い弟子が泣き叫んでいるようにしか見えず、胸が張り裂けそうだった。


「……では、どうして今は君に代われているんだ? 微明びめいが代わってくれたんじゃないのか? 」

「いいえ。僕も同じように、無理やり奪ったんです。渡雲香君とうんこうくんが留守にしてくれたおかげで、血鬼の悪念が息を吹き返したので。……ごほっ」


 香寧こうねいは撫でようとして、手を掲げたが迷った。今は血鬼の根が強く出ているので、りん 香寧こうねいの体が触れるとどんな悪影響が出るのか分からなかった。また無力だ、と香寧こうねいの心に石が沈む。


「大丈夫か。水を飲むか? 」

「いいえ。渡雲香君とうんこうくんがこの世から消えてくれる方が助かります」


 血鬼が震えだす。香寧こうねいは意を決して彼の頭を撫でた。すると目の下の赤い線が徐々に薄れ、灰色だった髪も墨を流したように黒へ染まっていく。


「今話したことを微明びめいは知っているのか? 」

「分かりません。兄様は僕と喋ってくれませんから……。ああ、兄様に返さなきゃいけない、僕の体なのに……」


 香寧こうねいは彼を抱きしめて泣いてる子をあやすように揺らす。しかし、血鬼への警戒は忘れなかった。


「たくさん喋って疲れただろう。いい子にして眠りなさい。……名前はあるのか? 」

「ありません。名付けられる前に逃げましたから」


 そう言って、幼い血鬼は香寧こうねいの腕で深い眠りについた。そこでようやく、香寧こうねいは肩の力を抜く。



二筋にすじと言います。俺がつけました」


 翌朝。

 香寧こうねいの部屋を訪ねた微明びめいは、昨夜とは打って変わって、いつも通りの姿に戻っていた。黒髪は几帳面に一つへ結われ、目元にあった赤も消えている。


「そうか。彼は本当に微明びめいの弟なんだね」

「はい。……」


 微明びめいが何か言いたそうにしては口を噤いでしまうので、香寧こうねいは急かさずに黙って待っていた。しばらく考えた後、目を逸らしながら告げる。


「……申し訳ありません。本当は、二筋にすじのことは隠したままにするつもりでした。罰はなんなりと受けます」

「ううん。いいんだよ。でも白宵しらよい師兄には報告させてもらうから、そのつもりで」


 香寧こうねいがそう言うと微明びめいはホッと息を吐く。


微明びめい、……師も一晩考えたんだが答えが出なかった。微明びめい二筋にすじをどうしたい? 」

「はい。体を返してやりたいとは思います。でもあいつは血鬼だから人を襲ってしまう……そうするとまた切られて死にかけることになります」


 そこまで言うと微明びめい香寧こうねいを真っ直ぐな瞳で見据える。


「師匠、分身術を教えてください。霊力で練り上げた体に、あいつの霊魂を移せばこの世に生み出すことが出来ます。そうすれば、俺が傍であいつを止められます」

二筋にすじは、微明びめい二筋にすじを恨んでいると言っていたよ」

「はい。いつも二筋にすじは俺をそうなじるのでよく知っています。でも俺は恨んでいません」

「……どうして二筋にすじはそのことを知らないの? 」

「俺が口下手なのもあります。でも二筋にすじは、月澄げっちょうみたいに都合の悪いことは聞こえないんです。ここから、いつも見ているくせに」


 微明びめいが困った身内をなだめるように胸を抑える。


「師匠。俺は、あいつを生かしたいです」

二筋にすじは親殺しの罪を背負っている。……それでも罰するのではなく、生かす?」

「父親は、俺たちを見て“普通には生きられない”って言いました。俺も、その通りだと思います。でも師匠は、そんな俺たちでも真っ当に育てるって誓ってくれましたよね」


 鋭い視線が香寧こうねいを射抜く。静かなのに、有無を言わせぬ圧があった。


「生まれる前、あいつが腹を空かせて泣いたんです。だから俺、自分を食べていいって言いました」


 淡々とした口調だった。


「弟が飢えてるなら、兄が助けるのは当たり前でしょう? 」


 それが正しいのか、間違っているのか、香寧こうねいには分からなかった。

 ただ、微明びめいは左利きなのに、二筋にすじは右手で剣を握っていた。なぜ微明びめいが「両利きになりたい」と言い出したのか、その理由を察した瞬間、香寧こうねいは胸の奥が重くなる。微明びめいは、いつものように静かな顔をしていた。

 ――困った弟を持つと苦労するな。

 そんな言葉で誤魔化すように、香寧こうねい微明びめいを労った。



━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━


 

 昼、陽光が差す中、香寧こうねいは庭先で頭を抱えて思考を整理していた。


(緊急用の伝音術で二筋にすじのことを白宵しらよいに伝えたけど、白宵しらよいはなんとなく予想がついていたような返事だった……。察してたなら教えてくれてもいいじゃないか。やっぱりアイツは三邪王の育成を企んでいるのか? はあ……)


 微明びめいが淹れてくれた茶を啜り、一息つく。


(まあ、とにかく二筋にすじの件は、りん 香寧こうねいの体質のおかげでひとまずは様子見になり、とりあえずお咎めもない。今後もし何か悪さをしたら俺が責任を取ることになった。それはいいんだけど、二筋にすじの体を作ってもいいんだろうか。微明びめいは乗り気だけど、もし二筋にすじ微明びめいを襲ったりしたら……)


 香寧こうねいは和紙に鬼の絵を描く。


(血冥鬼王けつめいきおう、つまり原作での将来の微明びめいは主人公との闘いの中で覚醒ってやつをしたのは覚えている。しかし髪の毛が灰色になったとか、弟と体を共有しているなんて設定はあっただろうか……作者の伊手オロギーの抜けか、俺の読み飛ばしか……)


「師匠」


(くそ、双修のくだりはちゃんと覚えているのに! 細かいことが思い出せねー! )


「師匠!」

「え!?」


 突然体を揺さぶられたので、香寧こうねいは驚いて振り向く。そこには月澄げっちょうが居た。


「何考えていたんですか? 俺、何回も呼んだのに」

「ごめんごめん。どうしたの? 」

「はい。師匠、お隣に失礼します」


 月澄げっちょう香寧こうねいの隣に腰かける。ちゃんと礼儀の言葉を言えたので香寧こうねいは感心した。そういえば、いつのまにか彼の目線も少し高くなっている。


「師匠、顧掌門から聞きました。俺が走火入魔そうかにゅうました時、師匠は体がボロボロになってまで助けてくれたって」

「……まさか、そのお礼を言いに来たの? 師として当然のことをしたんだから、要らないよ」

「はい。でも俺、師匠のことが好きだからお礼がしたいんです」


(普段は生意気なコイツだけどこういう所が可愛い!)


 香寧こうねいは内心悶えながら、月澄げっちょうをめちゃくちゃに揉みたい欲を必死に抑えつける。


「コホン、月澄げっちょうがこの先健やかに大きく育ってくれることが師へのお礼になるよ」

「そうなんですか? 師匠は俺が大きい方がいいですか? 」

「まあ、小さいよりは……」


 香寧こうねいは我慢ができなくて月澄げっちょうの頭をわしゃわしゃと犬みたいに撫でた。月澄げっちょうは嬉しそうで、結んだ髪が緩くなっても撫でられるがままだ。


「じゃあ俺、竹みたいに早く大きくなりますね」

「それは師が寂しいから、ゆっくりで大丈夫だよ」

「分かりました。……では、いつかお礼させて下さい」


 香寧こうねいが頷いたのを見て、月澄げっちょうは自習のため部屋へ戻った。入れ違いで清揺せいようが救急箱と包帯を抱えて外に出てきたので、不思議に思い声をかける。


清揺せいよう? どうした? 怪我したのか? 師に見せなさい」

「師匠……」


 声をかけられた彼女は気まずそうにしていたので、香寧こうねいは「また悪戯か~!?」と内心で溜息をついた。


「あの、大事な備品を使用することをお許しください。実はこの近くに怪我をした小鹿が倒れているんです。そのままですと他の獣に食われてしまうので、せめて手当をして逃がしてやろうかと」

「弱肉強食は自然の摂理だ。いちいち手を貸していたらキリがないよ」

「はい、よく分かっています。でも、母鹿が命をかけて守った子なんです。例え少しだけ寿命を延ばしただけだとしても、私は助けたいのです」

「……清揺せいようは本当に優しい子だね。師も手伝おう」

「そ、そんな! 」

「師が弟子を助けるのが世の理だ。元気になったら皆でその子を山奥に見送ろう」


 香寧こうねいがそういうと、清揺せいようは師匠から贈られた髪飾りに負けないぐらい輝く笑顔で返事した。



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 香寧こうねいはここ一週間ほど、自分で切った髪に霊力を込め続けていた。

 りん 香寧こうねい自身には弟子たちの悪念を抑える力があり、更に霊力だけで作った分身にも同様の効果がある。ならば、本体の一部に霊力を込めれば、更に強い効力を持つのではないか──そう仮説を立てたのだ。

 ようやく霊力に満ちたものが完成したので、試そうと部屋を出て階段を降りる。丁度、月澄げっちょうの姿が目に入った。

 彼は玄関で扉を開け放し、上衣を脱いだまま布巾で体を拭いていた。


月澄げっちょう、暑いのか? 」

「え、あ、師匠! 違います。魚獲りをしていて、微明びめいに下衣まで濡らされたんです」

 

 確かに、月澄げっちょうの全身はしっとりと濡れていた。


「お客さんが来た時にビックリするから、扉を閉めなさい」

「客なんて滅多に来ないじゃないですか」

「……それはそう」

「そういえば師匠、もうここに師匠の道侶候補なんて呼びませんよね?」


(……あれ? 皆に道侶の話したっけ?)


 しかし、いつかのご飯中に恋人の有無は聞いたことがあったので、推測されたのかもしれないと香寧こうねいは流した。それに、道侶の件はもう考えたくなかった。


「もう呼ばないでください。顧掌門は確かに良い方でしたが、俺がちょっと霊力を乱しただけで剣から落ちてましたし……」

月澄げっちょう!?」

「い、いえ、違います! 」


 香寧こうねいが拳を握ると、月澄げっちょうは素直に頭を差し出した。石頭へ軽く拳骨を落とすと、彼は笑いながら更に近寄ってくる。


「なにが“違います”だ。反省してるのかお前は」

「この通り反省してます。だから師匠、もっと見ていいですよ」

「……大丈夫だから早く服を着なさい」


 月澄げっちょうがは~いと伸ばす返事をしたので、口元を二本の指で押さえて躾ける。

 三日に一度、香寧こうねい月澄げっちょうは共に風呂へ入っている。初めて一緒に入浴した際、香寧こうねいが「格好いい」と褒めてしまったことを、彼はよほど気に入っているらしい。時折こうして、妙に体を見せつけてくるのだ。


「ああそうだ月澄げっちょう。お前で人体実験をしたい」

「はい、仰せのままに」

「これは私の霊力を込めた髪だ。持ってみて、何か感じたら教えてくれ」

 

 服を着終えた月澄げっちょうが、香寧こうねいの髪を両手で受け取る。不思議そうに角度を変えて眺め、匂いを嗅ぎ、振って耳に当て、挙句の果てには口に入れようとしたので止めた。

 

「こら、食べ物じゃない。どうだった? 」


 効果は無いか――そう思って髪を回収しようとすると、月澄げっちょうは首を振る。


「師匠、これ、師匠の匂いがして落ち着きます。俺にください」

「……! 分かった。あとでもっとやるから、今は返しなさい」

 

 月澄げっちょうは名残惜しそうに、それを返してきた。

 香寧こうねいは、霊脈を測りながら試せばよかったと少し後悔した。しかしすぐに考えを打ち消す。あの赤黒い霊気がまた体内へ侵入してきては堪ったものではない。

 その後、微明びめい清揺せいようにも同様に試した結果、確かな効果があると判断し、本格的に準備へ取り掛かった。

 数日後、香寧こうねいは弟子三人を部屋へ呼び集めた。


「皆、ハサミは持ったか?」

「はい」

「師匠、俺のだけ少し古いです」

「大丈夫。月澄げっちょうは馬鹿力だから問題ない。では順番に、霊力を込めたハサミで師の髪を切りなさい」


 香寧こうねいが霊気を宿した長い髪を見せるように背を向けると、背後で弟子たちが戸惑う気配がした。

 霊力を通した刃で髪を切らせることで、擬似的な双修に近い状態を作る。そうして切り取った髪が、半永久的にりん 香寧こうねいの加護を与えるのではないか――それが香寧こうねいの考えだった。


「どうした。日が暮れるまで師の背中を眺めているつもりか」

「……失礼します」


(こういう時って大体、清揺せいようが最初なんだよな。分かるよ、男ってビビりだよな……)


 ジャキン、と小気味いい音が響き、髪が一房切り落とされる。続いて微明びめいが静かに刃を入れ、最後に月澄げっちょうが恐る恐るハサミを当てた。


「んー……師匠、このハサミやっぱり切れ味悪いです」

「落ち着け。いてっ、引っ張るな。この辺を持って――」


 示そうとして香寧こうねいが後ろへ手を伸ばした瞬間、ジャキッ、と嫌な音が響いた。続けて、三人が一斉に息を呑む。


「……え?」


 振り返ると、弟子たちは青ざめた顔で固まっていた。それぞれの手にはハサミと、りん 香寧こうねいの長い髪。そして月澄げっちょうだけは、切り落とした袖まで一緒に握っている。


「師匠、袖も切っちゃいました」

「……馬鹿力」


 香寧こうねいが頭を振ると、ふわりと軽い感覚がした。そこでようやく、自分の髪が肩の少し下まで短くなっていることを実感する。けれど、不思議と後悔はなかった。


 数日後、弟子たちはそれぞれ加工した髪を身につけて見せに来た。

 清揺せいようは腕輪に編み込み右手首へ。

 微明びめいは常に携える刀の柄へ染み込ませ。

 月澄げっちょうは自分の髪に直接編み込んでいる。


「私も髪に編み込めばよかった」

「真似すんなよ」

月澄げっちょうとお揃いは嫌だからしないわよ」


 朝食の席で騒ぐ三人を見ながら、香寧こうねいは自然と笑みを漏らした。

 月澄げっちょうの黒髪には、明るい茶色の髪が三つ編みになって混ざっている。動くたび、それは元の髪と一緒に揺れて妙によく目立った。


(……見ようによっては洒落てるのか?)


 少しだけ申し訳なさを覚えながらも、香寧こうねいはまあそのうち見慣れるだろう、と自分を納得させる。


 たとえ気休めでもいい。

 少しでも弟子たちを守れますように――そう願いながら、香寧こうねいは食事を終えた。



━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━



 香寧こうねいと弟子一行は、雲香宮うんこうきゅうを離れて丹新山たんしんざんを登っていた。

 隣には、清揺せいようが世話をして元気になった小鹿がいる。他の獣が少ない場所で逃がしたあと、そのまま外で一泊する予定だった。

 弟子たちを丹新山たんしんざんの外へ連れ出せないことを、香寧こうねいは少し申し訳なく思っている。せめて気晴らしになればと、このささやかな野営を企画したのだ。


「師匠、あの草、美味しいですよ」


 月澄げっちょうが指さしたそれを見て、微明びめいが首を振る。


「いや、あれは微毒があるから煮た方がいい」

「俺、いつも何もしないで食ってたぜ」


 清揺せいようが木の上になった実を指して教えてくれる。


「師匠、あの実ももう少し熟したら甘いですよ。清揺せいようのお気に入りです」

「ええと……それは図鑑のどこにあるんだ?」

「ここです」


 しかし香寧こうねいは、だんだん居たたまれなくなっていた。弟子三人とも、食べられる野草に妙に詳しい。きっと悲惨な生い立ちのせいだろう。

 野草図鑑を片手に右往左往しているのは、現代人である香寧こうねいだけだった。前世でも、虐待されていた頃に空腹で草を食べたことがある。だが不味いうえ腹まで壊し、それ以来、二度と食べるものかと心に誓っていた。

 そんなことを思い出しながら歩いていると、やがて草丈の低い開けた場所へ出る。近くには川も流れていたので、四人はここで夜を明かすことにした。

 清揺せいよう香寧こうねいは鹿を逃がし、そのついでに食料を集める。残った微明びめい月澄げっちょうには、野営の準備を任せた。


「二人とも、師匠が見てないからって遊ばないでちゃんとするのよ」

微明びめいくん、言われてるぜ」

「お前だ」


 鹿との別れを惜しむ清揺せいようを横目に、香寧こうねいは周囲の気配を探る。大きな獣の気配はちらほらあるが、弟子たちの脅威になるほどではない。これなら一晩、安全に過ごせそうだった。

 鹿を放したあと、いくつか木の実を拾って戻る。すると二人はきちんと天幕を張り終えていた。その後、三人にそれぞれ守護結界を張らせる。


「うん。やっぱり結界術は清揺せいようが一番上手だね。これなら朝まで保ちそうだ」

「ありがとうございます」


 三人とも修真者としての素質は非常に高い。――なんせ原作では全員“王”になる。とはいえ、得意分野はそれぞれ異なっていた。

 清揺せいようは補助術全般と動物使役。

 微明びめいは身法と、精密さを要する符術。

 月澄げっちょうは剣術と法術に飛び抜けた才がある。

 香寧こうねいは他門派の弟子をあまり知らない。だが、同年代で彼ら以上の者がどれほどいるのか、少し気になっていた。

 ――というか単純に、他門派へ“うちの子”を自慢したかった。


「師匠! 微明びめいがこっそりお菓子持ってきてる!」

「こっそりじゃない」

「おやつは禁止してないよ。月澄げっちょうに盗られる前に食べなさい」

「はい。皆で食べましょう」


 そう言って微明びめいは、たった一つの月餅を小刀で綺麗に四等分した。まるで、自分の真心を平等に分け与えているようだった。

 香寧こうねいは心の中で二筋にすじへ語りかける。


(お前の兄さんは、本当に立派だな)


微明びめい様、お礼にこの月澄げっちょうが肩を揉んで差し上げましょうぞ~」

微明びめい様、清揺せいようが刀を磨いてあげまする~」

「気色悪い……」


 三人は寝袋へ転がり込み、きゃっきゃと騒いでいる。香寧こうねいが、どこでそんな妙な言葉遣いを覚えたのかと苦笑していると、不意に彼らの服の裾が目に入った。よく見ると、全員かなり丈が短い。


「あれ、この前支給された制服、小さかったか?」

「はい。でも大丈夫です。帰ったら布を継ぎ足します」

「いやいや、新しいのを頼むよ」

「でも師匠、お金が無いって……」

清揺せいよう

「あっ」


(やばい。子供に気を遣わせてる……!)


 香寧こうねいは、帰ったらまず衣装棚の高そうな服を売ろうと固く決意した。


「心配しなくていい。師に任せなさい。あとで欲しい帯の色を教えてくれ」

「師匠、靴にも穴が開いたので新しいの欲しいです」

「師匠、手甲も……」

「なんでも言いなさい」


 香寧こうねいは、やはり服を全部売ろうと決めた。

 三人は怖い話でひとしきり盛り上がったあと、また些細なことで口喧嘩を始め、そしていつの間にか眠っていた。香寧こうねいは見張りも兼ねて入口で寝ずの番をするつもりだったが、膝枕争奪戦のせいで少々気疲れしていた。

 明日は清揺せいようが早起きして虫を探しに行きたいらしく、「絶対に起こしてくださいね」と念を押されている。だが虫が苦手な香寧こうねいは、いっそわざと起こさず寝かせてしまおうか、などと考えていた。むにゃむにゃと寝言を漏らす弟子たちを微笑ましく眺めていた、その時だった。

 香寧こうねいの背筋に激震が走る。咄嗟に弟子たちの周囲へ強固な結界術を張り、天幕の外へ飛び出した。

 月明かりを頼りに、嫌な気配のする方角へ目を凝らす。木々の並ぶ空間に、手のひらほどの薄赤い亀裂が浮かんでいた。色は人の臓腑のように艶めかしく、どろりと脈打ちながら光っている。見ているだけで、本能的な嫌悪感が全身を這った。

 りん 香寧こうねいの体だからこそ耐えられているが、常人なら正気を失って逃げ出していただろう。

 香寧こうねいが息を詰めて見守る中、亀裂はゆっくりと縦に裂けていく。まるで何者かが、内側から無理やり世界をこじ開けているかのように。

 次の瞬間。がばり、と裂け目が開いた。裂け目からその者が現れた瞬間、香寧こうねいは猛烈な吐き気に襲われた。

 霊気に満ち、穏やかに草花が繁茂していた山の空気が、悲鳴を上げるように捻じ曲がる。周囲の草木は瞬く間に枯れ朽ち、地面すら黒ずんでいった。

 ――とんでもない悪念だ。

 男は人の形をしていた。だが、人ではない。白い長袍を纏っているものの、前は留められておらず、青白い肌が覗いている。その生気のなさは、死人を思わせた。

 首輪から伸びる無数の鎖は、後ろ手に組まれた両手へと繋がっている。男は音もなく香寧こうねいのすぐ傍へ現れると、瞬き一つせず、じっと顔を見下ろした。

 しばらく観察するように見つめたあと、抑揚のない声で呟く。


「私の花嫁はどこだ?」


 清揺せいようの右手にある、獣の手の持ち主。

 ───六界の一つ、妖界を統べる王だった。



あと一話で成人編行けますように祈願

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