佐藤と道侶
佐藤は強烈な悪念の気配と、更に響いた音に驚いて振り返る。先ほどまで三人が並んでいた場所には、今は月澄が地面に横たわっており、他の二人の姿が消えていた。佐藤は慌てて月澄に駆け寄り辺りを見渡す。すると、二人は両側の林から足元がおぼつかない様子で姿を現わす。
「何があったんだ? 」
微明が脇腹を抑えて苦しそうに声を絞り出す。
「……わかりません」
清揺も辛そうに頷く。佐藤は月澄を問い詰めようとしたが、彼は腕の中で目を閉じてぐったりとしている。明らかに気絶していた。霊気を測るために指を添えると、荒れ狂う赤と黒の霊気があっという間に佐藤の手首にまで侵入してきた。佐藤は慌てて手を離す。
(分からない、何が起きているか詳しく分からないけど、月澄の体の中で霊気と悪念が暴走して、恐らく走火入魔に近い状態にある! )
原作の初雪戦火内で走火入魔に陥ったキャラクターを佐藤は見たことがあった。その者は力が暴走して近づく者全てを破壊し、衝動を抑えきれず体が朽ちても暴れに暴れ、最終的には精魂共に力尽きて───死んだ。
佐藤の全身に鳥肌が立つ。
(死ぬ?月澄が? そんなことさせない! )
震える手で月澄の体を強く握りしめていると、清揺が少し離れた場所で崩れ落ちる。佐藤はハっとして彼女にも手を伸ばそうとしたが、大きな手に止められる。
「香宗主、まずはその子の介抱に専念した方がよろしいかと。私でよければ他の二人の手当てを行います」
顧 清峻はそう告げるや否や、清揺と微明を腕に抱える。微明は明らかに嫌そうな顔をしていたが、体が動かないのかされるがままだ。佐藤はお言葉に甘えて顧 清峻に一礼し「愛弟子を頼みます! 」とお願いして自室へ急ぐ。その間、月澄の呼吸は荒く苦しそうに呻いていた。
(普段うるさいうるさいと叱っていたけど……本当に静かになることないじゃないか! )
佐藤は月澄を布団の上に仰向けに寝かせる。棚に置いてある薬を取ろうと立ち上がると、月澄の上半身がビクンと跳ねた。
「うっ、うう」
「月澄!? 」
一層呼吸が荒々しくなり、何かに耐えるように苦悶の表情になる。佐藤は慌てて月澄の頬に手を添えると、彼はそれにすり寄るように僅かに顔を向けた後、表情が和らぎ、息遣いが少し落ち着く。
林 香寧の特殊体質、悪念を消すというのが月澄に作用しているのだろう。佐藤は白宵の言葉を思い出す。
───数年前に悪念が暴走して、止めようとした修意が高い修行者を何人も傷つけた。君が駆け付けると阿野は途端に落ち着いたので、きっと彼は香寧の元でしか生きられないのだろう───
佐藤は彼に同情し未来を憂いた。月澄を抱えて、向かい合うように膝に座らせる。佐藤の胸に彼の熱い顔を押し当てると、月澄は先ほどより更に落ち着いた。
(うんうん、やっぱり林 香寧の体自体が鎮静剤になっているんだな)
月澄の頭を優しく撫でる。以前と違ってきちんと風呂に入り清潔にしているので、硬いタワシのような髪の毛ではなくなっていた。佐藤はしばらく手を動かしていたが、月澄の意識は戻らない。佐藤は決心して腕を伸ばす。
林 香寧が治めている雲香宮が特例なだけで、各門派は複数の師匠が存在するのが普通だ。なぜならば、門派に様々な不測の事態が起きた際、師がそれぞれの得意分野で対応する必要があるからだ。学校と一緒で、各教科の先生や給食の職員、また保険室の先生が居るのと一緒の仕組みだ。
しかし雲香宮には林 香寧がたった一人。それは弟子がまだ幼く、数が少ないのもあるが、林 香寧がずば抜けて優秀で、彼一人でなんでも解決できてしまうからだったので他の者の手助けを必要としなかった。
本来走火入魔状態の月澄も医学に精通している修真者に診てもらい、きちんと対応してもらうのが一番だ。しかし彼の悪念と霊気はかなり凶悪で、林 香寧の体を捧げて看病しなければならない。
「んっ……」
静かな部屋に佐藤の声が漏れる。月澄の背中に添えた手から、業火のような霊気と悪念が雪崩れ込んでくる。月澄の体を乗っ取るため、霊気と悪念は絡み合うように互いに激しく争っているのだ。佐藤はその霊気の核を探り続けた。しかし小さな体内で弾けんばかりに荒れ狂う二つの気は、突然現れた林 香寧にも刃を向けた。まるで水を入れて膨らみ続ける風船に少し穴を開けると、そこから水が漏れでるみたいに、林 香寧という逃げ場の穴へと突き進む。
佐藤は体内に遠慮なく侵入してくる念脈に目を閉じて耐えた。林 香寧の体質のおかげでそれらはすぐに消え去るのだが、如何せん膨大な量だ。いくら堰き止めても隙間からまた入り込み、またそれを止めている間に新しい波が押し寄せてくる。
「ぐっ、うう」
消しきれなかった鋭い霊気が林 香寧の背骨を貫く。感じたことのない刺激に佐藤は悶え、月澄の背中を両腕で強く握りしめる。月澄の核に近づくにつれ、濃厚な念脈が探るのを阻む。恐らく今回悪さしている原因はそこに潜んでいる。佐藤は恐ろしく嫌な感覚に蝕まれながら耐える。
(来い! 来い! こっちに来い! 怖くないから! )
脳内で語り掛けるが効果があるわけない。しかし今の佐藤は喋れないほど苦しいのだ。乱れ狂う念脈は激しさを増して林 香寧の全身を穿つ。
「はぁっ! 」
一層強い衝撃に佐藤は体をくねらせる。姿勢が崩れ、床に伏せてしまうがそれでも月澄の体は離さない。
(うおおおお! しんどい! 何これ!止めたい! いや、嘘だぞ月澄!おかんがどうにかしたるからな! )
佐藤は正しくはおとん側なのだが、溢れ出る母性に似た何かに突き動かされて気合で耐えていた。正直もう限界!と思うのだが、苦しそうな月澄の顔を見ると力が湧いて踏ん張れた。世の中の親が病気に苦しむ子供を見て思う「代わってやりたい」という慈愛を佐藤は自ら体現していた。
「はあっ、月澄、大丈夫、俺がなんとかしてやるから……うっ」
佐藤は足にまで到達した刺激を逃すかのように月澄へ巻き付けると、その小さい体はすっぽりと覆われてしまった。
(くそ! このままだと月澄を潰しちまう! )
佐藤が体を離すために少し身じろぐと、月澄の体がピクリと反応する。
「ししょ……」
「月澄! 気が付いたのか!? しっかりしろ! 」
僅かな声だったが佐藤は聞き洩らさなかった。慌てて腕の中の月澄の体を抱え直すと、金の瞳が潤んで開く。彼は熱い息を吐きながら答える。
「師匠、くるしい、苦しいです……」
「そうだよな、苦しいな。師がなんとかするから」
「ししょう……」
「どうした? 」
「言うこと聞かなくてごめんなさい」
佐藤の胸に激痛が走る。叱ったことがそんなにショックだったのか? だから走火入魔に陥ったのか!? 佐藤は力不足を痛感し内心で大いに嘆いた。
「何を謝っているんだ。今は自分の体を治すことに専念しなさい」
「はい、師匠、撫でてください……」
「いくらでも撫でるよ。月澄、もうちょっと頑張れるか? 師が霊気を抑えるから、体の力を抜くんだ。できるか? 」
「はい……」
掠れた声で頷いた後、月澄は佐藤の服を弱弱しく掴む。普段は恐ろしく元気で暴れて物を壊すのに、今は見る影すらない。その姿にやるせなくなる。
月澄の霊気の振動が僅かに収まり、核を覆った膜が薄くなる。佐藤はその隙を逃さなかった。
「月澄、そうだ、上手だ。師に体を預けて、そう。いい子だ。もう終わる。大丈夫、怖くない……」
佐藤は月澄に必死に語り掛けた。まるで月澄がまた目を閉じると二度と目覚めなくなってしまうのではないかと思ったからだ。意識を途切れさせないように何度も何度も命名した名前を呼び、頭を撫で、抱きしめ続けた。
林 香寧の浄化の力が月澄を包む。しかし悪念は最期の抵抗と言わんばかりに力を振り絞って抵抗する。
「ししょ、あ、あっ……ああ!! 」
「大丈夫! 問題ない! 月澄、そのまま……! 」
「ああああっ! 」
月澄は衝動そのままに佐藤に抱き着いて爪を立てる。もがいて上を向き、苦しそうに本能のまま目の前の肉を食らいつく。佐藤は顎に痛みが走ったが、彼は前歯が一本無いので大事には至らなかった。
小さい体が佐藤の腕の中で大きく一度跳ねた後、徐々に力が抜けていく。
「月澄!? 」
「……」
佐藤が慌てて顔を覗き込むと、月澄はさっきより顔色がよく、穏やかな寝息を立てていた。その姿を見て佐藤は全身の力が抜けた。
「よかった……」
背中を摩ると、お互い汗でびっしょり濡れていた。熱く気だるい空気が籠った部屋の中、佐藤は途端に息苦しくなる。汗を拭いてやろうとそっと体を離すと、月澄は服の袖をしっかりと握っていたため、その服を脱いで寝ている近くに置いた。
さっきは林 香寧の体が月澄から離れると拒否反応を起こしていたが、今は問題なく大人しく目を閉じている。峠を越えたことに安堵して、棚から布巾と薬を取り出す。
「しかし、お前の霊気は一体どうなっているんだ……」
ぼやいても仕方なかったが、未だ残る痺れに佐藤は腰を摩った。今回は月澄がまだ幼いからどうにかなったものの、これ以上成長した月澄に同じ手を使うと、林 香寧の体はその責めに耐えきれず壊れてしまうかもしれない。それって肉塊エンドと同じではないか。懸念事項が増えてしまったなと佐藤は溜息をついた。
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「香宗主、月澄は落ち着かれましたか」
「はい。この通り寝ています。顧掌門、二人の面倒を見ていただきありがとうございます。来たばかりなのに迷惑ごとに巻き込んでしまって申し訳ございません。なんとお詫びをすればよいか……」
「いえ、迷惑ではありませんので謝らないでください」
佐藤は腕の中の月澄を抱え直す。最初に抱っこをした時より大きく重くなっているが、まだまだ子供だ。階下にいる微明と清揺の様子が心配だったのだが、自室に月澄だけを残すことができず、腕に抱えて連れてきたのだ。月澄は眠りながらも佐藤にぴったりとくっついていた。
「二人も眠っています。幸い怪我も軽いのですぐに治るでしょう。丈夫な子たちだ」
「よかった……」
見ると個室に微明と清揺がすやすやと布団に包まれて眠っていた。顧 清峻は適切に対応してくれたのだろう。来て数十分で世話をかけてしまったのを後ろめたく思う。いくら林 香寧が皆に憧れられる渡雲香君でも、中身の佐藤がポンコツなのだ。弟子たちにも辛い思いをさせてしまった。
二人と少し離れたところに月澄をそっと降ろすと、彼は少し身じろぎをして再び深い眠りにつく。顧 清峻が新しい布団を月澄にかけてくれる。なんとも気が利く男だ。
「ありがとうございます」
「いえ、当然のことをしているまでです」
佐藤は顧 清峻の謙虚な姿勢に感心する。男前だし、優しいし、修真者として優秀だし、道侶相手は引く手数多のはずだ。なんでこんな訳わからん場所にわざわざ来てくれたのだろう。
佐藤は微明と清揺の頭を撫でて霊気を測った。非常に落ち着いているし、逆流してくることもない。安心して腰が抜けた。その場で可愛い弟子の寝顔を微笑ましく眺めていると、顧 清峻が湯呑を差し出す。
「もう冷めてしまいましたが」
「ありがとうございます、嬉しいです」
一口飲むと喉が渇いていたのか、佐藤はそのまま全て飲み干す。一仕事終えた後のお茶うまー! と感激していると、佐藤の喉仏を見つめていた顧 清峻は気が気でない様子で切り出す。
「香宗主、その、あえて言わせていただきますが、沐浴して体を清めたほうがよろしいかと」
「え? なぜですか? 」
「……獣に襲われた後のようです」
どういうこと? と思い動揺しながら姿見に体を映す。そこには結っている髪が乱れ、汗が湿って頬が上気している林 香寧がいた。顎には傷を負い、来ている服は薄着でかろうじて帯で留められている状態だ。顔も心なしか疲れており、確かに激しい戦闘を終えた後みたいだった。
「三人のことは私が面倒を見るのでお気なさらず。ゆっくりしてきてください」
「いや、でも、これ以上顧掌門に迷惑をかける訳には」
「正直、その身なりの方が私は困るというか」
「あ! そうですよね! 見苦しくてすみません! 」
「見苦しいなど……香寧宗主、私がどんな目的でここに来たのかお忘れですか」
顧 清峻が声を潜めて低い声で囁く。
「貴方の道侶にして欲しくて来た男ですよ」
佐藤は逃げるように浴場へ向かった。
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湯から上がった後、佐藤は心臓を爆発させそうなほど緊張して皆の元へ戻った。一体どういう風に顧 清峻の前に顔を出していいのか分からなかったからだ。
昼に顧 清峻が訪ねてきた際、自分が記憶を失っていることを伝え、道侶の件は丁重に断った。顧 清峻は最初から望みが薄いと覚悟していたようで、それはそれは穏やかに承諾してくれた。しかし、林 香寧の手伝いをする目的でもあったため、しばらく雲香宮に滞在したいとお願いされたのだ。
佐藤は断る理由も無かった。短い時間しか関わっていないが顧 清峻は非常に感じが良い紳士であったし、白宵以外の人から外のことも聞きたい。それに子供たちの悪念の耐性もある。大人として弟子たちの新しい良い刺激になるかもしれないと考えた。佐藤にとって彼は、林 香寧のことを好意的に見ている以外は欠点がなかった。
佐藤が恐る恐る戻ると、顧 清峻は何事もなかったかのように迎えてくれる。佐藤が安堵していると、幼い声が聞こえた。
「師匠」
「清揺! 微明! 起きたんだね? 体は大丈夫? どこか痛む? 」
「はい、何も痛くありません」
「ご心配おかけしました」
「いいんだよ! 」
布団から上半身を起こした清揺と微明に佐藤は急いで駆け寄る。顔色はすっかり良くなっていて痛くないと言うのは本当のようだ。念のため測った霊脈も問題ない。顧 清峻に任せて正解だった。
「顧掌門が二人を介抱してくれたんだよ。お礼を言えるかな? 」
「はい。顧掌門、ありがとうございます」
「とんでもないです」
安心して良い子の彼らを抱きしめ終えると、佐藤は少し離れた場所にいる月澄に目をやる。
「……」
月澄は体育座りをした膝の上に顔を乗せ、かなり落ち込んでいる。普段の威勢のいい顔つきはすっかりしょぼくれて、捨てられそうな子犬の目をしていた。
「月澄、どうしたんだい? どこか痛むのか? 」
「いえ、どこも痛くありません」
佐藤が近づくと月澄がぷいっと顔をそむける。どう見ても拗ねている様子だった。
「気分が落ち着かない? 何か美味しいものでも食べようか」
「食べたくありません。師匠、俺自分の部屋に戻ります」
「どうして? 心配だからここに居なさい」
「嫌です……また二人を殴るかも」
そこで佐藤は気付いた。そういえば、月澄が走火入魔の状態になる前に何か大きな音がした。あれは彼が二人を突き飛ばした音だったのか?
「月澄、思い上がり過ぎよ。あれは殴られたんじゃなくて、怖いものを避けただけよ」
「気にしすぎだ」
「でも俺……」
普段は隙あらば相手を出し抜こうと画策している三人だが、思ったより深い所で強く結ばれているようだ。
「清揺、 微明、月澄はここに居てもいいかな」
「はい、問題ありません」
「だって月澄。しばらくは皆で過ごそう。師も月澄を一人にするのは心苦しいんだ。一緒に居て、師に三人が元気になるのを見せてほしいな」
佐藤は月澄の手を取り優しく伝える。月澄は視線を彷徨わせた後、こくんと頷く。微明の「布団を寄せていい」という言葉に「しょうがないな……」と満更でもなさそうにしていた。
「よろしければ、私が皆さんのお食事を用意しましょう」
「顧掌門、それは申し訳ないです。私が作るのでお客人は座っていて下さい」
「いいんです。白宵仙尊に胡麻をする材料を増やしたいので」
断りにくいことを言ってくれたので、またまたお言葉に甘えることにした。顧掌門は弟子を気遣って薄い味付けの卵粥を作ってくれた。出汁が効いてとても美味しく、子供たちは何度もおかわりをしたので顧 清峻は気前よく追加で作ってくれた。顧 清峻に群がる弟子たちを見て、佐藤は内心嫉妬していた。
(俺も料理が上手かったら皆に美味いものを食わせてやれた……!)
佐藤の修行リストに料理が加えられた瞬間だった。
夜、布巾で体を清めて寝間着に着替えた弟子に囲まれて、佐藤は横になっていた。両脇に微明、月澄、体の上には清揺といった具合だ。皆佐藤にくっついて離れたがらないので、こうなってしまった。
「師匠、もっとお話ししてください」
「皆、もう寝ないか」
「たくさん寝たので眠くありません」
「竹の姫の話をもう一回してください」
「てるてる坊主の歌を歌ってください」
「師匠、しりとりしてください。稲、」
「寝てください……」
「嫌です」
佐藤はげっそりとしていた。寝かしつけがこんなに大変だなんて思いもしなかった……。
子供たちは師匠と一緒に眠ることできて嬉しいのか、騒がしい声は夜更けまで続き、眠りに落ちた後も師匠の体を決して離さなかった。おかげで佐藤は身動きが全くできず、ほぼ一睡もできないまま朝を迎えた。子供たちはその睡眠ですっかり回復したようで、顧 清峻の朝ごはん作りを楽しそうに手伝っていた。佐藤はその光景をもやもやしながら見つめる。
(俺も、料理ができたら皆と……!!)
朝ごはんを終えると白宵が訪ねてきたので、弟子の指導を顧 清峻にお願いした。彼は快く引き受けてくれ、弟子たちも素直に着いていっていた。佐藤はまたもや複雑な気持ちになる。
(いい子にしてくれるから安心なんだけど、昨日まで俺以外に指導されたくないって言ってたよな……今ではすっかり顧 清峻に懐いてる。料理が上手くて好青年だもんな……悔しい、いや駄目だ俺! 子離れもしないと! )
もちろん、弟子たちは師匠を安心させるために振舞っているだけなのだが、子の心親知らずであった。逆も然り。
白宵と向かい合って佐藤は話をする。もちろん、道侶を断った件についてもだ。
「白宵師兄、顧 清峻を紹介していただきありがとうございました。おかげさまで雲香宮の危機を乗り越えることができました」
「とんでもない。彼が優秀なだけです。それで、考えはいかがですか」
「はい、彼はとても立派な方で、私なんかにはもったいないお人です。雲香宮という狭い領分では彼の才能はここの大浴場と同じ、つまり宝の持ち腐れです」
「時に情けは理屈を超える。彼の気持ちはどうなるのですか」
「私の気持ちも考えてください」
佐藤が譲らないのを見て、白宵は目を伏せた。
「分かりました。香寧に従います。少々お節介がすぎましたね」
「白宵師兄にはいつも感謝しています。……それと」
「何ですか? 私たちはこの世で唯一の同門です。遠慮は逆に無礼ですよ」
「はい。今回の走火入魔の件で、私は力不足であることを痛感しました。その場しのぎの対応しかできず、危うく己にも被害が及ぶところでした。。もっと根本的なことを学び、自力で臨機応変な対応をできるようにしたいのです。しかし、今の己の力のみでは限界です。修行できる場所などありますでしょうか」
「……そうですね。本来は閉関が一番よいのですが」
白宵は懐から紙を取り出して広げる。どうやら地図のようだ。
「丹新山より北、寒霊山にある忘川観の寒松老人が力になってくれるはずです。尋ねてみるのがいいでしょう。走火入魔は連続で起こりにくいので、今すぐ出発することを勧めます」
「師兄! ありがとうございます! 」
「ただし、弟子たちは連れていけません。悪念が強すぎるので却って修行の妨げになります」
「ではどうすれば……」
「その間、弟子たちはしばらく顧 清峻に任せるのがいいでしょう」
「しかし、長時間任せすぎると顧掌門も悪念の影響を受けるのでは? 」
「では彼と双修してください」
佐藤は慌てて首を振った。
「や、やっぱりやめておきます。顧掌門にも迷惑ですし、弟子たちも寂しがります」
「香寧、今のは道侶を断った貴方へのささやかな仕返しです。解決法はあります。分身を置けばいいのです」
「……え? 」
「霊力を練って、もう一人の香寧を象るのです。効力は数日しか持たないでしょうが、顧掌門一人で任せるよりは多少安心ですし、弟子も師匠の姿を見ることが出来て気が紛れるでしょう」
「やってみます。このことを皆に話したいので、師兄も同席してくれますか? それと次に双修を勧めたら師兄でもビンタしますからね」
「……」
黙った白宵を佐藤は同意とみなした。
佐藤は顧掌門へ事情を話し、弟子たちの世話を依頼したところ、彼は二つ返事で引き受けてくれた。やはり気持ちのいい男だ。弟子も交えてこれからのことを説明した。
佐藤は寒霊山にある忘川観の寒松老人へ数日修行をしてくること、その間は顧掌門にお世話になること、また、分身を置いておくので寂しくなったらそれと触れ合うこと。弟子たちは悲しそうな顔をしていたが、また自分たちのせいで師匠が新しい人を迎えるのが怖くて承諾した。
佐藤は早速分身作りに取り掛かった。白宵も手伝ってくれて、約三十分ほどでもう一人の林 香寧が出来上がる。それは動きも喋りもしない人形のようなものだが、触れるし林 香寧の清気に満ちていた。また、佐藤と視界を共有することもできる。ひとまずそれをいつも食事する場所に置いた。遠くから眺めると少し不気味だが、弟子たちはかなり感心していた。佐藤は自室で軽い荷物だけ準備して外出に備えているところ、顧 清峻に声をかけられる。佐藤は座ったまま対応した。
「香宗主、お出かけの前によろしいでしょうか」
「はい、なんでしょう」
「念の為と申しますか、やはり悪念の影響が出た場合を考えた際に、奥の手のようなものがあった方がいい気がしまして」
「……? 」
顧 清峻が何を言い淀んでいるのか分からなかった。佐藤は立ち上がり顧 清峻を見つめた。
「すみません、記憶を失って勘がすっかり鈍ってしまい、単刀直入に言ってくださると助かります」
「……では、私と双修してください」
佐藤はその場に崩れそうになった。顧 清峻が咄嗟に腰を支えて佐藤の背を棚に預ける。顧 清峻が一歩近づいたので、佐藤は棚と男に挟まれる形になった。
「すみません。露骨すぎましたね。香宗主の霊力を少し分けてほしいのです。お守りのようなものです」
「えっと、その」
「手のひらを合わせるだけでいいですので」
「そ、それなら」
佐藤が右手を掲げると、顧 清峻もそっと手のひらを合わせる。それはやはり林 香寧の手より一回りは大きかった。精神を集中させて互いの霊力を同時に流す。これで顧 清峻はしばらくの間、更に強い悪念の耐性を持てるだろう。顧 清峻の手が汗ばみ、佐藤と触れ合った部分を濡らす。
佐藤は心臓がバクバクしていた。こういったものに慣れていないのだ。いくら同性同士であっても、双修とかいう性的な意味合いを匂わされると嫌でも意識してしまうものだった。
「香宗主、ありがとうございます」
「……あの、顧掌門、それやめてください」
「それとは……」
「私を惑わすようなことを言うのをやめてください……」
佐藤は恥ずかしくて彼の顔を見れなかった。逃げ出したくて勝手に震える体を片手で抑えつけ、真っ赤な顔で俯く。佐藤は気付いていなかった。男の目に映る佐藤は無防備な一輪の花みたいに、まるで蓄えた蜜を散々に吸って欲しくて色鮮やかに咲き誇っていることを。この部屋で佐藤だけが気付いていなかった。
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佐藤が寒霊山にある忘川観を尋ねると、白宵から話がもう通じており門番が快く迎えてくれた。忘川観は雲香宮より遥かに荘厳な建物で人も多く手入れが行き届いている。寒松老人が滞在する本殿に着く前に何人もの門弟とすれ違う。時々、「渡雲香君」という話し声が聞こえてきて、佐藤は少しだけ鼻が高かった。
(待ってろ林 香寧、お前の名誉を傷つけないようにするからな! )
これまた大きな古い門を潜ると、広い道場に通される。真ん中に鎮座するのが寒松老人だろう。黙っていると威厳があるが、喋ると柔らかい表情になり人当たり良さそうな老人になる。佐藤はこんな風に年を重ねたい、とすっかり羨望の眼差しで見つめる。どうやら寒松老人と林 香寧とは古い知り合いであり、記憶が無くなったことについて老人は深く嘆いていた。幼いころ、白宵と一緒に寒松老人の顔に髭を書いて遊んでいたこともあるらしい。
佐藤はもういない林 香寧を想い少し感傷に浸りながら修行場へ到着する。滝がすぐ近くで流れており、霊気に満ちていてかなり良い場所だ。水場で裸で息を整えている弟子を横目に、佐藤は小さな小屋へ入る。
限られた時間は数日のため、ほとんど飲まず食わずで修行が行われた。瞑想から始まって滝に打たれ、武術訓練もして経脈を整えて内力をもっと効率よく扱えるようにコツを教えてもらう。ここでは基本的なことを教わり、あとは雲香宮で自ら押し上げていかなければならない。しかし、佐藤はそもそも基礎すら曖昧だったので今回の修行は大いに役立った。テレビで一度だけ見たスポーツにそのまま参加するようなものだ。林 香寧の体が優秀なのでなんとなくできていたが、ルールやマナーを知らず、正式な道具などを持っていない状態だった。土台をきちんと整えてくれた寒松老人には感謝だ。顔に「ありがとう」と書きたいぐらいだ。
佐藤は修行中、時々分身を通じて雲香宮の様子を覗いていた。動かないのをいいことに弟子たちが好き勝手にあちこち連れまわしているようで、と見るたびに景色が変わっていた。台所だったり庭だったり風呂だったり、挙句の果てには屋根の上だったり。
(屋根に登るなって言っただろー!!……まあいいか)
弟子は佐藤が分身と視界を共有していることは知らないので、純粋な好意で師匠と一緒にいたいのだと思うと微笑ましくなる。誰が分身に膝枕をしてもらうかで揉めていると、顧 清峻が仲裁に入っている場面を見た時はかなり申し訳なった。
また、寝る時になると三人は必ず分身の傍で揃って寝ていた。そんなに共寝がお気に召したのかと佐藤は嬉しくなるが、毎日付き合うなるとあの地獄の寝かしつけをまた体験しなければいけないと思うとゾッとした。添い寝はたまにだけしようと決めた。辛い修行も子供たちの寝顔で癒された。
それと、時々顧 清峻が分身の身なりを整えてくれるのも見えた。かなり気まずかったが、彼は弁えているので必要以上に分身に触らなかった。やはりいい男だ。
修行の最終日、心身ともに疲れ果てていたので食事を終え佐藤はすぐに深い眠りに入った。きっと今も分身は弟子たちと一緒だろう。羨ましいと思いながら一人狭い部屋で瞼を閉じた。
純白の光が一瞬瞼の裏を駆け巡り、次に、体に何か重いものが圧し掛かっているのを感じた。佐藤は疲れ切っているのでそれを無視してまた眠りにつこうとしたが、揺さぶられているような感覚に眠っていられなかった。まるで弱い地震がずっとぐらぐら続いているような不愉快さに仕方なく目を開くと、その光景に佐藤は驚愕した。
裸の男が佐藤の上に乗っている!
広げた腕は佐藤の顔の横に置かれこちらを見下ろしているのが分かった。薄暗い室内で、男の顔はよく見えない。佐藤は起き上がり振り払おうとしたが、仰向けの状態のまま金縛りにあったように身動き一つできなかった。かろうじて動かせた瞳で視線を動かすと、佐藤の上に居る男は筋肉がこれでもかと盛り上がっていて、かなり逞しい。じろじろと見つめていると佐藤が起きたことを男は気付いたのか、顔を近づけてくる。この距離なのに、まるで男の顔にもやがかかったような曖昧さで誰か識別できなかった。男が屈むと、長い黒髪がパサリと落ちて佐藤を檻のように囲む。否応なしに近づく顔に、佐藤は顔を背けたかったがやはりピクリとも動けなかった。佐藤と男の唇が触れる瞬間、彼が何かを囁く。
「師匠」
佐藤はハッと目を覚ました。息が荒く、全身汗まみれで不快だ。外では忘川観の弟子が己の師匠を無邪気に呼んでいる声が聞こえた。夢の最後に聞こえた言葉はそれだろう。
佐藤には相手の男の予想がついた。大人の男で長い黒髪で体格が良い。一人しか知らない。───顧 清峻だ。
(嫌だ!!!!)
佐藤は咄嗟にそう思って、己の心が答えを出したのを実感した。顧 清峻はいい人だがやはり
道侶にはなれない。
(勝手にエロい夢見といてごめんけど無理だ!)
お世話になった寒松老人への挨拶もそこそこに佐藤は雲香宮へ戻った。いい子にしていた弟子たちへのお土産をたくさん買い込むのも忘れなかった。たくさんのお菓子に加え、清揺にはいくつかの華やかな髪飾り、微明には右手で扱えるように練習する、微明と彫られた小さな刀、月澄には悪避けの霊力が込められた玉佩を買った。
弟子たちからの手厚い歓迎を受けながら、急用ができたため門派に戻らないといけなくなった顧 清峻をそのまま見送る。佐藤は彼に何かお礼をしたかったが貸しということで話がついた。彼はそもそも門派のトップで多忙な人だ。尊敬できる人なので、今後もいい友人関係でいたかった。
弟子たちが眠りについたころ、佐藤は暗い自室で「~香寧師匠お帰りなさい~」と書かれた垂れ幕を愛おしそうに眺めていた。どこに飾ろうかと検討するために立ち上がった瞬間、おぞましい気配を感じて勝手に体が動く。今夜は満月だ。窓から飛び出して林の中で「それ」の首を掴んだ佐藤はそのまま月明りが差す広場へ連れて行く。
捕まえたのは子供だ。少年で髪が薄墨をかぶったような色をしていた。降ろした長髪に隠されて顔がよく見えない。風が吹いてその相貌が露わになると、佐藤は困惑した。彼は急所を掴まれているにも関わらず、吊り上がった目と眉に挑発的な色を宿してこちらを見上げている。灰色の髪に囲まれた中、目の形に添って目じりに赤く引かれた二筋の線がよく映えた。
そもそも、丹新山に子供が外から入って来るのは容易ではない。佐藤は信じられない様子で尋ねた。
「微明……? 」
子供はやや上ずった声で笑いながら応える。
「初めまして、渡雲香君。兄様がいつもお世話になっています」
少年が振りかぶった小刀は、佐藤が微明に贈ったものだった。




