また一緒に
クラリッサは、帝国の礼儀作法や夜会のマナーを学ぶ日々を送っていた。
朝から食事の作法、貴族同士の会話、皇城での振る舞い——覚えることは山ほどある。
「糖分がほしい……」
思わず机に突っ伏しそうになった。
公爵家で出される菓子は、上品で洗練されたものばかりだ。もちろん美味しい。
だが、疲れ果てた今この瞬間は、クリームをたっぷり使った甘い菓子がほしい。
「近々、旦那様から良いお話が聞けると思いますよ」
エレノアが意味深に微笑む。
セオドリックと甘い菓子がどうにも結びつかず、クラリッサは小首を傾げた。
そんな話をした日の夕食のことだった。
「明日は出掛ける支度をしてくれ」
セオドリックの言葉に、クラリッサは思わず顔を上げた。
「帝都の仕立て屋へ行く」
セオドリックが採寸をしたのは百年ほど前らしい。改めて採寸を行うことになったのだと、オスカーから聞いていた。
「採寸ですね」
「そうだ。その後は……」
そこで、セオドリックの言葉が止まった。
普段の彼は、必要なことを必要なだけ口にする。それが言葉を探すように間を置いている。
セオドリックはわずかに視線をずらして言った。
「カフェに行くのはどうだ?」
「カフェですか!?」
カフェ。小説で何度も目にした、憧れの場所。
クリームたっぷりのケーキ、バターの香り豊かな焼き菓子——本当にそんなものが食べられるのだろうか。
胸が高鳴った。
それに、婚姻の儀の日以来、クラリッサは公爵邸から出ていない。久しぶりの外出というだけで、純粋に楽しみだった。
「楽しみにしております!」
そう答えると、セオドリックはわずかに目を細めた。
◇
翌日。
公爵家の馬車が、帝都でも有数の高級仕立て店の前で止まった。
扉が開くと、店主をはじめ従業員たちが一斉に頭を下げる。
「ノルデンフェルト公爵閣下、公爵夫人様。お待ちしておりました」
案内されたのは最上階の個室だった。店全体を見渡せる、豪華な造りの部屋である。
(やっぱり公爵家はすごい……)
感心していると、若い女性の意匠師が恭しく頭を下げた。
「奥様はこちらへおかけください」
席には高級そうなティーセットが用意されており、その横には分厚い冊子が置かれた。
「前回はお気に召すものが少なかったのかと思いまして、他のデザインをご用意いたしました」
先日見たカタログの三倍はありそうだ。
(気に入らなかったのではなく、予算の都合だけど……)
そう言えるはずもなく、クラリッサは大人しく冊子を開いた。
しばらくして、セオドリックの採寸が終わる。席を立とうとしたクラリッサへ、セオドリックが声をかけた。
「そこから好きなものを選べ」
「私が、ですか?」
「ああ」
冊子には夜会用のドレスから茶会用、外出着、普段着まで並んでいる。どれも見事なものばかりだった。
「選べと言われましても……」
困惑するクラリッサに、セオドリックはごく当然のように言った。
「冊子にあるものを全て頼んでも問題ない」
クラリッサは思わず顔を上げた。
「全て、ですか?」
「ああ」
当たり前のように頷かれる。
そんな買い方は悪役令嬢くらいしかしないだろう
——そう思いながらも、以前エレノアとオスカーに言われたことが頭によみがえった。
公爵夫人に相応しい装いは必要であること。
公爵家の金を使い、経済を回すことも貴族の務めであること。
自分が使う金は、自分だけのためではない。
仕立て店も、職人も、商人も、その先にいる領民たちも支えている
——だから、必要なものにはきちんと金を使わなければならない。
それもまた、貴族の責務なのだ。
(それなら……)
クラリッサはある考えに至った。セオドリックの隣に立っても、おかしく見えないものを選ぼう。
深い青。淡い銀。華やかな刺繍。流行の意匠。
様々なドレスを眺めながら、隣に並ぶ姿を想像してみる。だが。
(こちらも似合いそう)
ページをめくる。
(これも似合いそう)
さらにめくる。
(こちらも……)
結局、どれを選んでもセオドリックには似合ってしまう。
整った容姿、長身、洗練された立ち居振る舞い——どんな装いであっても、彼は完璧に着こなしてしまうだろう。
「似合わないものがありませんね……」
思わず本音が漏れた。
「ああ。どれもよく似合うだろう」
セオドリックは即答した。
クラリッサは思わず顔を上げる。
セオドリックは至って真面目な顔をしていた。
(心の声が漏れていたのかしら……)
不思議と嫌味には聞こえない。
事実だからである。
もちろんセオドリック本人は、「クラリッサならどのドレスも似合う」という意味で言ったのだが——二人は見事にすれ違っていた。
この方の隣に立つのなら、少し華やかな方がいいだろうか。けれど派手すぎるのも違う気がする。考えれば考えるほど、答えが出ない。
そんな様子を見かねたセオドリックが口を開いた。
「そんなに悩むなら、やはり全て仕立てよう」
部屋の空気が変わった。店主も意匠師も目を輝かせる。
「だ、駄目です!」
クラリッサは慌てて立ち上がった。
「こんなにたくさん、衣装室に入りきりません!」
「ならば別の衣装室を作ればいい」
「いけません!」
横ではオスカーが静かに一言添える。
「旦那様は本気でございます」
「本気だから困るんです!」
どうすれば止まるのだろう。必死に考えた末、クラリッサはふと思いついた。
「またこうして、セオドリック様と一緒に買いに来たいので——今日は数着にします」
静寂が落ちた。
まるで誰かが時間を止めたかのようだった。
何かまずいことを言っただろうか。
不安になって顔を上げると、セオドリックは完全に固まっていた。
「セオドリック様?」
呼びかけても反応がない。
その隣で、オスカーが小さくため息をついた。
「……今のうちに決めてしまいましょう」
意匠師が新たな冊子を持ってくる。
「令嬢方に人気のデザインをまとめたものがございます。組み合わせることも可能ですよ」
その助言を受けながら、クラリッサは公爵夫人として必要になるであろう衣装を、慎重に選んでいく。
意匠師が新たな冊子を持ってくる。
「令嬢方に人気のデザインをまとめたものがございます。組み合わせることも可能ですよ」
助言を受けながら、クラリッサは公爵夫人として必要になるであろう衣装を、慎重に選んでいく。
こうして注文を終え、クラリッサはセオドリックと共に仕立て店を後にした。
――これから毎月のようにドレスを仕立てることになるなど、この時のクラリッサはまだ知らなかった。
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