領主代理の計らい
馬車はゆっくりと速度を落とし、やがて領主館の前で止まった。
「到着いたしました」
御者の声を合図に扉が開く。
外へ降り立ったクラリッサは、思わず辺りを見回した。
帝都とは違う、冷たい空気。
遠くには山並みが連なり、風に揺れる木々の音が心地よく耳へ届く。
「ここが……ノルデンフェルト公爵領」
その呟きに、隣へ降り立ったセオドリックが小さく頷いた。
館の玄関では、一人の青年が穏やかな笑みを浮かべて待っていた。
「お帰りなさいませ、公爵様。そして奥様。お待ちしておりました」
柔らかな栗色の髪に朱色の瞳。そして人当たりの良さそうな笑顔。
「領主代理を務めております、アレクシス・アークライトです」
丁寧に一礼した青年へ、クラリッサも頭を下げる。
「クラリッサ・ノルデンフェルトです。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ。お会いできる日を楽しみにしておりました」
セオドリックとは正反対だった。
威圧感はまるでなく、初対面でも自然と肩の力が抜けるような雰囲気をまとっている。
「積もる話もございますが、まずは旅のお疲れを癒してください」
その言葉に促され、一行は館の中へと入った。
◇
夕食は終始和やかだった。
旅の途中で立ち寄った町の話や、今年の作物の出来。
アレクシスは穏やかな口調で話を進め、時折セオドリックも短く応じる。
食後のお茶が運ばれてきた頃、アレクシスが微笑む。
「明日からは、実際に見て回られるのでしょう?」
「ああ」
セオドリックは短く頷く。
「彼女と共に見て回る。案内は不要だ」
「承知いたしました」
二人のやり取りを聞きながら、クラリッサは密かに拳を握る。
(滞在は五日間……!)
領地運営について学ぶ絶好の機会だ。
見るもの、聞くもの、全部吸収しよう。
そう意気込むクラリッサを見ていたアレクシスが、ふっと笑った。
「今日は旅のお疲れもあるでしょう。ゆっくりお休みください」
「ありがとうございます」
◇
入浴を終え、案内された部屋へ戻る。
大きな窓に、ふかふかの絨毯。
暖炉には小さく火が入り、室内は心地よい暖かさに包まれていた。
「ふー……」
ソファへ腰を下ろした瞬間、旅の疲れが一気に押し寄せてくる。
気づけば瞼が重くなり――。
そのまま眠りへ落ちていった。
◇
ふわりと身体が浮いているような感覚。
温かくて、安心できる。
そして落ち着く香り。
(この香り……)
何度も感じたことがある。
(セオドリック様の……)
次の瞬間、ゆっくりと目を開けた。
カーテンの隙間から朝日が差し込み、部屋を柔らかく照らしている。
「あれ……?」
身体を起こす。
(いつの間にベッドに……?)
昨夜は確か、ソファへ座って――。
隣を確認するが、ベッドには自分しかいない。
(……これが小説だったら、隣でセオドリック様が眠っていて、慌てる場面よね)
そんなことを思いながら苦笑し、ベッドから降りる。
ミレイユを呼ぼうとして視線を巡らせ――
「……っ!?」
声にならない悲鳴を上げた。
ソファからはみ出した、スラリと長い足が見えた。
(まさか……)
そっと近付くと、ソファで眠るセオドリックの姿があった。
(セオドリック様がソファで……!?)
血の気が引く。
(私は広々とベッドで眠っていたの……!?)
その気配に気づいたのか、セオドリックがゆっくりと目を開けた。
「……起きたか」
「も、申し訳ありません!」
勢いよく頭を下げるクラリッサ。
「私、全然気づかなくて……!」
しかしセオドリックは首を横に振った。
「いや」
起き上がりながら淡々と言う。
「私の確認不足だ」
「ですが……」
「気にするな」
その一言で話は終わってしまう。
それでもクラリッサは申し訳なさでいっぱいだった。
◇
支度を終えたセオドリックとクラリッサは、食堂へ向かった。
アレクシスが微笑みながら出迎えた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
ソファからはみ出した長い足が脳裏をよぎり、クラリッサは思わず目を逸らした。
セオドリックは小さくため息をつく。
「部屋は分けるよう伝えたはずだが」
そう言われたアレクシスは、きょとんとした顔をしたあと、不思議そうに首を傾げた。
「しかし、ご夫婦が別々のお部屋ですと、余計な噂になるかもしれません」
「……」
「領民たちにも仲睦まじいご様子を見せた方が安心しますよ」
妙にもっともらしい理屈だった。
「そ、そう言われると……」
クラリッサは反論できなくなる。
確かに政略結婚とはいえ、仲の良い夫婦に見えた方がいいだろう。
「奥様も同じ寝室の方が安心でしょう?」
にこにこと笑ってクラリッサに問いかけるアレクシス。
「……そう、ですね」
セオドリックは何か言いたげにアレクシスを見つめた。
しかし結局、何も言わなかった。
◇
朝食を終え、出掛ける支度をする。
今日は領都から少し離れた農村を巡る予定だ。
いつもより動きやすいドレスに袖を通す。
ミレイユが髪を整えながら、少し心配そうに尋ねてくる。
「農村は……足元が悪い場所もございますが、よろしいのですか?」
「ええ。セオドリック様に普段巡られている場所へ連れて行っていただくようお願いしたの」
貴族の令嬢たちは農村を好まない。
ドレスが汚れる、虫が出る――理由はいくらでもあった。
しかし、森を駆け回って育ったクラリッサには関係のない話だ。
それよりも頭を悩ませているのは、今夜の寝室のことだった。
(今日からセオドリック様と同じ部屋……)
クラリッサはアレクシスとの会話を思い返す。
(仲睦まじい夫婦に見せるため、か)
「……あ」
小さく声が漏れた。
館の外から寝室の様子が分かるはずもない。
そもそも、使用人たちが外へ言いふらすとも思えない。
(別々のお部屋でも、何の問題もなかったのでは……!?)
クラリッサは両手で顔を覆った。
「奥様?」
突然顔を覆った主人を見て、ミレイユが心配そうに覗き込む。
「……何でもないわ」
そう答えるしかないクラリッサだった。
お読みいただきありがとうございます。
ブックマークやリアクション、評価も大変励みになっております。




