雨音に包まれて
龍馬の蹄が大地を叩くたび、窓の外の景色が勢いよく後方へ流れていく。
「速い……」
思わず漏れた呟きに、向かいへ座るセオドリックが顔を上げた。
「気分は悪くないか?」
真剣な声音に、クラリッサは小さく首を振った。
「大丈夫です」
「少しでも異変を感じたらすぐに言え」
「はい」
短い言葉だったが、その中には心配が滲んでいた。
クラリッサは自然と頬を緩めた。
窓の外へ視線を向けながら、アストレア王国からヴァイスガルド帝国へ向かった旅路を思い出す。
故郷を離れ、単身で他国に嫁ぐ不安でいっぱいだったあの頃は、景色を楽しむ余裕などなかった。
伴侶となる人を想像するたびに、胸が冷たく締まった。
——それに比べれば、今の旅は随分と穏やかだった。
向かいに座るセオドリックへ、そっと視線を向ける。
不思議と、それだけで心が落ち着いた。
◇
何度か休憩や食事を挟みながら進み、一行は日が暮れる前に街へ到着した。
馬車を降りたクラリッサは、肩をすくめた。
「帝都とは空気が違いますね」
ミレイユが羽織を差し出した。
「奥様、こちらを」
「ありがとう」
宿の主人は物腰柔らかく一行を出迎えた。
内装は帝都ほど華やかではないが、厚手の絨毯が敷かれた廊下は清潔で温かみがあった。
そして、案内された部屋は、セオドリックの部屋とは別だった。
夫婦としての初めての旅路とはいえ、同室はまだ覚悟が要る。
ほっと息をついたクラリッサの隣で、なぜかミレイユが少しだけしょぼくれた顔をしていた。
(どうしたのかしら?)
そのまま一日目は静かに終わった。
◇
翌朝。
宿の食堂で出された朝食は、熱いスープと焼きたてのパンだった。
根菜がたっぷり入ったスープは体の芯まで温まる。
帝都の朝食とは違う素朴さが、クラリッサには心地よかった。
食事を終えた一行は再び龍馬車へ乗り込み、公爵領へ向けて進んだ。
昼頃になると、開けた草原で休憩を取ることになった。
馬車を降りたクラリッサは、こわばった体を伸ばしながら辺りを見回した。
見渡す限りの草原が広がっている。
風に揺れる緑の中に、見覚えのある葉の形を見つけて、思わずしゃがみ込んだ。
「何をしている?」
背後から声が降ってくる。振り返らなくても、セオドリックだとわかった。
「四つ葉があるかな、と思いまして」
草の中に目を凝らしながら答えた。
「見つけると幸せになれると言われているんですよ」
母の具合が悪い日が続いていた頃、よくこうして探しては、見つけるたびに渡していた。
(お母様は、幸せだったかしら……)
背後でしばらく沈黙があったあと、低い声が落ちた。
「……変わらないな」
「え?」
クラリッサは顔を上げた。
セオドリックは遠くを見るような目をしている。
(この景色のことかしら?)
そう思ったクラリッサは尋ねた。
「ここにはよく立ち寄るのですか?」
「いや。私一人なら最低限の休憩しか取らない」
「それでは……」
その続きを聞く前に。
ぽつりと頬に冷たいものが落ちた。
空を見上げれば灰色の雲が広がっている。
「雨か」
セオドリックが眉を寄せた。
次の瞬間には自分の上着をクラリッサに被せ、手を差し伸べる。
「戻るぞ」
「は、はい」
慌ててその手を取る。
結局、何が変わらないのかは聞けなかった。
◇
馬車に戻ると、雨脚は次第に強くなっていった。
セオドリックが被せてくれた上着のおかげで濡れずに済んだ。
「雨、強いですね」
「ああ」
雨のせいか先ほどより冷える。
(セオドリック様は寒くないのかしら)
しかし、上着は少し濡れている。
返すにも返せないまま、思案していると。
「くしゅんっ」
クラリッサがくしゃみをした瞬間。
一枚。
二枚。
三枚。
次々と毛布が膝へ積み上げられる。
「えっ」
気付けば毛布の山が出来ていた。
驚いて顔を上げると、セオドリックが真面目な表情でこちらを見ている。
「足りないか?」
「た、足りてます!セオドリック様がお使いください」
「必要ない」
そう言いながら座席の脇から毛布をもう一枚取り出そうとするセオドリック。
「ふふっ」
思わず笑ってしまうクラリッサを不思議そうにみるセオドリック。
「……何だ」
「毛布、暖かいです。ありがとうございます」
「ああ」
セオドリックはそれきり口を閉じ、窓の外へ視線を移した。
セオドリックの不器用な優しさに触れ、胸の奥に、今まで感じたことのない柔らかな何かが芽生えた。
(少しだけ、かわいいかもしれない)
クラリッサは毛布に包まりながら、セオドリックと同じ景色を眺める。
冷たい雨が降り続いている。
それでも、じわりと温かい気持ちが広がっていた。
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