冬の空、春の空
和平記念祝賀会当日
クラリッサは、朝から身支度に追われていた。
髪を整えられ、肌を磨かれ、爪の先まで手入れを施される。
気付けば鏡の前には、いつもの自分とは別人のような姿が映っていた。
「まあ……」
思わず小さく声が漏れる。
淡い青を基調としたドレスは、セオドリックと揃いになるよう仕立てられたものだ。
胸元や裾には銀糸の刺繍が施され、光を受けるたびにきらめいている。
仕上がりは完璧だった。
けれど――。
クラリッサの胸は重かった。
もし今日、自分が失態を犯したら。
公爵夫人として相応しくない。
人間を――
公爵家に伯爵家の娘など
迎えるべきではなかった
――そう思うと、胃の奥がきりきりと痛んだ。
そして、その評価はセオドリックにも向けられる。
彼が自分を迎え入れたことさえ非難されるかもしれない。
鏡の前で表情を曇らせるクラリッサに、ミレイユが優しく声を掛ける。
「緊張なさらなくても大丈夫ですよ」
「でも……」
「奥様は今まで十分頑張ってこられました。礼儀作法も、夜会のマナーも、一生懸命学ばれたではありませんか」
「そう、よね……」
返事はしたものの、不安が消えたわけではない。
そんな彼女を見て、ミレイユはふと微笑んだ。
「それに、龍人が青い瞳を粗末に扱うことはありません」
「青い瞳を?」
「ええ。龍人にとって最も高貴な色は皇帝陛下の金の瞳ですが、その次に尊ばれるのが青ですから」
クラリッサはぱちりと目を瞬かせた。
「そうなの?」
「はい。奥様のお瞳は特別なんです」
ミレイユは興味深そうに首を傾げる。
「人間の国でも珍しいのでしょう?」
「ええ。確か、ファフニール家で数代に一人、生まれるだけと聞いたわ」
クラリッサは鏡越しに自分の瞳を見つめた。
「実際にお会いしたことはないけれど、曾お祖母様も青い瞳だったそうよ」
「だから、初めて旦那様のお顔を見たときは驚いたの」
クラリッサは少し懐かしそうに笑った。
初めて対面した婚礼の儀の日を思い出す。
自分と同じ青い瞳、その冷たさに思わず目を奪われた。
「でも、最近は」
――一緒に食事をとると約束した日。
――皇都を一緒に歩いた日。
――ダンスの練習で、見上げた瞳。
「私とは違う、セオドリック様の冬のような静けさがとても綺麗だと感じるの」
ミレイユは頷きながら
「では奥様は春ですね」
と言いながら鏡越しにクラリッサの瞳を見つめる。
「春?」
「ええ。旦那様は静かな冬の空。奥様は、その雪を解かす春の空です」
そんな風に考えたことはなかった。
アストレアでは、伯爵家の令嬢としては平凡な容姿で、社交界でも取り立てて話題になることはない。
褒められたとしても瞳の色だけ。
(それはここでも変わらないわね。)
自分がセオドリックに選ばれた理由も青い瞳だ。
自然と視線が伏せられる。
「私は瞳の色だけが取り柄だものね」
ぽつりと漏れた言葉に
「奥様の魅力は瞳だけではありません!」
ミレイユが勢いよく言った。
クラリッサは目を丸くする。
「ミレイユ……」
「優しくて、誰かのために悩んで、使用人にも分け隔てなく接してくださる。そんな方はそうそういません!」
熱のこもった言葉だった。
言い終えたミレイユは、はっと我に返る。
「も、申し訳ありません!」
慌てて深々と頭を下げた。
公爵夫人に向ける態度としては、少々砕けすぎていた。
けれどクラリッサは小さく首を振る。
「いいのよ」
そして柔らかく微笑んだ。
「そんな風に言ってもらえて嬉しいわ」
「……本心ですからね」
顔を上げたミレイユは真っ直ぐに言い切った。
その飾らない言葉に、クラリッサの胸の奥が少しだけ軽くなる。
不安が消えたわけではない。
それでも、救われた気がした。
クラリッサは思わず笑みを零した。
控えめなノックが響く。
「奥様、お時間です」
オスカーだった。
いよいよ出発らしい。
クラリッサは深呼吸を一つして立ち上がる。
「行きましょう」
ホールへ向かうと、そこにはすでにセオドリックが待っていた。
揃いで仕立てた正装に身を包んだ姿は、思わず息を呑むほど美しい。
銀糸の刺繍が施された濃青の上着。
長い銀髪。
そして氷青の瞳。
見慣れてきたと思っていたのに、目を奪われる。
セオドリックもまた、クラリッサを見つめていた。
「……よく似合っている」
クラリッサの頬が熱くなる。
「ありがとうございます」
慌てて頭を下げた。
「セオドリック様も、とても素敵です」
今度はセオドリックがわずかに視線を逸らす。
その耳が少しだけ赤くなった気がした。
オスカーは静かに咳払いをする。
「お二人とも、馬車の準備は整っております」
「ああ」
短く返事をしたセオドリックが手を差し出した。
クラリッサはその手を取り、二人並んで屋敷を後にする。
そして――。
馬車が見えなくなった瞬間。
屋敷の使用人たちは一斉にざわめいた。
「見ました!?」
「見たわよね!?」
「旦那様、完全に奥様に見惚れてましたよね!?」
「固まってらっしゃいましたよね!?」
「完全に固まってたわ!」
「生きててよかった……」
「貴重なものを見た気がします……」
興奮する使用人たちを前に、オスカーは額を押さえた。
「皆さん」
ぴたりと全員が黙る。
「仕事に戻りなさい」
その口元にはわずかな笑みが浮かんでいたのを、その場にいた誰もが見逃さなかった。
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