重ねる想い
朝の食堂には、焼きたてのパンと香草の効いたスープの香りが満ちていた。
クラリッサが食堂に入ると、すでにセオドリックが席についている。
「おはようございます」
「おはよう」
何度も手紙をやり取りしたせいだろう。昨日は顔を合わせなかったはずなのに、不思議と距離を感じない。
席についたクラリッサは微笑んだ。
「昨日はお手紙をたくさんありがとうございました」
「ああ」
返事はそれだけだったが、口元がわずかに緩んでいるような気がした。
普段と変わらない会話をしながら朝食を進める。
(一日会わなかったおかげかしら。この間のことを思い出しても、落ち着いていられる)
ダンスの練習で抱き寄せられたこと。
そして、自分が「相性がいいですね」と口走ってしまったこと。
思い返すだけで恥ずかしかった出来事も、今は少しだけ冷静に振り返ることができる。
そっとセオドリックを見る。
彼はいつも通りだった。
特に気にした様子もない。
(そうよね……)
ほっとしたような。
けれど少しだけ残念なような。
そんな不思議な気持ちが胸をよぎった。
(残念……?)
自分でもよくわからない感情に、クラリッサは首を傾げた。
やがて朝食を終え、出仕するセオドリックを見送る時間になった。
「今日も遅くなる。先に休んでいてくれ」
「わかりました。お気をつけていってらっしゃいませ」
セオドリックは頷いたあと、何かを思い出したように胸元へ手を伸ばした。
取り出したのは一通の手紙だった。
それをクラリッサへ差し出す。
「これは?」
「昨夜書いた」
本当は昨夜のうちに届けさせるつもりだった。
だが、
『奥様はお休み中です。明日、ご自分でお渡しになってはいかがですか。その方が奥様もお喜びになるでしょう』
と家令に早口で説得され、今に至る。
「今、読んでもよろしいですか?」
「ああ」
クラリッサはそっと封を開いた。
書かれていた文字は、たった一行。
『良い夢を』
それだけだった。
それだけなのに。
胸の奥がきゅっと締め付けられる。
「大切にします」
クラリッサは手紙を胸に抱きしめた。
どうしてこんなにも嬉しいのだろう。
「今夜、寝る前にまた読みます」
「そうか」
わずかに口角を上げるセオドリック。
「今日も書く」と言いかけたが、鳩のように光のない黒い瞳と目が合い、セオドリックは口を閉ざした。
◇
自室へ戻ったクラリッサは、机の引き出しから箱を取り出した。
白く滑らかな石のような素材で作られた、小さな箱。
青い石のはめ込まれた部分を押すと、静かに蓋が開く。
中には昨日受け取った手紙が入っていた。
その上へ、先ほどもらった手紙を重ねる。
大切な宝物を扱うように、そっと蓋を閉めた。
「そちらは、輿入れの際にお持ちになったものですよね」
ミレイユが興味深そうに尋ねる。
「ええ。毎年、誕生日に贈り物をくださる方がいて。その中のひとつよ」
「毎年、ですか?」
「そう。誰なのかは結局わからなかったけれど」
クラリッサは懐かしそうに箱を撫でた。
10歳の誕生日。
母を亡くし、誕生日を祝ってくれる家族はいなかった。
ところが、部屋には見知らぬ贈り物が届いていた。その中に、この箱が入っていた。
飾り気はない。
けれど光を当てると銀色に輝く、美しい箱だった。
父からの贈り物だと思い礼を言ったが、父は心当たりがない様子だった。
それから毎年。
誕生日に花や流行の菓子が届けられるようになった。
そして必ず添えられていた。
『誕生日おめでとう』
たった一言のメッセージカード。
しかし、セオドリックとの婚姻が決まり、そのカードはすべて燃やされてしまった。
『公爵に男の影があると勘違いされたら困る』
父にそう言われたからだ。
クラリッサは手元の手紙へ視線を落とした。
丁寧で整った文字。
美しい筆跡。
(そう、セオドリック様のような美しい筆跡で……)
そこでふと、手が止まった。
(あれ……?)
記憶の中のメッセージカードの文字と、どこか似ている気がした。
(そんなはずないわ)
婚姻が決まったのは最近だ。
それ以前から贈り物を届けていた人物が、セオドリックであるはずがない。
記憶など曖昧なものだ。
きっと気のせいだろう。
「奥様の瞳のように綺麗な石ですね」
ミレイユが青い石を見つめながら言う。
「ありがとう」
微笑むクラリッサ。
するとミレイユが首を傾げた。
「私、この箱をどこかで見たことがあるような気がします」
「そうなの?」
「はい。でも、どこだったかな……」
記憶を辿ろうとするものの、どうしても思い出せない。
結局、ミレイユは思い出すのを諦めることにした。
◇
廊下を歩くクラリッサ。
「はぁ……」
今日も慌ただしい一日だった。
即位記念パーティまで、あとわずか。
学ぶことは山ほどある。
疲れた体を引きずりながら部屋へ戻ると、クラリッサは机の引き出しから、そっと箱を取り出す。
中から今朝受け取った手紙を取り出した。
『良い夢を』
たった一行。
それだけなのに自然と頬が緩む。
「セオドリック様も、良い夢を見られますように」
小さく呟く。
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