十
私は崖から落とされている。
これは比喩でも、自虐的な揶揄でも何でもない。
私は今、崖から落とされているんだ。
私はさっきまで自分がそこに居た崖際をなんとか見上げる。
院長がとても良い笑顔でこちらを見下している。
逆光によってその笑顔には影にまみれて、あまりにも似合っていた。
崖の下に着地した瞬間私はきっと死ぬのだろう。
走馬灯の様なものが頭を巡る。
物心がついてからの様々な事が浮かんで消えてを繰り返し、そんなサイクルの、走馬灯の終わり際は今日の出来事で締め括られる。
――
祈継花「……院長。」
院長の監視と、皆への現状報告の為に、2階の手洗い場に移動をした。が、ここ数分の流れに面食らっていた私は窓から監視をする余裕が消えていた。
故に院長は容易に学院内へと戻れた。
という事までは把握出来る。
だが僅か数分で院長に背後を取られるだなんて、ピンポイントにこの場所へと足を運ぶなんて。
そんなの祈継花の位置を分かっていないとまず不可能だ。
最早混乱している私にあまり大きくない声で院長は喋りかける
院長「ひどいなあ。祈継花クン」
院長「手洗いへ行くと言ったのはキミの方だよ? 」
祈継花「な、何故……? 」
震えている声でそう問いかける事しか出来ずにいる私に対して院長は変わらない態度でこう言った
院長「うん、うん。ハハハ……とりあえず場所移そうか。ついて来てね」
祈継花「……」
院長「……なんとなく分かると思うけど」
院長「今祈継花くんは選べる状況じゃないよー」
院長「ここで祈継花くんがどう動こうとも詰みから逃れる術は無いと思っておくれ」
私はそう言われるよりも前に既に精神が擦り切れていた。
院長が歩き始めるのを見てただ後へと着いていく。
廊下を歩き、階段を下りて学院内の出入り口辺りまでの間をただ何も言わず歩く。
何も考えれない。
考えたくも、無い。
分かってしまっている。
皆もうきっと居ない。私が最後で私も最期できっと居なくなる
だから、何も喋る事は無い。学院から出ても院長の後を付いていくだけ。
その中で院長がポツリと一言発した。
私に向けてなのかもどうかも分からない様な一言だった。
院長「残念だよね」
その意味が分からず、私はずっと床や地面をただ見ていた状態から久しぶりに院長の背中へと目を移す。
そのタイミングを図ったかの様に院長は立ち止まる。
院長の背中越しに自動車が見えている、学院が管轄している教論用の駐車場へ来た様だった。
院長の前の車の助手席の扉が開く。
中の様子を見ると私や先輩方とあまり年は変わらない様に見える女性が運転席から私達を見ている。
誰かは分からないが院長の仲間だという事はすぐに理解した。
私は、その瞬間にこの作戦の根本的な誤ちに気づく。
そうか、私達が協力する様に、院長にも仲間が居て当然だと何故一度も思わなかったんだろう。
私は自分の浅さに対して僅かに残った余力で反省も怒りもせずに、受け止めていた。
自分を責めて少し気が楽になった所でどうせもう誰も残っていない。
そんな諦めが私の行動全てに制限をかける。
私は操られているかの様に車の後部座席へと足を運んで腰掛けた。
院長とその仲間であろう女性は何かを喋っていたが気にならなかった。
車は発進し、街を意外にも安全運転で走って行く。
音楽やラジオもオフの中、車の駆動音だけが耳に響く。
そんな道中で女性がこう口を開く
美咲「私達としても貴女達のグループがいちば〜ん始末するのに苦労しましたよ」
美咲「ね? 院長さん」
返事は何もしないがそれを聞いたバックミラーから見える院長の口角は静かに上がっていた。
運転している女性はまた私に喋りかける
美咲「名前はなんでしたっけ? 」
祈継花「……祈継花と申します。」
美咲「……ヘェ……。」
心なしか私の名前を聞いた瞬間運転の速度が上がった様な気がするが、その直後に
美咲「祈継花さん、大きなミスをもう1つしているっていうのに気付きました? 」
と言われた。
その意味が分からず、敗北が決定している私には今更どうこうする事も出来ないと自覚しているので素直にその大きなミスを問うが
院長「それは僕から説明しよっかな〜、良い? 美咲クン」
美咲「ええ、まあそこに拘りは有りませんよ」
院長「じゃ、えーともうあと10分程度で車を降りると思うからその時のお楽しみにでもしよっか、ね? 」
という謎の勿体ぶりを受けた。
どうせ既に何もすることができないでいる私だが、既に知るという権利すらないという事を痛感させられる。
それは端に何が敗因かという所だけでなく、あと10分程度で着く場所がどこなのか。
私は院長とこの女性にそれをも同時に隠されているんだ。
だが、
もういいか。
恐怖、怒り、悲しみの様な負の感情が絡まり、私の身体を縛り付けている。
本音として私は、最早10分後に目的地に辿り着いても、もうずっと立ち上がる事なく座り続けていたかった。
車の窓から見える景色はなにやら緑豊かで高い場所に登っている事が伺える。
ここは……天然の綺麗な水が採れることからこの街でも名所になっている山だ。
ある程度文明に慣れた人間が管理された自然を丁度良く楽しめる様に整備されている。
だからだろう。思ったよりも人は多く、だからだろう。人の多い所を嫌う私にとって、人の多い緑豊かな場所は私にとっては寧ろ都会よりも嫌な場所であった。
その嫌な場所へわざわざ1人では向かわなかったので初めて今その山へと向かっているが……。
院長は私をここへ連れてきて何がしたいんだろうか?
学院内で平然と発砲をしている訳だからわざんざ私をココへ連れてくる前にいくらでも殺めるチャンスはあったと思う。
違和感は有るが……それを知れる権利もやはり無い。という所に思考は帰結した。
車がゆっくりと速度を遅くする。
どうやら車ではこれ以上進めない場所まで着いたらしい。
自然の中に溶け込もうとはしていない不自然な駐車場に着いて、私達は車から出る。
そのまま院長は自信のある足取りで歩き始めた。
先程美咲と院長に呼ばれていた女性は私の後ろから少しだけ機嫌が良い顔をしてコチラを見ている。
私が院長の後をついていくのを待っている、何かしら反抗の意思を見せた場合対処を直ぐに出来る様に後ろから怪しい行動をしないように監視されているんだ。
私が院長にした行動を今、自分がされている。
1つ違うのは私は自分を守る為に院長の後ろを歩いていたが美咲は自分を守る為ではなくいつでも始末出来る自信があるから後ろを取っている。
その違いが諦めている今でさえ重くのし掛かる。
下手な行動をしない様に念頭において院長の後を私は歩き始めた。
院長は山を登り始める。
それについて行かざるを得ない私。
私達は山を登り始める。
石で造られた階段をゆっくりと、急ぐ素振りもなく一段一段上がっていく。
人が通る事を想定されていない場所は殆ど手は入れられていないみたいで、木々に囲まれてほんのり暑い外が日陰によって多少マシになっている気がする。
階段が無くなり緩やかな坂になった辺りで院長がハンカチで汗を拭きながらこう問いかけてきた。
院長「どう? 祈継花クン。ミスが何だったのか察し、ついた? 」
祈継花「……いえ。」
院長「うーん嫌な位に素直になってしまったねえ〜」
院長「そうだなあ、ヒントとして言える事としては」
院長「ワタクシは祈継花クン。キミの『能力』を知っているんだ」
院長はこちらをチラッと見てそう言った。
少しだけ見えた表情は、屈託の無い笑顔だった。
院長「能力を使って内心を読んでいたね? とても素晴らしいチョーノーリョクだ。惚れ惚れするなあ」
院長「だから利用させて貰ったんだ。キミが夜若華クンに勉強を教えて貰っていたあの時から」
院長から答えを教えて貰う。
だが、しかし、その説明を受けて出た私の言葉は
祈継花「あ、ありえません……」
まるで脊髄反射かの様に、そう口から漏れ出ててしまった。
だって、そう……そうなんだ。
祈継花「それを信じるとかどうとか以前に、私の能力は一種の読心能力です……! それを何かしらの方法でプロテクト、ましてや管理して利用する事なんてまず不可能です! 」
院長「ほう? それは何故なんだい? 」
祈継花「寧ろ、私の能力を知っていたのであれば知っている立場だからこその思考回路が出ます。そして、それも含めての心の声が私に聞こえる筈だからです。」
祈継花「なので、少なくとも私の能力を逆手にとって利用する事は出来ないというのが根拠です。」
私がそこまで言い切るかどうかの間に院長は笑いを堪え切れなかったという様子でハハハハハ。と、笑い出す。
時間にして10秒前後、ひとしきり笑い切ってその後、笑みは絶やさないままで
院長「面白いなあ、こんなに思い通りに。」
と、笑い声とは一変して小声でささやいた。
院長「じゃあ正解を発表するよ。」
院長「美咲クン。先に車に戻ってて良いよー」
美咲「あら? 良いんですか? 」
院長「心配しなくとも祈継花クンは今からワタクシが話す内容で完敗を実感するよ。」
美咲「ふむ、なるほど。それでは戻っていますねー」
そういうと彼女は足早に坂を下っていく。
私にはそれを目で確認する余裕ももう無かった。
祈継花「話の続きをします。一体どうやって私の能力を逆手に取ったんですか。そもそも私の能力を何故? あの人の協力も有るとはいえ先輩方を数時間の内にどの様に……。」
院長「ハハハハ……祈継花クンは知りたがりだなあ。良いよ1つずつの『答え合わせ』していこっか。」
院長「まずはそうだなあ、結論から言おう。」
院長「と、言っても、どう言おうかなー」
院長はその場にしゃがみ込みながら目を閉じ、顎に手を当てながら少し俯いた後、こちらをそのまま上目遣いで見上げて
院長「試しに僕にその読心能力を使ってみてよ、適当にあーって言っておくからさ」
と言い放った。
疑問に思いながらも私はその言葉に従い院長をジッと見つめながら集中をする。
院長《聞こえるかい? 》
祈継花「……! 」
院長《と、まあこんな感じでワタクシは祈継花クンの能力に対して耐性を持っていてね。なんなら、能力をワタクシに向けて使っている間さ、ずっと見られている様な感覚も有るんだよ? 》
そんな……? そんな事がありえる訳。
私のその狼狽を見てだろうか、院長は立ち上がりこちらへ歩き、近付いてくる。
院長「祈継花クン、結局の所簡単な話さー。」
院長「キミが初めて学院に来た時に夜若華クンにキミを寮の部屋へ案内をさせた。」
院長「そしてワタクシが後から向かった時にキミ、この能力をワタクシに向かって使ったよねえ? 」
院長「あの日あの時、既にキミが只者では無い事に運良く気付けた感じ、だね。」
院長が私のすぐ目の前に来た。
院長「後はまあ、ゆっくりと時間をかけて、心外だけどもワタクシの事を犯人にしたいよーっていう可愛い生徒達を絞り込んで、一個ずつ、一人ずつ丁寧に処理をしていった、ダケ! 」
嗚呼、
院長「ま、実際旧学院を燃やしたのはワタクシだけどもねー」
ダメだ。
院長「案外答えは簡単でしょう? ……フフッ、ハハハハハ! 」
視界が歪む、もうとっくに折れていた心がついに体にまでそのメンタルを反映し、私の体を蝕み始めている。
膝を地面に着けて、手を着けることでなんとか頭や身体全体が接地するのを避けている状態。
それが今の精一杯で全力だった。
院長はうなだれて、座り込んでいた私の首を優しく持って、ゆっくりと上に持ち上げる。
痛みは感じないし抵抗も出来そうな位にゆっくりと持ち上げられて自分の視界が上に昇っていく。
手や足も自由なのに、それなのに全く抵抗が出来ず力も入らなかった。
院長は立ち上がらせた私をゆっくりとそのまま抱擁する。
一体何をするのかという疑問は、次の瞬間に鋭い痛みにかき消され、その痛みで私は鋭利な物に首を刺されたという事を把握した。
咄嗟に手を首の後ろに伸ばすが痛みの割に血はあまり出ていない。
その代わりに身体が氷水に浸けられたみたいに冷えていき、そのまま麻痺していく。
直ぐに体は自分の意思では動かせなくなっていった。
眼球を動かしたり、呼吸等は必死に努力をすれば出来るが瞼を自分で操ったり、喋る等の行動の一切が封じられた私を院長は背中で支える。
自分で立つ事もままならない私をそのまま背負い始めてそして私をおぶりながら山を登っていく。
暫く歩きながら院長は何も出来ない私に喋りかける。
そうさせたのは自分なのに、客観的に見たらまるで人を助けているかの様な矛盾した行動に私は嫌悪感と違和感を感じ、すぐにでもこの場を離れたい。
しかし、触れるという感覚さえ奪っている体の麻痺がそれを許しはしなかった。
院長「美咲クンは優秀でね、ワタクシがただ怪しさを醸し出して目立てば目立つ程、皆ワタクシにだけ警戒をする。」
院長「そんなお膳立てをワタクシがしたら、ちゃんと隠密に事を済ましてくれたよ。」
院長は山の崖際まで歩いた所で足を止め背負っていた私を一度下ろした。
少し細い二の腕は、体を動かせないせいで全体重を預けるしかない私を軽々と持ち上げられる。
そのまま高い高いをされている子供の様に、院長の顔が真下に有る所まで私は空を浮かぶ。
院長「おかげでこの通り、祈継花クン。最後のキミを最期にしたら……後は好きなだけこの学院を愛せるよ」
院長「ワタクシの素晴らしい学院に、」
院長「乾杯! 」
そういうと同時に院長はその体制のまま二の腕の力だけで私を思いっきり崖へ投げ飛ばした。
院長「って、感じだね。」
院長「ハハハハ、ハハハハハ! 」
――
私は、
私は死ぬのだろうか。
崖から落とされた。風が体を叩き、その感覚さえ奪われて。
私の好きな先輩も皆既に居ない。
崖から落ちた時、地面に落ちた時、その後に、また先輩達と会えたら良いな。
そうしたら何をしようか? 白兎先輩なんかは「失敗に終わった今回の作戦の全体的な見直しをしよう。」とか言いそうだな。
それで私も皆もテンションにつられて何が悪かったか、を、ちゃんと考え始めて。反省会になっていって。
夜若華先輩が途中で少し生温いお茶を入れてくれたりして、そのヌルさがちょうど良くて。
うん。次に活かせそう。
次こそ頑張ろうって。
……。
本当に死にたくないのかな自分は?
どうだろう、別にもう、良いかな。そう考えてる私がいる。
うん、あっちでも楽しくやっていこう。
じゃあ。




