3.説得
朝になりガルマイドは、重い瞼をゆっくりと押し上げた。
魔王城の客間で一夜を過ごしたのは、いつ以来のことだったろう。石造りの壁に染みついた冷気が肌に残り、窓から差し込む薄明が、昨夜までの血と炎の残滓を淡く洗い流しているようだった。
扉の向こうで、控えめな声が響く。
「ガルマイド様、おはよう御座います。朝食の準備が整いました。ご希望のお時間がございましたら、いつでも申し付けください」
侍女はすでに外で控えているらしい。ガルマイドは短く息を吐き、声をかけた。
「おはよう。すまないが、アレンを呼んで来てくれないか」
間もなく、扉が静かに開いた。
「ガルマイド様、おはよう御座います。何か御用でしょうか?」
アレンの声は、いつものように澄んでいて、しかしどこか昨夜の疲労を隠しているようだった。
「今後について少し話をしたい。この後、クロム卿と話す時間を設けてくれ」
「かしこまりました。クロム卿には私の方から連絡させていただきます」
アレンは一度頷き、そして、わずかに唇の端を上げた。
「先ずはその四方八方に広がった寝癖、直してから来てくださいね」
扉が静かに閉まる。ガルマイドは無言で手を髪に走らせ、乱れた寝癖を整えた。それから侍女を呼び、簡素な朝食を口にした。味はほとんど感じなかった。体に入れるものというより、これから続く対話のための燃料に近い。
――魔王城三階・書斎
扉を開けると、クロムがすでにそこにいた。朝の光が窓から斜めに差し込み、古い本棚と重厚な机を照らしている。
「やぁ、おはよう。昨日は眠れたかい?」
クロムの声には、いつもの軽さがあった。しかしその目は、すでに何かを測るように鋭い。ガルマイドは一礼し、ソファに腰を下ろした。革の感触が、妙に心地良く感じる。
「それでガルマイド君。早速だが、話というのは?」
クロムが身を乗り出す。椅子の軋む音が、静かな室内に小さく響いた。
「えぇ。実は近日中に、万魔殿で魔界の今後を決める会議を開きたいと思っています」
「会議、か」
「はい」
クロムは沈黙した。その沈黙は、単なる間ではなく、相手の真意を探るためのものだった。
「詳しく教えてくれないか」
ガルマイドは一度、深く息を吸った。そして、言葉を選びながら語り始めた。
「現在、バルザス様は完全に危篤状態にあります。残念ながら、残された時間は僅かです。このままでは魔界の統治はたちまち不安定となり、魔族は滅亡の危機に瀕するでしょう。そうならぬよう、速やかにバルザス様の代わりとなる代表を定め、安定した組織を構築する必要があります」
彼は視線をわずかに落とし、続けた。
「今までは、バルザス様による長きにわたる単独統治でした。だからこそ、このような事態に陥ったとき、魔界は混乱の一途を辿るのです。今後は、魔王ただ一人が魔界を統治するのではなく、魔族同士の力を合わせた新たな組織こそが、未来永劫、魔界の繁栄に繋がる――私はそう考えています」
クロムは、ただ静かに聞いていた。腕を組み、指先で自分の肘を軽く叩く仕草が、思考の深さを物語っていた。
「なるほどね……君の考えはよく分かった。至極真っ当な意見だ。私も、君の意見には賛成だよ。しかしだね……」
クロムは椅子から立ち上がり、ガルマイドと向かい合うソファに腰を下ろした。距離が縮まり、空気がわずかに重くなる。
「我々は魔族だ。君のように高潔に生きる者もいれば、どこまでも己の欲に忠実な者もいる。そんな連中に力を与えてしまえば、いずれ組織は分裂する。それこそ魔界の滅亡だ。君に、その真意を見極める術はあるのかい?」
問いかけは、穏やかでありながら、刃のように鋭かった。
ガルマイドは、その視線を真正面から受け止めた。
「だからこそ、先ずは皆で話し合うのです。今こそ我々が協力し、魔族にとってここが安寧の地であると言われる場所にしたい。そのために――是非、クロム卿のお力を貸してはいただけませんか」
彼は、深く頭を下げた。ただの礼儀ではない。誇りを削り、身を屈めてでも得ようとする意志が、そこにあった。
数秒の沈黙。
そして、クロムはゆっくりと口元を緩めた。
「君がそこまで魔界のことを考えているとはな……分かった。私でよければ、力になろう」
「ありがとうございます」
二人は、硬い握手を交わした。掌に伝わる熱が、ただの合意以上のものを含んでいるように感じられた。
「……で、私は何をすればいい?」
クロムの問いに、ガルマイドは即座に答えた。
「先ずは我々の主張をより強固にし、地盤を固めたい。他の四天王を魔王城に呼んでいただけますか?」
クロムは一度、深く頷いた。
「承知した」
こうして、クロムとの協力関係を結んだガルマイドは、次の一手として――かつての盟友たち、四天王との再会を試みることになる。
魔界の未来を決める会議。
その幕は、まだ静かに、しかし確実に上がりつつあるのであった。




