10.演説
《かつて我々は二度、大きな戦争を経験した》
ガルマイドは過去の魔界で起きた話を語り始めた。
《一度目は神樹の森。二度目は人間が住まう王国。
どちらも自国の領土拡大と、異種族への拒絶から始まった戦争だった。結果として我々は過去最大の領土と資源を手に入れた。……だが、それと引き換えに、数えきれぬ同士の命を失った》
かつて魔族の繁栄を掲げて戦った者として、ガルマイドは人知れず胸を抉られていた。
壇上に立ち、広大な広場を埋め尽くす魔族たちを見下ろすと、その痛みが再び胸に刺さる。
《……この魔界に、三度目の悲劇を招いてはならない》
声に熱が籠もり始めた。
《バルザス様は、為政者として卓越した才能を持っておられた。しかし——この魔界を豊かにするために、一人の権力に全てを委ねて良いのだろうか? いや、断じて否だ!》
《我々が一団とならずして、何を成し遂げられるというのか!》
大衆に語りかける口調は、次第に演説から「呼びかけ」へと変わっていく。
《私が魔王に就任する時、次のことを約束しよう》
《今後、魔王という存在そのもの、そしてその組織形態を大きく変える。魔界は新たな国として生まれ変わる。
誰しもが政治に参加できる仕組みを作り、才ある魔族には、国家の運営に直接携わる権利を授ける。
一人の魔王が全てを決める時代は終わりだ。
民が民を選び、民が民を監視し、民が民の未来を語る——そのための土台を、私は築く》
ガルマイドは拳を軽く握り、広場の奥まで届く声で結んだ。
《私と共に、魔族の更なる発展を目指すのであれば——君たちの未来を、私に委ねてほしい。
だがそれは「服従」ではない。「共に創る」ことだ》
演説を終え、壇上を降りると、魔族たちの歓声が波のように沸き上がった。賛同の声、期待の声、そして「自分たちも関われるのか」という、微かな興奮が混じっている。
すぐさま進行役が前に出た。
「……ありがとうございました。では、次の立候補者、ヴァルテリア・フレイア卿、お願いいたします」
進行役に促され、ヴァルテリアが静かに登壇する。
彼女が姿を現しても、広場の熱はすぐには収まらなかった。
そんな様子を彼女は何も語らず、ただゆっくりと魔族たちを見渡している。
沈黙。
それだけが、広場に広がっていく。
この異様ともいえる事態に、魔族たちの反応は様々であった。
放送魔術の不具合を疑う者。演説の内容を忘れたのかと囁く者。凛とした佇まいに魅入られる者。そして、この異常な静けさに本能的な恐怖を覚える者。
万魔殿にいる幹部たちさえ、ざわつき始めた頃——彼女はようやく口を開いた。
《……先月、この魔界で最も偉大なお方が倒れました。
私も含め、多くの魔族が不安に沈み、混乱したことでしょう。
…ですが、その間——この魔界で一度でも隣国からの侵略がありましたか? 一度でも暴動が起きましたか? 一度でもこの魔界を変えたいと思う事件がありましたか?》
彼女の問いかけは、静かに、しかし容赦なく大衆魔族の胸に突き刺さる。
《いいえ。そんな事実はあり得ません。
何故なら、魔王という権威ある存在が、この魔界の基盤そのものを支え続けてきたからです。
権力が分散されれば、やがて個々の力が肥大し、わずかな価値観の違いが内乱の種となります。
「皆で決める」などという甘い言葉は、責任を曖昧にし、決断を遅らせ、敵に隙を与えるだけでしょう》
ヴァルテリアは一歩前に踏み出し、視線を広場全体に据えた。
《この魔界に必要なのは、圧倒的な力で全てを統べる存在です。
私は確信しております。この世の種族の頂点に立つべきは、魔族であると。
群れることで国家の繁栄を築くなどというのは、弱者の思想に過ぎません。
真に強き者は、一人で立ち、一人で決し、一人で責任を負うことなのです》
彼女の声に、わずかな熱が混じった。それは感情ではなく、信念の熱だった。
《公約などという、政治家のような真似事は必要ありません。
今までがそうであったように、これからも偉大な魔王が君臨し続けること。それこそが、魔界を永続的な繁栄へと導く唯一の道なのです》
そう言い残し、ヴァルテリアは静かに壇上を降りた。
広場には、先ほどの歓声とは質の違う、重く沈んだ反応が広がっていた。賛同、畏怖、そして——誰かに全てを委ねたいという、深い安堵と依存が混じり合っている。
両者の意見を聞き終えた魔族たちはそれぞれの想いを抱え、投票魔術を展開した。
そして全ての魔族が投票し終え、運命の開票へと続くのであった。




