第4話 黒
第4話 黒
マレーの家の道場でお弟子さんたちとは別で道場の広い敷地内にあるマレーやルカドゥクさんが個人的に鍛錬する離れで私と双子はマレーから体の動かし方を習った。
まずは走り込みから。普段体を動かすことが少ないので体が慣れるまでは走り込みの距離も短いものからで、双子たちも無理しないように一緒に様子を見ながら走った。
体力が少しずつ増えてきたら、次は双子は構えの練習、私は護身術を習った。マレーは本当に凄くてルカドゥクさんからの稽古も付けてもらってるというのに、私たちの体力や覚え方、体の動かし方の癖なんかをよく見ていてその都度細かく教えてくれた。マレー自身も私たちと一緒に体を動かして新たな発見や自分の姿勢の見直しなどに役立っていると話していた。
双子もそんなマレーのストイックさに憧れを抱いているようで、マレーだけが課されている鍛錬をじっと見つめていることもあった。
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マレーから体の動かし方、護身術、双子の武術の入門までを習い始めて1年が経過した。
私は16歳になり、双子は5歳になった。私は1年前までは髪の毛が肩に付くくらいでただ2つに分けて縛っていたが、今では背中まで伸び、普段は2つに分けてクルッと輪っかにして結んでいる。その方が可愛いと、意外と可愛いもの好きで私の髪の毛でヘアアレンジを楽しむマレーが豪語していた。
双子も成長し、シダヤは背が伸びて今の時期の子供ならやんちゃ盛りだが、過去にルカドゥクさんが口にした"力の振るい所を間違っちゃいけない"という話が響いているのか、身につけた武術を周りの人を守るために使うと口癖のように言っている。
ノゼルの方は女の子らしく控えめなとこも変わってないため、武術も動きもハキハキとしたシダヤに対して、しなやかで静かな印象を持つ。
マレーの家族と私の家族もみんな仲良くなり、頻繁にお互いの家にお邪魔してお茶をしている。父同士母同士で話も盛り上がっており、本当に仲が良い。
1年もすれば私の護身術の方もだいぶ板につき、マレーから教わった護身術は流れるように繰り出せるようになった。私も双子と一緒に体術も会得し始め、お父さんには"娘たちがどんどん逞しくなっていく…"と涙を流しながら遠い目をしていた。どういう感情なのだろうか?
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今日も双子を連れてマレーの家の道場を訪れ、走り込みをしてから構えの確認、体術の鍛錬をした。
組み手はマレーが監視の元、双子だけが短い時間取り組んでいた。襲ってきた相手の呼吸、力の流れをどう受け取り流すのか、どう利用するのかそれを知るためにやっているという。私も手加減をしてくれるマレーとやったことがあるが、いつの間にかひっくり返っていて目をぱちくりさせたことは記憶に新しい。マレー曰く、まだ浅いとのことだった。
私と双子が水分補給をちゃんとして少し縁側で休ませてもらった後、次の鍛錬の計画の話をしてこの日の鍛錬が終わった。
マレーはこの後ルカドゥクさんの仕事が終わったら久々に組み手をしてもらえると嬉しそうに話しており、私と双子がだいぶ強くなったことも考慮して今日は帰りの送迎は断った。少し心配そうに眉を下げるマレーに私と双子は安心させるように笑顔を見せた。
「じゃあね、マレー!今日もありがとう!」
「マレー姉ちゃん、またな!」
「マレーお姉ちゃん、また明日。」
3人で玄関先まで見送りに来てくれたマレーに手を振って別れる。私が真ん中になって両脇に双子の手を繋ぎながら今日の夕飯はなんだろうかと予想大会をしていた。
すると、誰かに見られている気配がした。
「?」
バッと後ろを振り返って見ても遠くの方でまだマレーが手を振っているだけで誰もいない。私の様子にシダヤが首を傾げており、ノゼルは不安そうに眉を下げた。
「どうしたの?お姉ちゃん…。」
「ん?誰かの視線を感じたんだけど…。」
「俺はなんも感じなかったぞ?」
「私も…。」
体術などを習って感覚が研ぎ澄まされてきた双子でも何も気付かなかったという。私の気のせいだと思って再び歩き出したその時——
「やっとだ。」
どろりと溶けるような熱い渇望、待ち焦がれた恋人に向けるような執着の視線。
私に纏わり付くようなその低い声に動きが止まった。
「見つけた、俺の——」
黒い何かが私に向かって伸びてきて、私は唇を噛み締めて意識を保った。じゃないとこの人が放つ殺気と鼻にこびり付くような花の香りに意識が飛びそうだったからだ。
指一本も動かせずに頬に汗が伝った瞬間。
ドン!
と体に強い衝撃が走った。
「ッ!は…ッ」
尻餅をつくように倒れ込んで、やっとまともに呼吸ができるようになり、必死に酸素を取り込んでチラリと黒の方を見ると私の前には体術の構えをした双子が立っていた。
「姉ちゃんに触るな!」
「貴方、誰ですか…!」
マレーから伝授された構えに隙は無く、2人は黒に囚われそうになった私を突き飛ばして距離を開け、自分たちが割り込むことで守るように壁となった。
2人の声色には警戒と怒りが込められている。目の前の黒から発せられた異常な存在感に空気が鋭くピリついた。
短い深呼吸をして私も立ち上がって体術の構えを取る。
「…何の用か答えてもらいましょうか。」
1年前から変わった3人の覇気と強気な瞳に目の前の黒はジリ…と少し後退したが、直ぐにワッとその黒を広げて手のようなものが襲いかかってきた。私たちは黒が自分に触れる前にサッと体を捻って避けた。だが、数が多かった。避けきれずに思わず手が出てしまったがいなすことが出来たので、なんとか連続で襲ってくる触手の攻撃を捌く。
3人で必死に触手のスピードに対応していたが、向こうの攻撃速度は勢いが増し、鍛錬後の疲れで集中力が切れた私は一つの触手に顎を掴まれた。
「ぐっ…!」
「…まだ、か。その時ではない…」
触手の後方に広がった黒からまた声が聞こえた。
「("まだ"って、何が…!?)」
頬から顎にかけてをむぎゅっと片手で押さえ込まれ、私は声を出すこともできず黒の中から聞こえる声の真意を窺い知ることができなかった。
「(こンのッ!!!)」
私は護身術の一つとして習ったように私の顎を掴む触手の腕に脚を振り上げて絡みつき、思い切って掴み掛かる触手から手を離して、勢いよく地面に向かって手を伸ばす。一瞬にして体重移動をして体を捻って足で絡めた触手を地面に叩き付けた。
ビタン!と派手な音がすると同時に触手が後方の黒から千切れた。
その瞬間にフッと後方の黒との距離を詰めた影が一つ。
「ハァッ!!!!」
気合いの声と共に黒に向かって拳が上から叩き込まれた。
地面に飛び散るように広がった黒に気味悪さを感じながら私は直ぐに飛び退いて距離を取った。
「大丈夫!?みんな!」
「ありがとう、マレー!こいつ、何なのか分からない!」
そう、黒に拳を叩き込んでくれたのは心強い友達のマレーであり、私たちが襲われてからほんの短い時間で異常性を感じすっ飛んできてくれた。
双子の方もまだ私を守るように前に出てくれているが、マレーがさらにその前に出て、私たちを守るように立った。
「黒い…何か、ねぇ…。」
ポキポキと指の関節を鳴らして様子を見るマレーは普段のハスキーボイスに更に深みと警戒を加えて目の前の黒を睨んだ。
「シダヤ、ノゼル。お姉ちゃん連れてここから離れな。インディゴの警備隊の駐屯地に駆け込むんだ。」
「うん。」
「お姉ちゃん、行こう。」
マレーの指示にシダヤが頷き、ノゼルが直ぐに私に駆け寄ると手を取って走り出した。場所的に安全なのはマレーの家であるが、位置が悪い。マレーの家は黒の後方。黒を振り切ってマレーの家に逃げ込めるかは分からない。だから、マレーは位置的に近くの管理エリアにあるインディゴの駐屯地へ逃げ込むことを提案した。
私はチラッとマレーのことを見たが、明らかにマレーは私や双子よりも強い。大の大人の男性を倒してしまうほど強いのだ。不安はわずかにあったが、それよりも狙いが私である可能性が高い以上、黒から少しでも離れた方が賢明だ。私たち3人は1年間走り込んで増えた体力を頼りに全速力でその場から離脱した。
今いる場所からはまだインディゴの警備隊の駐屯地まで距離がある。追いつかれる前に黒の視界から逃れてしまえば…と思っていた。
だが、黒の執着は私だけではなかった。
「——から逃げるな」
ズッと地面に広がった黒い触手が伸びてきて、小さな手がべたべたと双子の足に貼り付いて足首を掴んだ。
「おわッ!?」
「きゃっ!」
私の両脇を走っていた双子が急に視界から消えて、急ブレーキをかけて振り返る。
すると、あっという間にシダヤとノゼルは触手に体をぐるぐる巻きにされ、身動きが取れない状態で逆さに吊るされていた。
「シダヤ!ノゼル!」
口も触手で塞がれているため、必死に私の方を見て何かを叫ぼうとしている。
「(きっと逃げてって言ってる…、でもッ!!)お姉ちゃんだからね!!!」
自分を鼓舞するようにそう叫ぶとグッと拳を握って、走り出そうと片足を踏み込んで前傾姿勢になる。
その瞬間——、
ヒヤリと肩に何かが触れた。
「っ!!!?」
バッと勢いよく振り返ると同時に遠心力を少しかけて腕を払った。
だがそこには黒いモヤしかなく、何かに当たった感覚もない。
私が疑問符を浮かばせていると今度は首筋に指が這われた。
「!!!」
だが気付いていても腕で払うことが出来なかった。
「(体が…動かない…!)」
「やっとだ…、こうして触れられるのが、嬉しいよ…プリズム。」
「!?」
ねっとりと纏わり付くような熱のこもった低い声なのに、首には先程から冷気しか感じられない。指の1本1本で確かめるように首筋に触れられ、私はゴクリと喉を鳴らした。視線しか動かすことができず、チラリと声のする方を見ると、黒の中に金色が見えた気がした。
私がその金色に懐かしさを感じて目を見開いたと同時に、触手に拘束されていた双子の方に動きがあった。
口を塞いでいた触手に噛み付いたのか、シダヤが叫んだ。
「姉ちゃん!!!!」
「…うるさい。」
弟の必死の叫びにハッと意識を戻して、双子を見る。だが、声を発したシダヤは触手に巻き付かれ、空中に広がる黒の中に引き込まれていった。最後まで暴れて私のことを叫ぶシダヤに私は手を伸ばした。
「シダ…ッ!」
ドプンッと黒の中に完全に沈んでしまったシダヤに私はひゅっと息を吸い込んだ。
黒がシダヤを飲み込むと私の後ろにいた黒が"ほう"と声を漏らした。
「興味深い力だな。溢れた断片か…、それとも…。」
そう言って黒はチラリとまだ触手に捕まったままのノゼルにも視線を向けた。
「!ダメ!やめなさい!!!」
黒の意図が分かった瞬間、私は必死に体に力を入れて手を伸ばす。動こうとする度に触手が地面から生えてきて私を締め上げた。ギリギリと触手が体に食い込み、骨が軋む音が聞こえるが私は何がなんでもノゼルに近付こうとした。
ノゼルは口を塞がれたまま、必死に抵抗している。走り込みもして体術の構えも覚え、体の使い方を知った。なのに、一向に黒い触手を振り解くことが出来ずにいた。
ノゼルの背後に黒が広がった。
やだ、だめ、それだけは——。
私の目には涙が滲んだ、でも体に入れる力はどんどん強くなっていく。私の体に巻き付く触手も喉元まで来た。
「ノゼルーッ!!!!」
声が出せなくなる前に妹の名前を叫んだ瞬間にノゼルは一瞬にして黒の中に引き摺り込まれ、ドプンッという音と共に姿を消した。
黒に飲み込まれる瞬間、ノゼルの目には涙が浮かんでいた。"助けて"と"逃げて"がせめぎ合って私に訴えかけていた。——お姉ちゃん、と。
私がノゼルへ向けて伸ばしていた手がダラリと垂れ下がった。だが、直ぐにグッと拳を作る。
「マレェ……、…ッ、マレェーッ!!!!」
彼女だけが頼みの綱だった。彼女だったら、マレーだったら双子を——。
希望を込めて顔を上げて黒の奥にいる、私たちを逃がそうとしてくれた彼女の背中を探した。
でも、どこにも立ってなかった。頼もしい背中も、燃え上がるようなオレンジの柔らかい髪の毛も、眩しい笑顔も見えなかった。
「くっ…う…、マレー…どこ…?」
触手に巻き付かれた体に再び力を入れて動こうとする。ギュルン!と勢いよく口まで触手が伸びてきて塞がれた。声が上げられない。顔にまでビタビタと張り付いてくる触手を鬱陶しく思いながら私は必死にマレーの姿を探した。諦める訳にはいかない、彼女がいれば形勢逆転ができる。そう思うのに、嫌な予感が背中を這う。
「ぐ…ぅ…ッ」
ついに体を動かせないほど触手に巻き付かれ、私は地面に倒れ込んだ。その時にやっと空中に浮遊している黒のモヤと地面の隙間から見慣れた靴を見た。
「(あ…、マレーだ…!)」
と思って視線を靴から辿っていく。だが、その先にはボロボロのマレーがいた。
「あ…、あ…ぁ…ま…」
口を塞がれているせいで声が出ない。彼女の名前を呼ぼうにもできない。涙で前が見えない。ぼやける視界で私は最後の力を振り絞って彼女に手を伸ばした。届かない距離だ。でも、大事な双子も、大切な友達も、失いたくなかった。
「(やだよ……。置いていかないで…)」
最後に手を伸ばしたせいで視界まで触手に覆われてしまった。ギチギチと締め上げられる痛みも麻痺してきた。
目にたっぷりと溜められた涙が視界を奪った触手によって溢れたとき。私の意識は途切れた。
でも温かな声で"大丈夫よ"って聞こえた気がしたんだ。




