第5話 証拠も根拠もないけど
第5話 証拠も根拠もないけど
何が起こっているのか、分からなかった。
夕方までかかった書類の整理と重要な書類の記入確認を終えて、服を動きやすいものに着替えてから娘が待つ、離れの道場へ向かった。
「すまないマレー、遅れてしまった。」
戸を開けて入ったが、頬を膨らませて拗ねた表情をした娘はまだ来ていなかった。
「……(まだ来ていなかったか。アイリスの見送りに時間をかけているのか。)」
そう思っていたが、胸の奥でざわざわと嫌な予感が騒いだ。じっと待っていることが出来ずに、家の中を歩いて台所にいる妻のラメネを探す。夕飯の支度をしている彼女の背中を見つけて、声をかけた。
「ラメ、マレーを見なかったか?」
「あら、やっと書類仕事が終わったんですか?マレーならアイリスちゃんたちを玄関先で見送ると一言言っていきましたが…。」
葉物野菜を切っていた包丁の手を止めて顔を上げる。そして小さく声を漏らした。
「確かに遅いですね…。」
ラメネのその呟きを聞いてから私は身を翻した。
「玄関先を見てくる。」
「…私も行きましょう。」
魔道具の火を止めて、手を軽くエプロンで拭いて私の後ろをラメネが追ってきた。
2人で玄関から小さな庭を抜けて門がある玄関先を見に行ったが、そこにはマレーの姿もアイリスと双子の姿もなかった。
「………。」
「あら、みんないらっしゃりませんね…。ん?」
ラメネが何かに気付いて、しゃがみ込んだ。
「これは…。」
ラメネが拾い上げたそれは、私が小さい頃のマレーに誕生日プレゼントとして送ってから毎日嬉しそうに付けてくれている黒い髪飾りだった。
私の胸のざわめきは確信に変わった。
「あの子たちに何かあったかもしれない。私は周辺を調べてみる。ラメネは魔力鳩でアイリスの家に連絡してくれ。」
「ええ、分かりました。お気を付けて。」
軽く頭を下げた後ラメネはすぐさまアイリスの両親に連絡手段である魔力鳩を送るために家に戻った。
私は武術に優れている方だが、魔力の探知などは齧っている程度だ。情けないが、昔の癖で一緒にチームを組んでいたルミリアの方が探知に優れていたため、いつも彼女に任せっきりだった。
武術エリアの道を注意深く見ても、誰も何もない。逆にそれが違和感を覚え、私はそれほど得意ではない魔力探知を発動した。範囲はルミリアよりも圧倒的に狭いが動き回ることでいつか何かを探知するだろうと思った。
早足になりながら道を探索する。数分間そうしていると、何かを探知範囲内に感じた。
「(何かがある…)」
近付いてみても、何もない。だが、確かに魔力探知には反応したので手を伸ばしてみる。
すると——。
バチィッ!
「!!!」
見えない何か、障壁のようなものに手が弾かれた。指先がびりびりと痺れているが、痛みはさほど強くない。
雷属性のような痺れではない。
「(もう少し触れてみるか…)」
もう一度見えない障壁に向かって手を伸ばしかけた瞬間、ブワッと強い風が吹き抜けた。軽く手を顔の前に翳して風が止むのを待ってから目の前を確認する。
そこには、今まで何もなかったはずの武術エリアの街道にボロボロで倒れているマレーと、黒い何か液体だったようなものが飛び散るように広がり、その先に光に包まれながら浮かんでいるアイリスがいた。
何があったのか理解する前に少し宙に浮かんでいたアイリスの光が止み、フラリと体が傾くとドサッと地面に倒れ込んだ。
その音にハッとして、近くで倒れているマレーの呼吸を確認した。
「(意識を失っているだけか…)何が…。」
距離があって気付かなかったが、マレーは服がボロボロなだけで体には傷が無かった。まるで回復魔法をかけられたようだった。
ズッ…
「!」
マレーの安否を確認していると、街道に飛び散るように広がっていた黒が視界の端で動いた。
マレーの体を瞬時に引き寄せて自分の後ろに移動させ、警戒して黒の動きを注視した。
黒い何かはズルズルと舗装された街道の溝を這うように集まっていき、やがてそれは人の姿を成した。
普通に立っているがそれは真っ黒な姿で本当に人なのか怪しい。こちらには背を向けているので、攻撃を仕掛けるのも距離を取るのもどちらもワンテンポだけこちらが有利になる。
「(一瞬の判断で変わるな。)」
そう思った瞬間、自分の足元と少し離れたところで倒れているアイリスの地面が光った。
「これは…」
身の覚えのある魔力を感じた瞬間、自分の目の前の景色が変わった。
シュンッ
「ふぅ…。助かった。——ルミリア。」
景色は武術エリアの街道ではなく、どこかの建物のバルコニーのようだった。その場所にも自分たちを助けてくれた彼女の背中にも見覚えがある。
「こちらも、肝を冷やしました。急に王国内にアンノーンに似た魔力の反応が現れたのですから。」
しばらく空を見つめてから真っ赤な長い髪の毛を翻しながら振り返った彼女はカーマインのギルド本部長、ルミリア・ハーストンだった。彼女は私が若い頃に一緒にチームを組んでいた昔馴染みだった。今はお互いに王国に居を構えて冒険することもないが、秘密のルートでの情報交換などのやり取りは続いている。
「とりあえず、この子達をカナリアの病院に運びましょう。話は全て手配をし終わってからです、いいですね?」
「ああ。」
ルミリアの言葉に頷くと、再び自分たちの足元が光った。彼女の魔法である、テレポート——転移魔法の合図だ。
一瞬にして景色が病院の屋上に変わる。そこにはすでに病院の院長を務めている、カナリアのギルド本部長も待機していた。まるでここに来ることをあらかじめ知らされていたようだ。
「ヒルデ、準備は?」
「できています。」
ルミリアは転移魔法を収束させ、すぐに杖を持ったままカナリアのギルド本部長、ヒルデ・ヤクモスに声をかけた。彼は前任のギルド本部長である自分の母親からその役目を引き継いでいるが、回復魔法や医術の知識はちゃんと備わっている。私やルミリアが信頼を置く人物でもある。
ヒルデが後ろに控えている魔法使いに目配せすると、一緒に転移されてきた、マレーとアイリスが浮遊魔法をかけられ、バタバタと病院内に運ばれていった。ヒルデもその後に続くように、私たちに頭を下げてから踵を返して病院の中に入った。
その場に残された、ルミリアと私はしばらく空を見つめた。
「逃げたか。」
「ええ。テレポートした後…あれは、レディカの方角ですね、そちらへ飛んで行きました。フラフラしていたようですが、こちらにどこへ逃げたかも見せつけるようでしたね。」
「……。」
私は腕を組んでここまでの一連の出来事を頭の中で整理する。ルミリアは人脈や情報網が広いため、今日の一連の出来事でこちらが知らないことも知っているだろう。それらを照らし合わせる必要がありそうだ。
「…ヒルデからの治療の報告を待っている間に情報の照らし合わせが必要だ。今夜は…徹夜で会議だな。」
「はぁ…、また寝られないのですか…。」
「ラメに夜食を作ってきてもらおう。」
「あの子の料理があるなら、頑張れそうですね…。では、また後で。」
そう言ってため息を溢したルミリアは、すぐに転移魔法を発動させてどこかへ消えた。私も直ぐに家に戻ってラメに一部始終を話してから夜食を頼み、管理エリアにもう一度足を運ばなければならない。
これから長くなりそうな会議のことを考えると、頭が痛くなって自然とため息が出るが娘と娘の大事な友達が襲撃されたのだ。会議から逃げ回ってる場合ではない。
屋上からヒョイっと柵を乗り越えて自分の道場まで建物の屋根を伝って帰宅するのだった。
——————
重要人物が管理エリアのカーマインのギルド本部大会議室に集まったのは、とっぷりと日が暮れて星がはっきりと輝き出した頃だった。
「今回の事件は、武術エリアの街道で起きました。お手元にお配りした資料があるかと思いますが、最初に襲撃されたのは商業エリアの菓子店、パティスリーシュガーツの長女、アイリス・シュガーツさんとその兄妹である双子のシダヤ・シュガーツさん、ノゼル・シュガーツさんです。敵はこの国のアンノーンに反応するプラム所属の魔法使いたちの探知魔法を掻い潜り、街道に突然現れました。カーマインのギルド本部でもいきなり探知魔法に反応がありました。なるべく素早い指示でカーマインの魔法使いたちを招集したのですが、正確な位置を割り出そうとしている間に、敵の反応が消えたのです。」
一連の出来事を即座に資料にまとめて人数分を用意した、ルミリアの部下であるナミリタという青年が資料に目を落としながら口で説明する。
この大会議室に集まったのは、襲撃されたアイリスと双子の両親とマレーの父親である自分、そしてカーマインのギルド本部長であるルミリアと、カナリアの代表として連絡係の魔法使い、インディゴの警備隊の代表のヒューマ、スカイの研究者であるレイノルズが列席していた。
大会議室を使っているのに、あまり人数を集めていないのは重大な事件であるが故に情報を広めすぎないための配慮だった。
「敵の反応が消えた、というのはどこかへ移動したということか?」
「いや、襲撃されたアイリスと双子も、それを助けに行ったマレーもそこから移動していない。」
「?」
資料を見つつも、頭に浮かんだ疑問を口にしたヒューマに対して、私は答えたが彼は"どういうことだ?"と首を傾げていた。
「探知魔法を遮断する結界を展開されていたのです。」
「…なるほど。」
私たちの会話に探知魔法が得意であるルミリアが淡々と答えたが、彼女の心境も今は複雑なものだろう。かつての仲間である彼女の眉を寄せた表情を見たヒューマはややあって、全てを察し納得した。
「探知魔法を遮断する結界を張られたため、ルミリア様でもその位置の特定が出来ずにいました。ルカドゥク様の奥様が魔力鳩で各所に連絡をしてくださったことで、襲撃された人物の特定は出来ました。しかし、救出や援護をしようにもその時点では位置の特定も敵の情報も何もなく…。後にルカドゥク様が偶然現場で結界が内側から破られる瞬間と敵を目撃されました。」
ナミリタがそこまで説明し、私に視線を投げかけてくる。その時の様子を話してくれ、ということだろう。
「探知魔法は得意ではなかったが、現場近くで魔力の波に異変を感じた。何もなかった空間に触れようとした時に手を弾かれ、その後直ぐに結界が破れた。私が触ったからではなく、あれは中から何かの力が発動して破れたように見えた。…シュガーツ、さん。あの子達の魔法に何か秘められたものは?」
いつもはアイリスの両親のことは名前で呼んでいたため、ファミリーネームで呼ぶのに少し引っかかってしまったが、この場でそのことを追求してくる者はいないし、2人も気にしていない様子だった。
私の質問にアイリスの両親——シリウスとマイアはお互いの顔を見合わせてから首を横に振った。
「アイリスの魔法のパレットは、オレンジの身体強化とインディゴの魔力強化のみです。双子は、まだどちらもパレットの発現はしていません。3人共結界を張れるような魔法も、またそれを破るような魔法も会得してないはずです。」
「1年前に私たちの店が襲撃されてからクラウドさんの道場でお世話になっていましたが、魔法の特訓ではなくあくまで体術を教えてもらっていました。」
シリウスとマイアが順番に説明したが、2人の発言に嘘偽りはない。3人のことはマレーに任せていたが、時々鍛錬の様子を密かに覗いていたこともある。その時のことを思い出しても特段気になるような点はなかった。
襲撃された子供達の親の話を聞いて、その場の者たちは口を噤んだ。
1分程度の沈黙のあと、咳払いをしてからナミリタが口を開いた。
「これに関して謎が残りますが、私たちカーマインの探知魔法に長けた魔法使いたちは結界が破られた瞬間と同時刻くらいに再びアンノーンに似た何者かの魔力を探知しました。ルミリア様もあれから探知に参加していたので、それを発見して直ぐに転移魔法を使ってその場で倒れていた子供達とルカドゥク様を移動させました。その際に王国の隣にある火と情熱の国、レディカの方角へ黒い何かが飛び去っていくのをルミリア様が目撃しています。」
ナミリタがそこまで話すと、皆資料から目を上げた。目撃者であるルミリアからの発言を待った。
「…黒い何かはアンノーンではありません。あれは…人間に似た魔力を感じました。ですが、この世界の創造神であり、人間に色と魔力を分け与えた神——プリズムの力ではない、黒い力を感じました。」
「黒い力、ですか…。」
ルミリアの話を聞いて、その言葉を反芻したスカイの研究者であるレイノルズは確か専門が古代の神の力や神話の魔法についてだ。何か引っかかった点があったのかと、私は彼に視線を向けた。
「レイノルズ、何か分かるか?」
「…まだ確証はありませんが、古代の神であるプリズム様の力以外というものは、どの文献に載っていません。しかし、黒の力ということに関しては私たちよりも詳しい人がいるかもしれないのです。」
「それは…?」
「プリズム様の力から派生した眷属たちです。」
レイノルズの推測の域を出ることができない発言の続きを促して聞いてみても、自分は古代などの神話の時代の歴史には詳しくないからかピンと来なかった。
「眷属…、聞いたこともないな。」
過去に私よりも博識であったヒューマでさえ、知らない話に少し興味湧いたが、体が動かすことが好きな私は机仕事でその神話時代の眷属について調べることなど無理だなと呆気なく諦めた。
「黒い力については、レイノルズさんを中心としたスカイの研究者の皆様に尽力をしていただきたいです。既に黒い何者かが飛び去ったレディカの方角にはカーマインの魔法使いたちの選抜チームを手配中です。襲撃された子供達は今病院で治療中で、まだ目を覚ましていません。今の状態は…」
「カナリアの回復魔法に長けた魔法使いたちによって、マレーさんの回復は順調で直ぐに目を覚ますでしょう。ですが、アイリスさんの方はまだ時間がかかりそうです。膨大な魔力の消費が確認され、体内に残された魔力が僅かだったそうです。今は命の危険を脱しています。
ナミリタの促す視線にカナリアの連絡係の魔法使いが今の子供達の状態を報告してくれた。病院からの報告にアイリスの両親かホッとした様子を見せた。だが、心配事は尽きない。
「あとは、双子の行方と安否なのですが…。」
ナミリタの言葉に母であるマイアが唇を噛み締めた。長女であるアイリスは魔力の消耗はあるものの、無事だった。しかし、私が駆けつけて結界が破られた時にはもう双子の姿は無かった。そのことが手元の資料にはっきりと書いてある。両親には酷な現実であるが、これが一番の謎でもある。
「ルカドゥク様が駆けつけた時点で、双子の姿は無かったそうです。その後にルミリア様が目撃された飛び去る黒い何かが双子を抱えていた様子もありませんでした。それは結界内で転移魔法により双子を移動させたか、あるいは移動させた上で…、既にこの世にはいない可能性があります。」
「…ッ」
ナミリタは一瞬言葉に詰まりながらも口にすると、マイアの肩がビクッと跳ねた。その可能性も考えるしかない現状にその場の誰もが沈黙していた。が、震えるマイアの肩を抱いて、シリウスが口を開いた。
「双子は生きています。証拠も根拠もありませんが、親としての確信はあります。きっと、今2人で肩を寄せ合って兄のシダヤは泣くのを我慢して、妹のノゼルはそんな兄に寄り添って必死に涙を止めようとしているでしょう。」
そう言い切ったシリウスの瞳は力強く、あの3人の子供たちを彷彿とさせる視線に私は目を細めた。
「(流石だな、シリウス…。)双子の捜索も進めつつ、子供たちの意識が戻り次第、事情を聞き出そう。アイリスは一番回復に時間がかかると聞く。となると、まずは私の娘からだろう。双子のことを聞いたら飛び出すだろうから、私がきちんと止めて話を聞いてくる。」
「分かりました。よろしくお願いします。関係各所の皆様、ご協力をお願いいたします。」
「…これは単なるアンノーンに似た何かの襲撃ではありません。大きな何かが蠢いています。今回のことは序章に過ぎないかもしれませんので、警戒を怠らずに。」
「はい。」
ナミリタとルミリアが締めくくると、ヒューマとレイノルズが席を立って資料をまとめて手に持って会議室を後にした。それぞれギルドの精鋭たちに声をかけにいったのだ。こうして、夜に開かれた1回目の会議は終わり、アイリスの両親に勢いよく何度も頭を下げるナミリタを横目に私はルミリアと共に会議室を後にし、同じ建物内にある広い休憩室で妻であるラメが用意した夜食に手を伸ばした。
「疲れた…これだから、会議は…。」
「文句を言うな、ギルド本部長。マレーが目を覚ますまで時間はないかもしれないが、休んだほうがいい。」
「…私だけのうのうと寝てられないわ。レディカへの調査隊の派遣と、インディゴの資格保有者への声掛け…、ああ…ビリジアンの魔法使いへの色素の小瓶の早期収集のお願いと…」
ぶつぶつと言葉をつぶやく彼女に呆れながらも、自分も弟子を何人かカーマインの調査隊に加えさせたり、弟子たちの得意分野から今回の事件に協力できそうな者を各ギルドに向けて選抜したり、とやるべきことを考えた。重圧もやるべきことへの責任感も違うが、彼女がマレーの伯母として目が覚めるまで気が気ではないのが伝わってくる。
休憩室の窓から見える星空に娘たちの目が早く覚めるようにというのと、双子の無事を願うばかりだった。




