【朝はお静かに願います】
「ぬ……」
――ぴたり、と、ファルメスの動きが止まった。
魔王城は、現在少し遅めの朝食の時間。窓の外からは少々不穏な鳥の鳴き声が聞こえ、朝日は差し込まない。
そんな中での、――”ぴたり”。……ファルメスの姿が、掻き消える。
「えっ、消えたぞ」
「リックに呼ばれたんだね」
不思議がるジノに、明るく返したのはエッダだった。あら、とジャズマンが、指先にフォークをぶら下げ、食卓に肘をつく。
「バレちゃったわぁ~♡」
「アンタは能天気すぎなのよ……」
「だぁって『魔王城に連れてくわ♡』なんて言えないじゃな~い?」
女性二人のやりとりを見つめながら、ジノも食事を進める。
昨夜の晩餐もそうだったが、見たことのない食材に、見たことのない料理ばかり。だが、味はそこまで悪くはない。
もしかして、エッダの陰の努力でもあったのだろうか、なんて考える余裕すら、ある。
ちなみにジャズマンが”女子会”とのたまったのは、夜通しこの三人で喋ることだったようで、大変まことに不服ながら、ジノは反論するのを諦めた。
理由としては、反論をするよりも、見目麗しい女性陣を眺めているほうが何倍も有意義だ、と気づいてしまったため。
……俺も男ですので……、と、どこへ向けたのかわからない言い訳をこなす。
「ジャズマン」
じわ、と霧の輪郭だけをとって、ファルメスが……恐らく意識だけ、帰ってくる。こちらへリックの声は聞こえないが、揺さぶられているのか、魔王の輪郭ががくがくと揺れていた。
「あら、あたし?」
「『早くジノを返さないと二度とメイドに会わせない』そうだ」
「…………」
ひく、とジャズマンが硬直する。ぶふ、と吹き出したのはエッダ。
ジノは”ミルヴァとアキアをダシに使うなよ……!?”と腰を浮かしかけており、ファルメスは……胸ぐらを掴まれているようなシルエットである。
「……あと、何やら『ノーカンだ』と騒いでいる」
「ああ……リックはちゃんと、ジノを連れてくるつもりだったみたいだもんね」
冷静に言い切るエッダに、ジャズマンが椅子の背もたれにばたりともたれかかる。その胸がふよんと揺れたのを、ジノが見てしまったのは事故である。――事故。事故です。
「だってぇ……女同士喋りたいじゃなぁい……」
「女じゃねぇぞ……?」
「ジノ~~♡」
甘えるようなジャズマンの声に、ぐ、とジノが喉を詰める。アッわかりましたもうそれでいいです、と……肯定しそうになる。そうこうしている間に、ぴたりとファルメスの霧が濃くなった。
「戻せ」
「えぇ~っ♡」
「……戻せ。出入り禁止にするぞ」
え、そこまで……?とジノが眉をひそめる横で、ジャズマンはふるふると肩を震わせ――
「……やぁ~~~ん♡ファルメスに怒られちゃったぁ♡」
……なぜか、満面の笑みで立ち上がった。意味が分からない。怖すぎる。
隣では、エッダが大変に真顔でジノにだけ頷いている。……ああ、これが魔王サイドの地獄構図かと、ジノの背筋に汗が流れた。
そして――
「じゃ♡ジノ、またね♡♡」
「えっ、またって――!?」
ちゃり、とジノの手にペンダントを握らせ、ウインクをひとつ。つやつやの唇がぷるん、としていたのを見たのが……ジノの最後の記憶だった。
あ、役得――
――、リックの寝室。
ぽう、と柔らかな光を帯びて転移の魔法陣が発動したその瞬間、リックはほとんど飛びつくように駆け寄っていた。床に描かれた紋が光を放ち、チカっと瞬くような転移痕を残して――
「……っジノ!!♡」
ぱし、と音を立てて、ジノが勇者の腕に抱き留められる。
服の裾を掴むとか、手を取るとか、そういった段階はなかった。即抱擁。勢いのまま、ぐっと自分の胸に引き寄せる。ぐえ、とジノが潰れるような声がする。なおジノ、転移酔い真っただ中。
「知らない人についてっちゃダメでしょ~!!」
「知、ら、……だってジャズ、……っていうか待って俺ぐるぐる……」
「はぁ~~~ジノジノジノ~~♡♡♡」
……聞こえて、いらっしゃらない。
勇者、愛おしい妻を抱きしめながら、頬をすりすり。ついでに額も、こすり。
耳元で爆速でしゃべっているせいで、勇者の呼気がうるさい。
「ジャズだから♡ひどいことされないとは思ってたけど♡♡すごく心配した♡♡」
「リッ……待っ、酔って、……て、転移酔い?……してる……」
「アッ!?!?よ、横になる!?横になろう!?添い寝しよう!!一緒にベッドに入ろう!?」
――いらねぇ、と言う暇すらない。あと声もデカい。圧もすごい。
勇者はジノの肩と背に回した腕にぐっと力を込め、鼻先で髪をくんかくんか。
今にもおかえりの、いやただいまの……いやおはようの……?キスを強行しそうな勢いだったが、勇者にも学習能力はある。ぎりぎりのところで止まっている。唇の手前で、頬に、こすりつけているだけ……の、はず。
勢いがとどまることを知らないままに、ベッドへ一歩、また一歩。これはまずい、またすったもんだになりそうだ、とジノの眉間にしわが寄る。――が、「あっ」と思い出して、リックの胸倉をゆらりとわし掴んだ。
「……おい」
「アッ♡はい♡」
「……生きてたなぁ、”エッダ”」
――ひょこっ、とリックの足取りが潰えた。っあ~~~ハイハイハイと……緩慢と三度ほど頷く。
「っうん、そう、エッダはね、ファルメスのとこにお嫁さんに行ってね……」
「……死んだことにしてまでか」
「そ、そうそう……」
そうか、と……ぽつり、それだけがジノから返ってくる。リックが顔を覗き込めば、――はた、と顔を上げたジノが、……リックを見てほんのわずかに口角を上げた。
「お前、魔王のことめっちゃ揺すってなかった?」
「えっ!?アッ、だっ、だって僕はジャズみたいに転移できないから……!!」
「魔王の霧、すっげぇぐらぐらになってたぞ」
……じ、ジノが笑ってる――!!……と。リック、ほぼ悶絶寸前だった。耐えたのは、その学習能力によるもの。
転移酔いは治まったようで、もう顔色も悪くない。
「……ね、ねぇ、ジノ……エッダのこと……」
「あ?誰にも言わねぇよ、”死んだ”んだろ」
「そっ、……うん……」
「討伐したはずの魔王は生きてるし、死んだはずの勇者パーティーも生きてるし……俺もう滅多なことで驚かねぇわ」
そう笑う声は、思いのほかあっけらかんとしていた。緩んでいたリックの腕が、もう一度、ジノの背に回る。じわりと抱き寄せ、その肩口に、額を。
「……ありがとねジノ」
「……おう……」
「…………」
「……てめぇどさくさに紛れてケツ触んな!!」
「ああッ♡ごめんなさぁい!♡♡」
……残念ながら、当勇者邸のふたりにおいて、しんみりという言葉は無縁なようだった。
ぶわっと顔を上げたリックが、腕の中のジノを見下ろす。
「ジノ~~~……私……今、世界一幸せ……♡♡♡」
「っせぇ……、……っあ!ちょ、とりあえずエンたちのとこ行かせてくれ、勝手に出てって留守にしたんだ俺!」
「え~~♡奥さんみた~い♡♡」
「ぶん殴るぞお前!!」
どったんばったん、いつも通りである。腕から抜けようとする詐欺師に、でれでれと頬ずりをする勇者。
それでもまだ、この寝室には、リックとジノだけ。
再会の喜びだけが、ふたりのあいだで、むちむちと暴れていた。
……なお、この日を境に、エンはちょっとだけ過保護になった。
――【朝はお静かに願います】




