【勇者様、擬態中です】
半年生活も、残り半月ほどで終わるかという初秋の、夜。
エンの繰る馬車が、勇者邸の門構えへ帰ってきて、リックがほぼ飛び降りる形でどたばたと玄関に駆け込んできた。
「じ、ジノ~~~!!」
叫ぶ声は、広々とした勇者邸に悠々と響く。顔を覗かせたミルヴァが、
「お帰りなさいませ。奥様はお部屋にいらっしゃいますが」
と返そうとすれば、お部屋、のあたりで、すでにリックは自室へと走り出していた。肩越しにミルヴァに、「あっ、ただいまー!!」とだけ、返事を残して。
ッターン、と勢いよくリックの私室の扉が開いて、ソファにかけていたジノが跳ねるように振り返る。見れば、リックが肩で息をして、――キラキラとした笑顔をしていた。
「ジノ!!デートしよ!?♡」
「……はっ!?」
「アッ!?ごめんね、ただいま!!」
「お、おかえり……?なんだって……?」
ずんずんずんと大股で歩み寄ってきたリックが、ソファの片側にむぎゅうと座り込む。
肩を抱かれ、腰も抱かれ、頬も寄せられる勢い。パーソナルなスペースなどゼロの勇者に、ひとまずジノによる顔面への正拳突きがひとつ。
「んぶっ♡っで、デート!明日デートしよ♡♡」
「デッ……しねぇよ」
「なんで!?」
「こんな”でれでれな勇者”連れて歩けるかよ!」
ええ、全くその通り、世間一般には、勇者は「真面目で実直で、爽やかで正義感に溢れる有能な男」というイメージが浸透している。
もちろんそのイメージが嘘なわけではないのだが、ジノに対する勇者……いや、リックがあまりにもでれでれにとろけすぎていて……。
「……街のみんなひっくり返るぞ」
「ええ~~~♡」
「ん、そうだ、そのでれでれを消せるんなら行ってやる」
「ええ~~……ええ??」
にやり、面白そうに、ジノが笑った。
「へらへら、でれでれ、その甘ったるい喋りも禁止。そしたらデートだ。やれるよな?」
――リックの顔が、ぱあっと輝いた。
「やれるよ!!やるやるやる!!♡♡♡」
即答したかと思えば、ぱんっと自分の頬を両手で叩く音。気合を入れてるらしい。
それから、むんずとジノの手を掴んで、握手というには密着しすぎた両手の包み込みで、うんうんと頷きながら。
「ありがとうジノ!!明日、街で待ち合わせしよっか♡お昼とか、どう?♡」
「えっ、おう……で、できんのお前」
「できるできる!!任せて!!♡♡」
やたら嬉しそうな顔で見上げながら、もう一度、もう一度、と念を押すように。
「ちゃんとデートっぽい格好してくからね♡♡♡」
ぐっ、とジノの手を掲げて「約束♡」と満面の笑顔。握られたジノの手には、指の圧だけが妙にしっとりと残った。
――翌朝は、アキアに揺り起こされた。
しょぼ、とジノが目をしぱつかせる。秋の朝の陽射しが、カーテン越しに柔らかく室内に注いでいる。
「おはようございます、奥さま」
「おはようアキア……、あれ、あいつは……?」
「リック様でしたら、『待ち合わせだから!!♡』と仰って、一足先に出ていかれました」
「は……」
呆れたように口角を緩めながら、身体を起こす。隣を見れば、とっくに冷えたシーツ。――え、約束って昼じゃなかったっけ……?
「……早くね……?」
「うふふ、それだけ楽しみなのかと。朝食を食べたら、奥さまもご準備しましょうね」
「ねぇよ、準備なんて」
ジノのぼやきに、アキアの嬉しそうな笑い声が返ってきた。勇者邸は朝からソワソワ。なぜなら、リック様と奥様の初デートである。……遅くね……?
「おめかしに腕がなりますねっ♡」
「めかさねぇって……」
――待ち合わせ場所にいつもの”でれでれリック”がいたら、ソッコー帰ってやろう、と……小さく一つ息をついて、ジノは使用人たちとの朝食の席へと向かった。
食堂では、既にドマが焼きたてのパンを切り分けており、香ばしい匂いがふわりと漂っていた。
リックがいないときは、こうして皆で食事をとる。執事も庭師もメイドも、関係なく卓につくのだ。
「おはよう、奥様。今日は楽しみだねぇ」
「おは……やめろドマ、そういうんじゃねぇ」
「おや、でもデートだろう?」
「デッ……、は、アイツがそう言っただけだ」
ほぉ~ん、とにやけるドマを尻目に、ジノもいつもの席に着く。目の前に次々と並べられていく、なぜか気合の入った朝食。サラダの盛りつけがやたらハート型。ベリーのジャムまでハート。いやだからやめろって。
「ジノ様、ナイフが逆です。こちらで」
「……っ、ああ」
セノールが静かに示す指先も、いつもより数ミリ正確だった。
アキアはというと、にこにことしながら隣のミルヴァと何やら相談中。さっきから、ちらちらとこちらを見ている。めかさねぇぞ。めかしこまねぇからな。
「……エン」
「はい」
ぼそ、とジノが呟けば、そばでパンをちぎっていたエンが小さく顔を向けてきた。
「……あいつ、街中で”普通”にしてられると思うか……?」
「……?……奥様が、嫌がることは、しないと思います……」
「ほほ、そうですな」
「リック様もバカじゃないからねぇ」
セノールとドマも同調してきて、……ジノは、黙ってパンにジャムを塗る。ハートの形は容赦なく崩した。
ざわついた邸の朝が、じわりと賑やかに満ちていく。
――めかしこんだりは、しねぇ、けども……。
「……あんまりハデじゃねぇ服に、してくれ……」
低くぼやいたジノに、アキアから「はいっ♡」という満面の笑みが返ってきた。
* * * * *
街の中央広場、石畳が朝の光を跳ね返す頃。噴水の縁に、ひとり腰をかけた男がいた。
白金の髪はやけにきっちり撫でつけられ、前髪もいつもより丁寧に整っている。外套は落ち着いた深緑、襟元にはさりげなく色味を揃えた琥珀のブローチがひとつ。姿勢も服装も、どこか“ちゃんとした人”を目指したような風情。
噴水に映る自分の顔を見下ろし、すぅ、と小さく息を吸う。
「……よし。ふつう、だよね。うん」
眉の角度を確認するように目元を整えて、つい笑みが浮きかけた口元をすぐ真顔に戻す。順調、順調だ。ここまでは。
「……落ち着け、落ち着け、私、今日はでれでれ無し、声もセーブして。仕事……仕事中みたいに……」
言い聞かせるそばから、背筋が勝手に伸びる。立ち上がると、視線を上げて通りの先に目を凝らす。道行く街の人々が、”勇者”を見とめて笑いかけてくる。手を、振り返す。
「へ、へらへらしない……、……ジノっ”デート”って言ってくれたな……ッッおおおおちつけッ……」
拳をぎゅっと握って、太ももにそっと添える。肩に力が入りすぎている。わかってる。でも緩めると顔が緩む。笑うな、口角下げろ、でも下げすぎると怒ってると思われる、違うそうじゃない。
「……上手にできたら帰った後にご褒美くれたりとか……」
……かすれた呟きと同時に、リックは両手で自分の顔をぐしゃっと包んだ。もはや、理性と本能と自己制御と欲望が、もうなんだか大変なことになっている。
その額に、滝のような汗。
――勇者リック、過去一番の真剣な顔になっていた。
しばしののち、待ち合わせの噴水のある広場へ、ジノが訪れれば。
「……お、おお……」
そこに待っていたのは、”勇者リック”でした――。
ジノは、思わず歩み寄る足が止まりかけた。噴水の縁にかけていた影が、落ち着いた物腰で立ち上がる。胸元で控えめに手などを上げて……お、穏やかな……スマイル……。
「ジノ!早かったね。急がせたかい?」
「っ、いや、急いでねぇ……」
いつもであれば、緩みまくった笑顔で飛びかかってくるところ。……それどころか、こちらが歩み寄るのを、待っている。――ぴくっ、とジノの口角が振れる。笑いそう、である。
「……お前こそ、家出てったの早かったな。待ったんじゃねぇのか」
「だっ、大丈夫だよ。待つ時間も……楽しみだったからね」
「へぇ……」
こつこつと、歩み寄る。
周囲の目は、勇者リックに。なお人だかりにならないのは、城下町の人々にとって、勇者が”近い”存在だから。
”救世の勇者”というよりは、”困ったことがあったら助けてくれる勇者”なのだ。
――あら勇者様、お友達とお出かけかしら、なんていう温かい視線が集まっている。
でれ成分大幅カットの勇者、そして自分を”奥様”として見ない周囲の目……とくれば、ジノのいたずら心にも火が点くというもの。
リックの真正面に立ち、ばさっ、と遠慮なくその外套を開いて中を覗く。
「おっ、珍しくかっこいい服着てんじゃん。似合う似合う」
「に゛ッッ…………あ、ありがとう……」
「でも朝飯は一緒に食いたかったなぁ?」
「ンッグッッ……」
……勇者、耐える。……本性、あ、いや、いつものでれでれを出せば、恐らくジノは即帰る。そうなっては、折角のデートがパァだ。
「んで、どこ行く?昼飯まだだよな?」
「う、うん、まだだよ……!」
喉が跳ねる音まで聞こえそうなほど、リックの声は少し高めに揺れた。けれど――にこにこも、きらきらも、今は封印。ぐっとこらえて、爽やかな微笑一本で乗り切る。
「……向こうの通りに、新しくできた喫茶店があるって聞いて。気になってたんだ、どうかな?」
まるで“奥様の機嫌を損ねずデートに誘うための優良夫”みたいなトーン。実際、今日の勇者はそういうモードだった。背筋は正しく、歩幅も揃え、手も繋がない。
ジノが肩をすくめて頷けば、リックは「じゃあ、こっちだ」とすぐに歩き出す。先に立つが、振り向かない。歩幅を合わせたまま、並んで歩く。
「……ほんとは、ジノの行きたいとこがあれば、そっちでもいいんだけど……」
「んにゃ、特にねぇかな。最近街のことあんまわかんねぇし」
「そ、そっか……まぁ、途中で気になるとこあったら、教えてね」
きちんとした調子で、きちんとした誘導。何か言われるたびに、頬の筋肉がぴくぴくしていたが――まだ耐えている。
すれ違う人々は、リックの肩越しに軽く頭を下げたり、手を振ったりしている。リックもそれに小さく会釈を返すが、やっぱりテンションは抑えめ。
完璧な“勇者モード”。
――それが、いつまで持つか。問題はそこだった。
――【勇者様、擬態中です】




