二章 二 辿り着いた村での依頼
休み休み歩き続け、昼過ぎには二つの地方の境界線であるヴァルタウ川の橋を渡ることができた。
橋の上を歩きながら、シェスティは少しだけ悩んでいた。
(知り合いに会いたくないから、遠くに行こうと思ったのになぁ……)
ティアラントに住むサキュバスは、地方ごとに根城があり、それぞれ派閥のようなものがある。人族たちに排除されない程度に、人族たちと共存して生活していくために、大まかにだが縄張りを作って棲み分けているのだ。
サキュバス間に細かい取り決めがあるわけでもないから、地方を跨いだら即座にその地方のサキュバスに攻撃されるというわけでもないが、あまりにも派手に行動すれば縄張り争いに発展することもある。
なので、サキュバスたちは故郷の根城を出て独り立ちした後も、たいていは地方を跨がず自分の出身地域で行動することが多い。
シェスティがフェルトシュテルン地方出身だったのに、そこを離れてベルグシュタット地方へ移ったのは、同郷のサキュバスに会いたくないがためだ。彼女はその貞操観念の硬さを散々からかわれ育っており、フェルトシュテルン地方にいては会うたびに茶化されそうで嫌だったのである。
テンベルクに腰を落ち着け、人族たちに紛れて生活していた間に、サキュバスであることを隠して生きていたのは、貞操観念もあるが、ベルグシュタット地方のサキュバスたちと余計な揉め事を起こさないためでもあった。
——そんな風にして離れた、いわば地元に、また戻ってきてしまった。
貞操観念が硬いだけでも散々からかわれたのに、今、ゼルギウスといるときに会ってしまったら、どうなるか。少なくとも、正体は一瞬にしてバレる。
「…………はぁ……」
思わずもれたため息を、ゼルギウスは聞き流してはくれなかった。
「……このぶんなら、日が暮れる前に辿り着くはずだ。一度休憩するか?」
シェスティが疲れたのだと思ったのだろうか、そう提案されてしまう。
「あ……いえ、ごめんなさい。まだ歩けます」
「そうか。無理はするな」
双方口が上手いとは言えず、沈黙の多い行程だったが、シェスティに特に不満はなかった。
(……だめだめ。心配かけちゃった。知り合いに会ったらどうしようとか、悩むのはその時になってからにしなきゃ)
そう心に決める。どれだけ隠れようとしても会うときは会うのだ、と不安を呑み込んだ。
そうして歩き続けるうちに、出る前にゼルギウスが予測していた通り、二人は日が落ちる少し前にフェルトシュテルン地方最東の村に着いた。
ティアラントにはよくある規模の村で、十数世帯ほどが住むような、規模の小さい村である。手製の木の柵で囲われていて、まばらに建物が建っているのが見える。
「まずは宿をとる。街道であまり旅人を見かけなかったから、おそらく空いているとは思うが——」
「あっ——あんた、傭兵さんかい!?」
ゼルギウスが言い終わるか終わらないかのうちに、村民だろう、若い男がゼルギウスに声をかけてきた。
何やらのっぴきならない雰囲気だ。
「そうだが……」
ゼルギウスがそうだと頷きながら、身分証でもある傭兵の証を出そうとした。が、それを見ないうちに彼は喋りだした。
「た、助けてくれよっ! 俺たちじゃあ、どうしようもなくって……!」
しどろもどろな言葉は、危機感と切迫感けだは伝わってくるがいまいち要領を得ない。
「落ち着け。順を追って話してくれ」
「ああ……ごめん。えーっと……」
村人はしばらく唸り声を上げながら視線を彷徨わせていたが、ややあって改めて口を開いた。
「ちょっと前くらいからなんだけどさ……村に魔獣が出てて!」
「魔獣……? この村に結界石はないのか?」
ゼルギウスが、目を見開いて尋ねる。
結界石とは、魔獣が死んだ後に残る核に結界魔術を閉じ込めたもので、低級の魔獣であれば近寄らなくするという効果がある。魔術が使える者がいなくても起動は可能なため、対応する属性――光と土――が使える者がいない面子で旅をする場合は野宿のために持っているものだし、小さい村にはその管轄の町から支給がある。柵にその結界石をくくりつけて、魔獣を避けられるようにして生活を守っているのだ。
旅の必需品とはいえ、少々高価なため、ゼルギウスも持ってはいたがなるべく節約して、夜にのみ使うことにしていた。
「いや、ちゃんとあるよ、機能してるんだけどさ、強いやつで、結界を超えちまうんだよ」
「ベルグシュタットで出ていたものと同個体ではないか? それなら、少し前に討伐したはずだが」
「いや、昨日も出たし、作物がちょっと荒らされた。
……あんたさ、戦えるんだろ? うちの力自慢程度じゃ歯が立たないんだよ、だからさ、頼むよ」
彼は地に頭をつけんばかりの勢いで頼み込んでくる。しかしゼルギウスは眉間にしわを寄せた。
「……傭兵に対する依頼なら、一度ギルドを介してくれ」
傭兵ギルドに所属している者に依頼をする場合は、ギルドを一度介さなくてはならない。
よほど緊急性の高いケースでもない限り——つまり、いま目の前でまさに魔獣に襲われているでもない限り、ギルドを介さず依頼を受ければ、どれほど正当性があれど依頼者にも受注者にもペナルティがかかる。
「み、皆そう言うんだけどさ! ……だめなんだよ、傭兵ギルドがあるフィールファルベに行こうって思って村を出ようとするとさ、しばらく行ったとこでそいつが絶対出てきて、村に突き返されちまうんだ」
そもそも結界を乗り越えられる強さの魔獣が出ることも異常だが、その動きは明らかに素の魔獣がとるものではない。
「魔族が噛んでいるか――」
ゼルギウスは呟いた。
「お願いだよ……ここ最近不安で仕方ねえんだ。まだ死んだ奴はいないけどさ、怪我人は出てるんだ。頼むよ」
若い男はまた頭を下げるが、規則があるのだろう、ゼルギウスも首を縦に振ることはできないでいた。
「……ゼルギウスさん、その」
シェスティが不安げに見上げる。
「……規則を破ると双方に罰則がある。ただでさえ向こうで要らぬ疑いをかけられた、あまり下手なことはしたくない」
彼は困っているようだった。眉間にしわを寄せて、頭を下げたままの村の男を見下ろしている。無視してさっさと宿を取りにいってもいいだろうに、彼の足は止まったままだった。彼なりにも悩んでいるのだろう。
シェスティとしても、このまま放っておいてしまうことはしたくなかった。――どうしても。ゼルギウスだって、規則さえなければ容易く受けてくれるのだろう。そう信じて、彼女は口を開いた。
「あの、その……なんていうか、ゼルギウスさん、私たち、この村に泊まることになりますよね」
考えながら言葉を紡いでいく。
「……そうだな」
彼はゆっくりと首肯した。
「じゃあ、その、後ほど――にはなりますが、追加で報酬をお支払いしますから、えっと、私の安全の確保のために、この村を襲っている魔獣の討伐をお願いできますか? ……その、護衛の一貫として」
村の男がばっと顔を上げて、シェスティを見た。ゼルギウスはしばらく考えてから、
「……そうだな。護衛依頼の一環としてなら、今の依頼形態から大きく逸脱しない。
依頼主の要望はできる限り叶えよう」
そう言って微笑んだ。
「あっ……ありがとうっ! お嬢さんも……よく見たらすごく可愛いお嬢さんもっ!」
どうやら戦闘能力が明らかにあるゼルギウスに気を取られて、今まで意識していなかったらしい。手を掴まれそうになって慌てて後退る。
肉体的接触は避けなくてはならない。ただでさえ歩き通しで疲れて魔力もあまり蓄積できていないのだ。……できたら〔解呪〕の回数は減らしたい。
ゼルギウスがやんわりと静止してくれたこともあってか、村人は大して気に病んだ様子もなかった。
「とりあえず宿を取りたい。どこにある?」
「こっちだ、案内するよ」
よほど安心したのだろう、話しかけてきた時よりも幾分彼の表情は和らいでいた。
「最近この辺通る傭兵さんがなんか少なくってさ……ほら、足の速い人だとここ素通りしてそのままもうちょっとフィールファルベに近い村に行けるだろ?
それに、さっきも言ってた規則なんだろうけど……通りすがりの傭兵さんには受けてもらえなかったんだ。ほんと困ってたんだ。よかったよ、受けてくれて」
「……あくまで彼女からの依頼だ」
ゼルギウスは淡々と返した。
幾分と経たぬうちにゼルギウスが依頼を受けたことが全体に伝わったのだろう、宿の女将は宿代までタダにしようとしたが、「それは広義の報酬にあたり規則に反する可能性がある」とゼルギウスは言って結局代金を支払った。シェスティも当然、支払っている。
魔獣が来るのはだいたい夜も更けた頃、月が真上に来た頃で、その時間に来なければその日はもう来ないのだという。
「あの、何か私に手伝えることはありませんか?」
夜に向けて準備をするゼルギウスにそう問いかける。
「貴女は休んでいて欲しい。討伐を終え次第、早朝には出発するつもりだから」
依頼人にとっては休養も仕事のうちだと言われたら、頷くしかない。
「……そもそも、貴女の護衛が俺の仕事だ。貴女が安全な場所にいてくれた方がいい」
「そ、そうですね……」
ごもっともであり、シェスティは結局部屋で過ごすこととなった。
今回も一人部屋を別々でとっている。
休んでいろとは言われたが、寝られないままに夜更けがくる。
村は人の声こそするが静かなものだった。しばらくして、部屋のドアが叩かれる。
「……シェスティ、起きているか?」
「はい」
彼は戸を開けず、そのまま喋り続けた。
「今日の襲撃はなさそうだ。討伐をするならもう一泊することになるが……」
「ええ、はい……えっと、討伐しておかないと、またここを通る時に困りますから、今後のためにも」
必要かどうかはわからないが、一応建前をつくっておくことにする。
「そうだな。明日、日が昇ってから、周辺を回ってねぐらを探す。貴女は村で待っていてくれ」
「はい。何か村の手伝いでもして待っていますね」
「ああ、無理はしないように。……じゃあ、今日はよく休んでくれ」
「はい、お休みなさい」
足音が去って行って、隣の部屋に人が出入りする音がする。
彼の部屋は隣だ。小さな村の宿屋だから大して壁は厚くなく、耳を澄ませば色々と物音が聞こえてくる。
(……うん。よし。寝よう……)
昨日、別の村に泊った時は疲れですぐ寝入ってしまったためあまり意識していなかったが、今更ながら少し恥ずかしさがこみ上げてきた。物音から色々と湧いてくる想像を脳内で千切っては投げ、千切っては投げ。……結局彼女が寝入ったのは、もうしばらく後のことだった。
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