一章 三 討伐隊の訪れと不安
――その後、二、三日の間に、討伐隊は全員揃ったようだ。
総員二十名ほどではあるが、辺境の小さな町の宿屋では入りきらない人数だったため、普段はほとんど使われていないギルドの寄宿舎のような建物を使っている者もいるらしい。今は周辺調査を行って問題の魔獣がどこにいるか探っているようだ。
町は少々の慌ただしさもありつつも安心感を得つつあったが、シェスティにとっては、安心よりも面倒が増えた疲弊が勝ることとなってしまった。
見慣れない男に話しかけられる機会はぐっと増えた。はじめに出会ったゼルギウスに全く〔催淫〕を受けた様子がなかったため、皆魔術に心得があるのかもしれないと思っていたが、どうやら、むしろ正反対らしい。
討伐隊の男たちは、少し魔術に抵抗力のない者が多かった。というのも、〔催淫〕がすれ違った程度でも強めにかかっているらしいのだ。それなりに魔術に心得があれば、得意属性がなんであったとして軽い〔催淫〕にはそうそうかからないものである。
そういった抵抗力の低い者たちは、テンベルクにもいたから、彼女としても一応対処療法程度の対策方法はもっている。早めに会話を終えるのはもちろん、去り際に〔解呪〕を行うのである。
普段から、生命維持の最低限よりも少し多めに花の精力を吸い取って魔力を蓄え、男性に話しかけられてしまった際に、〔催淫〕がききすぎているようならば、〔解呪〕を行っていた。とはいえ、魔力が少な過ぎるために手当たり次第にというわけにはいかない。潜在的に放出されている〔催淫〕魔術が蓄積されていって、問題を引き起こしそうになった時に絞ることになる。
幸いにして、自分がかけた〔催淫〕を解く方はそこまでの魔力を要しない。それでも、何もしないよりは多めに魔力を得ておかなくてはいけないことに変わりはない。
これはひとところに定住するからこそ生じる問題だ。町を転々として旅を続ければ継続的に〔催淫〕をかけてしまうこともない。しかし、シェスティは魔力を多くストックできないがゆえに、身を護る手段もないために、旅に出ることもままならない。次善の策として、彼女なりに考えて妥協した結果が今の状況だった。
町の人間だけであれば、これでなんとかなった。
ただ、討伐隊が大勢来たことで、その均衡が崩れた。
〔解呪〕を行わないといけないケースが格段に増えているのである。
数日前――ゼルギウスと出会った日は、町の男から声をかけられるだけでなく肌に触れられてしまったから、解呪に少し多めの魔力を要していた。薬草園にあった花をしおれされてしまったのもそのせいだ。
討伐隊がこの町を離れるまでは、同じような事態が何度も起こるだろう。更に魔力を多く蓄えておかないと、いずれ何か大きな面倒事が起こってしまうかもしれない。
彼らの中に、抵抗力もなく、そもそもの自制心も低い男性がいた場合、力ずくで来られたら、シェスティが抵抗する手段はほとんどない。
薬草園の周囲に生える雑草は、まだ余裕がある。抜いて捨てておきましたと言えば、怪しまれはしないけれど、体力が少ないのだから無理に肉体労働をしようとするなといつも言われているから、あまりたくさん抜いてしまうと逆に怒られる──最悪、怪しまれる。
部屋で育てている鉢植えの花もあるが、そっちは限りがあるし、いわば非常食なのでなるべく手をつけたくない。ただでさえモニカに「随分手をかけているようなのに枯らすのが早い」とからかいまじりに言われ、肝を冷やしたのだ。
(肝心のゼルギウスさんには、全然お会いできないし――)
討伐隊の傭兵に対して、本日十回目の〔解呪〕を行いながらそう考えたところで、はたと気が付く。
ゼルギウスと別れる時に、すっかり〔解呪〕を忘れていたことに。
ゼルギウスは、外見上の言動に〔催淫〕された様子がなかったこともあって、シェスティは解呪を行うのを忘れてしまっていたのである。人のそういった欲の現れ方というのは本当に人それぞれなわけで、元々肉欲を隠すのがうまい者だと、外見上は〔催淫〕がきいているのかわからないのだ。
だからあまり魔術のきいた様子がなくても、至近距離での接触があった場合は〔解呪〕をしておきたい。
(きっとまた店でお会いするだろうから、その時にしておかないと……)
いずれ薬は必要になるだろう。そのときに、ちゃんと直接対応しなくてはならない。
(それにしても……)
魔獣は魔族が率いているのではないか、そういう噂があるのに、あんなに精神汚染に抵抗のない人たちばかりで、大丈夫なのだろうか。
魔族はサキュバス以外でも、心属性の魔術を得意とする種が多いのだ。あれでは本当に魔族の関与があった場合、どうしようもなく全滅してしまう可能性もあるだろう。
個人的な悩みとは別の不安が、頭に浮かんでしまうのも致し方ないことだった。
ゼルギウスと次に会ったのは、彼が店を訪れたときだった。
「あ、ゼルギウスさん、こんにちは」
ちょうどシェスティが店番をしていたときであったため、挨拶を交わす。思わず笑顔がこぼれてしまったが、彼に動揺や焦がれるような熱は感じない。ひとまずは問題なさそうか、とシェスティは内心で胸をなで下ろす。
もう討伐隊の面々は揃いきって、交代で調査をしに出ているそうだ。きっと今日の彼は町に残る日なのだろう。
モニカは奥で、朝にシェスティが採ってきた薬草を調合して薬を生成している。
「こんにちは」
彼は挨拶を返すと、店内のものを見てまわった。それからいくらか見繕って注文していく。シェスティは聞きながらどんどんとリストに書きこんでいくのだが、かなりの量だった。
「随分買われるんですね」
買ってもらえるのは嬉しいけれど、これでは在庫が尽きかねない。
「討伐隊で使うぶんです。……すみません、ほとんど在庫がなくなってしまった」
「いえ、そんな……お怪我がないほうが、いいですものね」
買っている薬は、常備しておくような安価なものよりも、少し高価な薬が多い。その中に精神汚染系の魔術への抵抗力を増すようなものも少量だが含んでいて、少しどきりとする。
袋に薬をつめ、会計をしながら、それとなく問いかけた。
「あの、……魔族の関与がありそうという噂は、本当なのですか?」
「いえ、真偽は不明です。他の者……隊長などには不要だと言われているのですが、警戒しておくに越したことはないと思いまして」
それを聞いて抱いた恐れは杞憂だったとわかった。
もしかして彼は、シェスティがサキュバスであることに気付き、皆が精神汚染にかかっていることがわかって買っているのかと少し思ったのだ。
少し考えてみれば、そんなサキュバスのやっている店でサキュバスの対策のための薬を買うなどおかしいとわかるのだが、秘密を持っているとつい、ある種の自意識過剰に陥ってしまうものである。
「領収書の宛名は傭兵ギルドあてでよろしかったですか?」
値段を計算しながら問いかけると、「いや」と彼は首を振った。
「俺の私費です。助成金が出ていないため、ギルド側も出す気がないようで」
「……えぇ!? 領主依頼なのに!?」
「それなりに貯えはありますし、最終的には報酬で補えますから」
「そうは言っても……」
薬の類については必要不可欠なのだからひどいものである。
普通は、こういった薬代のような必要経費は事前に助成金として依頼主——今回であれば領主からギルドあてに支払われている。ギルドを介して助成金を受け取った傭兵は、備品を購入した際に領収書を発行してもらい、その使い道を誤らなかった旨を証明するため依頼報告のときに一緒に提出することになっている。薬屋に勤めるシェスティにとっても、馴染みのある手続きだ。
それが、今回は助成金は移動費についてしかないという。どうやらギルド、ひいては領主はあまりこの件を大事に思っていないらしい。
思わずため息も出るというもので、ゼルギウスもそれを咎めることもなく、少し硬い表情だった。
「魔族がいるのだったら、討伐隊の方々は大丈夫なんですか? 魔族って、基本的には魔術に長けてるのに、その……失礼ですけど、あまり魔術に精通した方々には見えません」
「……ええ。そうですね。相手の魔族がもし、精神汚染に長けた者……サキュバスのような種だと、ほとんど全滅もあり得るかもしれません。……俺はなんとかなるのですが、彼らはわからない」
「ゼルギウスさんは、魔術の心得がおありですか?」
ゼルギウスは苦笑してかぶりを振った。
「いえ、体質のようなものです。魔術が効かないんです」
「ま、魔術が効かない……?」
シェスティが目を丸くすると、隠していることでもないのかゼルギウスは迷うこともなく頷いた。
「はい。いかなる魔術も効かないものです。仮に、そうですね――魔族の中でもサキュバスが相手だったとして、彼女らによる誘惑というのは、〔催淫〕という魔術だと、魔術に詳しい友人に聞いたことがあります。相対しても、特に何も変わりないかと」
シェスティと相対し、一定の距離でそれなりに会話をしながら、なお冷静さを保ち続けるその姿に、ようやく合点がいった。
ゼルギウスには魔術が効かない。こうして会話しながらも、今なおシェスティの意志とは無関係に発され続けている〔催淫〕も、彼にはなんの効果もなかったのだ。
「すごいですね」
「いや、俺自身は魔術が一切使えませんし、回復魔術も効果が遮断されてしまうので……こちらの薬には、世話になることと思います」
確かに、他の傭兵が買うのよりもいくらか回復薬が多かった。
「お役に立てるといいのですが。……はい、これで全部です」
袋に薬を詰め終わると、ゼルギウスに手渡す。彼は中身を確認しながら、呟くように言った。
「抵抗薬も、人数分買えるわけではありませんから、もし本当に魔獣だけではなかったら、この任務はかなり厳しいものになる」
彼は少しだけ重い顔をして、それからかぶりを振った。
「……不安にさせるようなことを言いました。すみません」
「……いえ、その、うまく言えないのですが…………あまり、無理はなさらないでくださいね」
「はい、ありがとうございます」
彼は出るときにまた礼をして、店から去っていった。その背中を見送りながら、彼女は募る不安に少しだけ身をこわばらせた。誰もいなくなった店内でもう一度ため息をつくと、奥で調合を行っているモニカに声をかけに行った。
その後ゼルギウスは何度か店を訪れた。周辺の調査の間にも、魔獣と遭遇することがある。それで回復薬が消費されていくのである。最近ではモニカが別の薬の在庫補充で忙しいので、一番簡単な回復薬を作るのはもっぱらシェスティの仕事になっていた。
解毒薬はギフト草の成分を〔製薬〕の魔術によって少し操作する必要があるのだが、最も安価な回復薬はクライン草を煎じて煮詰めるだけのことしかしない。
もちろん温度管理は必要なのだが、クライン草とギフト草の区別さえついていれば誰でも作れる品である。魔術を使わないで――つまり、シェスティに作れる薬は回復薬くらいしかない。魔力不足以前に、属性不足だからだ。
途中からゼルギウスが手にしていたのはシェスティが作ったものだった。必ずしも彼が使うというわけではないけれど、自分が作ったものを買って行かれると、なんとなくそわそわしてしまう。自分の作った回復薬は、モニカにもいい品質だと太鼓判を押されていたから、今までにも幾度となく売っていたというのに。
浮かれている場合ではないことは理解しつつも、恥じらいと誇らしさのないまぜになったような感情が、彼女の中に浮かんでいた。




