一章 四 魔獣討伐の結果
周辺調査が終わり、いよいよ討伐に出る、と聞いたのは、それから更に数日後のことだった。
テンベルクの住民たち総出で見送ってやろうと集まることになり、シェスティも少し悩んだものの、結局はゼルギウスの背中を見たかったこともあり、少し住民たちから離れた場所から見送ることになった。
しかし、傭兵団の中でも特にシェスティによく声をかけてきた男――要するに〔催淫〕に非常に弱い者だが――が、今日も目ざとく彼女を見つけ、駆け寄ってくる。
露骨に逃げるわけにもいかずに苦笑するシェスティに、「もう大船に乗った気持ちで任せてください!」などと男は言い募るのだが、もうその目は既に全く大丈夫ではなかった。
この期に及んでシェスティを口説こうとするのに必死な――もはやそればかりで出発もしようとしないでいる男にたじろいでいると、大柄な影が近寄ってきた。
「……何をしている。さっさと出るぞ」
ゼルギウスは呆れたように言いながら、男を無理矢理引きはがして引きずって行く。それにほっとしつつも、離れる前にさっと〔解呪〕をかけた。それから、
「ゼ、ゼルギウスさん!」
すぐ背中を向けようとする彼に、あわてて声をかける。男の首根っこを掴んだまま、彼は首だけをこちらに向けた。
「……お気をつけて」
礼を言うのもなんだか変な気がして、それだけ言ってぺこりと頭を下げる。彼はぎこちなく微笑んだ。
「ありがとうございます」
彼らを最後に、討伐隊は出立した。
まわりを見渡せば、盛大に見送ってやろうと言っていた住民たちも、彼らが出て行ってしまった後は誰もが不安げな表情を隠しきれないでいた。シェスティもその例に漏れない。ゼルギウスは大丈夫なのかもしれない。
でも、その他の人々は。
――そうして、その不安はまさに現実のものとなった。
夕刻、門をくぐった討伐隊の隊員は二人だけだった。片方はほとんど自力で歩くことができず、すぐさまそれを見た住民らによって宿に連れて行かれた。
もう一人もそれなりに傷を負っていたが、それでも自らの足で立ち、走ることさえできた。彼はその足でテンベルクの小さなギルド支部に報告に行った。
――魔獣は弑された。
しかし、その場に現れたサキュバスによって、ほぼ全員が無抵抗のまま操られ、おそらくは誘拐されたと思われる。
魔物と邂逅した直後に、サキュバスが出現した。魔術の効かないゼルギウスと、前もって抵抗薬を服用していた隊長だけが、サキュバスたちの精神汚染を受けずに踏みとどまったが、他の隊員たちは彼女らに操られるままに歩いていってしまった。
隊長は強い〔催淫〕を受け、自力での行動はできない。一人だけまともな行動が可能だったゼルギウスは、〔催淫〕を受けた他の隊員たちを引っ叩いて救出しようとしたが、魔獣によって阻まれてしまった。
ゼルギウスは隊長を守りながらその場に残った魔獣を屠るので精一杯だった。魔物は討伐したが、連れ去られた傭兵達の行方は最早わからない。
それがゼルギウスのした報告だった。
テンベルクのギルド支部は、依頼元にあたるブルーメンシュタット地区本部と魔術具によって連絡を取った。
それを受けて、ブルーメンシュタット支部は、『ゼルギウスに内通の疑いあり』との疑念を向けた。
彼は反論したものの、精神汚染系の魔術を使う相手だったのだから言葉による証言が意味をなさないとされた。
もうとっくに店じまいをして、日が沈もうという薬屋に、傭兵ギルド職員とゼルギウスが訪れる。
モニカは薬を処方するために、簡易の診察を行うことができた。この町には本格的な病院がないが、それで今まで問題なかったのは、彼女の診察能力が確かだったからだ。
モニカがゼルギウスを診るのは、魔物から受けた傷を確認するためというより、〔催淫〕にかかっていないかを診断するためである。
ゼルギウスには魔法が効かないと、何度説明しても聞き入れない領主や傭兵ギルドの地区本部にゼルギウスは辟易しつつあった。
その時にはシェスティは既に帰っていた。あまり夜暗くなってから帰るよりも明るいうちに帰ったほうがいいという、モニカの気遣いだ。
それと知らないゼルギウスは、少し店を見渡してシェスティのいないことを確認する。あれだけ心配そうにしていたのだ、せめて自分は生きているし、魔獣自体は殺せたのだから、今後の襲撃を恐れる心配はないと伝えたいと思っていた。
診察がそろそろ終わりそうだというところで、彼は小声でモニカに問いかけた。
「……店番の彼女は?」
「あの子はもう帰ってるよ。随分心配してたから、明日にでも声をかけてやってくれ」
そうして彼女はゼルギウスの肩をぽんと叩いてから、後ろに座っていたギルドの男に向き直る。
「〔催淫〕された形跡は一切ない。私はこの男が内通したとは思えないけどねぇ」
この件のためにブルーメンシュタット地区本部から派遣されていたギルドの男が、表情ひとつ変えずに返す。
「しかしながらご婦人、この男はあまりに傷が少ない。サキュバスを相手取ったなら、火傷の一つもあるのが普通ではないですか?」
「ですから、俺は魔術が効かない体質だ、と何度も言っているでしょう。ギルドにもそう登録してある」
耐えかねたのかゼルギウスが口を開く。
「疑うならベルグシュタット地区の傭兵ギルドに確認してください。俺はあちらのほうが活動歴が長いし、魔術無効で色々迷惑をかけたぶん俺のこともよく理解してくれている。
内通の疑いについては、ライムエル隊長が目を覚まし次第証言をとってくれればいい。一日も寝れば〔催淫〕もある程度解けるはずです。
それに今回はギルドの側から指名があっての人選だった。元々住民達からの訴えで、魔族の関与は疑われていた。それならば、俺を含めあのような魔術に不得手の者ばかりを集めるべきではなかったはず。俺と隊長が戻って報告できたのは、俺が魔術無効の体質を持っているからです。
訓練を受けていない幼子でもわかるような対策を怠ったのはそちらだ。これはそちらの落ち度だ」
そう口数の多い男ではないゼルギウスが、苛立ちを露わにしつつ一息でまくし立てるのはかなり迫力があるものだった。ギルドの男は少したじろいで、しどろもどろに言い訳をする。それらは何ら反論として意味を為していない。
それをほとんど聞かずに、ゼルギウスは勢いよく立ち上がった。帰らせてもらう、吐き捨てるように彼はそう言った。椅子がからんと音を立てて倒れる。
「……もう、アンタねえ、物に当たるのはやめておくれってば」
そう言う店主も、低く、普段の明るさを欠いた声だった。ゼルギウスを咎めつつも、その剣呑な目はギルド職員に向けられている。
ゼルギウスは少し冷静さを取り戻し、すみません、と小さく謝って、椅子を直した。
結局ゼルギウスがギルドから解放されたのは翌日の日暮れより少し前のことだった。
隊長の証言と人選の不備もありお咎めこそなかったが、被害甚大として報酬は出ず、また誰がまいたか既に悪い噂も立ち始めていた。
——実に理不尽なことだが、これ以上騒ぎ立てれば登録を抹消するとまで言われて、拳をきつく握りしめるしかできなかった。
からん、と店の戸が音を立てて開いて、店番をしていたシェスティははっと顔を上げる。そこにはここ数日何度も目で追っていた長身の男が立っていて、シェスティを見ると生真面目に一礼をした。
「ゼルギウスさん! よかった、お元気……そうと申し上げていいのか……」
あわあわと立ち上がって挨拶するシェスティに、ゼルギウスは硬い表情のまま頭を下げた。
「すみません。ご心配をおかけしていたようでしたので、ご挨拶をと」
「そ、そんな、すみません、わざわざ。モニカさん……店長からご無事と伺っていたのですが、なんだかよくない噂が立ってしまったようで……」
シェスティの耳に届く噂というのは、大概がモニカから聞くもので、その他は訪れた客の語るものだ。それによれば、戻ってきた傭兵達は死んだことにされていて、ゼルギウスがサキュバスに誑かされ、生き残ったのだとか言われていた。店主自身は自分の診察の腕まで含めて疑われているようで気分が悪い。
「魔族の関与を考慮して抵抗薬を何人かに渡そうとしましたが、受け取ってくれたのは隊長だけでした。非常に強い〔催淫〕だったのですが、それでも自我を失わずいられたのはこちらの薬のおかげです」
「ありがとうございます。店長にも、後ほど伝えておきますね」
そう微笑んで返すと、ゼルギウスも強張っていた表情を少しだけ緩めた。
さほど耳聡くもないシェスティでも、誹謗中傷としか言えない噂を耳にするのだ。彼にとって、この町は居心地が悪いものになっているのは容易に想像がつく。せめてこの店では気を緩めて欲しいと、シェスティは思っていた。
「今後は、どうなさるんですか? ブルーメンシュタットに戻られるのですか?」
ここテンベルクは、ベルグシュタット地方のブルーメンシュタット地区に属する小さな町だ。この地区の中心地となる街の名もそのままブルーメンシュタットになる。
テンベルクに大した食い扶持はない上に、針のむしろ状態にあるゼルギウスはもっと大きい町を目指すだろうと、シェスティは予想していた。
しかし、ゼルギウスは首を振った。
「いえ、この町を出た後はそのままフェルトシュテルンの方へ向かおうと思います」
「フェルトシュテルンへ……?」
テンベルクはベルグシュタット地方の中でも比較的東側に位置している。更に東に行くとヴァルタウ川があり、それを越えればフェルトシュテルン地方だ。
地方を跨ぐのもそう遠い道のりではない。むしろベルグシュタット中央都市よりもフェルトシュテルン地方の川沿いの町のほうが近いくらいである。
「はい。つい少し前まで、フェルトシュテルン地方を中心に依頼を受けていたので、どちらかといえばそちらの方が信頼があって顔がきくのです。ベルグシュタット地方でも活動していこうと思っていたのですが、この調子だとしばらくは難しそうですね」
「す、すぐに発たれるのですか?」
「……いえ、お恥ずかしながら、報酬が出る前提で薬を購入したりしたもので、当座の資金がないのです。なのでおそらく向こう一週間ほどは滞在することとなると思います」
俺でも何かやれることがあるといいのですが、とゼルギウスは嘆息する。曰く、ギルドには銀行制度もあるのだが、預けた金を引き出すための本人確認として、ちょっとした簡単な魔術を使うのである。
ほとんど誰でもできるような簡素なものなのだが、ゼルギウスは魔術を通さない体質であるが故に、その『ちょっとした』魔術でさえ行使ができないそのため魔術による本人確認ができず、預けた支部でのみ引き落としができる、という形になってしまうのだという。
フェルトシュテルンまでたどり着きさえすれば何かと都合がつくらしいが、そこまでたどり着くための先立つものがない。
「そう……そう、ですか。お仕事、あるといいですね」
そう言いながら、シェスティは自分が「すぐには見つからないといいのに」と思っていることに気が付いて自己嫌悪する。はやくこの町から離れられた方が、ゼルギウスにとっては幸せだ。
「お気遣い、ありがとうございます」
俯いてしまったのをどう取ったのか、ゼルギウスはやはり生真面目に礼を言って去って行った。




