EP 9
戦術医と執事と商人の包囲網
午前中の陽光が、ポポロ村の中央広場に設けられたドームテントの天幕を容赦なく照りつけていた。
ホームセンター『タローマン』で安売りされていた耐火仕様の三人用テント。その入り口の前で、竜人の青年イグニス・ドラグーンは、地面に両膝をついたまま魂が抜けたように項垂れていた。
その両手には、先ほどまで「神話級の伝説武器」と信じ切っていたはずの漆黒の刀剣──『天魔絶刀・月蝕』が握られている。
だが、安っぽい蓄光塗料が灯していた妖しい燐光はすでに弱々しく点滅を繰り返し、刀身の根元には、見るも無残な亀裂が走っていた。
「う……うわぁぁぁん……! う、嘘だろぉぉ……!?」
イグニスは琥珀色の竜瞳から大粒の涙をボロボロとこぼし、天を仰いで慟哭した。
「タローソンの見切り品ネギを一本切ろうとしただけなんだぞ……!? ネギの繊維に当たった瞬間、ペキッて鈍い音がして刃が欠けたんだぁぁ! 攻撃力四千五百、不壊属性の神話級が、なんで一本三十円の長ネギに負けるんだよぉおおッ!!」
「落ち着け、イグニス。バイタルが乱れている。過呼吸を起こす前にゆっくり息を吐き出すんだ」
背後から駆け寄った中村優太は、タクティカルリュックから取り出したアルミ保温ブランケットをイグニスの広い肩に掛け、常温の経口補水液のボトルを手渡した。
「ゆっくり三秒吸って、六秒かけて吐く。深呼吸を繰り返せ。……大丈夫だ、まだ取り返しはつく」
「取り返しなんてつかねぇよぉ……! 俺様の手取り十四万の安月給から、詰所の床を焦がした弁償金としてニャングルさんに毎月容赦なく天引きされて……それでも爪に火を灯すようにして貯めた金貨三十枚と銀貨の束なんだぞ……! 実家の親父とお袋に『帝都の高級ホテルでワインを傾ける俺様』の合成写真を送る代金も、来月の米代も全部消えちまったんだぁぁぁ!!」
地面に額を擦りつけて咽び泣く竜人の青年。
普段は強がりで見栄っ張り、くしゃみ一つで周囲を火の海にする厄介者だが、その根底にあるのは故郷の両親を喜ばせたいという純朴で不器用な孝行心だった。
そんな青年の切実な生活費を、狡猾な甘言と改竄された数字で根こそぎ毟り取った脱獄転生者たち。
「……絶対に許せないな」
優太の静かな呟きには、氷点下の怒気が宿っていた。
だが、優太の呼吸は乱れない。怒りに任せて敵の天幕へ殴り込みをかけ、力任せに叩き潰すような短絡的な行動は、戦術医としての選択肢には存在しなかった。
暴力で悪党をねじ伏せるだけなら、この村の防衛力をもってすれば数分もかからない。だが、それでは「ただの傷害・器物損壊事件」として処理され、相手に被害者面を許してしまう。何より、奪われたイグニスの全財産や、村の若者たちの被害金が戻ってくる保証はない。逃げ足の速い詐欺師のことだ、騒ぎに紛れて資産を隠蔽し、ドロンと雲隠れするのが関の山だ。
「法的に、経済的に、そして衆人環視の白日の下で化けの皮を剥ぎ取る。一銭残らず回収した上で、二度と立ち上がれない逃げ場のない外堀を埋める」
優太はイグニスの肩を力強く叩いた。
「イグニス、その折れかけた刀を預からせてくれ。……お前の金貨三十枚、俺たちが絶対に全額取り返してやる」
正午過ぎ、小料理・BAR『鬼龍』の引き戸が静かに閉め切られ、店内は作戦司令部と化していた。
カウンターの中央には、磨き抜かれた檜の一枚板の上に、一枚のポポロ村周辺地図と、鮫島たちがばら撒いた「投資サロン会員権」のパンフレット、そしてイグニスから預かった粗悪な刀剣が置かれていた。
集まったのは、ポポロ村の実務と頭脳を司る面々だった。
腕を組み、黒檀の算盤をチャチッと鳴らすゴルド商会支店長・ニャングル。
端正な燕尾服に身を包み、銀のトレイに湯気立つアールグレイを載せて控える人狼執事・リバロン。
作業着姿のまま、愛用の木製ダブルトンファーを卓上にコツンと置いた第43代村長・キャルル。
そして厨房の奥で、寸胴の灰汁を掬いながら無言で耳を傾ける巨漢・鬼神龍魔呂。
「状況は把握したで、優太ハン」
ニャングルが金糸のベストを揺らし、鋭い三白眼を吊り上げた。
「あの転生詐欺師共──鮫島と火原やな。村外れの広場でやっとる手口、あれ完全に『ポンジ・スキーム』と古典的な霊感マルチ商法や。『神話級武器が手に入る』『寝てるだけで毎日配当が入る』っちゅうて、夢見がちな若手冒険者や農家の次男坊を狙い撃ちにしとる。イグニスの三十枚どころやない、すでに村内から金貨二百枚規模の資金が吸い上げられとる計算や!」
「金貨二百枚……! 前のクソ村長が持ち逃げした公金の補填に頭を抱えている時に、なんてことしてくれるんですか……!」
キャルルが長い白い兎耳を怒りでピコピコと逆立て、テーブルの角をギリッと握りしめた。
「許せません! 今すぐ自警団の魔導戦車を広場へ突撃させて、あのペテン師たちの顎、粉々に砕いちゃおっかなぁ〜!?」
「村長、お言葉ですが自重なさいませ」
リバロンが静かに割って入り、冷えた香草水をキャルルの前へ滑らせた。
「感情に任せて武力介入を行えば、帝国の商人ギルド規約および緩衝地帯協約に基づき、我が村が『不当な営業妨害および強盗行為』として訴えられる恐れがございます。……相手は狡猾です。契約書には極小の文字で『効果には個人差があります』『購入後の返金には一切応じません』と免責条項がびっしり書き込まれておりますよ」
リバロンが片眼鏡を指先で押し上げる。その怜悧な金色の瞳が、冷ややかに細められた。
「ですが……彼らは致命的な失策を犯しました。我が主の村で、そして優太殿の目の前で、不潔な悪意を撒き散らしたことです。私が先ほど広場の風下から採取した彼らの呼気と汗の匂い……典型的な『虚飾と保身に塗れた犯罪者特有の濁り』が濃厚に漂っておりました。帝国刑法の照会データとも完全に一致。彼らは帝国の地下牢を脱走した指名手配犯です」
「脱獄犯か。……役者は揃ったな」
優太は地図の広場を指先でトントンと叩いた。
「リバロンの言う通り、力任せに殴り倒すのは三流の悪手だ。相手の土俵──つまり『公開販売会』のステージそのものを利用して、公衆の面前で化けの皮を完全に剥ぎ取る。ペテンの根拠を科学的・論理的に粉砕し、観客全員をこちらの味方に引き入れた上で、退路を断って完全包囲する」
「ほう……外科医らしい、精密な切除計画やな」
ニャングルがニヤリと口角を吊り上げ、算盤を激しく弾き始めた。
「具体的にはどうハメる気や、優太ハン? 相手のステータス鑑定画面は、一見すると本物の神話級(SSR)に見えるんやろ?」
「ああ。鮫島の持つスキル『ステータス偽装』のカラクリと、火原の『劣化コピー』の構造的欠陥……その二つを同時に暴く。……だが、それには敵の能力の『明確な限界値』を特定する必要がある」
優太が視線を向けると、厨房の奥からドスッと鈍い音が響いた。
龍魔呂が、分厚い天然木の大まな板の上に、骨付きの巨大な魔獣肉を叩きつけた音だった。
龍魔呂は黒い前掛けで手を拭い、棚のガラス瓶から角砂糖を二粒摘み上げると、口の中へ放り込んだ。
ボリッ、ボリボリッ……。
静かな店内に、冷徹な破砕音が響き渡る。
龍魔呂は角砂糖を奥歯で噛み砕き、喉を鳴らして飲み干すと、レザージャケットのポケットから使い古された真鍮製のオイルライターを取り出した。
カチッ……。
乾いた金属の開閉音。
その瞬間、店内の空気がわずかに張り詰めたが、龍魔呂は火を灯さず、親指でライターの蓋をカチャリと閉じた。
「……悪党の首を刎ねるのは一秒で済む。だが、飯の金を奪われて泣いてるガキ(イグニス)の腹を満たさなきゃ、何の解決にもならねぇ」
龍魔呂は漆黒の瞳を優太に向けた。
「知恵と悪知恵を総動員して、あのネズミ共をまな板の上に乗せるんだろ? ……腕の振るいどころだな、優太」
「もちろんだよ、龍魔呂」
優太は不敵に笑みを作った。
「リバロンのプロファイリング、ニャングルの経済包囲、キャルル村長の行政権限、そしてキュララの天界配信網……ポポロ村の総力を結集して、最高の『公開処刑カルテ』を執刀する」
戦術医、人狼執事、悪魔の商人、そして最強の処刑人料理人。
限界集落の怪物たちが組んだ完璧なる包囲網が、音もなく獲物の喉元へと絞り込まれようとしていた。
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