EP 10
48時間のタイムリミットと、成分配列の矛盾
小料理屋『鬼龍』のカウンターには、カーテンの隙間から差し込む昼下がりの陽光が、一筋の白い帯を描いていた。
無垢の檜の一枚板の上に置かれているのは、一本のひび割れた刀剣──竜人イグニスが全財産を投じて騙し取られた『天魔絶刀・月蝕』である。
紫色の妖しい燐光はすでに消え去り、刀身の中ほどには、タローソンの見切り品ネギに当たって生じた無残な刃こぼれと亀裂が刻まれていた。
「……なるほどな。触診と打診だけで、ここまで粗雑な構造が見えてくるとは思わなかったよ」
中村優太はタクティカルリュックから取り出した医療用ペンライトを灯し、ルーペ越しに傷口──いや、金属の破断面をミリ単位で観察していた。
左手首の耐衝撃デジタルウォッチを操作し、爪先で刀身を弾いて伝わる振動数を測る。
「優太殿、何かわかりましたか?」
銀のトレイを携えた人狼執事リバロンが、片眼鏡の奥の瞳をすっと細めて問いかけた。
「ああ。結論から言えば、これは刀の形をした『ただの金属の泡』だ。まともな製鉄・鍛造技術を一切経ていない」
優太はペンライトの光を亀裂の断面へと当て、カウンターを囲む仲間たちへ向けて解説を始めた。
「通常の日本刀や西洋剣は、鋼材を幾重にも折り返して鍛錬し、炭素の含有量を均一にしつつ、内部に微細な結晶構造──マルテンサイトやパーライトの緻密な層を作り出す。それによって硬度と靭性(粘り強さ)を両立させているんだ。……だが、この刀の内部には、無数の微小な空洞が蜂の巣のように密集している」
「金属の中に、泡が詰まっとるっちゅう事かいな?」
算盤を抱えたゴルド商会支店長ニャングルが、金糸のベストを揺らして身を乗り出した。
「そうだ。しかも結晶の配列が完全にバラバラだ。外側だけは本物の名刀から型を取ったように精巧だが、中身はただ泥を固めたようなものだ。これではネギの繊維のような強い植物性セルロースに直撃しただけで、応力が一箇所に集中してあっけなくへし折れるのも当然だ。……模倣した張本人が、金属の『成分配列』をまったく理解していない証拠だ」
「成分配列を知らない……。ふふ、優太殿の観察眼には恐れ入りますね。まさにプロファイリングの通りです」
リバロンが満足そうに口元を緩め、燕尾服の内ポケットから一枚の上質な羊皮紙を取り出した。
そこには、ルナミス帝国警察の照会データと、脱獄犯二名の詳細な経歴が記されていた。
「模倣主の名は、火原元。四十歳、元土木作業員の転生者です。彼のユニークスキルは『コピー』。触れた物体を複製する能力ですが、彼の頭脳では分子構造や合金の成分配列を解析・再現することができません。ゆえに生み出される物品は、外見だけをなぞった『粗悪な劣化版』に過ぎないのです」
「元土木作業員が、製鉄の化学式なんて知るわけねぇもんな」
厨房の奥から、低くドスの効いた声が響いた。
鬼神龍魔呂が、分厚い天然木のまな板の上で、本焼き包丁の背を使って豚肉の筋を叩いていた。
仕上砥石で鏡面のように研ぎ澄まされた刃先が、鋭い光を放っている。
「本物の刃物ってのは、鉄と炭素と火の対話で作るもんだ。手前勝手な妄想でコピペした鉄屑が、まともに物を切れる道理がねぇ」
「その通りだ、龍魔呂。火原の剣は、科学的に見ればただの欠陥構造物だよ。……そしてもう一人、あの胡散臭い青スーツの男だ」
優太が視線を向けると、リバロンが頷いて羊皮紙のもう片面を指し示した。
「鮫島剛、三十五歳。前世では情報商材屋や自称ITコンサルタントを名乗っていた男です。ユニークスキルは『ステータス偽装』。自身や物品のステータス画面、鑑定結果の文字表記だけを自由に改竄できる能力です」
「文字だけを書き換える……? それじゃあ、攻撃力四千五百とか不壊属性っていうのは……」
キャルルが長い白い兎耳をピクピクと揺らし、信じられないといった様子で声を上げた。
「ええ、すべて虚飾です。実際の硬度や攻撃力は一ミリも上昇していません。鮫島自身の肉体強度もスライム以下、小突かれただけで骨折する程度の貧弱な器に過ぎないのですよ」
リバロンは冷ややかに微笑み、片眼鏡の縁を人差し指でなぞった。
「かつて鮫島は、ただのロックバイソンの卵を『神話級・始祖竜の卵』とステータスを偽装して貴族へ金貨五千枚で売り飛ばし、生まれた普通の牛が庭を荒らして御用となった前科があります。そして何より重要なのが──この『ステータス偽装』には、致命的な欠陥が存在するということです」
「欠陥? どんな欠陥や、リバロンはん?」
ニャングルが目を丸くして身を乗り出す。
「『効果持続時間は四十八時間』。四十八時間が経過した瞬間、スキルによる文字の改竄は強制的に解除され、元の数値と真実の姿へと戻ってしまいます」
その言葉を聞いた瞬間、優太の頭の中で、バラバラだったピースが完璧な一本の線へと繋がった。
「四十八時間……! そういうことか!」
優太は耐衝撃ウォッチの盤面を叩いた。
「イグニスが刀を買わされたのは今朝の午前八時だ。だが、鮫島たちが村外れの広場に天幕を張り、あの『神話級の盾』や『天魔絶刀』の展示を始めた正確な時間はいつだ?」
「待ちなはれ! ウチの商会の見張り番の報告台帳に記録があるで!」
ニャングルが電光石火の勢いで算盤を脇に置き、帳簿をめくった。
「一昨日の昼……正午ちょうどや! あいつら、広場に店を広げた瞬間に客寄せとして『聖王の円盾』と『天魔絶刀』の鑑定画面を起動させとる!」
「一昨日の正午から起算して、四十八時間後……」
優太の瞳に、獲物の病巣を捉えたメスのような鋭い光が宿った。
「明日の正午だ。明日の正午を迎えた瞬間、鮫島がどんなに足掻こうと、広場に並んでいるすべての偽装装備はメッキが剥がれ落ち、本来のガラクタの数値へと逆戻りする!」
「うわぁ……! なんて綺麗なタイムリミットなんや!」
ニャングルが思わず膝を打ち、悪魔のような笑みを浮かべた。
「明日の午前十一時からは、あいつらが予告しとる『目玉商品・神話級武器の最終オークション』の開催時刻や! 大勢の買い手が集まって熱狂のピークに達し、一番高値がついた瞬間に……ボフンとただの錆びた鉄板に戻るっちゅうわけやな!」
「そうです。彼らは売り逃げを図るつもりだったのでしょうが、自ら退路のない時限爆弾の上に座り込んでいるようなものです」
リバロンが冷徹に告げた。
そこへ、キャルルが両手を腰に当て、憤然と胸を張った。
「許せません! 村の純朴な冒険者やイグニスを騙して私利私欲を肥やすなんて、村長として絶対に見過ごせません! 明日のオークション、私が村長の行政権限でステージへ乗り込んで、あのペテン師たちの顎、粉々に砕いちゃおっかなぁ〜!?」
「村長、暴力は最後の最後にとっておきましょう。力任せに殴るだけでは、イグニスたちの奪われた金貨は戻りません」
優太は穏やかにキャルルを宥め、卓上の地図へ視線を落とした。
「勝負は明日のオークション会場だ。……ニャングル、経済的な外堀の封鎖は頼めるか?」
「任せときぃ! ゴルド商会の権限使って、あいつらが隠し持っとる売上金庫の口座と資産移送ルートを今夜中に全部マークさせたるわ! 偽装がバレて逃げ出そうとした瞬間、一銭残らず差し押さえてイグニス達へ全額返金させたる!」
「助かるよ。リバロンは、帝国警察への通報手続きと、脱獄犯逮捕の法的身柄確保のルートを整えてくれ」
「畏まりました。内務省のオルウェル内務官の直通デスクへ、すでに『脱獄囚二名、ポポロ村にて確保間近』と最高級の封蝋を施した親書を手配済みです。逃走経路の関所もすべて封鎖させましょう」
完璧なまでの実務連携。
知恵と悪知恵を総動員した包囲網は、音もなく獲物の四方を塞ぎつつあった。
その時──厨房からコト、と音が響いた。
黒い前掛け姿の龍魔呂が、湯気を上げる四つの器をトレイに載せてカウンターへ運んできた。
透き通るような黄金色の出汁に、柔らかく煮込まれた豚バラ肉と大根、そして青ネギが美しく盛られた『肉吸い』だった。
「作戦会議も結構だが、腹が減っては頭も回らねぇぞ。食え」
「わぁ、美味しそう……! いただきます!」
キャルルが目を輝かせて箸を伸ばす。
優太も椀を手に取り、熱々の出汁を一口すすった。
鰹と昆布に似た海の滋味と、豚肉の上質な脂の甘みが口蓋いっぱいに広がり、疲れた脳の隅々まで染み渡っていく。
「美味い……! 龍魔呂、最高の差し入れだよ」
「……おう」
龍魔呂は短く返すと、棚のガラス瓶から角砂糖を二粒摘み上げ、自らの口の中へ放り込んだ。
ボリッ、ボリボリッ……。
小気味いい破砕音が静かな店内に響き渡る。
龍魔呂は角砂糖を奥歯で噛み砕いて嚥下すると、レザージャケットのポケットから真鍮製のオイルライターを取り出し、親指で軽く弾いた。
カチッ……。
澄んだ開閉音だけを響かせ、火は点けずに蓋を閉じる。
その双眸に宿る漆黒の闇が、冷徹な静けさを保っていた。
「ネズミの化けの皮を剥ぐ道具は、揃ったのか?」
「いや、最後の一手がまだだ」
優太は椀を置き、真剣な眼差しで自らの手のひらを見つめた。
「相手の土俵でペテンを論破するには、観客全員の目の前で『成分配列の矛盾』と『内部の空洞』を証明する決定的な検査機器がいる。……今夜、俺の固有権能にすべてを懸ける」
【現在保有善行ポイント:1,703P】
視界の隅に浮かぶ光文字を見つめながら、優太は静かに息を吸い込んだ。
悪党を白日の下に晒し、騙された村人たちの笑顔を取り戻すための、運命の『地球ガチャ』──。
決戦の舞台となる大広場の公開鑑定ショーまで、残された時間はあと二十時間を切っていた。
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