EP 4
第43代村長キャルルと、クセが強すぎる隣人たち
高原の朝は、驚くほど冷涼で澄み切っていた。
二階の窓を開け放つと、遠くの火山から吹き下ろす清冽な風が、優太の寝起きの頬を心地よく撫でる。眼下には朝靄に煙るポポロ村の田園風景が広がり、遠くの畑からは早くも農作業に精を出す人々の姿が見えた。
階段を下りると、仕込みを始めたばかりの静かな厨房から、芳醇な出汁の香りが漂ってくる。
カウンターの奥では、黒い前掛けを締めた龍魔呂が、鏡面のように研ぎ澄まされた本焼きの和包丁で大根の皮を薄く剥いていた。無駄のない、彫刻のような所作だ。
「おはよう、龍魔呂」
「……おう」
龍魔呂は短く応じると、作業の手を止めずに顎でカウンターの端を示した。そこには湯気を上げる麦飯と、香ばしく焼かれた干物、そして熱々の味噌汁が並んでいる。
「朝飯だ。さっさと食え」
「ありがたくいただくよ」
優太は手を合わせ、丁寧に朝食を胃に収めた。一口ごとに滋味が身体へ染み渡り、五臓六腑が目覚めていくのが分かる。
食べ終えた優太は、自然な動作で器を重ね、洗い場へと立った。蛇口を捻り、スポンジに泡を立てて手早く皿を洗い上げる。水滴を拭き取り、水切り籠へ伏せた瞬間、視界の隅に淡い光文字が走った。
【日常の労働(皿洗い)を感知】
【善行ポイント:+1P獲得(累計1,252P)】
「よし、今日も着実に貯まったな」
「皿洗いでブツブツ呟く医者も珍しいな」
龍魔呂が苦笑しながら、棚の瓶から取り出した角砂糖を二粒、口の中へ放り込んだ。
ボリッ、ボリボリッ……。
小気味いい破砕音が店内に響き渡る。黒いコーヒーをぐいと煽った龍魔呂は、前掛けを外して自警団詰所の方角を顎で指した。
「二階を診療所に使うなら、一応村長に顔を通しておけ。前のクソジジイが逃げた後、村をまとめてるのが新村長のキャルルだ。……悪い奴じゃねぇが、距離感には気をつけろよ」
「距離感? どういう意味だ?」
「行けば分かる」
村の中央広場に面した、ひときわ頑丈な石造りの建物──ポポロ村行政庁舎兼村長邸へ向かう。
正面玄関をくぐり、執務室の木製扉をノックしようとした瞬間、内側から勢いよく扉が開かれた。
「わっ! あ、ごめんなさい! 怪我はないですかっ!?」
飛び出してきたのは、頭部から長い白い兎耳を生やした、小柄で可憐な少女だった。
動きやすそうなカーキ色の作業着に、足元は無骨な『タローマン』特注の頑丈な安全靴。腰には木製のダブルトンファーを下げている。大きな紅い瞳をパチクリと瞬かせ、胸元に抱えた書類の山から顔を覗かせていた。
「あなたが、昨日野盗から子供を助けてくれた中村優太さんですね! お噂はかねがね! 第43代ポポロ村長のキャルル・ムーンハートです!」
「初めまして、キャルル村長。中村優太です。二階の空き部屋で診療所を開く許可をいただきに参りました」
「もちろん大歓迎です! 前村長が逃げてから、村にはちゃんとした外科治療ができるお医者様がいなくて本当に困っていたんです!」
キャルルは満面の笑みを浮かべ、優太の手を両手でぎゅっと握りしめて上下に振った。快活で、少しもお高くとまったところのない、純粋な善意に満ちた笑顔だ。
だがその直後、キャルルの長い兎耳がピクリと微細に跳ね上がった。
彼女の紅い瞳が、すっと細められる。
「……ねぇ、優太さん」
「はい?」
「今、私の手を握った瞬間、心拍数が毎分四拍上がりましたよね? どうしてですか? もしかして、私の耳を見て変な妄想とか……していませんよね……?」
「い、いや、急に手を握られて純粋に驚いただけです……!」
至近距離から心音を正確に盗聴され、優太は冷汗を流した。龍魔呂の言っていた「距離感に気をつけろ」とはこのことかと察する。
「村長。客人を玄関先で尋問するのは、我が村の礼儀に反しますよ」
廊下の奥から、静かで涼やかな美声が響いた。
足音もなく現れたのは、仕立ての良い漆黒の燕尾服を寸分の狂いもなく着こなした、銀髪の人狼の青年だった。
理知的な金色の瞳に、片眼鏡。手には純白のトレイと、湯気を立てる極上のダージリンティーが載せられている。
「初めまして、優太殿。村長私設筆頭執事のリバロンと申します」
リバロンは優雅に一礼し、優太へと視線を向けた。
その鼻腔がわずかにヒクつき、瞳の奥に怜悧な光が宿る。
「ふむ……血の匂いと消毒液の清潔な気配、そして打算のない強固な自己規律の香り。嘘を吐く者に特有の、濁った汗の匂いは微塵も感じられません。素晴らしい。我が主がご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「あ、いえ……ご丁寧にどうも」
リバロンが胸ポケットから取り出したのは、金属光沢を帯びた薄い名刺だった。指先で軽く弾くだけで空気を鋭く引き裂く音が鳴る。この男、ただの執事ではない。名刺一枚で鋼鉄すら両断する達人だ。
「おーい! キャルル、リバロン! 朝から客人の品定めかいな!」
執務室の奥から、けたたましい関西弁と共に、丸っこい影が転がり出てきた。
頭部にピンと立った大きな三角の猫耳を生やし、豪奢な金糸のベストをまとった小柄な商人──大陸最大の商業ギルド『ゴルド商会』ポポロ村支店長のニャングルだった。
手には使い込まれた黒檀の算盤を抱え、指先が電光石火の速さでパチパチと珠を弾いている。
「ワイがゴルド商会支店長のニャングルや! 優太ハン、昨日のガキの治療費、村の特別救急予算から金貨二枚で計上しといたで! ……と言いたいところやが、ウチの村は前村長の逃亡でド赤字なんや! 金貨の代わりに村の独自通貨『PG』で払うてええか? タローマートでもタローソンでも使える優れもんや!」
「あ、はい、自分は村で暮らせる分の物資さえ手に入れば問題ありませんので」
「うわっ、ええ人や! キャルル、見習わんかい! 命の原価計算もせんとタダ働きばっかりしよってからに!」
「うぅ……ニャングル、朝からお金の話ばっかり……」
キャルルが耳をペタリと倒して唸る。
その賑やかな執務室の廊下に、突如として地鳴りのような規則正しい蹄の音が響き渡った。
ドカッ、ドカッ、ドカッ……!
現れたのは、天井すれすれの巨躯を誇る偉丈夫──いや、上半身は凛々しい女性騎士、下半身は白毛の見事な軍馬というケンタウロスの女性だった。
身の丈を超える巨大な杭打ち槍──パイルバンカー『アグニ』を背中に背負い、磨き上げられた銀の甲冑が朝日を浴びて輝いている。
「報告する! 街道周辺の索敵完了、異常なしである!」
「マンミアさん、お疲れ様です!」
キャルルが敬礼を返す。
ケンタウロスの自警団長マンミアは、鋭い眼光を優太に向けた。
「貴殿が新たな医官か。私は自警団長のマンミアだ。防衛医大とやらで実戦救護を修めたと聞いた。前線で戦う部下たちの命を預けるに足る人物か、見極めさせてもらおう」
「よろしくお願いします、マンミア団長。自分は今年で二……」
優太が「二十五歳」と口にしかけた瞬間──。
背後でリバロンが青ざめた顔で跳びのき、ニャングルが算盤を取り落として耳を塞いだ。
キャルルに至っては、マッハの速度で優太の口元へ飛びつき、両手で強引に塞いできた。
「むぐっ!?」
「し、静かに優太さん! 言っては駄目です! その二文字は村の最高機密にして絶対の禁忌ですっ……!」
「……ぬ? 何をコソコソ話しているのだ、村長」
マンミアの眉がピクリと跳ね上がる。
「まさか……また私の『年齢』の話ではないだろうな? 言っておくが、私は今年で成人を迎えてから幾ばくか経っただけであり、決して行き遅れたわけではない! 帝国軍の同期が次々と結婚して子供の写真を送ってくるからといって、夜な夜な兵舎で枕を濡らしてなどいないのだぞ!!」
「誰もそんなこと言ってませんからぁーっ!!」
パイルバンカーからプシューッと圧縮蒸気が噴き出し、床の石畳がピキピキと音を立てる。
リバロンが素早く懐から『糖分控えめのアッサムティーと特製タルト』を取り出し、マンミアの前へ差し出した。
「マンミア殿、今朝焼き上がったばかりの新作でございます。どうぞこちらでご休憩を」
「む……むぅ。リバロンの菓子か……。致し方ない、一旦詰所へ戻る」
タルトを大事そうに受け取ると、マンミアは蹄の音を響かせて去っていった。
執務室に残された全員が、同時に深い溜息を吐き出した。
「……ふぅ。危ないところでした。マンミアさんは二十五歳を目前にして、未婚であることに凄まじいトラウマを抱えているんです。村の公文書からも『二十五』という数字は一切排除されているんですよ」
「なるほど……身に染みて理解したよ」
優太は額の冷汗を拭った。確かに龍魔呂の言う通り、一筋縄ではいかない限界集落だった。
村長からの正式な開業許可と村内通行証を受け取った優太は、さっそくポポロ村の探索を兼ねて、自主的な奉仕活動を開始した。
「一人で無双は禁止。まずは地域社会の基盤を整えて、住民の信頼を勝ち取るのが戦術の基本だ」
パーカーの袖をまくり、タローマートで購入した長靴とゴム手袋を装備する。
最初に向かったのは、村の中央通りを流れる農業用水路の側溝だった。火山灰と土砂が堆積し、水の流れが完全に滞っている。
「よし、やるか」
シャベルを突き入れ、ヘドロを豪快に掻き出す。
すると、泥の中から手足の生えた拳骨大のニンニクが「ぷはぁっ!」と顔を飛び出させた。
「ちょ、ちょっとアンタぁ! 泥を跳ね飛ばさないでよ! ボクの純白の薄皮が汚れちゃうでしょ!? っていうかアンタ誰!? 新入り!? ねぇ、昨日何時に寝たの!?」
「喋るニンニク……実物を見るのは初めてだな」
優太は眉一つ動かさず、軍用教練で培った無駄のないシャベル捌きで、ニンニクごとヘドロをすくい上げ、畑の堆肥場へと放り込んだ。
「わぁあああ! 雑ぅううう!!」
喚き声を背に流し、黙々と側溝の泥を掻き出し、雑草を刈り取っていく。およそ二時間。数百メートルに及ぶ側溝がピカピカに清掃され、清涼な水がサラサラと音を立てて流れ始めた。
【日常の労働(溝掃除)を感知】
【善行ポイント:+50P獲得(累計1,302P)】
「ふぅ……いい汗をかいたな」
一息ついていると、あぜ道で腰を押さえて呻いている老農夫が目に入った。
「うう……腰が……魔導トラクターのクランクを回そうとしたら、ピキッといきよった……」
「おじいさん、動かないで。そのままゆっくり息を吐いて」
優太は駆け寄り、老人の腰椎の配列を指先で慎重に触診した。
「急性腰痛症、いわゆるギックリ腰ですね。骨折はありません。仙腸関節のわずかなズレです。少し痛みますが、息を吸って……吐いて」
優太はカイロプラクティックと戦術徒手整復の技術を組み合わせ、老人の骨盤へ的確な瞬間圧を加えた。
──コキッ。
「え……? あ、あれ……? 痛うない……! 腰がスッと軽うなったぞ!?」
「関節の位置を戻しました。でも筋肉の炎症は残っているので、今日は無理をせず横になって冷やしてください。これ、自作の消炎湿布です」
リュックから取り出した薬草抽出液入りの湿布を手渡すと、老農夫は涙を浮かべて優太の手を握りしめた。
「ありがてぇ、ありがてぇ……! あんた、神様のようなお人じゃ!」
【人命救助・軽度(徒手整復および応急処置)を感知】
【善行ポイント:+100P獲得(累計1,402P)】
着実に積み上がるポイント。これなら、いざという時の『地球ガチャ』にも十分備えられる。
夕暮れ時、オレンジ色に染まる路地を歩き、『鬼龍』の暖簾をくぐった。
店内には、チェロの静かな旋律に代わり、ドヴォルザークの『新世界より』の穏やかな調べが流れていた。
カウンターでは、すでに仕事を終えた龍魔呂が、赤箱の無骨な紙巻タバコを燻らせていた。
「帰ったか。村の連中には会えたか?」
「ああ。村長も執事も商人も自警団長も、全員キャラが濃すぎて目眩がしたよ」
優太は笑いながらカウンターの席に腰を下ろし、無添加の青い紙巻タバコを取り出した。軍用マッチを擦り、火を灯す。二つの紫煙が、夕暮れの店内に溶け合っていく。
「だが、みんなこの村を必死で守ろうとしてるいい奴らだった。……あいつらの日常を守るためなら、知恵も悪知恵も絞る価値がある」
「そうかい」
龍魔呂が目を細め、静かに角砂糖を奥歯で砕いた。
ボリッ、ボリボリッ……。
その時、店の引き戸がガラリと勢いよく開かれた。
飛び込んできたのは、息を切らした人狼執事のリバロンだった。その端正な顔立ちには、珍しく緊迫した色が浮かんでいる。
「龍魔呂殿、優太殿……! 至急、村長邸へお越しください!」
「どうした、リバロン」
「大国の徴税監察使が、重武装の私兵部隊を引き連れて国境検問所を突破しました。前村長の逃亡に乗じ、ポポロ村へ不当な十倍の懲罰重税を課し、拒否すれば村ごと接収すると通告してきています……!」
張り詰める空気。
龍魔呂の瞳の奥に、スッと冷たい光が宿った。
だが優太は、タバコの煙をゆっくりと吹き消すと、不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。
「なるほど、火事場泥棒のお出ましか。……一人で無双は禁止だ。みんなの力を合わせて、最高に苦くてぬるい『おもてなし』を準備してやろう」
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




