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『異世界戦術医の善行スローライフ〜地球ガチャで限界集落を救っていたら、相棒の処刑人料理人と裏支配者になっていた〜』   作者: 月神世一


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25/31

EP 10

一夜明けての黒字化示談書と、莫大なる善行の果て

 東の地平線が淡い菫色から黄金色へと移ろい、満月の狂乱を呑み込んだ夜気が、澄み渡る朝霧となって高原を包み込んでいた。

 三叉峡谷合同警備要塞からポポロ村へと戻る石畳の街道。

 漆黒の大型アドベンチャーバイクの後部座席で、中村優太のパーカーの裾をギュッと握りしめていた第43代村長キャルル・ムーンハートは、両手で顔を覆い、この世の終わりのような呻き声を上げていた。

「う……うわぁぁぁん……! 私……またやっちゃいましたぁぁぁ……!!」

 長い白い兎耳は完全にへたり込み、両目からは大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちている。

 大脳皮質を暴走させていた満月の神気が完全に抜け落ち、本来の理知的で心優しい少女へと戻ったキャルルを待っていたのは、己が音速のダブルトンファーで引き起こした破壊の記憶という、あまりにも残酷な現実だった。

「聖ルキア大病院の大理石の正面玄関を蹴り破り……入院病棟の壁をぶち抜いて……さらに三大国の合同警備要塞へカチコミをかけて兵士たちをボコボコに……! うぅ……賠償金でポポロ村が吹き飛びますぅ……! 私、前村長と同じように、着の身着のままでポポロ山の奥地へ夜逃げするしかありません……!」

「落ち着きなさい、キャルル村長。バイタルは安定している。過度の自責によるパニック発作を起こす前に、ゆっくり深呼吸を繰り返すんだ」

 優太はバイクの振動に揺られながら、キャルルの背中を優しくさすった。

「破壊活動だったかもしれないが、結果としてあなたは何百人もの不治の病床にあった患者の命を救い、兵士たちの古傷を完全に癒やしたんだ。医療の本質から言えば、間違いなく奇跡の救護活動だった。……事後処理なら、俺たちには最高の専門家がついている」

「そうですとも、我が主。狼狽なさる必要など、爪の先ほどもございませんよ」

 サイドカーから涼やかな声が届いた。

 燕尾服姿の人狼執事リバロンが、片眼鏡(モノクル)の位置を指先で直しながら、革表紙の手帳をパタンと閉じた。その口元には、すでに全ての手順を読み切った完璧な微笑みが湛えられている。

「すでに法務的・経済的な防波堤は構築済みでございます。……さあ、村へ戻り、温かい朝餉をいただきましょう」

 午前七時半、小料理・BAR『鬼龍』の引き戸をくぐると、外の冷え込みを忘れさせるような、温かな出汁の香気が漂っていた。

 店内に静かに流れているのは、J.S.バッハの『無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調』。深く、祈りにも似た重低音が、張り詰めた神経を優しく解きほぐしていく。

 厨房の奥では、すでに黒い前掛けを締めた鬼神龍魔呂が、鏡面のように研ぎ澄まされた本焼き包丁で、青々とした世界樹ネギをリズミカルに刻んでいた。

「……座れ。朝飯だ」

 カウンターに並べられたのは、炊きたてのサンライスの麦飯、ネギオから譲り受けた極太ネギと油揚げの粕汁、そして表面をカリッと香ばしく焼き上げたピラダイの塩焼きだった。

 優太は手を合わせ、丁寧に箸を進めた。粕汁の芳醇なコクとネギの甘みが胃壁を温め、徹夜の救護活動で疲労していた筋繊維の隅々まで滋味が染み渡っていく。キャルルも涙を拭いながら、温かい麦飯をおずおずと口へと運んでいた。

 食べ終えた器を流し台へ運び、優太は手早くスポンジで洗い上げた。清潔な布巾で拭い、水切り棚へ伏せる。

【日常の労働(皿洗い)を感知】

【善行ポイント:+1P獲得(累計4,258P)】

「どんな波乱の夜が明けようと、日常の足元を固めることが最大の備えだな」

「全くだ」

 龍魔呂が短く応じ、棚のガラス瓶から取り出した角砂糖を二粒、口の中へ放り込んだ。

 ボリッ、ボリボリッ……。

 小気味いい破砕音が店内に響き渡る。ブラックのポポロ・コーヒーを一息に煽った龍魔呂は、赤箱の無骨な紙巻タバコを取り出し、真鍮製オイルライターを親指で弾いた。

 カチッ……シュポッ。

 澄んだ開閉音と共に静かな黄色のオイル炎が灯り、立ち上る紫煙を天井へと燻らせる。優太も無添加の青い紙巻タバコに軍用マッチで着火し、ゆっくりと深く紫煙を吹き出した。

 その穏やかな紫煙を切り裂くように、ガラリと店の引き戸が開け放たれた。

「毎度! 景気のええ朝やなぁ、お前ら!」

 けたたましい関西弁と共に飛び込んできたのは、金糸のベストを身にまとい、腕に黒檀の算盤を抱えたゴルド商会支店長・ニャングルだった。

 その背後には、両手いっぱいに抱えきれないほどの分厚い書類の束と、金箔が施された極上の木箱を抱えた自警団のイグニスが、筋肉をプルプルと震わせながら従っている。

「ニャングル殿。例の書類、手筈通りに発送していただけましたか?」

「当たり前やがな、リバロンはん! 抜かりなんぞ一銭分もあらへんで!」

 ニャングルはカウンターへ飛び乗り、算盤の珠をパチパチと目にも留まらぬ速さで弾いて見せた。

「キャルル、あんたが昨夜やらかした『熱血全回復カチコミ事件』の損害賠償請求書な! ルナミス帝国の聖ルキア大病院から金貨八百枚、三大国合同警備要塞から金貨二千枚の器物損壊請求が、夜明け前に届いとったわ!」

「ひ、ひぃぃぃっ……! 金貨二千八百枚……! やっぱり村が破産しますぅぅっ!!」

 キャルルが頭を抱えてカウンターに突っ伏した。

 だが、ニャングルとリバロンは顔を見合わせ、邪悪なまでの完璧なビジネススマイルを浮かべた。

「甘いわ、キャルル! 誰に向かって算盤弾いとる思とんねん! ……リバロンはんが作成した『包括的緊急医療費請求、ならびに施設損壊相殺示談書』を、すでに帝国厚生省と三大国軍事法務部へ送りつけてやったわ!」

「示談書……?」

 キャルルがおずおずと顔を上げる。

 リバロンが優雅に片眼鏡の縁を押し上げ、手帳の複写をカウンターへ滑らせた。

「ええ。聖ルキア大病院において、我が主が完治させた難病・重症患者は合計三百十二名。帝国公定薬価および高度外科手術費用に基づき積算いたしますと、本来患者側が支払うべき総医療費は『金貨三千五百枚』相当に達します。さらに病院側が帝国政府から受給するはずであった特別医療救済交付金の算定枠を全額ポポロ村へ譲渡させる特約条項を締結いたしました」

「さらに合同警備要塞や!」

 ニャングルが身を乗り出し、金貨のマークが輝く受領印の書類をバチンと叩いた。

「要塞の兵士四百名の筋断裂、骨折、魔力枯渇の後遺症を一晩で瞬時に消滅させ、軍の戦闘稼働率を百パーセントに回復させた『緊急軍事衛生支援費』として、三大国軍部へ金貨四千枚を請求したったわ! 相手の施設修繕費なんて、こっちの超絶神業医療費の請求額に比べたら雀の涙や! 差し引き相殺した結果……」

 パチンッ!

 ニャングルの指先が、算盤の定位枠を力強く弾き止めた。

「ポポロ村の純利益、堂々の『金貨四千七百枚の黒字』やぁぁぁッッ!!」

「え……? く、黒字……!?」

 キャルルが呆然と口を開けた。

 そこへ、イグニスが抱えていた木箱をドスンと床へ下ろした。

「それだけじゃねぇぞ、村長! 見ろよこれ! 昨夜キャルルさんにボコボコにされて全回復した要塞の兵士共から、『姐御の熱血指導に魂が震えました! 一生ついていきます!』って、最高級の乾燥肉や帝都特産のワイン、果物の木箱が山のように届いてんだぞ!」

「ひ、被害者が……信者になってお礼の品を送ってきてる……!?」

 あまりの理不尽なまでの完全勝利と黒字化に、キャルルは白目を剥いて言葉を失っていた。

「ふふ、感謝の気持ちを行政サービスに換算し、適正な対価として徴収してこそ、持続可能な善意というものです。……ねぇ、優太殿?」

「ああ、まさにその通りだな」

 優太は思わず吹き出し、タバコの灰を携帯灰皿へと落とした。

 その瞬間──優太の視界の隅に、かつてないほどの眩い黄金の光文字が、滝のように滑らかに展開された。

【国際境界地域における大規模医療救護および集団危機の完全解決を感知】

【三百名を超える重篤患者の救命、ならびに国際治安部隊の健康維持への多大なる貢献】

【重大な地域社会貢献・国際調停功労:善行ポイント+1,500P獲得!】

【現在保有善行ポイント:5,758P】

「五千七百ポイント……! 一気に跳ね上がったな」

 優太は思わず拳を握りしめた。

 これだけのポイントがあれば、いかなる大規模な災害や高度な外科手術、未知の病魔が襲いかかろうとも、地球ガチャから現代最先端の医療機器や重装備を引き当てて対処できる。地道な皿洗いや問診から始まった善意の連鎖が、確実にこの世界で生き抜くための揺るぎなき力へと結実していた。

「よっしゃ! 村の金庫が潤ったところで、本題に入ろか!」

 ニャングルが三白眼をギラリと光らせ、懐から羊皮紙の大陸全図をカウンターの上へバサリと広げた。

 その指先がトンと突いたのは、マンルシア大陸の東部沿岸──月の女神カグヤが統治する、白亜の巨大都市だった。

「ポポロ村の財政が黒字化した今こそ、外貨を根こそぎ稼ぎに打って出る時や! ……目指すは、大陸最大のメガシティ『ムーンキャピタル』やで!」

「ムーンキャピタル……月の女神カグヤの直轄都市ですね」

 リバロンが頷く。

「ええ。ウチの村で収穫された極上の『肉椎茸』と『ポポロシガー』、そしてキャルルの調合した『月光薬』……あそこの金持ち貴族共なら、金貨の山を積んで買い取るはずや! 優太ハン、龍魔呂ハン、あんたらも商隊の護衛兼医療班として同行してくれへんか? もちろん、正規の日当と利益配分はガッツリ弾むで!」

「ムーンキャピタルへの遠征か。……異世界の先進都市の衛生状態や医療水準も、一度この目で見ておきたかったところだ。喜んで同行させてもらうよ」

 優太が快諾すると、リバロンが片眼鏡の奥の瞳をすっと細め、低く不穏なトーンで言葉を足した。

「……ですが優太殿、あらかじめ覚悟なさっておいてください。あの都市は、外見こそ白亜の宮殿とシャンパンタワーが煌めく美の都を装っておりますが……基礎インフラ、特に下水道の概念が完全に崩壊しております。街中が高級香水と排泄物の混ざり合った、致死性のスメルハザード地帯と化しているとの報告が入っておりますよ」

「スメルハザード……なるほど、衛生環境の改善という大仕事が待こっていそうだな」

 優太が不敵に口元を綻ばせると、厨房の奥からドスンと重い音が響いた。

 龍魔呂が、旅立ちの仕込みに向け、鏡面のように研ぎ澄まされた本焼き包丁を無言で鞘へと収めた音だった。

「……面白い。どれほど腐った街だろうと、腹を空かせた奴がいるなら飯を食わせるだけだ。行くぞ、優太」

「ああ、行こう相棒」

 二人の紫煙が、高原の澄んだ秋空へと溶け合っていく。

 狂乱の怪奇食材と神話級の隣人たちとの騒動を乗り越えたポポロ村の男たちは、次なる舞台──華美なる虚飾と悪臭が渦巻く巨大都市ムーンキャピタルへと向けて、力強く足を踏み出そうとしていた。

読んでいただきありがとうございます。

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