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『異世界戦術医の善行スローライフ〜地球ガチャで限界集落を救っていたら、相棒の処刑人料理人と裏支配者になっていた〜』   作者: 月神世一


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18/31

EP 3

禁断の『ずっ友ロコシ』と、肉椎茸のワサビ海苔醤油丼

 魔性のマスクメロン『メロロン』の集団催眠事案が鎮圧されてから一夜が明け、ポポロ村の朝は再び平穏な静けさを取り戻したかに見えた。

 高原を渡る風は涼やかに澄み渡り、街道沿いに佇む小料理屋『鬼龍』の軒先では、藍染めの暖簾が心地よさそうに揺れている。

 二階の診療所から降りてきた中村優太は、グレーのジップアップパーカーの袖をまくり、カウンター席へと腰を下ろした。左手首の耐衝撃デジタルウォッチは、午前七時三十分を示している。

 店内に静かに流れているのは、J.S.バッハの『無伴奏チェロ組曲』。

 厨房の奥では、黒い前掛け姿の巨漢・鬼神龍魔呂が、鏡面のように研ぎ澄まされた本焼き包丁で薄紅色のピラダイの身を美しく切り揃えていた。

「おはよう、龍魔呂」

「……おう。朝飯だ」

 ことり、と置かれたのは、湯気立つサンライスの麦飯、甘辛く煮付けられた根菜の小鉢、そして昨日収穫されたばかりのメロロンの果肉を特製冷水で締め、毒気を完璧に抜いた極上の水信玄餅風デザートだった。

 優太は手を合わせて箸を取り、丁寧に咀嚼する。出汁の染みた滋味が胃壁を優しく包み込み、デザートの澄み切った甘さが頭の芯をすっきりと覚醒させていく。

 綺麗に平らげると、流し台へ立ってスポンジを手に取り、手際よく器を洗い上げた。

【日常の労働(皿洗い)を感知】

【善行ポイント:+1P獲得(累計2,955P)】

「地道な積み重ねこそ、危急の際の最大の武器になる」

「相変わらずマメなこった」

 龍魔呂が低く笑い、棚のガラス瓶から角砂糖を二粒摘み上げて口へ放り込んだ。

 ボリッ、ボリボリッ……。

 小気味いい破砕音が店内に響き渡る。ブラックのポポロ・コーヒーを呷った龍魔呂は、赤箱の無骨な紙巻タバコを取り出し、真鍮製オイルライターを親指で弾いた。

 カチッ……シュポッ。

 澄んだ開閉音と共に静かな黄色のオイル炎が灯り、紫煙が天井へと立ち上る。優太も無添加の青い紙巻タバコに軍用マッチで火をつけ、紫煙を燻らせた。

「さて、今日は自警団詰所へ常備薬の補充に行ってくるよ」

「詰所か。……行くだけ無駄足にならなきゃいいがな。今朝の東のあぜ道、妙に香ばしい穀物の匂いが立ち込めてやがった」

「香ばしい穀物の匂い……?」

 優太が首を傾げたその時──街道の向こうから、けたたましい怒号と金属音が響いてきた。

「ええ加減にせぇやコラァァァッ!!」

 村の中央広場、自警団詰所の受付窓口の前で、商人のニャングルが金糸のベストを激しく揺らし、算盤をバンバンと窓口のカウンターに叩きつけていた。

 背後には、頭から角を生やした竜人の青年イグニス・ドラグーンが、半泣きで立ち尽くしている。

「優太ハン、ええとこに来てくれた! こいつらを見てみぃ! 行政と治安の窓口が、完全に機能停止しとるんや!」

 ニャングルが怒りの形相で指さした窓口の奥には、二人の自警団員が並んで座っていた。

 一人は、普段は真面目一本槍で通っている監査担当の門番。もう一人は、両手剣を背負った青年団員フェイト・ラックだった。

 二人の手元には、黄金色に輝く太いトウモロコシが、真っ二つにポキリと折られた状態で一本ずつ握られている。

 部屋全体に充満しているのは、嗅ぐだけで全身の警戒心が蕩けていくような、異常に甘美で香ばしいバター醤油に似た芳香だった。

 二人の団員の瞳は、完全にハイライトを失って濁りきり、互いの肩に腕を回して不気味な薄笑いを浮かべていた。

「おいフェイト! 今月のイグニスの器物破損の弁償金と、村外れの不法屋台の立ち退き書類はどうなっとるんや!」

 ニャングルの詰問に対し、フェイト・ラックは視線を虚空へ泳がせ、乾いた声で答弁を始めた。

「……身に覚えがございません」

「はぁ!? あんたの直筆の受領サインがあるやろが!」

「……記憶にございません」

「なめとんのかワレ! ほなら隣の門番! 今朝、あぜ道で密輸業者の荷車をノーチェックで通したっちゅう目撃証言は何や!」

 門番の団員が、ロボットのような無機質な口調で言葉を重ねる。

「……事実無根であります。面識はございますが、あくまで一般的なお付き合いであり、深い関係ではございません」

「一般的な付き合いで関所をフリーパスにする奴がおるかぁぁぁッ!!」

 ニャングルの額に青筋が浮き上がる。

 するとフェイトは手元のトウモロコシを愛おしそうに撫で、目を細めてさらに続けた。

「……事務所、ならびに秘書に確認させましたところ、事務的なミスが判明いたしました。私は一切、報告を受けておりませんでした」

「お前に秘書なんぞおらんやろが! 安月給の平団員やろがい!」

「現在、当局が捜査中──いや調査中の案件でありますので、私からのコメントは差し控えさせていただきます。……なお、体調不良が発覚いたしましたので、しばらく入院いたします」

 フェイトはそう言い放つと、窓口の椅子の上で毛布を被り、スヤスヤと狸寝入りを決め込んだ。

「往生際が悪すぎるやろぉぉぉーーーッッ!!」

 ニャングルが算盤の角で机を叩き割らんばかりに絶叫する。

 イグニスも頭を抱えて涙目になっていた。

「俺様、テントの修理代を申請しに来ただけなのに……あいつら、トウモロコシを半分こしてモグモグ食った瞬間、急に目つきが変わって『お前とはズブズブの盟友だ』とか言い出して、書類を全部シュレッダーに放り込んだんだぞぉ!」

 その異様なやり取りを、優太は腕を組んで冷徹に観察していた。

 鼻腔に微かに届く、あのトウモロコシの甘い香り。

 優太の脳内にある生化学および薬理学のデータベースが、瞬時に該当する物質を特定した。

「……禁断の怪奇作物『ずっ友ロコシ』か」

「知っとるんか、優太ハン!?」

「ああ、ポポロ村の植物カルテで読んだ。信じられないほど甘く極上の香りを放つが、一本を二つに割って他者と分け合って食べた瞬間、脳内のオキシトシンとエンドルフィンが致死量レベルで暴走する。互いの利害や立場、倫理観をすべて忘却させ、強制的に『ズブズブの共犯者・親友関係』へと脳をハックする精神感応型穀物だ」

 優太は手袋を装着し、窓口のトウモロコシの断面をペンライトで照らした。

「相手を無条件で肯定し、不正すら庇い立てするようになる。あの往生際の悪い政治家答弁は、ズブズブの関係を守るために前頭葉が絞り出した末期の防衛反応だな」

「恐ろしすぎるやろ! 汚職のバイブルやないか! どうやって治すんやこれ!」

「作用機序がオキシトシン受容体の過剰励起なら、解決策はシンプルだ。浸透圧ショックと強烈な電解質刺激によって、受容体に結合しているフェネチルアミン誘導体を強制解離させる」

 優太はリュックのサイドポケットから、タローマートで購入してあった『粗塩(あらじお)』の大袋を取り出した。

「つまり……塩をぶっかければ、強制的に正気に戻る」

「塩!? 塩でええのんか!?」

「ああ。俗に言う『塩対応』に戻すんだ」

 優太は迷いなく袋を裂き、掌にたっぷりと粗塩をすくい上げた。

 八極拳の勁力を乗せた鋭いスナップを利かせ、狸寝入りしているフェイトと門番の顔面へ向けて、豪快に塩を叩きつけた!

 バシャァァァンッッ!!

「ぶぎゃっ!? しょっぺぇぇぇぇぇッ!?」

「目がああぁぁッ! 鼻の穴に塩がダイレクトに入ったぁぁッ!!」

 二人の団員が悲鳴を上げて跳ね起きた。

 顔面を真っ白な塩まみれにしながら激しくくしゃみを連発すると、その瞳から濁った光がスーッと抜けていき、白目が澄んだ色へと戻っていった。

「……ハッ!? お、俺は一体何を……?」

「フェイト君……? なんで君、私の肩に馴れ馴れしく手を回しているのかね? 距離が近すぎて不愉快なんだが」

「はぁ!? そっちこそ何ジロジロ見てんだよ! キモいから離れろよオッサン!」

 さっきまでのズブズブの蜜月関係はどこへやら、二人は互いを心底軽蔑したような氷点下の目で睨み合い、露骨に距離を取って顔を背けた。完璧なまでの『塩対応』である。

「うわぁ……! 見事なまでの手のひら返しや! 完全に解毒されとる!」

 ニャングルが手を叩いて大笑いした。

 優太は残ったずっ友ロコシを清潔な密閉容器に回収し、二人のバイタルを確認した。

「血圧、心拍数ともに正常値に復帰。二人とも、二度とあぜ道の怪しいトウモロコシを勝手に半分こして食べないように。公務員倫理規程の重大な違反になりますよ」

「「は、はいぃっ……!!」」

【集団催眠穀物による汚職事案の完全解決を感知】

【行政規律の回復および公衆衛生貢献:善行ポイント+200P獲得】

【現在保有善行ポイント:3,155P】

 視界の隅に浮かぶログを確認し、優太はふっと肩の力を抜いた。

 そこへ、詰所の奥からパイルバンカー『アグニ』を携えた自警団長マンミアが、大量の籠を抱えて現れた。

「騒がしいと思えば、優太殿か。……ちょうど良かった。先ほど東の樹林帯のパトロールから戻ったのだが、見事な『肉椎茸』が豊作でな。村の食堂へ差し入れようと思っていたところだ」

 マンミアが差し出した籠の中には、大人の手のひらほどもある、驚くべき厚みを持った巨大な椎茸がぎっしりと詰まっていた。

 傘の表面はビロードのように滑らかで、切り口からは上質な牛肉の脂のような、芳醇で濃厚なキノコの香りが立ち上っている。

「これは……見事な肉椎茸だな。よし、龍魔呂の店へ持っていこう。最高の昼飯になるはずだ」

 正午過ぎ、小料理・BAR『鬼龍』の厨房には、ジュウウウゥゥッという暴力的なまでに食欲をそそる焼き音が響き渡っていた。

 黒い前掛け姿の龍魔呂が、分厚い鉄のフライパンの上で、十文字に隠し包丁を入れた肉椎茸をじっくりとソテーしている。

 肉椎茸自身の分厚い繊維から、まるで最高級黒毛和牛のサーロインのような透明な脂と旨味エキスが溢れ出し、熱い鉄肌の上で弾け飛ぶ。

「……いいキノコだ。余計な油はいらねぇ。素材自身の脂だけで十分火が通る」

 龍魔呂が無駄のない手捌きでフライパンを煽ると、香ばしい焦げ目が傘の裏表に均一についた。

 そこへ、優太が善行ガチャから提供した地球の特選濃口醤油を、鍋肌から一気に回し入れる!

 ジュワァァァァァッッ!!

 立ち上る焦がし醤油のアロマと、肉椎茸の濃厚な滋味。

 カウンターに陣取っていた優太、マンミア、ニャングル、そして腹を空かせたイグニスの喉が、同時にコクリと鳴った。

「へい、お待ち。鬼龍特製、肉椎茸とワサビ海苔の醤油丼だ」

 龍魔呂がドンと差し出したのは、深みのある黒唐津の丼だった。

 炊きたてのサンライスの麦飯の上に、刻み海苔が惜しみなく敷き詰められ、その中央にステーキのように分厚い肉椎茸がどっさりと鎮座している。頂点には、鮫皮のおろし板ですり下ろしたばかりの、鮮やかな緑色の本ワサビがこんもりと盛られていた。

「いただきまーす!!」

 イグニスが我慢しきれずに箸を突き入れ、肉椎茸ごと麦飯を豪快にかき込んだ。

 その瞬間、竜人の青年の目が限界まで見開かれた。

「う、うぎゃあぁぁぁぁッ!? う、うめぇぇぇぇぇッッ!!」

 イグニスは丼を抱え、涙を流しながら叫んだ。

「なんだこれぇぇ!? 噛んだ瞬間に、肉汁とキノコのエキスが口の中で大洪水だぞ! アワビと極上ヒレ肉を足して二で割ったような弾力と旨味なのに、全然脂っこくない! 海苔の香ばしさと、ワサビのツンと抜ける爽快感が、焦がし醤油と合わさって米が無限に消えていくぅぅッ!!」

「ほんに……これは極楽の味やなぁ……」

 ニャングルも目を細め、夢中で箸を動かしている。

「肉を使っとらんのに、肉以上の満足感や。これ、一杯銀貨五枚で帝都の貴族街へ売り出したら、月商金貨千枚は下らんで……!」

 普段は凛々しいマンミアも、顔を真っ赤にして無心で丼を空にしていた。

「素晴らしい……。過酷なパトロールの疲れが、一口ごとに細胞へ染み渡って消えていくようだ。マスター、おかわりを頼む!」

「あいよ」

 龍魔呂はぶっきらぼうに応じながらも、満足そうに口元をわずかに緩めた。

 優太も丼を手に取り、一口一口をじっくりと味わった。

 肉椎茸のジューシーな歯応えと、焦がし醤油を吸った麦飯の甘み。そして鼻を抜ける本ワサビの刺激が、午前中の騒動の疲労を爽快に吹き飛ばしてくれる。

「美味いよ、龍魔呂。最高の一杯だ」

「素材が良かっただけだ。……ところで優太、そのトウモロコシはどうする?」

 龍魔呂がカウンターの端の密閉容器を顎で指した。

「ああ、ずっ友ロコシか。高圧蒸気で十分に加熱処理して、塩分濃度五パーセントの塩水に一晩漬け込めば、精神感応成分は完全に熱変性して無害化する。純粋に糖度二十度超えの、信じられないほど甘い最高級コーンとして安全に食べられるようになるよ」

「なら、明日の付け合わせのコーンバターにしてやるよ。……毒気を抜いて美味しく食うのが、料理人の仕事だからな」

 龍魔呂はそう言うと、棚の瓶から取り出した角砂糖を二粒、口の中へ放り込んだ。

 ボリッ、ボリボリッ……。

 静かな店内に、小気味いい破砕音が響く。

 黒い前掛けを外した龍魔呂は、赤箱のタバコを咥え、真鍮ライターを親指で弾いた。

 カチッ……シュポッ。

 揺らめく黄色の火を見つめながら、龍魔呂が静かに紫煙を吐き出す。

 優太も無添加の青いタバコを燻らせ、穏やかな昼下がりの空気を楽しんだ。

 その時、丼を食べ終えたマンミアが、口元をナプキンで拭いながら優太へ視線を向けた。

「優太殿、午後から時間はあるか? ……実は、村の入り口近くにある集合住宅──『ポポロ・コーポ』の定期巡回と健康診断を頼みたいのだ」

「ポポロ・コーポ……? 木造三階建ての、あの格安アパートか?」

「うむ。家賃月額三万円という破格の安さなのだが……入居している住人の顔ぶれが、少々……いや、極めて個性的でな。近隣住民から騒音や奇行の苦情が絶えんのだ」

 マンミアが深いため息をつくと、カウンターの奥で龍魔呂がタバコの煙越しに目を細めた。

「……あそこに行くのか、優太。あのアパートは、メロロンやトウモロコシなんざ足元にも及ばねぇ、本物の神話級の怪物共の吹き溜まりだぞ」

「神話級の怪物共……?」

 優太はタバコを携帯灰皿へ消し、不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。

「どれほど規格外の住人だろうと、患者であるなら問診とケアをするのが医者の役目だ。……よし、行ってみよう」

 限界集落ポポロ村の真の魔窟──家賃三万円の混沌アパート『ポポロ・コーポ』への扉が、今まさに開かれようとしていた。

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