EP 2
怪奇農作物『メロロン』事案発生!家庭崩壊の甘い罠
ポポロ村の東側に広がる開墾農地は、中央通りの長閑な田園風景とは打って変わり、異様な熱気と妖しげな甘い香気に包まれていた。
黒々とした火山灰土の畝の向こう、立ち並ぶ大型ビニールハウスの周囲には、黄色と黒の魔導警戒テープが幾重にも張り巡らされている。
そのバリケードの手前で、中村優太は足を止めた。
初秋の爽やかな風に乗って漂ってくるのは、完熟した果実の芳醇な蜜の香りと、嗅いだだけで大脳皮質がじわりと痺れるような、濃厚な揮発性フェロモンの匂いだった。
「……なるほど。リバロンが警告していた通りだな」
優太はタクティカルリュックのショルダーストラップを正し、左手首の耐衝撃デジタルウォッチを操作した。
視線を前方へ向けると、バリケードの前に数名の農家の親父たちが正座し、虚ろな笑みを浮かべながらビニールハウスの扉へ向けて両手を伸ばしていた。
「あぁ……メロロンちゃん……今日も会いに来たよぉ……」
「待っててくれ、今月のお小遣いを全部叩いて、最高級の有機リン液肥を買ってきたからね……!」
「女房になんと言われようと構わねぇ! あの子が『あなたのお水が一番好き』って言ってくれたんだ! 俺はあの子と同伴して駆け落ちするんだぁぁぁ!!」
完全に目が据わり、涎を垂らしながら土下座を繰り返す中年男性たち。
その背後では、エプロン姿の妻たちが仁王立ちになり、血相を変えてフライパンや箒を振り回していた。
「あんた! いい加減に目を覚ましなさいよ! 娘の学費の定期預金を解約して、なんで果物に注ぎ込んでるのよ!」
「うるせぇ! お前が毎朝出す冷え切った水道水とカチカチの生米に比べたら、メロロンちゃんの淹れてくれる甘い果汁の方が百倍温かいんだよぉ!!」
「なによそれ! 私だってプリンスメロロン様の甘い囁きに貢ぐのを我慢してるっていうのに、あんたばっかりズルいじゃないの!!」
阿鼻叫喚の夫婦喧嘩と、崩壊寸前の家庭劇。
自警団の木製バリケードを必死に押さえ込んでいるのは、竜人の青年イグニス・ドラグーンだった。
「お、おい! 入ってくんなって言ってんだろ! ここは現在、自警団の立ち入り禁止区域だ!」
イグニスはタローマン特注の作業ズボンを泥だらけにしながら、屈強な腕で親父たちを押し戻していた。
だが、風に乗って漂ってくる甘い香りを鼻孔にかすかに吸い込んでしまった瞬間、イグニスの琥珀色の瞳がふっと潤んだ。
「は、はふぅ……なんか……すっげぇ甘くていい匂いがするぜ……。『イグニス君、今日もテント生活で頑張っててえらいね♡』って、誰かが頭を撫でてくれてるような気が……」
「吸い込むな、イグニス! 息を止めろ!」
優太が鋭く叫びながら駆け寄り、イグニスの鼻先へアルコール綿を押し当てた。
ツンとした刺激臭が鼻腔を突き、イグニスは「ぶはぁっ!?」と激しく咳き込んで正気を取り戻した。
「ゆ、優太さん!? な、なんだこれ!? 果物の匂いを嗅いだだけなのに、脳みそがトロけそうになったぞ……!」
「揮発性の精神変容フェロモンによる嗅覚刺激と、特定の周波数による聴覚催眠の複合トラップだ。……これがポポロ村名物の魔性作物『メロロン』か」
優太はビニールハウスの半透明のシート越しに、内部の様子を観察した。
青々とした蔓の茂みの中に、網目模様の美しい巨大な緑色の果実が幾重にも実っている。
しかも、その果実は自らの蔓を器用に足のように動かして畝の上を歩き回り、果肉をぽよんぽよんと艶めかしく揺らしながら、鈴を転がすような甘い美声で鳴いていた。
『うふふ……お外のおじ様たち、今日も来てくれたのねぇ♡』
『私、あなたが来てくれるのをずーっと待ってたのよ?』
『他の人には内緒よ? あなたのお水が、世界で一番おいしいんだから……♡』
『ねぇ……今日は少し、長くいてくれるわよね?』
「メ、メロロンちゃぁぁぁん!! 今行くぞぉぉぉッ!!」
外の親父たちが再び発狂し、バリケードを突き破らんばかりに突進してくる。
「言語中枢に直接語りかける音響催眠波と、父性や庇護欲、そして承認欲求を巧みにハックする対話アルゴリズム。……実に見事な寄生・共生戦略だな」
優太の瞳の奥に、戦術医としての怜悧な光が宿る。
農夫に丹精込めて世話をさせ、高品質な肥料と水を与えさせて完熟を迎える。そして完熟した暁には、身も心も食べ尽くさせて種を運ばせるという、植物としての生存本能の極致だ。
だが、放置すれば村の農業生産力と家庭環境が根底から崩壊してしまう。
「イグニス、このまま力づくで抑え込んでもキリがない。ハウスの中へ突入して、親玉である『クイーンメロロン』を含めた完熟個体を一斉収穫する」
「突入するって、優太さん! あんな甘ったるい声と匂いを至近距離で浴びたら、俺たちまで骨抜きにされちまうぞ!」
「五感を物理的に遮断すれば、どんな精神干渉もただの空気振動と有機化合物に過ぎない」
優太は意識を集中させ、視界の隅のシステムインターフェースを呼び出した。
【現在保有善行ポイント:2,754P】
目的は明確だ。地域の公衆衛生の回復と、狂乱に陥った村民たちの精神的救護。私利私欲ではなく、ただ平穏な日常を取り戻すための備え。
「頼む……精神汚染を完全に遮断し、迅速な収穫を遂行できる装備を寄越せ」
【100Pを消費:地球ガチャを実行(残余:2,654P)】
【使用者の明確な作戦意志、打算なき地域救護の覚悟を感知──特殊判定成功】
【排出等級:SSR(NBC災害対応・密閉型循環式防毒ガスマスク&軍用アクティブノイズキャンセリング防音ヘッドセット・作業用高炭素収穫鋏特化セット)】
淡い光の粒子が収束し、足元に艶消しブラックのミリタリークレートが出現した。
中には、気密性の極めて高いフルフェイス型の防毒ガスマスクが複数個、高性能キャニスターフィルター、外音を完全に遮断しつつ味方の無線音声だけを拾う軍用ヘッドセット、そして植物の強靭な導管を一撃で切断するフッ素加工の高炭素鋼収穫鋏が完璧に整頓されていた。
「イグニス、これを装着しろ」
「うおっ!? なんだこの真っ黒い仮面!?」
優太は手早くイグニスの頭部にガスマスクを被せ、密着度を確かめる。さらに防音ヘッドセットを耳へ固定し、外部音声の受信感度をカットした。
優太自身もガスマスクを装着し、キャニスターのバルブをひねる。
シュコー……シュコー……。
吸気弁が規則正しく作動し、純粋な無臭の酸素だけが肺腑を満たした。外の甘美な蜜の香りも、耳をくすぐる妖艶な囁き声も、完全に無音の彼方へとシャットアウトされる。
「これより、メロロン群生地の外科的収穫オペレーションを開始する。イグニス、お前は麻袋の運搬と背後の警戒を担当しろ。俺が茎を切断する」
「『了解っす! 声は全然聞こえねぇけど、頭がスッキリして力が湧いてきたぜ!』」
インカムから届くイグニスの頼もしい声を確認し、優太は高炭素鋼収穫鋏を右手に構えた。
二人はビニールハウスの入り口のファスナーを一気に引き下げ、魔境の内部へと突入した。
ハウスの内部は、濃密な緑のジャングルと化していた。
天井から垂れ下がる無数の蔓、床一面を這い回る巨大な葉。
そして畝の上では、大小さまざまなメロロンたちが、侵入者の気配を察知して一斉にこちらへ顔を向けていた。
手前に転がっているのは、手のひら大の『ベビーメロロン』たちだ。
小さな蔓をパタパタと振って、無垢な瞳のような斑点をうるうると潤ませている。
『パパ……? おみず……すき……』
『また……きてくれたの……? さみしかったよぅ……』
通常の人間であれば、胸を締め付けられるような庇護欲に打たれ、思わず抱き上げてしまうところだろう。
だが──優太の耳には、アクティブノイズキャンセリングによって微弱な雑音としてしか届いていなかった。
「生長段階一、初期個体。……速やかに休眠処置へ移行」
ザシュッ、ザシュッ!
優太の手にした収穫鋏が、迷いなく茎の基部を正確に切り落としていく。
母体から切り離されたベビーメロロンたちは、「ふぇ……?」と間抜けな声を漏らし、そのままコロンと転がって安全な休眠状態へと入った。イグニスが手早くそれを回収し、冷暗仕様の麻袋へと詰め込んでいく。
その光景を見て、ハウスの最深部が激しく揺れ動いた。
『キーッ! なんなのアイツら! 私の可愛い子供たちを躊躇なく収穫するなんて!』
葉の茂みを押し分け、ぬらりと姿を現したのは、通常の三倍以上の巨躯を誇る主──『クイーンメロロン』だった。
黄金色に輝く最高級の網目模様、ぽよんぽよんと波打つ豊かな果肉。
頭部の蔓を王冠のように巻き上げ、妖艶な薄紫色の花びらを扇のように広げている。
『フン……無骨な仮面なんかつけて、強がっちゃってぇ♡』
クイーンメロロンは妖しく果肉を揺らしながら、優太の足元へと滑るようにすり寄ってきた。
果皮の気孔から、目に見えるほどの濃厚なピンク色のチャーム花粉をブワッと噴射する!
さらに、至近距離から脳髄を直接蕩かすような、極上の甘美な美声を放った。
『ねぇ、お兄さん……そんな窮屈なマスクなんて外して、私を優しく撫でてぇん♡』
『頑張ってるあなたには、最高のご褒美が必要よ……? あなたは悪くないわ、今日はぜーんぶ忘れて、私に甘えていいのよ……♡』
『ほら……私を一口、食べてみて? 身も心もとろけさせてあげるからぁ……♡』
全盛期の高級クラブのナンバーワンをも凌駕する、究極の肯定と誘惑のコンボ攻撃。
常人であれば、全財産を投げ出してその場で下僕と化すところだ。
しかし──。
シュコー……シュコー……。
ガスマスクの気密フィルターが、噴射されたピンク色の花粉を百パーセント吸着して無害化していた。
軍用ヘッドセットのディスプレイには【環境音:有害催眠周波数(85dB)を完全減衰】の文字が淡々と表示されている。
優太の視界には、ただ「糖度十八度前後に達した、極めて収穫適期の良質なマスクメロン」が、足元で落ち着きなく蠢いている姿しか映っていなかった。
「果実肥大度良好、網目形成の密度九十八パーセント、果梗部の離層形成を確認。……最高の食べ頃だな」
『えっ……? ちょ、ちょっと、お兄さん!? 私の声、聞こえてるぅ!?』
一切の動揺を見せない優太の態度に、クイーンメロロンの果肉が波打って青ざめた。
『嘘でしょ!? 私の至高の囁きよ!? この前の農家の親父なんて、「女房を捨ててお前と生きる!」って泣いて畑に住民票を埋めたのよ!? なんでこの男、脈拍数が一拍も乱れてないのぉぉぉッ!?』
「植物ホルモンのエチレンガスが充満している。換気が必要だな」
優太は淡々と診断を下すと、収穫鋏を逆手に握り直した。
合気の体捌きでクイーンメロロンの蔓の拘束をふわりと受け流し、果梗部(ヘタの付け根)へと鋏の刃先を滑り込ませる。
『や、やめてぇぇぇん! 私、まだチャージ料も指名料も貰ってないぃぃぃぃッ!!』
ジョキィィンッ!!
鋭い金属音が響き、太い導管が一撃で両断された。
母体から切り離された瞬間、クイーンメロロンの全身から妖しい燐光がシュルシュルと抜け落ちていった。
『あ……ぁ……ん……♡ あなたに、刈り取られるなら……本望、よ……ガクッ』
最後の最後まで無駄にドラマチックな捨て台詞を残し、クイーンメロロンはただの極上に美味しそうな超巨大マスクメロンとなって、コロンと地面に転がった。
「ふぅ……メインターゲットの切除、完了だ」
優太が鋏を拭って腰のホルダーへ戻すと、イグニスが感嘆の声を上げた。
「『す、すげぇぜ優太さん! あんなに暴れてた魔性メロンが、手際よく全部袋に収まっちまった!』」
「外の換気ファンを回して、残留ガスを排出しよう。これでこの畑の狂乱も鎮まるはずだ」
三十分後──。
ビニールハウスの側面が開け放たれ、高原の清冽な秋風が畑を吹き抜けると、漂っていた甘い霧は完全に霧散した。
優太はガスマスクを外し、正気を取り戻して茫然自失としている農家の親父たちの元へ歩み寄った。
「あ、あれ……? 俺は一体、畑で何を……?」
「メロロンの幻覚作用は抜けましたよ。軽度の脱水症状と交感神経の疲労が見られます。これを飲んで、今日は奥さんと温かいお風呂に入って休んでください」
優太は親父たち一人ひとりに、自作の電解質補給水とビタミン剤を手渡した。
我に返った親父たちは、傍らで腕を組んで睨みつける妻たちの顔を見て顔面を蒼白にし、土下座して謝罪を始めた。
「か、母ちゃん……すまねぇ! 俺は魔が差して……!」
「もう! 二度とあんな怪しい液肥を買ってきたら承知しないからね! ……ほら、帰って温かいご飯にするよ!」
怒りつつも、夫の肩を支えて家路につく夫婦たちの背中。
その光景を見届けた瞬間、優太の視界の隅に黄金の光文字が浮かび上がった。
【特定危険魔性作物の完全収穫および集団催眠の解除を感知】
【地域農業の保全および多数の家庭崩壊阻止:善行ポイント+300P獲得】
【現在保有善行ポイント:2,954P】
「……よし。着実にポイントも回復したな」
優太が安堵の息を吐いていると、背後からドッドッドッと聞き慣れた重低音が響いてきた。
漆黒の大型アドベンチャーバイクを止めた鬼神龍魔呂が、リアキャリアに木箱を括り付けて歩み寄ってきた。
「終わったか、優太」
「ああ、完璧に収穫したよ。……ほら、これが親玉のクイーンメロロンだ」
優太が麻袋から取り出した巨大なメロンを見るなり、龍魔呂は双眸をわずかに細めた。
黒革のジャケットのポケットから真鍮製オイルライターを取り出し、親指で弄ぶ。
カチッ……。
開閉音だけを鳴らして火は点けず、棚のガラス瓶から持ち出してきた角砂糖を二粒、口へ放り込んだ。
ボリッ、ボリボリッ……。
奥歯で小気味よく砂糖を噛み砕いた龍魔呂は、メロンの果皮を指先で軽く弾いた。
「……いい実の詰まり方だ。魔性のフェロモン毒はヘタと種周りの繊維に集中してる。そこを的確に削ぎ落として冷水で締めれば、極上の甘みだけが残る」
「料理人の目から見ても合格か?」
「ああ。店へ運ぶぞ。……今夜はコイツを使って、毒気を完全に抜いた特製の『メロロン酒』と、水信玄餅風のデザートを仕込んでやる」
「それは楽しみだな」
優太は笑いながら、無添加の青い紙巻タバコを咥えた。龍魔呂の赤箱タバコと並んで紫煙をくゆらせる。
だが──ポポロ村の怪奇食材の洗礼は、まだほんの序章に過ぎなかった。
次なる畑には、口にした者同士のあらゆる関係を飛び越えてズブズブの腐れ縁にしてしまう、禁断の穀物が実りを迎えていたのである。
読んでいただきありがとうございます。
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